朝鮮・大邱飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
2020年9月作成 2024/11更新
韓国大邱広域市にある「大邱国際空港」。
かつては日本陸軍の「大邱飛行場」でした。
■朝鮮交通史 1041p
昭和14年現在の飛行場 として、以下記されていました。
滑走地帯(東西・南北)m 1,050 600
■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
の中に当飛行場の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。
ここも国際空港としてすっかり生まれ変わり、当時の地割が残っておらず、周辺の河をとっかかりに
位置を出しましたので、最大1km程度の誤差が生じている可能性があります。
ご了承くださいませ。
同資料内の情報を以下引用させていただきます。
大邱飛行場
滑走路以外は砂利露出しありて地盤
良好ならず又降雨日数四日余にして軟弱
となり使用■し得ず滑走路堅硬にして
可なり
着陸に支障あり附替を要す
位置 朝鮮慶尚北道達城郡解顔面
積量 約九〇〇.〇〇〇平方米
地表の状況
中央に向い約1/250の勾配あり概ね平坦なるも滑走路外は砂利露
出し良好ならず中央より諸方向(主として南西方)に向い盲排水溝ありて滑
走路外は表面に砂利を露出す
周囲の状況
東西及南方は開濶しあるも北方は山地に近接しありて同方向の離着
陸は不可能なり
天候気象受感
盆地の特性にして夏季風向の変化多し又春■■霧の発生■■
格納施設
一二〇〇平方米二棟
居住施設
兵員収容力一〇〇名
交通連絡の状況
大邱駅より約九粁東村駅より約三粁にして道路良好にして
大邱東村間には「バス」を通ず飛行場より停留所迄約二粁余
なり電話施設あり
営外者住宅関係
合同宿舎分教所近側(飛行場■■■照)に在り
営外者官舎なし、大邱市内に於て借家なし
其の他
一、北西方の道路は人馬荷物の交通多く着陸に危険あり附替を
要す
二、稍狭きを以て更に■■西及南東に拡張するを要す
三、滑走路外は徹底的に補修するの要あり
■朝鮮交通史 1041p
日本国内では航空機の進展に順応して、行政機構の設置、関連法令の制定と航空保安施設の整
備が行われていたが、朝鮮では昭和4年の日鮮満を結ぶ定期航空路の開設に伴いようやくこれに
取組むようになったが、しかも急速に整備する必要に追われた。(中略)
定期航空開始に間に合うようこれの寄航地は次のように準備されたが、朝鮮の飛行場建設に当
たり特に留意しなければならぬ要点は
(1)冬期に土壌の凍結がひどいこと
(2)梅雨季には豪雨により地盤が軟弱となったり、飛行場が冠水するおそれがあること
等があったが朝鮮内では適当な候補地を得られないので、これが選定に当たっては相当苦慮させ
られ、施工に当たっても予想以上の困難が伴った。(中略)
終戦までに整備した飛行場の概況は次の通りである。
大邱飛行場(1043p)
昭和10年より土地買収にかかり、昭和12年1月開場した。
大邱の西方8kmに在り約20万坪の面積があった。同地区は水田地帯が多く地盤軟弱であり排
水設備には特に注意し、後日マガダム滑走路2本を又字型に建設した。昭和15年には50万坪に
拡張し大刀洗陸軍飛行学校分教場も設置されたが、日鮮を結ぶ最短距離にあったので、重要飛行
場として最後まで活用された。
■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行
の中で、「本邦定期航空現況(昭和十三年十二月現在)」として以下記されていました(6コマ)■
経営者 大日本航空株式会社
航空線路 東京-大連
区間 東京-名古屋間 毎日三往復
名古屋-大阪間 毎日三往復
大阪-福岡間 毎日二往復
福岡-大邱間 毎日一往復
大邱-京城間 毎日一往復
京城-平壌間 毎日一往復
平壌-新義州間 毎日一往復
新義州-大連間 毎日一往復
線路開設年月 昭和四年四月
■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行
の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」として以下記されていました(8コマ)■
名 称 大邱飛行場
経営者 國
所在地 朝鮮慶尚北道達城郡解顔面□□洞
水陸の別 陸
滑走区域 東西九五〇米 南北六〇〇米
備 考 (記載無し)
■朝鮮交通史 1034p
大邱-福岡線
朝鮮海峡が敵潜水艦に蹂躙され、海上航行が不安となったので、
航空機に依る連絡の必要性を認め朝鮮と日本を最短距離である
大邱-福岡間に定期航空便を開設することとなり
昭和19年4月より毎日2往復の運航を開始したがさらに毎日3往復に
増便した。補助金は、次の通り要求してある。
京城(ママ)-福岡線 補助金
19年度補助金 1,305,000円
20年度補助金 1,417,000円
本土航空作戦記録 (文書名: Japanese Monographs = 日本軍戦史 ; Monograph No. 23) (ボックス番号: 3)■
本土決戦の際、米軍が郡山付近に上陸した想定の飛行部隊展開配置図。
大邱飛行場も作戦に組み入れられていました。
詳しくは潭陽飛行場記事をご覧ください■
朝鮮・大邱飛行場跡地
大邱飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮慶尚北道達城郡解顔面(現・韓国大邱広域市)
座 標:35°53'52.9"N 128°39'27.3"E
標 高:33m
滑走路:800mx145m(12/30)、700mx150m(09/27)
(座標、標高、滑走路長さはグーグルアースから、方位は地理院から)
沿革:
1944年04月 海上航行が不安となったため、福岡との定期航空便開設。毎日2往復、後に毎日3往復
関連サイト:
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この記事の資料:
朝鮮交通史
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
あらためて
日本から近いんだなぁ~ と思いました。
しかもソウル、釜山、チェジュしか知らない
私には へぇ~ という街
勉強になりました (#^^#)
by guchi (2020-10-13 05:40)
■guchiさん
オイラは韓国は未だ行ったことなくて、
記事作りながら勉強させて頂いてます。
by とり (2020-10-14 20:03)
久しぶりです!
今年はコロナ対策やら、それに伴う業務変更やらで
家のPC、手つかず状態でした(^^)
やっと仕事も落ち着いてきたところです。
今、韓国(朝鮮)の空港を載せているんですね。
先ほどテレビで韓国からの引き上げの映像を観まして
ソウルって、日本語の溢れてる街だったと初めて知りました。
そういう時代があったのですね。
by 鹿児島のこういち (2020-10-18 18:05)
■鹿児島のこういちさん
お久しぶりです。
どうしたんだろうと思っていたんですが、
仕事で大変だったんですね。
コロナ、いろんなところで思わぬ影響がありますね。
これから寒くなりますので、体調お気をつけください。
ソウル、そうだったんですか。
オイラも知らないことだらけです。
by とり (2020-10-19 04:54)