岡山市内の滑走路跡地 [├国内の空港、飛行場]
2017年5月訪問 2022/1更新
撮影年月日 1947/10/08(昭22)(USA R517-3 142)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
岡山県岡山市内を走る国道250号線。
戦争末期の時期、ここが滑走路として設定されていました。
前記事「京橋不時着場」の南西300m足らずの所にあります。
正式名称不明のため、便宜的に「岡山市内の滑走路」としました。
ご了承くださいませ。
これまた前記事と全く同じ資料なんですが、岡山県史近代Ⅲ677pの中で、
「軍部は焦土となった岡山市の道路を利用して本土決戦のため軍用機の発着場を計画した。瓦町から大雲寺町に至る道路の北側を拡張して滑走路とし、別に京橋を戦闘機の不時着陸場にする計画である。七月一日から岡山県戦時緊急建設団の仕事として突貫作業が行われた。このとき、京橋の南側の石の欄干は柱頭をもがれてしまった。」
とあります。
この情報も盡忠報國さんから頂きました。
盡忠報國さんありがとうございましたm(_ _)m
「瓦町から大雲寺町に至る道路」
とあるのですが、どちらも現在の町名としては残っていません。
瓦町は、中央町(昭和39年)、南中央町(昭和44年)に編入され、
大雲寺町の方は、昭和39,44,45年に中央町、南中央町、表町三丁目、東中央町に分割編入されました。
ということで、明確な滑走路の範囲は不明なのですが、
それぞれの住所から当時の航空写真と比較すると、「瓦町から大雲寺町に至る道路」とは、
上のグーグルマップ、航空写真に示した部分ではないかと思います。
「道路の北側を拡張して滑走路とし」とありますが、
航空写真で見ると、滑走路と思われる東端の部分、ここから東側の道幅が狭くなっているので、ここまでが
拡幅した部分と思います。
この部分、記述通り確かに道路の北側を拡張しているように見えます。
滑走路の西端については、実は上に示したのよりずっと先の方まで幅広の真っ直ぐな道が続いており、
囲った部分よりも先に伸びていた可能性がありますが、
町名から推測される範囲内でも690mあります。
以上、末期の時期に本土決戦に備え、急遽建設された岡山市内の2つの飛行場なのですが、
県史の中では、
瓦町から大雲寺町に至る道路→滑走路
京橋→不時着陸場
となっていて表現には微妙に差があり、本土決戦時にはこちらがメインで、
京橋はサブということなのだろうか。と思いました。
(個人の感想です)
岡山県・岡山市内の滑走路跡地
種 別:軍用滑走路
所在地:岡山県岡山市中央町、南中央町、東中央町、表町
座 標:N34°39′22″E133°55′35″
標 高:4m
滑走路:690m?
方 位:09/27
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年7月1日 着工
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この記事の資料:
岡山県史近代Ⅲ(平成元年6月16日発行)
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