SSブログ

高田練兵場着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2018年6月訪問 2022/1更新  



無題.png
(昭和8年8月撮影)高度600米 方位NE 距離800米
0.png
1934年(昭和9年)5月調査資料添付地図
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)
無題2.png
撮影年月日1946/10/10(USA M283-A-7 22)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

新潟県上越市中田原にはかつて「中田原練兵場」があり、この練兵場内に着陸場が設定されていました。

■「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」の中に当着陸場の図があり(下記リンク参照)、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

この水路部作成の資料内で、当練兵場の名称は「高田練兵場」と記されているのですが、

「高田練兵場」でググってみると、ヒットしないことはないんですが、

ほとんど出てこず、「中田ヶ原練兵場」、もしくは「高田市の中原田練兵場」がたくさんヒットします。

「高田練兵場」よりも、「中田原練兵場」の方が遥かに通りが良いみたいなんですが、

上記資料内では一貫して「高田練兵場」と記されているので、

当記事内でもそのように表記させて頂きました。

同資料内の情報を一部抜粋します(オイラ訳なので間違えていたらゴメンナサイ)。

高田練兵場(1934年5月調)
位置 新潟県中頸城郡金谷村(高田市の南西方)
高さ 平均水面上約20米。
広さ及形状 着陸場は略長方形で長さ(南北)650米、幅(東西)250米。
地表の土質 粘土質
其の他 当練兵場は着陸場として陸軍、海軍、そして民間機から頻繁に使用されている。

当練兵場とヒコーキの関りは非常に古く、大正2年8月に白戸栄之助が当練兵場で試験飛行を実施しており、

これが県下初飛行とあります。

また大正6年にはあの鳥人アート・スミスが当練兵場でも飛行大会を実施しています。

更に「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)の中にある「學校グライダー部一覽」

(昭和15年10月現在)の中で、縣立高田中學校グライダー部が中田ケ原練兵場を使用していたとありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m 


DSC_0116.jpg

赤マーカー地点。

着陸帯方向。

練兵場、着陸場だった頃の面影はすっかりなくなり、現在はこんな感じ。


DSC_0114.jpg

青マーカー、航空写真↓部分。

かつてここが練兵場だった頃の名残。

踏切名の横の文字(どう見ても「信越本線」)がテープで隠されていて、なんでこんなことするんだろうと思ったら、

2015年3月に経営移管で「妙高はねうまライン」に名称変更していたんですね。

まったく知らなかった。。。



     新潟県・高田練兵場着陸場跡地         
高田練兵場着陸場 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:着陸場
所在地:新潟県上越市中田原
座 標:N37°05′47″E138°14′10″
標 高:20m
着陸帯:650mx250m
方 位:01/19
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1913年08月 27日 白戸栄之助「鳳二世」号(奈良原式5号、ノーム70馬力)にて試験飛行。県下初飛行
     09月 2日 高田開府三百年祭にて、県下初の飛行機大会開催。白戸栄之助、「鳳二世」号で興行飛行
       (南国イカロス記・13日に鳳二世による飛行会)
1915年08月 26~31日 所沢の岡大尉、モ式1913年式機で徳川大尉、佐藤大尉らと飛来
1917年07月 14、15日 アート・スミスによる飛行大会
1940年   この頃縣立高田中學校グライダー部が訓練に使用

関連サイト:
新潟県航空史年表(大正編)  
航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場/高田練兵場  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」


コメント(3) 

コメント 3

an-kazu

踏切名称で残っているなんて(^_-)-☆


by an-kazu (2018-07-21 20:34) 

takkun

踏切って、昔の名称がそのまま残っている事が多いんですよね。
当地にも〇〇工場踏切、とか〇〇館踏切とかあります。
年配者に聴くと、色んなエピソードが出てきて歴史を垣間見れます。
by takkun (2018-07-21 21:53) 

とり

■an-kazuさん
ここに残っているのがオイラの知る限り唯一の名残です。
残っててくれて良かったです。

■takkunさん
そういうものなんですか!
テツのtakkunさんは信越本線の件ご存知だったんでしょうね~。
by とり (2018-07-22 05:20) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

メッセージを送る