竜ヶ崎(貝原塚)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2012年10月訪問 2024/10更新
撮影年月日1946/02/13(昭21)(USA M44-A-5VV 217)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
茨城県龍ケ崎市貝原塚町にあった旧陸軍の「竜ヶ崎(貝原塚)飛行場」。
【竜ヶ崎飛行場】で検索すると、約6km南東にある新中央航空の竜ヶ崎飛行場のことばかりヒットするのですが、
こちらは戦時中の陸軍飛行場跡地です。
先頭のグーグルマップは上に貼った航空写真と、龍ヶ崎市史の付録(昭和22年の地図)から作図しました。
誘導路は複数の地理院写真を比較したんですが、部分的にほとんど溶けている箇所があり、
かなり強引に線を引いてしまいました。
昭和22年当時の地図では特に説明は記されていないものの、交差した滑走路跡がハッキリと描かれています。
当飛行場は(オイラが探した範囲では)ネットでも書籍でも情報がほとんどないのですが、
龍ヶ崎市史近現代編の中で 貝原塚の飛行場跡のことが触れられており、
「霞ヶ浦の航空隊を掩護するために設置したと言われるが、実際には複葉機が一機着陸しただけらしい」
と記されていました。
当地の古い地図は、上述の昭和22年以外に昭和7年、26年、29年のものを閲覧することが出来たのですが、
この中で滑走路が描かれているのは、 22年と26年のものだけでした。
■戦史叢書第19巻 本土防空作戦529p
「と」号機は作戦準備間所属戦隊の飛行場に秘匿配置し、出撃に当たっては別の「と」号機専用の秘匿飛行場を使用することが考えられた。飛行部隊常駐飛行場は「と」号機出撃時、敵機に制空されてその時機を失することが考慮されたからである。
「と」号機専用の秘匿飛行場には誉田、龍ヶ崎飛行場等が充てられた。
赤マーカー地点。
周辺は長閑な風景が広がっています。
青マーカー地点。
明治天皇駐蹕之地。
記念石碑公園 建立の経緯
明治十七年十二月八日女化原で行なわれた近衛師団の大演習を、明治天皇が観戦されその事と場所を記念して建立した。
と記されていました。ここは古くからそういう場所だったのですね。
茨城県・竜ヶ崎(貝原塚)飛行場跡地
昭和18年、龍ヶ崎中学校に滑空班が組織され、グライダーを購入してその試乗をしたという記録が残っています
竜ヶ崎(貝原塚)飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:茨城県龍ケ崎市貝原塚町
座 標:35°56'20.6"N 140°11'21.2"E
標 高:30m
滑走路:1,500m×100m(05/23,14/32共に)
(座標、標高、滑走路長、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年05月 7日 開隊?
関連サイト:
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この記事の資料:
現地の碑文
龍ヶ崎市史近現代編
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
戦史叢書第19巻 本土防空作戦
茨城県の開墾できる軍用地に、第1100飛行場、稲敷郡八原村
110町と書かれています。
龍ヶ崎秘匿飛行場、24機、 12機、 6機 「と号部隊」 は10機をもって1隊だ、そうですが、ここでは6機で1隊だった のかもしれないです。配備されていたかどうかは不明です。
99式高等練習機を使用。98式直協を母体にしている。
98式直協は川原でも降りれたといいますので秘匿飛行場で使用 をかんがえたのでしょう。
by お名前(必須) (2019-02-10 11:11)
■お名前さん
コメントありがとうございました。
by とり (2019-02-13 03:43)