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下志津陸軍飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2013年1月訪問 2021/9更新  


無題a.png
撮影年月日1947/11/12(USA R535 63) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 
無題.png
1/25000「千葉東部」昭和4年部修「今昔マップ on the web」より作成

千葉県‎千葉市‎若葉区にある「下志津駐屯地」。

かつてこの周辺は陸軍の「下志津飛行場」でした。

ここは長い間場所を確定することが出来なかったのですが、

「下志津基地は千葉市若葉区の陸上自衛隊下志津駐屯地を含む一帯です」と教えていただきました。

防護巡洋艦吉野さん情報ありがとうございましたm(_ _)m

滑走路はなく広大な滑走帯だったのだそうです。

■国立国会図書館デジタルコレクションに「報知年鑑.大正16年」があり、

この中に、本邦民間飛行場調〔大正15.8〕として27の民間飛行場の一覧がありました。

当飛行場関係箇所を引用させていただきます(下記リンク参照)。

使用者 遠藤辰五郎
種類 陸上
位置 千葉縣千葉郡四街道下志津陸軍飛行場
面積 陸軍演習その他に支障なき範囲

遠藤辰五郎氏といえば、1929年~1933年まで東京に板橋飛行場(下記リンク参照)を開設していましたが、

その前はここで飛ばしていたんですね。 


■防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部 の中に当飛行場の地図があり、

先頭のグーグルマップは、ここから作図しました。

地図によりますと、本当は四街道の北側にも敷地の一部が細くはみ出しているんですが、

線が拾えなかったため、省略してあります。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

「下志津陸軍飛行場 千葉県千葉市殿台町 35°39′0N 140°9′2E」

面積 南北1,370米 東西900米 
地面の状況 概ね平坦にして一面に良好なる植芝密生す 硬度は普通にして四季を通じ大なる変化なし
目標 千葉市、四街道、長沼池
障碍物 なし
離着陸特殊操縦法 着陸は建物敷地に平行且接近して行うを例とす
格納設備 格納庫(50x40米)6棟
照明設備 (記載なし) 
通信設備 校内に電話あり
観測設備 陸軍気象観測所あり、航空気象を観測す
給油設備 完備す
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 兵舎あり
地方風 10月-翌年3月間は北西風、4月及7-9月間は西南西風にして其の他は南西又は北北東及西風なり
地方特殊の気象 12月-翌年4月間は風速10?/?以上の暴風多し 霧の発生は7-9月間に特に多し
交通関係 四街道駅(総武本線)南東方約2粁
其の他 本場は下志津陸軍飛行学校飛行場なり
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  下志津
位 置   千葉県千葉市若松町
規 模   要図(南北1200、1300 東西1050)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 六五〇〇名分
 格納施設 掩体 有蓋五〇棟
摘 要   施設軍有

同資料の要図でも、四角い飛行地区の北西側から細く北に延びる地割が描かれているのですが、

航空写真で線を拾いきれないため、省略しております。

D20_0020.jpg



      千葉県・下志津飛行場跡地      

下志津飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:千葉県千葉市若松町(現・千葉市‎若葉区‎若松町‎)
座 標:35°39′0N 140°9′2E
標 高:27m
飛行地区: 南北1,370m 東西900m 
(標高はグーグルアースから)

沿革
1919年   フランス航空使節団来日。下志津が原で飛行訓練始まる
1921年04月 1日 陸軍航空学校下志津分校開港
1924年   下志津陸軍飛行学校開校
1926年    この頃遠藤辰五郎氏が民間利用していた
1943年    航空要員教育を実施しつつ航空実施学校
1944年06月 下志津陸軍飛行学校閉鎖。下志津教導師団編成
1945年03月 振武隊編成、出陣式
     05月 グラマン二十数期来襲
     06月 初空襲
     07月 7日 七夕空襲
     08月 終戦

関連サイト:
ブログ内関連記事    

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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コメント 7

鹿児島のこういち

>広大な滑走帯
これは広い野原と考えてもいいのでしょうか?ここは、「下志津飛行場」という名前がありますが、拡大解釈をすれば、「ここの原っぱにも以前飛行機が離着陸してましたよ」って情報があったら、とりさんのブログはエンドレスになってしまうのでは(^^)冗談ではありますが、実際、そのような情報もあるのですか?(^^)
by 鹿児島のこういち (2013-06-04 09:21) 

an-kazu

この辺りになってくると、
途端に土地勘がなくなるワタシであります(;´д`)トホホ…
by an-kazu (2013-06-05 00:04) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
滑走帯そのものは、「陸軍の操縦教育のメッカ」と称された熊谷陸軍飛行学校もそうですし、
戦時中の飛行場としてはわりとよくある形式と思います。
滑走距離が短かいからこそとも言えますが、現在でも広大な敷地全体をアバウトに使用している例はあります。
横風着陸のことを考えるとその方がいいんでしょうね。
>エンドレス
実はコレ、今すごく悩んでることなんですよ^^;
詳しく調べていくと、ここにヒコーキが来たという情報が見つかることがあって、
オイラとしては可能な限りそういう場所にも行きたいと考えています。
問題なのは、「日本に幾つの飛行場があったのか」カウントしている関係上、
どこまでを飛行場としてカウントしてよいのか線引きが微妙なケースがあることです。
今一番悩んでいるのは、山口県の大平山。
ここの山頂から飛び立ったグライダーが当時の夜間飛行時間の記録を樹立したのですが、
ここの山頂が使用されたのは多分この一回だけ。
たった一度使用された広大な敷地など皆無の場所を「飛行場」としてカウントしてよいものか、
でもハングライダーがピョンと飛び降りるようなものではなくて、
記録飛行を樹立するような本格的なグライダーがちゃんと離陸したんだしなぁ。。。と、
「飛行場」と見なすか、「ヒコーキに因んだ場所」と見なすか迷っています。
迷える子羊にどうか救いの手をm(_ _)m

■an-kazuさん
そうなんですか。
まあ自分の住んでいる県全体を把握しているとは限らないですよね。
オイラも埼玉県民ですが、県東部は全然知りません。
by とり (2013-06-05 05:32) 

鹿児島のこういち

一回だけなら、僕なら飛行場としては数えず、飛行に関連する箇所として捉えるとおもいます。たまたま離発着によさそう、飛んでみた!記録作っちゃたよ~!!てことかもしれないですし(^^)もっともちゃんと調べないとそこはわからないですが(^^)
でも、ハンググライダーなどを含めるとなると、それこそ膨大な数になるような気がします。例えば、僕が学生時代に国分市(現霧島市)の国分城山公園には、ハングライダーの離発着場がありました。現在はありませんし、国分城山公園に問い合わせても「わかりません」との回答でした。こういう所ってまだまだいっぱいあると思いますから(^^)
そこまで詳しく数えなくても、現在とりさんが把握しているもので調べあげて、確実に飛行場だと確認したものだけに集中してみればよいのではないでしょうか?僕なんか全国各地なんて、無理です。(>_<)
by 鹿児島のこういち (2013-06-05 10:01) 

とり

■鹿児島のこういちさん
ハングライダーの発着場所は滑走路ってより「ジャンプ台」って感じですからね~。
鹿児島のこういちさんの仰る感じでいこうと思います。
アドバイスありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-06-06 05:46) 

PUTIN

戦時中の下志津飛行場を高高度(?)から撮影した写真は、下記を参照願います。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4011093
 95ページの上段写真
by PUTIN (2013-06-13 20:55) 

とり

■PUTINさん
返事が遅くなり申し訳ありません。
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-08-17 20:08) 

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