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松山西(久米)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2014年6月訪問 2021/12更新  


5.png
撮影年月日1947/10/18(昭22)(USA R517-7 61) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

愛媛県‎松山市にあった「松山西飛行場」。

地元では地名から「久米飛行場」とも呼ばれていたようです。

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

2010年代初期、当飛行場位置についてパネル展示した様子が某サイト様にアップされており、

長いことその写真を参考に作図したものを載せていたんですが、

この写真の通りだったとすると、滑走路の長さは丁度1,600m。

一方、今回改めて航空写真から作図したところ、1,420mとなりました。

滑走路両端が小川(用水路?)に阻まれており、

この程度の川幅ならば暗渠化して滑走路を伸ばすことも十分可能なんですが、

航空写真で見る限り、川の向こうまで滑走路を造成しているようには見えません。

地割がハッキリせず、正直精度に自信なしです。

「地割がハッキリしない」ことの理由として、当飛行場が未完の秘匿飛行場であったことが挙げられます。

「松山西飛行場」は陸軍の秘匿飛行場で、「昭和20年3~7月に建設」。とする資料があるかと思えば、

「未完」扱いになっている資料もあります。

当飛行場は、「松山西飛行場」で検索すると、「広島西飛行場」の情報がだーっと並び、

「久米飛行場」で検索すると、沖縄の「久米島空港」で埋め尽くされてしまい、情報を拾うことがほとんど出来ません。

結局未完だったのか、完成したのか、長いこと不明だったのですが、

■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で当飛行場について扱われていました。

以下一部引用させて頂きます。

1944年2月造成工事を始めたが、未完のまま終戦、幻の飛行場一度も飛行機は飛ばなかったという『松山市史』より

市史情報ですが、ここで「未完のまま終戦」とありますね。

■常房さんからも情報頂きました。

建設に関わった方からの話として未完なのは間違いないこと、そして「当時小学校に通っていた方の証言」として、

小学校の場所に飛行場を作るということになったので、

学校で勉強ができないため子供たちは神社やお寺で勉強していたのだそうです。

常房さん貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m 

■再生おじさんからも情報頂きました。

a.png4.png
Japanese airfields data, 16 February 1945. Report No. 9-a(52), USSBS Index Section 6 
(国立国会図書館ウェブサイトから転載)

米軍作成の情報です。

秘匿のはずなのに"KUME"飛行場としてバッチリマークされてました。

緯度経度情報は先頭のグーグルマップの紫マーカー、

位置情報は起点がハッキリしないため"2mi.SE of KUWAHARA"という情報だけですが、青マーカーです。

クラスの項目には、MLG u/c とあります。

MLG→(Medium Bomber Landing Ground:中爆撃機着陸場。完全な滑走路または施設はないが離着陸は可能)
u/c→(Under construction:建設中飛行場)

という認識だったんですね。

滑走路の長さは、1,661mx91m

となります。

やっぱり某サイト様のように1,600mが正しいのかしらん。

サーフェイスの項目に"earth,u/c"とあるのは、「工事中で表土むき出し」というニュアンスでしょうか??

再生おじさん貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m  

D20_0119.jpg

赤マーカー地点。

この辺りから滑走路が伸びていたはずです。


      愛媛県・松山西(久米)飛行場跡地      

松山西(久米)飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:愛媛県‎松山市‎鷹子町‎
座 標:33°48'38.3"N 132°48'42.1"E
標 高:48m
滑走路:1,600m?
方 位:09/27
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年02月 造成工事開始
    08月 15日 未完のまま終戦

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


コメント(13)  トラックバック(0) 

コメント 13

鹿児島のこういち

秘匿飛行場だったら完成していても、わからないってこともあるでしょうね。道はまっすぐですからなんだか期待できそうです。

by 鹿児島のこういち (2014-10-17 10:03) 

ジョルノ飛曹長

百式なんかの連絡機用飛行場だったのかもしれませんね。
by ジョルノ飛曹長 (2014-10-17 12:38) 

再生おじさん

こんばんは

米軍資料に「KUME」として出てきます。

↓これの175コマ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009764
by 再生おじさん (2014-10-17 20:11) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
ホントにもう分からないことだらけで…^^;

■ジョルノ飛曹長さん
そうなんですかφ(..)メモメモ

■再生おじさん
おはようございます。
出てますね!
滑走路の長さも合ってる。
どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-10-19 10:17) 

中上

愛媛新聞の記事で、航空写真を見たような記憶があります。
by 中上 (2017-08-24 13:35) 

とり

■中上さん
そうなんですか。
コメントありがとうございました。
by とり (2017-08-25 17:26) 

常房

建設に関わった方から聞いた話ですと、未完のまま終戦を迎えたとのことでした。また、小学校の上を通る形で建設が進められていたようで本記事の地図と合致します。
by 常房 (2020-07-23 12:15) 

とり

■常房さん
「未完」情報、記事に反映させて頂きました。
実際に関わっておられた方からの情報ですから、
当飛行場については「未完」で決着と思います。
地図についての情報も感謝です。
貴重な情報をありがとうございました。
by とり (2020-07-23 15:36) 

常房

発言に誤りがあったので訂正します。
当時小学校に通っていた方の証言でした。申し訳ありません。
飛行場を作るからということで小学校から立ち退きを要求され、子供たちは近所の神社やお寺などで勉強していたそうです。
未完なのは間違いありません。
by 常房 (2020-07-23 23:05) 

常房

重ね重ね申し訳ないです。
小学校の場所に飛行場を作るということになったので、学校で勉強ができないため子供たちは神社やお寺で勉強していたそうです。「立ち退きを要求」の部分は適切ではありませんでした。
by 常房 (2020-07-23 23:14) 

とり

■常房さん
より詳細で正確な情報を頂き、感謝致します。
記事に反映させて頂きました。
どうもありがとうございました。
また何かありましたら、是非ご教授くださいませ。
by とり (2020-07-24 03:19) 

アツ

はじめまして。地元住民です。
久米中学校では?

久米小学校の近隣には建物が多く接収するのは難しいです。
久米中学校は田んぼの中にあり地図でみてもらっても分かる通り敷地は飛行場の名残で東西に長いです。
うちの親父の話だと近所の二階建ての二階部分は取り壊されたそうです。
終戦間際には「グラマンが来とった」と言っとりました

by アツ (2024-05-25 12:21) 

とり

■アツさん
いらっしゃいませ。
地元の方からのコメントありがとうございます。

早速ですが、
・久米小学校の近隣には建物が多く接収するのは難しい
・久米中学校は田んぼの中にあり地図でみてもらっても分かる通り敷地は飛行場の名残で東西に長い
これは現在の話ですよね?
飛行場跡があったとは、とても思えないほど開発が進み、
滑走路跡など完全に無視して道路が建設されることは、よくあることですので、
現在の様子と、過去その場所に飛行場があったかどうかは必ずしも関連はありません。

資料からしますと、当飛行場は、昭和20年2月から造成工事が開始され、未完のまま終戦を迎えました。
工期は最大半年はあったはずで、松山市史にも「久米飛行場建設のため青年学校、
高等小学校生全員勤労動員、一〇日間」とあります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776179/1/162
こうした地元周辺からの大規模な動員もありましたから、
造成工事の痕跡はかなり残るハズです。

当記事の先頭のグーグルマップに続けて1947/10/18撮影の航空写真を貼りましたが、リンク先では久米中学校周辺も含め、
もっと広い範囲が写っていますので、ご覧下さいませ。
当時の航空写真で比較すると、
久米小学校周辺には、滑走路のハッキリした地割と、造成工事をしたものの、
その場所を畑地に戻した様子が残る一方、
久米中学校周辺には、先祖伝来の畑地が広がり、造成工事をした痕跡が認められません。
まあこれは飽くまで私個人の主観ですが、
米軍資料にある飛行場の緯度経度情報、位置情報、
拙記事に寄せられた建設に関わった方から聞いた情報等々、
これらは飛行場の場所として、一貫して久米小学校周辺を指しています。

・近所の二階建ての二階部分は取り壊された
とのことですが、当時の飛行場では、現代のように滑走路延長線上を基準としてではなく、
とにかく飛行場周辺の障碍物が撤去の対象になった例が私の知る限りでも数例あります。
ですから久米中学校の近所であっても、二階部分の取り壊しというのはあり得る話だと思います。

by とり (2024-05-25 17:16) 

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