敷島滑空訓練所跡地 [├国内の空港、飛行場]
2022年1月訪問
撮影年月日1946/06/07(昭21)(USA M158-A-5 69)■ 終戦翌年。キャスリン台風前
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
撮影年月日1947/10/29(USA R408-No1 18)■ キャスリン台風から6週間後
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
群馬県前橋市にある敷島公園にはかつて、滑空訓練所がありました。
この情報は、旅する野良猫さんから頂きました。
旅する野良猫さん、どうもありがとうございましたm(_ _)m
当滑空訓練所については情報が非常に限られており、正式な名称が不明です。
「敷島滑空訓練所」というのは、オイラが暫定的に付けたものですので、ご了承くださいませ。
群馬県立敷島公園公式サイト内に、「敷島公園のあゆみ」という項目がありこの中で、
昭和18年7月9日 前橋市議会全員協議会が敷島球場を拡張し、滑空訓練所に改装。グライダーの練習場となる。
(昭和22年のキャスリン台風で流出。)
とありました(下記リンク参照)。
球場を拡張して造ったんですね。
公園内のドコに球場があったかについては情報がなかったのですが、
上に貼った当時の航空写真、現在の球場の場所にいかにもなものが映ってました。
公式サイトには、「敷島球場を拡張し、滑空訓練所に改装」とありますが、
写真を見ると、球場のレフトフェンスが撤去され、細長いショートケーキ状の滑空場にしているように見えます。
恐らく戦前から球場はここにあり、ここが滑空場になったのではないかと。
公式サイトでは続けて、「(昭和22年のキャスリン台風で流出。)」とあります。
Wikiによりますと、キャスリン(カスリーン)台風は1947年9月15日から16日にかけて、関東に最接近しました。
上に貼った航空写真は、1枚目が台風前年のもの、そして2枚目がキャスリン台風から6週間後のもの。
ビフォーアフターで比較すると、
台風後の方が内野、ファウルラインがクッキリ見えてて、むしろこっちのが球場っぽいです。
この台風による群馬県内の被害は、関東他県と比較しても非常に甚大であり、
死者592人は関東全体の54%、田畑の浸水は関東全体の35%に達し、
各所で鉄道、道路が破壊、寸断されました。
そんな状況で台風から6週間後に球場の内野、ファウルラインを優先して整備するとは考えにくく、
台風前に見えなかった内野、ファウルラインが、台風直後にクッキリ見えているのは、
表土が流され、元々あった球場が姿を見せたからではないかと。
現在は敷地が一回り大きくなり、上毛新聞敷島球場になっています。
夏の全国高校野球選手権の県大会、プロ野球公式戦でも利用される立派な球場なんですが、
かつてこんなことに使われていたとは、ビックリです。
赤マーカー地点。
青マーカー地点。
Lゲート。
立派なレストスタンドですが、滑空場だった頃はこの場所のスタンドが撤去され、
場内まで地続きで見えていたはずです。
Lゲート。
立派なレストスタンドですが、滑空場だった頃はこの場所のスタンドが撤去され、
場内まで地続きで見えていたはずです。
黄色マーカー地点。
当時からある松林ではないかと。
当時からある松林ではないかと。
群馬県・敷島滑空訓練所跡地
敷島滑空訓練所 データ
設置管理者:前橋市?
種 別:滑空場
所在地:群馬県前橋市敷島町66(現・上毛新聞敷島球場)
座 標:N36°24′51″E139°3′1″
標 高:111.9m
着陸帯:400mx180m(最大)
面 積:3.56ha
(座標、標高は地理院から。着陸帯長さ、面積はグーグルマップから)
沿革
1943年07月 9日 前橋市議会全員協議会が敷島球場を拡張し、滑空訓練所に改装
1947年09月 キャスリン台風により流出
関連サイト:
群馬県立敷島公園公式サイト■
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