第二硫黄島航空基地(元山飛行場)跡地 [├国内の空港、飛行場]
(訪問不可) 2021/11更新
撮影年月日1968/11/21(昭43)(KT685YZ C1 3)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
前記事の続きです。
現在の硫黄島飛行場敷地西側部分にあった海軍の「第二硫黄島航空基地」。
元山大地(標高110m)にあったことから「元山飛行場」とも呼ばれました。
先頭のグーグルマップは「昭和19年6月29日 水路部調製」の縮尺1万分の1硫黄島全図」(下記リンク参照)
から作図させていただきました。
後の記事で書きますが、この「硫黄島全図」が作成されてからの80年近くの間に島の輪郭がかなり変化したため、
精度は低いです。
ご了承くださいませ。
から作図させていただきました。
後の記事で書きますが、この「硫黄島全図」が作成されてからの80年近くの間に島の輪郭がかなり変化したため、
精度は低いです。
ご了承くださいませ。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:第二硫黄島 建設年:1944 飛行場長x幅 米:1500x80 1200x80 1100x100 主要機隊数:小型2.0 主任務:作戦
前記事でも触れましたが、米軍は上陸作戦開始から4日後には「第一」を制圧し、
作戦開始から10日後には当「第二」も奪いました。
米軍は当飛行場も整備して使用したと記録にあるのですが、
上に貼った航空写真の通りで、返還した年である1968年には現在の硫黄島飛行場があるのみです。
東京都・第二硫黄島航空基地跡地
設置管理者:海軍
種 別:軍用飛行場
所在地:東京都小笠原村硫黄島
座 標:N24°46′56″E141°18′48″
標 高:112m
滑走路:800mx50m(09/27)、1,300m(06/24)
(座標、標高、方位、滑走路長はグーグルアースから)
沿革
1933年 海軍、戦闘機用飛行場(南北800m×200m)を仮設、以後逐次増強
1937年 完成
1945年02月 26日 元山飛行場陥落
03月 硫黄島、米軍に占領される
1968年06月 返還。海上自衛隊硫黄島航空基地分遣隊発足
関連サイト:
軍令部作成縮尺1万分の1の硫黄島全図■
この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
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