志布志航空基地(有明、野井倉飛行場)跡地 [├国内の空港、飛行場]
2012年11月、2024年1月訪問 2024/1更新
撮影年月日1947/09/30(昭22)(USA M525 34)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
鹿児島県志布志市有明町野井倉にあった「志布志航空基地(有明、野井倉飛行場)」。
物資輸送の中継基地として着工した飛行場とされています。
完成間近の昭和20年3月に大規模空襲を受け、そのまま再建されることはありませんでした。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:志布志 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:1,200x200NW 1,200x200EW 主要機隊数小型2,0: 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:施設アルモ数量不明 掩体:小型無蓋18
この資料には滑走路の長さについて、北西方向1,200mx200m、東西方向1,200mx200mとあります。
またこれ以外の資料には、1,200m×50m(舗装)、1,200m×30m(芝)
とするものもあります。
どっちが正しいのだろうと思ったのですが、
上に貼った航空写真で、比較的ハッキリ残っている滑走路跡の幅が正確に50mでした(白矢印部分)。
そのため、この滑走路が1,200m×50m(舗装)に該当し、
ほぼ見えなくなっている東西方向滑走路が1,200m×30m(芝)ではないかと思います。
そしてそれぞれの滑走路が幅200mの飛行地区で囲われているのではないかと思いました。
(一部それらしい地割がかすかに見られる)
また、如何にも誘導路、駐機場っぽいものもチラホラと映っているのですが(赤矢印部分とか)、
ハッキリしないので作図しませんでした。
赤マーカー地点。
滑走路方向。
同じく赤マーカー地点。
道路の反対側は一面のコスモス畑が広がっていました。
青マーカー地点。
地図に「飛行場跡」の文字が。
以下2024年1月撮影
青マーカー地点。
東西滑走路の西端部分。
滑走路方向。
黄マーカー地点。
斜め滑走路の北西端部分から滑走路方向。
黒マーカー地点。
斜め滑走路の南東端部分から滑走路方向。
鹿児島県・海軍航空隊志布志基地(有明、野井倉飛行場)跡地
飛行機の発着はほとんどなかったが、壊れて飛べない飛行機が並んでいた。オトリの飛行場だった、また本土防衛の特攻基地であった。という証言が残っています。戦後暫くコンクリートの滑走路が残っていたのですが、土砂の流失や耕作地の障害になることから住民によって取り除かれ、現在基地跡は一面田んぼになっています
海軍航空隊志布志基地(有明、野井倉飛行場) データ
設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:鹿児島県志布志市有明町野井倉
座 標:N31°27′58″E131°03′35″
標 高:42m
面 積:280ha
滑走路:1,200m×50m(13/31/舗装)、1,200m×30m(08/26/芝)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1944年08月 15日 特攻基地緊急整備実施
1945年03月 26日 (同月18日という資料あり)完成間近に大規模空襲を受け機能喪失。その後再建されず
08月 15日 終戦。戦後住民によって畑に戻される
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
時々TV映像で見る飛行場の爆撃をみます、志布志基地に見えます。
by NO NAME (2013-10-04 11:11)
■NO NAMEさん いらっしゃいませ。
そうなのですか。
実際のところはどうなのでしょうか。
by とり (2013-10-08 06:34)
ちょうど宿題でこんな感じの記事を探していたのですごくいいなと思いました。そこでこのページの写真をいくつか使ってもいいでしょうか?
by 高校生ちびちゃん (2017-08-28 00:12)
■高校生ちびちゃんさん
どぞどぞ~
宿題頑張ってください~
by とり (2017-08-28 06:20)