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朝鮮・密陽飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2024年9月 記事作成(未訪問)  




大韓民国慶尚南道の東部にある密陽(ミリャン/みつよう)市。

ここに日本陸軍の「密陽飛行場」がありました。

滑走路の正確な位置、長さ、向き等不明です。

そのため先頭のグーグルマップは、オイラの想像で作図しています。

後述しますが、現存する掩体壕の配置からおおよその滑走路位置を決めました。

現存する掩体壕は小型機用なので、戦闘機専用の小さな滑走路が建設されたのかもしれないのですが、

せっかくこれだけ飛行場におあつらえ向きの恵まれた場所なので、1,800mx100mで作図してあります。

こんなだった(かもしれない)という程度のものですので、ご了承くださいませ。

 
【密陽飛行場】で検索すると、アジ歴でも国立国会図書館デジタルコレクションでも、

一切ヒットしません。

それで【밀양 비행장 일본군】(密陽飛行場 日本軍)でググったら、

地元記事が多数ヒットしました。

■Cultural Heritage Wiki/밀양 구 비행기 격납고(密陽区飛行機格納庫) 

によれば、小型有蓋掩体壕(幅13m、高さ3m)が4基建設され、そのうちの2基が現存していること、

掩体壕と滑走路、それらを結ぶ誘導路は終戦で未完であること等記されていました。

■밀양 구 일본군 비행기 격납고(密陽区日本軍飛行機格納庫) 

には、済州島の掩体壕も掲載されている他、

特に当飛行場の2基の掩体壕(先頭のグーグルマップ青マーカー、黄マーカー)の様子を掲載しておられ、

掩体壕や滑走路跡地に零戦の模型を持ち込んで当時を妄想想像したり、

4基の掩体壕と滑走路を結ぶ誘導路の想像図まで作成しておられ、

オイラのような一般人には及びもつかない熱量でした。

特に青マーカーの掩体壕は、特異な活用をしている内部写真を掲載しておられ、興味のある方は必見です。

ここまで内部に手を掛けているのは、松山空港近くで内部を事務所に改造した掩体壕以来です。

4基の掩体壕は一定間隔で建設されていたのだそうで、

グーグルアースの過去画像で如何にもな場所を探したのですが、見つかりませんでした。

a.jpg
本土航空作戦記録 (文書名: Japanese Monographs = 日本軍戦史 ; Monograph No. 23) (ボックス番号: 3) 

本土決戦の際、米軍が郡山付近に上陸した想定の飛行部隊展開配置図。

密陽飛行場も作戦に組み入れられていました。

詳しくは潭陽飛行場記事をご覧ください 



赤マーカー地点。

滑走路方向。

「滑走路方向」とは言っても、滑走路の正確な位置、向きは不明なので、

飽くまでオイラの想像なのですが、滑走路建設にはおあつらえ向きな風景が広がっています。



青マーカー地点。


ストリートビューに有蓋掩体壕が映ってました。

2005年9月14日、国家登録文化財第206号に登録されたみたいです。




     朝鮮・密陽飛行場跡地         
密陽飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:大韓民国慶尚南道密陽市
座 標:35°26'50.6"N 128°45'32.8"E?
標 高:4m?
滑走路:1,800mx100m?
方 位:16/34?
(所在地はグーグルアースから。それ以外は全て推定)

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コメント(2) 
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コメント 2

an-kazu

貴殿の熱量、充分凄いと思うのですが・・・
 桃井原っぱ記事、リンクさせていただきました!

by an-kazu (2024-11-18 20:04) 

とり

■an-kazuさん
リンクありがとうございます~m(_ _)m

かの国で、日本軍の飛行場跡にゼロ戦持ち込んで写真撮ったりする
なんて、ビビりのオイラにはムリどす(ノ><)ノヒイィィ

by とり (2024-11-19 18:56) 

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