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茂浦水上機基地 [├国内の空港、飛行場]

   2013年10月、2016年7月訪問 2021/11更新  


(2016/10/1追記:A地点の写真追加、地図差し替え、記事修正しました)

青森県東津軽郡平内町茂浦にあった「茂浦水上機基地」。

実は当基地の位置がハッキリしておりません。

「青森県の旧飛行場」というサイト様(下記リンク参照)によりますと、当飛行場について

現在地:茂浦  現状:漁港化  と記されております。

上図はおおよそ茂浦周辺の地図なのですが、ご覧の通りで南北2つのアイコンの位置に漁港があり、

どちらも住所は「茂浦」です(一応Bの方が「茂浦漁港」)。

「茂浦にある漁港」だと、A,B両方とも条件に当てはまることになり、このうちどちらかが茂浦水上機基地」と思われます。

現在のところ、ネットで当飛行場の場所に関してハッキリ扱っているのはこのサイト様が唯一となっております。

 

PUTINさんから当地茂浦関連の情報を頂きました。m(_ _)m

国立国会図書館デジタルコレクション(下記リンク参照)の中で、

1945年8月10日に空母「バターン」から発艦した攻撃隊が青森港の港湾施設や周辺の船舶に対して攻撃を行なった際の報告書を閲覧できるのですが、

この報告書の RESULTS の中で、

3.The seven Jakes were strafed and burned on beach north of Futago Shima at 40-57.5N 140-52E.

と記されています。

"Jake"は米軍が零式三座水偵に付けたコードネームなので、

The seven Jakes were strafed and burned 

→「7機の零式三座水偵は機銃掃射を受けて炎上した」となります。

後半の

on beach north of Futago Shima at 40-57.5N 140-52E.

は肝心の場所情報で、「双子島北の浜(40-57.5N 140-52E)」となります。

オイラは英語からっきしなのですが、大元の訳はPUTINさんなので、この訳で大丈夫と思います。(o ̄∇ ̄o)フフ

で、報告書に出てくる「双子島」と緯度経度情報を当時の航空写真に入れてみますと-

無題0a.png
撮影年月日1948/08/12(昭23) (USA M1136 58) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

-こんな感じです。白黒だとクールですね。

「浜」なのに、(40-57.5N 140-52E)の指し示すポイントは陸地部分なんですよね^^;

「双子島北の浜」ということで、双子島から文字通り北の浜だとすると、

22km先の下北半島の斧の刃の下側まで行ってしまいます。

緯度経度が示す位置から大きく外れてしまいますし、これでは双子島を基準点にする意味がありません。

「双子島の北」というのは文字通りの意味ではなさそうですね。

双子島の位置から緯度経度(40-57.5N 140-52E)で示されているポイントは北ではなく、正確には東北東であり、

位置についての説明はどちらもちょっとアバウトなのですが、

「双子島北」とは、緯度経度情報も考え合わせると、「西に突き出した半島の北側」(Aの漁港周辺)

というニュアンスではないかと思います。

この航空写真でAの漁港周辺には「浜」、「砂浜」と表現出来るように見える箇所があります。

ただし報告書に記録されているのは飽くまで「浜」であり、「水上機基地」ではありません。

報告書の上部には、標的:油貯蔵施設 と記されており、主目標は油貯蔵施設だったようです。

そして実際に同施設を爆撃したと記録されています。

施設を爆撃する位なのですから、仮に攻撃隊が水上機基地を認識していたならば、

「浜の水偵」だけでなく、基地にもそれなりの攻撃をしたはず。

ということで、PUTINさんから頂いた米軍の報告書から明らかになるのは、

Aの漁港(と思われる場所)付近に零式水偵が係留してあったこと、

そして、その場所は水上基地ではなかった、若しくは機上の米パイロットはそこに水上基地があることに気が付かなかった。

ということではないかと思います。

 

更に再生おじさんからも関連情報を頂きました。m(_ _)m 

「海軍設営隊総覧」という資料(下記リンク参照)の中で、

「第577設営隊が青森県茂浦で特攻基地を設営したと記録されています。

この「海軍設営隊総覧」の中では、実際に何を設営したかについて、「飛行場」、「航空基地」、「水上特攻基地」等の項目が

多数並んでいるのですが、茂浦については「特攻基地」とだけ記録しています。

再生おじさん曰く、

他のネット資料でも「飛行場建設」ではなく「軍工事」とありますので、もしかしたら水上機ではなく、水上特攻基地(震洋基地)である可能性が有るのではないでしょうか?

とのことでした。

ちなみに当地での設営については、編成:昭和20・6・1 解隊:20・8・22と記録されており、

茂浦という非常に限定された場所で、末期の時期に三ヵ月弱の間に軍関係の設営がなされたのは間違いないのですが、

この部隊が建設していた「特攻基地」とは具体的に何なのか。水上機基地なのか、水上特攻基地(震洋基地)なのか、

はたまたそれ以外なのか、現在のところ不明です。

 

次にお二人から頂いた資料を時間軸で照合してみます。

「海軍設営隊総覧」によれば、茂浦で特攻基地を設営したのは、昭和20・6・1~20・8・22の間。

茂浦水上機基地の建設時期が分かれば、両者が同一のものかどうかの判断材料になる訳ですが、生憎こちらは不明です。

一方、空母「バターン」艦載機が水偵に機銃掃射をしたのは、昭和20・8・10。

これは「海軍設営隊総覧」に出てくる茂浦の特攻基地設営期間の中では、

編成から2か月少々経過した時期に当たり、解隊12日前の出来事ということになります。

攻撃を受けたのは、設営期間のかなり後半の時期ということですね。

この解隊日が、「施設が完成したから解隊」だったとすると、機銃掃射を受けたのは完成間近の時期ということになるのですが、

解隊日は8・22で、これは終戦から1週間後のことですから、

解隊が施設完成によるものなのか、それとも終戦に伴い中断したものなのか、判断ができません。

いずれにせよ、攻撃があったのは編成から2か月以上経過した時期ですから、

工事は進み、少なくともある程度の形にはなっていたはず。

にもかかわらず、米軍の報告書では、「"beach"にいた水上機に攻撃を加えた」ことになっています。

攻撃時、水上機が仮に建設中の何某かの軍施設にいたとすると、"beach"とは表現しないはずです。

ということで、水上機が攻撃された場所と設営隊の場所は別であったのではないかと思います。

 

これは後日別記事でアップしますが、この茂浦の攻撃とは別に、

「7月15日 浜子海岸水上機4機爆焼」という記録が残っています。

「浜子海岸」とは、茂浦から西南西約10kmの位置にあります。

この海岸に何か基地があったという記録は今のところありません。

PUTINさんからもご指摘頂いたのですが、水上機は必ずしも水上基地にあったのではなく、

こうして離れた場所に係留することがあったようです。

陸上機は戦争末期、本土決戦に備えて航空機温存の観点から、

飛行場から少し離れた場所に分散秘匿したケースが多々あります。

茂浦と浜子海岸で焼失した水上機も、敢えて基地から離れた場所に分散しておいたものを狙われたのかもしれません。

 

前述のサイト:「青森県の旧飛行場」では、茂浦水上機基地には桟橋が建設されたとのことなのですが、

1948年8月当時の写真では、AB両地点共に、「これが桟橋だ!」と特定することができませんでした。

水上機基地は陸上機の滑走路と比べて見つけるのが遥かに困難なんですよね^^;

もしかすると当水上基地は、
・非常に簡素で小規模なものだったので見落とされた
・非常に簡素で小規模なものであり且つ航空機がなかったのでスルーされた

ということなのかもしれません。

ここまで長々と書き連ねてしまいましたが、とどのつまり、AかBか依然としてハッキリしない。ということです。

情報お待ちしておりますm(_ _)m

DSC_0033.jpg

・A地点

D20_0112.jpg

・B地点

D20_0114.jpg

・B地点


      青森県・茂浦水上機基地跡地      

茂浦水上機基地 データ

設置管理者:旧海軍
種 別:水上飛行場
所在地:青森県東津軽郡平内町茂浦
座 標:A N40°57′41″E140°51′49″ B N40°56′39″E140°52′19″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1945年06月 1日 茂浦で特攻基地建設設営隊編成(8/22解隊)
     07月 15日 浜子海岸で水上機4機爆焼
     08月 10日 茂浦で水上偵察機7機炎上

関連サイト:
青森県の旧飛行場    
国立国会図書館デジタルコレクション(3コマ目)   
海軍設営隊総覧   
ブログ内関連記事       


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コメント 8

an-kazu

情報が集まるとイイですね!
by an-kazu (2014-05-05 09:17) 

takkun

元地元なのに情報を集めることができないまま、青森県民ではなくなってしまったことを心苦しく思います。
青森市に青森県立図書館という大きな図書館があるのですが、
そこの蔵書検索で茂浦を検索したところ、
書名 郷土誌うとう
巻次 第40号(昭和32年5月)
という資料に茂浦港の沿革という項目があるようです。

by takkun (2014-05-05 16:11) 

再生おじさん

こんばんは~

8.22は終戦による解隊ですよ~
もしかしたら、設営隊のは茂浦島の洞窟の事かも・・・・(。・_・?)ハテ?
http://www.photobb.net/bbs.cgi?pid=&id=20709&code=1862&skey=1862

デジタルコレクションの方は、4コマ目の下の方に着目です。
(詳細が書かれています。)

ヤフー翻訳にかけてみたら・・・(おじさんも英語が苦手~(T□T))

「次に、MONTEREYのVTパイロットは、7つがTareベーカーの入江北でジェークスをカモフラージュするということを発見しました。
彼らの場所は、40-57.5N 140-52Eのフタゴ島の北でした。
VFは地上掃射することによってこれらの飛行機を攻撃して、全7 ― 彼らが火傷するのを見ることなく地上で無数の敵機を地上掃射したVF-47パイロットの経験の変わった現象 ― を燃やしました。

グループの飛行機は、ジェークスを燃やした後に会って、ベースに戻りました。
航空機搭載敵機は遭遇しませんでした。
乏しい光と中程度のAAが野内からモーラまでビーチに沿ってありました。
銃の正確な位置は、確立されませんでした。」

と出てきました (;^ω^)

ひょっとして、出っ張りをまるごと双子島と認識????

どうやら、7機は座標の北側の入り江で攻撃したっぽいです・・・

とりさんの図2のAで、丁度ヘキサの辺り・・・・・とか??
by 再生おじさん (2014-05-06 03:24) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m

■an-kazuさん
ありがとうございます^^
集まってくれるとよいのですが…

■takkunさん
そんな言われると却って恐縮です。
蔵書検索ありがとうございましたm(_ _)m
終戦から7年後の郷土誌ですか。
来年お邪魔する予定なので、その時見てみようと思います。

オイラはぶっちゃけ飛行場跡地が見つかりさえすればいいという浅い人間なので、
「茂浦はココ」とあっさり見つかったら、それ以上調べることなく終わってしまうと思います。
takkunさん座右の書の原本が発見されないことが、却って数々の写本の比較照合、膨大な調査研究に繋がるのと
似ている気がします。
って、例えに持ってくるのもおこがましいですが^^;

■再生おじさん
終戦による解隊なのですね。どうもありがとうございますm(_ _)m
ということは、未完成でも関係なく解隊してしまったとφ(..)メモメモ
4コマ目の情報もありがとうございましたm(_ _)m
確かに、「出っ張りをまるごと双子島と認識した」と解釈すると、すんなりいくんですよね~。
う~む。
by とり (2014-05-06 18:53) 

鹿児島のこういち

当時の事を知ってる人が残っていてくれれば、非常に助かるのですけどね(´・ω・`)もう、なかなか・・・・・・
by 鹿児島のこういち (2014-05-11 09:29) 

とり

■鹿児島のこういちさん
そうですね~。
もうすぐ70年ですからね…
by とり (2014-05-12 06:53) 

C.Nakamura

海軍第577設営隊(渡邉忠雄大尉)は茂浦国民学校に本部おいて海竜の格納トンネル造っていたよ。尾去沢鉱山勤労挺身隊400人入れて合計1000人の部隊。水偵は大湊空襲中に疎開していた903空のって聞いたよ。
by C.Nakamura (2023-01-18 10:56) 

とり

■C.Nakamuraさん
情報ありがとうございました。
by とり (2023-01-19 03:31) 

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