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三本葭飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2016年3月訪問 2023/8更新  

無題4.png
旧1万地形図 リスト番号o200 図名    穴守 測量年1922(大11)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

(現地にお邪魔した時期は2016年1月だったり、3月だったりバラバラなのですが、

これから少しの間、羽田に飛行場が誕生してからの様子を時系列でアップします)

移されて現在は場所が変わりましたが、羽田町穴守の稲荷神社の近くに、

「日本飛行学校」と「日本飛行機製作所」が創立したのは、大正5年(1916年)。

今からちょうど100年前のことでした。

「日本飛行学校」のあった場所は、グーグルマップの通り現在のB滑走路RWY04エンド付近。

そして飛行場はここではなく、多摩川の対岸、河口に広がる干潟に飛行場と格納庫が建設されたのですが、

今から100年前、この場所を飛行場適地と見出した先人が居たことが、今日の大空港羽田の礎となりました。

上のグーグルマップの紫の線は、1922年の地図当時の多摩川右岸。

この右岸側の干潟に、「日本飛行学校」と共に建設された「三本葭飛行場」がありました。

練習生たちは飛行学校から徒歩で船着き場まで行き、船で三本葭の飛行場まで渡ったのだそうです。

日本飛行学校、三本葭飛行場の創立時期については資料により1915年~1917年と幅があり、

「創立」、「開設」等表現も様々で、「初飛行の日を創立記念日とした」という記述もあってハッキリしないのですが、

「日本民間航空史話」の中で創立者の一人である相羽氏ご本人が「1916年」としているので、

当記事でも1916年ということにさせて頂きました。 

 

羽田空港の生みの親となったのは、相羽氏と、もう一人の「日本飛行学校」共同経営者である玉井氏の両名。

前述の「日本民間航空史話」の中で、相羽氏が「羽田飛行場の生い立ち」を寄稿しています。

寄稿文には当飛行場の元練習生の方が、50年前の記憶を頼りに描いた学校と飛行場の略図も載っており、

それを参考に上図に格納庫の位置を示しました。

相羽氏の寄稿文から以下関係する部分を引用させて頂きました。

「大正五年(一九一六)、若干二一才で、東京府荏原郡羽田町穴守の稲荷神社の近くに、日本飛行学校と日本飛行機製作所とを創立した。

穴守随一の有力者、石関さんと初会見した私は、「将来の国防は飛行機が第一線に闘う武器となる。この製造と飛行士の要請はもっとも緊急を要する」と臆面もなくまくしたてた。大地主の石関さんは、どこの馬の骨とも知れぬ一青年の、おこがましくも航空に一身をささげる覚悟を披歴したことに感動せられた。

老侠客のような石関さんの快諾は千鈞の重みがあった。立派な玄関のついた建物を本館とし、元料亭の離れ家を教室として開港した。これは無償提供されたものだ。かなめ館の女中が上等の料理を運び込んで、主人からの進物ですといわれて、食い気ざかりの一同が欣喜雀躍したこともある。

六郷川の海にそそぐ両岸の浅瀬の砂浜は、干潮時には一面の干潟になる。平たんであり、軽い飛行機の滑走には好適であった。それでも飛行場にはどこがよいかと踏査したところ、穴守側の干潟は近いけれども、海水のたたえる澪(みお)があり、軟弱だったので、川崎大師側の梨畑に沿う境の上に格納庫を建設した。

「三本よし」と通称されたところ、植物の葦、芦、葭のいずれの当字かわからない。多分、「葦のずいから天をのぞく」のそれかも知れない。それから風雪幾星霜か、夜明けからたそがれまで、ボートを漕いで六郷川を往復した。

あちこちに葦の茂った干潟だから、誰にも断らずに使っていたら、満潮時には海水のただようところでも、所有権が存在すると苦情が持ち込まれた。三田の伊集院さんという華族の館に、家来を訪ねて三拝九拝して謝罪した。いま想えば、(中略)若気の無鉄砲の失錯だった。」

こうして飛行学校と飛行場を開設することができたのですが、

飛行学校創立から間もないある日、山形県鶴岡市の斉藤氏から、フランス製のノーム50馬力エンジンを譲り受けました。

これは当時非常に貴重なもので、玉井氏と相羽氏とで連日協議してデザインを固め、

練習生の1人が木工の経験があるので製作員として飛行機を制作したのでした。

5月20日、制作した「玉井式三号機」で芝浦埋立地から公開飛行を実施。

「五千フィートの上空より、二百万の東京市民に敬意を表す。飛行機は国防上もっとも必要欠くべからざる武器となり…もし本機が敵機なりとせば、世界に誇る帝都も、爆弾一下によって灰燼に帰せん…」

という檄文を投下したのでした。

ところが何回目かの飛行から着陸態勢に入った時、片翼が上方に折れ曲がり、垂直に近い状態で墜落炎上。

この事故で玉井氏、同乗の東京日日新聞の写真部員が死亡してしまいます。

この時玉井清太郎氏26才、相羽有氏22才でした。

玉井清太郎氏の死は、「空界の新犠牲」として全国に報道されました。

開港から僅か4ヶ月余りで共同経営者を失ってしまった相羽氏は、

玉井清太郎氏の弟藤一郎氏と共同経営の形で再建を図ったのですが、

藤一郎氏はまだ練習生に毛が生えた程度の技量だったので、

外部から予備役陸軍飛行将校を招いて再建を図ります。

(相羽氏は極度の近視だったため、飛行家になることを断念した人物でした)

ところがそれからたった3か月後、飛行場の格納庫は飛行機もろとも台風による高潮で押し流され、壊滅してしまいました。

翌年の大正7年2月、玉井藤一郎氏は相羽有氏と手を切り、片岡文三郎氏ら数名の練習生を伴って羽田飛行研究所を創立。

(この「片岡文三郎」という人物は後日別記事で再登場します)

玉井藤一郎氏は野島銀蔵氏から「飛行家」として認定を受け、飛行家養成の旗印で再々起を図ったのでした。

一方の相羽氏は、資金集めの為に一時航空界から身を引き、日本自動車学校を創立、

月刊雑誌「スピード」を発行、北米車の輸入元になるなどしました。

 

兄の遺志を継いだ弟の玉井藤一郎氏も「日本民間航空史話」に寄稿しています。

「昔の民間飛行家の思い出」と題する4pから成るもので、

三本葭飛行場を使用していた時期のエピソードとして、

大正9年、京都市の栗津氏の依頼により、二人乗りの飛行機を制作したことが記されています。

メスセデス・ダイムラー60馬力エンジン搭載の「青鳥号」を制作。

羽田三本ヨシ飛行場での試験飛行を経て、京都訪問飛行を実施。

同じ「青鳥号」で兄清太郎の追善飛行を行うため郷里の三重県四日市市の築港埋立地に行った。と記されています。

また、大正10年6月には帝国飛行協会主催の第二回懸賞飛行大会に出場したこと等記されていますが、

相羽氏や三本葭飛行場についてはほとんど出てきません。

 

玉井氏の方はその後もしばらくの間三本葭飛行場を使用していたのですが、毎年の暴風で飛行場が破壊されるため、

神奈川県の生麦の埋立地を三年間無償で貸すと紹介してくれる人があり、大正10年11月に羽田から生麦飛行場に移転します。

相羽氏は資金集めのため航空界から身を引き、玉井氏は生麦へ移転、と両人が羽田の地を去り、

その間ここ三本葭飛行場を誰かが使用したという記録はなく、

「空白期」等表現される状態になります。

それから10年後、羽田が再びヒコーキの飛び交う時がやってくるのですが、

新生羽田飛行場についてはまた後の記事で。

次の記事では、生麦へ移転した玉井氏の「玉井飛行場」について、

続けて同時期に同じ横浜市に開設した飛行場についての記事をアップします。

DSC_0024.jpg

対岸に見えているのは羽田国際線ターミナルと駐車場等。

川崎側から見るとなんだか新鮮な感じ。

飛行学校があったのは多摩川のあちら側。

飛行場があったのはこちら側。

DSC_0030.jpg

100年前、この川の部分が干潮時には干潟となりヒコーキが飛んでいたのですね~。

DSC_0017.jpg


      神奈川県・三本葭飛行場跡地     
日本飛行学校の飛行練習生の中に、福島県須賀川で模型造りに熱中していて17才で上京した、後のウルトラマンの円谷英二氏がいます

三本葭飛行場 データ
設置管理者:日本飛行学校
種 別:陸上飛行場
所在地:神奈川県川崎市川崎区殿町
座 標:N35°32′29″E139°45′33″
着陸帯:800m?
方 位:11/29?
(座標、着陸帯長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1916年08月 羽田町穴守に日本飛行学校と日本飛行機製作所創立。飛行場は多摩川対岸の干潟、通称「三本葭」
     10月 5日 玉井清太郎操縦の「玉井式2号機」初飛行
1917年05月 20日、芝浦埋立地で公開飛行を実施。玉井清太郎墜落死
     07月 9日 相羽は玉井清太郎の弟、藤一郎と共に日本飛行学校再起
     10月 1日 台風による高潮で飛行場壊滅
1918年02月 1日 玉井照高(藤一郎改め)は相羽有と手を切り、片岡文三郎ら数名の練習生を伴って「羽田飛行研究所」創立
       相羽は資金集めの為一時身を引く
1921年11月 30日 玉井照高、生麦飛行場に移転

関連サイト:
馬込文学マラソン・羽田の空を初めて飛行機が飛ぶ  
大田区/羽田空港の歩み  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
鶴見歴史の会機関誌「郷土つるみ」第58号
「日本民間航空史話」
「全国空港ウォッチングガイド」
「地図と愉しむ東京歴史散歩」
発掘街道の文学四日市・楠編


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