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天保山水上機基地跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2012年11月訪問 2021/8更新  


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撮影年月日1947/10/11(昭22)(USA M549 39) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

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1/25000「桜島南部」昭和7年修正・昭和10.10.30発行「今昔マップ on the web」より作成

鹿児島市内を流れ、錦江湾に注ぐ甲突川。

その河口付近に天保山公園があります。

生麦事件に端を発した1863年薩英戦争の際、当地天保山にも砲台があり、英国艦隊に対して砲撃を行ったのでした。 

天保山公園はそういう場所として有名で、「天保山砲台跡」碑もあります。

また、「南国イカロス記 かごしま民間航空史」68pによれば、

大正6年(1917年)8月7日、天保山にてアート・スミスが宙返り飛行を公開しました。

(当時天保山は陸軍練兵場でした)

末期の時期には「天保山水上機基地」としても使用されていました。

水上機の基地としての天保山についてはネットでも非常に情報が限られているのですが、

「昭和20年3月11日に行われた米海軍機動部隊根拠基地であるウルシー泊地攻撃時には、762空の銀河隊を誘導する任務を背負った2式飛行艇がここより飛び立って行った。」

という説明がありました。

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公園外周に沿って残る曲線の堤防。

現在はすっかり埋め立てられてしまいましたが、戦時中はここが河口でした。


      鹿児島県・天保山水上機基地跡地      

天保山水上機基地 データ

設置管理者:旧海軍
種 別:水上機用飛行場
所在地:鹿児島県‎鹿児島市‎天保山町‎
座 標:N31°34′21″E130°33′54″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1917年08月 7日 アート・スミスが宙返り飛行を公開
1945年03月 11日 ウルシー泊地攻撃時のため、二式飛行艇離水

関連サイト:
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この記事の資料:
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」


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コメント 2

鹿児島のこういち

天保山の基地の話しは、小学生の頃、年配の方々のお話の会みたいなもので聞いた事があるのですが、詳しくは知りません(^_^;)
鹿屋航空基地の資料館に詳しい資料とかあるような気がしますね?これも調べると面白そうですね(^o^)
by 鹿児島のこういち (2013-02-22 11:28) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
ここは以前鹿児島のこういちさんに教えていただいて知ることが出来た場所です。
おかげで今回の訪問となりました。ありがとうございましたm(_ _)m
鹿屋に確かに何か資料があるかもしれないですね。
まだじっくり見学したことないんですよね~。
by とり (2013-02-23 09:23) 

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