朝鮮・済州島飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
2024年10月 記事作成
大韓民国済州島北部にある済州国際空港。
ここはかつて日本陸軍の「済州島飛行場」でした。
■「陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)」13コマに済州飛行場滑走路のレイアウト図が出ており、
先頭のグーグルマップはここから作図しました(戦史史料・戦史叢書検索で閲覧できます)。
現在の済州国際空港の滑走路レイアウトと同じなので、重ねただけですけどね。
当飛行場の位置を図示した史料は非常に限られていて、オイラが見つけたのは上に貼った図と、
■「第五航空軍展開配置要図」(昭和二十年六月ごろにおける)■
の2点のみでした。
前記事の海軍「済州島航空基地」は、済州島の右下の先っちょに位置しているのに対し、
これら2つの図は、どちらも島の中央北(現・済州国際空港の位置)に井桁マークが描かれており、
小さな島ですが陸軍も海軍もかなりの規模の飛行場を建設しています。
この島が戦略上如何に重要であったか分かりますね。
因みに上に貼った図は本土決戦の際、朝鮮に展開する日本陸軍機の闘い方を記した、
「第五航空軍決號作戦計画の大綱」と題する史料の一部です。
潭陽飛行場記事でも書きましたが、日本軍は米軍が朝鮮半島に攻めてくるとしたら、
済州島か群山に来ると予想していました。
図の上が見切れていますが、一番上には「飛行部隊展開配置(済州作戦時)」と記されていて、
この図が、米軍が済州島に上陸作戦を仕掛けてくるケースを想定したものであることを示しています。
群山飛行場、潭陽飛行場、木浦飛行場と共に、済州島飛行場も含めて"53FBK"と記されており、
済州島に上陸作戦を仕掛けられた場合、
陸軍としてはこの4飛行場が連携して米軍に相対する計画であることが分かります。
このように、「位置をちゃんと図示した資料」は2点しか見つけることができず、
アジ歴で【済州島 陸軍飛行場】と検索しても、まったくヒットしません。
それでも、国立国会図書館デジタルコレクションで【済州島 陸軍飛行場】と検索すると、534件ヒットし、
少なくとも「済州島に陸軍が飛行場を建設した」「済州島に陸軍戦闘機部隊があった」
という記述は、当時の陸軍兵士の手記を含め、いくらでも出てきます。
日本語版Wiki/済州国際空港には日本軍との関連は含まれていないのですが、
韓国語版Wiki/제주국제공항(済州国際空港)の方には、
「歴史 1940年代に日本が太平洋戦争を起こしながら作った滑走路を空港として活用し、」
と短く記されています(Googie翻訳・以下同様)。
【제주국제공항 일본 육군】(済州国際空港 日本陸軍)で検索すると、
前記事の海軍「済州島航空基地」に引っ張られる記事もあるのですが、
「済州国際空港は、元々日本陸軍が建設した飛行場である」
と記したハングルのサイト様はいくらでも見つかります。
例えばその中の1つにはこうあります■
「陸軍が初めて建設した飛行場、言い換えれば済州に2番目に建設された飛行場はチョントルビ行場だ。滑走路は1千800m×300mと1千500m×200mの2つだった。 1942年1月に設置されたと知られているこの飛行場は現在済州国際空港に発展した。」
現在の済州国際空港と日本陸軍との関りを記したサイト様は、
「滑走路は1,800mx300m、1,500mx200mの2本であった」とするものが多く、
「日本陸軍は済州島に更に別の飛行場も建設した」という、非常に気になる情報を記したものも多数あります。
これについては次の記事で。
済州国際空港
朝鮮・済州島飛行場跡地
(1)済州島飛行場(推定) データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
座 標:33°30'41.2"N 126°29'37.7"E?
標 高:22m?
滑走路:1,800mx300m(13/31)、1,500mx200m(07/25)?
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さはネット記事から)
(2)済州国際空港(現在) データ
運営者:韓国空港公社、韓国海軍
種 別:軍民共用
3レター:CJU
4レター:RKPC
所在地:大韓民国済州特別自治道済州市空港路2
座 標:33°30'41"N 126°29'35"E
標 高:36m
滑走路:3,000mx45m(07/25)、1,910mx45m(13/31)
(主に韓国語版Wiki/제주국제공항(済州国際空港)から)
沿革
1942年1月 設置(地元サイト等から)
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)
第五航空軍展開配置要図」(昭和二十年六月ごろにおける)
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