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樺太・落合(大谷)飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2022/1更新(未訪問)  



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(昭和18年7月18日撮影)高度200米 方位SSE
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(昭和18年9月7日撮影)高度400米 方位S
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(昭和18年9月8日撮影)高度1,000米 方位S
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(昭和18年9月8日撮影)高度100米 方位NE
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(昭和18年9月9日撮影)高度300米 方位SSE

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(昭和18年11月2日撮影)高度3,000米 方位E
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(昭和18年11月15日撮影)高度500米 方位NW
1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 63, 8 May 1945, photographs of airfields of Karafuto-Hokkaido and Aomori. Report No. 3-d(52), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上7枚とも)
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1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases. Report No. 3-d(54), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)

サハリン州南部にあるソコル軍用飛行場。

ここはかつて日本陸軍の「落合(大谷)飛行場」でした。

前記事の豊原(大澤)飛行場跡地の北約36kmにあります。

■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録(樺太の部) 大東亜戦争第1復員局」
■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

に当飛行場の付図があり、先頭のグーグルマップはこの付図から作図しました。

後述しますが、同資料内によれば落合飛行場は「1,100mx100mの舗装滑走路」とあります。

元々飛行場があり、しかも立派な舗装滑走路が建設されていた場合、

その滑走路位置がそのまま整備拡張されて滑走路として使用されるパターンが多いので、

作図の際の位置決めでは、どうしても現役の滑走路に目が行ってしまうのですが、

よくよく付図と見比べると、落合飛行場の滑走路が現役の滑走路と同じ位置だと、

いろいろ矛盾が生じてしまいます。

すっかり困り果ててしまったのですが、グーグルマップの航空写真モードでイイ感じに縮尺すると、

現役の滑走路の西側に並行して、幅がピッタリ100mの帯状のものがあります。

ココが落合飛行場の「1,100mx100mの舗装滑走路」とすると、付図と比較して色々としっくりくるため、

先頭のグーグルマップの作図の位置に滑走路があったのだと思います。

付図によれば、滑走路の向きは恒風とピッタリ同じ向きと示されています。

また、飛行場敷地東側に円形の「爆撃場」が描かれており(青マーカー)、

滑走路西側の格納庫がびっしりと並んでいる辺りは「分廠 付属施設」と記されていました。

また飛行場敷地西側には樺太本線が走っており、この「分廠 付属施設」に引込線が描かれています。

作図の際、グーグルマップに残る地割を優先しつつ、極力日本軍作成の付図に寄せたのですが、

誘導路は地割が無くなっている箇所が多く、作業していて心が折れそうでした。

おおよそこんな感じ。という程度のものですのでご了承くださいませ。


当飛行場についていろいろググってみたのですが、落合飛行場より、

大谷飛行場という名称の方が多くヒットする気がします。

いろいろ検索していた際、当飛行場について、当時の様子を伝える記事がありましたので、

以下引用させて頂きます(下記リンク参照)。

南方を志願し北方の飛行場大隊勤務
高知県 大崎良男

そのうち我々の飛行場大隊は、南樺太の大谷飛行場への移動を命ぜられ、汽車と連絡船で新任地へ到着したのですが、春とは申せ樺太です。寒さのために滑走路にひび割れや陥没が見られ、これの修繕にあたりました。平坦な土地でありながら農家で飼育する馬がクマの被害に遭う事件があり、近隣の猟師十人ほどで射殺したようで、体重が五百キログラム近くのヒグマだったと聞きました。


同資料内に当飛行場に関する情報がありました。

以下引用させて頂きます。

落合飛行場
位置
樺太栄浜郡落合町大谷

滑走地区
一八〇〇,〇〇〇平方米滑走路区域南北一,五〇〇米東西五
〇〇米舗装滑走路の南北一,〇〇〇米東西一〇〇米

付属設備
格納庫四〇×三〇のもの一九棟を有し其の他施設及
兵舎完備しあり

飛行場
東方及西方九〇〇〇米付近に海抜二〇〇米前後の山
系を有し南北は低き白樺落葉松林にして飛行に支障なし

気象
南南西の風及北々東の風卓越し風速一般に弱し
気象状態の良好なるは五月乃至九月とし冬期は著
しき気温の降下(最低平均二三、二度)と多量の降雪(平
均三〇米)の為特別の設備及装備を必要とす

交通通信
樺太鉄道大谷駅より東方概ね二五〇〇米にして
鐡道引込線を有す 軍用長距離電話及
場内電話あり

ロシア語版Wikiで現在のソコル飛行場(Сокол-Долинск аэродром)を調べてみたところ(下記リンク参照)

飛行場の正式名称が「ファルコン」であること、1945年から軍事目的で使用されていたことが記されていましたが、

「日本」とか「落合」というワードは出てきません。

また、1983年9月1日の大韓航空機撃墜事件について触れており、

この飛行場から発進したSu-15TMが大韓航空のB747を撃墜したと記されていました。

Wiki/大韓航空機撃墜事件の項目には、この時の飛行ルートの地図があり、

それによれば、大韓航空機は、ジョン・エフ・ケネディ空港を離陸し、アンカレッジを経由して、

延々ソ連領空を飛び、ソコル飛行場の南約50kmを通過後、日本海に出た直後に撃墜されています。

当基地には防空部隊が展開し、要撃戦闘機Su-15TMが配備されていたのでした。




     樺太・落合(大谷)飛行場跡地         
落合(大谷)飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:軍用陸上飛行場
所在地:樺太栄浜郡落合町大谷
座 標:N47°15′E142°46′
標 高:32m
滑走路:1,100mx100m
方 位:02/20
(標高、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
国立国会図書館デジタルコレクション/落合(大谷)飛行場 
南方を志願し北方の飛行場大隊勤務(リンク切れ)
Wiki/Сокол-Долинск аэродром(ソコル飛行場) 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録(樺太の部) 大東亜戦争第1復員局」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」


コメント(2) 
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コメント 2

飯田久美子(故大谷繁晴 次女)

2023年11月30日に、父が97才で他界しました。
大正15年7月3日の樺太生まれです。16才で東京中野の無線学校で無線の資格を習得したと聞いていました。
父の他界に伴い96才の母の遺族年金の手続きの際年金課の方に約2年の空白が有るので、調べられますか?と言われて父の古いアルバムの中に…

昭和18年4月1日〜20年8月終戦迄樺太大谷飛行場に勤務

陸軍航空保安部航測隊と記されていました。

戦友との写真2枚が有り、ネットに落合(大谷)飛行場の当時の航空写真が撮れていたので…今、父を偲びながら父が生きている時に見せてあげたかったと、懐かしみながら…貴重な資料に感謝しております。
by 飯田久美子(故大谷繁晴 次女) (2024-01-12 00:20) 

とり

■飯田久美子(故大谷繁晴 次女)さん
返信遅くなって申し訳ありません。
アルバムが発見できて本当に良かったです。
昭和18年4月1日〜ということは、上に貼った写真は、
お父様が勤務しておられた時のものですね。
そう思って改めて写真を見ると、印象がかなり変わります。
貴重なお話を頂きまして、ありがとうございました。
by とり (2024-01-14 17:31) 

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