SSブログ

志摩水上機飛行場跡地(日東航空) [├国内の空港、飛行場]

   2015年10月訪問 2021/12更新  


無題.png
撮影年月日1963/11/01(昭38)(KK6313X C5 21) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

前記事では「中日本航空が的矢湾(の渡鹿野島)に水上機を発着させていた」と書きましたが、

日東航空も同時期に志摩に路線開設していました。

ここも情報が非常に少ないのですが、愛媛県総合科学博物館から「新居浜の航空路回顧」(下記リンク参照)

という論文が出ています。

これは日本航空より元日東航空の資料提供も受けて作成されたものなのですが、それによれば、

大阪-白浜-串本-志摩-名古屋    昭和35年6月17日~昭和39年10月30日    日東航空

とありました。

また、「(日東航空の)昭和38年1月現在における支社・営業所・基地の所在地を示す」として「志摩」を含めています。 

これとは別に、日東航空の当時の時刻表を掲載しているサイト様があり、

大阪から名古屋まで、各飛行場が並ぶ中、「志摩(賢島)」とありました。

それで日東航空は、志摩に関しては賢島に水上機飛行場を設けていたことになります。

では、賢島のドコに乗り付けていたのか。

残念ながら、いろいろググってみても出てこないため、これは完全にオイラの推測になるのですが、

賢島には、近鉄志摩線が乗り入れています。

上に貼った当時の航空写真で確認すると、賢島の南側が桟橋っぽくなっています。

「駅前の桟橋」ということで、利便性を考えて恐らくこの辺りだったのではないかと。

D20_0059.jpg

赤マーカー地点。

運航当時の航空写真で確認すると、島の周辺は養殖用のイカダだらけで、

賢島駅方向の細長い部分に桟橋がいくつかあります。

この前を水上機が行き来していたのではないかと思うのですが。。。

追記:田中久盛さんから以下のコメントを頂きました。

「賢島の飛行艇係留位置は、お示しの位置付近で正解と思われます。
当時、日東航空では機材にグラマン・ウィジョンを使用しておりました。
昭和37の夏休みに賢島へ家族旅行を行いました。
その時、夕刻にウィジョンを見学したのを覚えております。」

田中さんのお父様は日東航空の機長さんでした。

そんな方からお墨付きを頂きましたので、きっとここなんだと思います。

田中さん貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m


      三重県・志摩水上機飛行場跡地(日東航空)     

志摩水上機飛行場(日東航空) データ

設置管理者:日東航空
種 別:水上飛行場
運用期間:1960年6月~1964年10月
所在地:三重県志摩市阿児町神明
座 標:N34°18′19″E136°49′06″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1960年6月17日~1964年10月30日 日東航空 大阪-白浜-串本-志摩-名古屋線運航

関連サイト:
新居浜の航空路回顧(pdf)    
ブログ内関連記事       


コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 6

田中久盛

こんにちは。
賢島の飛行艇係留位置は、お示しの位置付近で正解と
思われます。
当時、日東航空では機材にグラマン・ウィジョンを使用しておりました。
昭和37の夏休みに賢島へ家族旅行を行いました。
その時、夕刻にウィジョンを見学したのを覚えております。
ちなみに宿泊は、みち潮さんで前身の旅館が「美山荘」と言う
旅館で昭和37年創業とおっしゃっておりました。
メールで確認いたしました。
参考になればと思います。
by 田中久盛 (2021-08-22 11:39) 

とり

■ 田中久盛さん
こちらも貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2021-08-25 05:35) 

Buruno

『多徳島飛行場』
勝手に命名しちゃっていますが…

こんにちは

新規飛行場ネタ
どこにコメントを書いた方がいいのかわかりませんでしたが、
英虞湾つながりでここの志摩水上機飛行場跡地に記させていただきます。

賢島のすぐ南に「多徳島」があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%BE%B3%E5%B3%B6
真珠の養殖で知られる御木本幸吉が真珠養殖場を開設した島ですが、
僅か4日間の突貫工事で島に滑走路を建設したという逸話が残っているそうです。

このツイッターにもこの滑走路のことが記されています。
https://twitter.com/mizutank/status/1651495672003301377

飛行家アートスミスがこの地に来たようですね
http://iwata.my.coocan.jp/shima/tatokujima.htm

当時の飛行機の性能が良く分かりませんが、こんな小さい島に4日間で
どういう方向に滑走路を作ったのか?悩んでしまいます
水上飛行機だったのかな?水上飛行機を島の地上に誘導するための「道路」を滑走路と表現したのかな?それなら4日間で建設できたのも納得ですが・・・
とりさんがこの島に滑走路を設置するならば、どのあたりから線を引っ張りますか?
googlemapで対照しながらつい考え込んでしまいます。

私は、近くにある間崎島に上陸したことがあります。
間崎島も含め、英虞湾内の島々は山がちでフラットな敷地はなかなかありません。
by Buruno (2023-04-28 12:33) 

とり

■Burunoさん
こんにちは。
またまた貴重な情報をありがとうございます。
これも全く知りませんでした。
コメントはどの記事にしていただいても大丈夫です。

アート・スミスが日本に持ち込んだヒコーキは、
カーチス・ヘッドレス・プッシャーという陸上機でした。
どの程度の距離で離着陸できたのか、明確な資料は見当たらないのですが、
類推の手がかりとして、
アート・スミスの使用機と同系のカーチス モデルDは、
艦船から離艦した世界初の機体でした。
当時の写真からすると、特設飛行甲板の長さは30m程度と思われ、
下り勾配がついていて、離艦の瞬間の写真では錨が下りています。
「風上に向って全速で~」じゃなかったんですね。
http://www.navsource.org/archives/04/002/0400206.jpg
http://www.navsource.org/archives/04/002/0400215.jpg
http://www.navsource.org/archives/04/002/0400220.jpg

https://mat-with-animals.blog.ss-blog.jp/2016-06-26
こちらのサイト様には「アート・スミスが描いた多徳島での飛行の模様」
が掲載されており、多徳島でこの絵と地形的に条件が重なるのは、
34.3002, 136.81567
ではないかと思います。
仮にここだとすると、長さ70m程度ありますので、離着陸は十分可能と思います。

恐らく平木氏の「伊勢志摩のイカロスたち」にしっかりした情報があると思うのですが、
確認したら県立図書館に蔵書があるので、機会がある時に調べて、
記事にしようと思います。
新規情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2023-04-29 09:10) 

Buruno

こんばんは
空港探索ブログは一つの完成形で、記載されている日本の飛行場はもうこれ以上無いと思っていました。
秘匿飛行場とか大日本帝国の愛国飛行場が網羅されているだけに。
もしやと思いましたが、とりさんが把握していない飛行場があるとは思いもしませんでした。
ブログの充実化のお手伝いができることを幸甚に思います。
また、教えていただいた「アート・スミスが描いた多徳島での飛行の模様」も興味深く拝見いたしました。

100m以上は必要かと思っていました。それで、滑走路設置に悩みました(^^;
しかし70mもあれば離着陸可能とは驚きです。
昔の国土航空写真を見ると、多徳島の北東側海沿いが砂地になっているようで(現在は森林)、そこに滑走路を建設したと思いますがいかがでしょうか?
長さはともかく整地・樹木の伐採などいかんせん4日の突貫工事で完成とは驚きです。
記事化、楽しみにしております。
by Buruno (2023-04-29 20:02) 

とり

■Burunoさん
Burunoさんご指摘の「多徳島の北東側海沿い」とは、
34.301403, 136.816654
の部分と思うのですが、確かにここも十分可能と思います。

Burunoさんにはいつも貴重な情報を頂いており、感謝です。
「あったはずなんだけど、場所が特定できていない飛行場」
は、実はまだまだたくさんあります。
https://airfield-search2.blog.ss-blog.jp/2012-03-11
こちらにリストアップしているのですが、
全部で91あります。
何か情報ありましたら、ご教授頂ければ幸いです。
by とり (2023-04-30 04:43) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

メッセージを送る