徳島県・四三聯隊練兵場(徳島航空学校)跡地 [├場所]
2024年5月訪問

1/25000「徳島」昭和9年二修「今昔マップ on the web」から作成(2枚とも)。
徳島県徳島市庄町にある蔵本公園。
かつてここには四三聯隊練兵場があり、練兵場の一隅には「徳島航空学校」がありました。
■徳島市史 第3巻 (産業経済編・交通通信編)758p
(二)徳島航空学校の設立
民間飛行家横山友象は、航空思想を普及し民間飛行士を養成するため、徳島航空学校の設立を計画、小幡徳島県知事、青山二二旅団長ら県内有志の後援を得て、大正十五年六月徳島市寺島町に創立事務所を開設し、年内開校を目指して諸般の準備をすすめた。そして間もなく名東郡加茂名町の四三聯隊練兵場(現蔵本公園)の一隅に徳島航空学校を開校すると共に徳島市寺島町字稲田跡に事務所を開設した。
徳島航空学校は、民間飛行士の養成と併せて航空思想を普及するため次のような事業を行うことにしていた。
一 飛行機操縦士および機関士の養成
二 自動車技術者の養成
三 空中撮影による地形の測量
四 非常事変に於ける通信連絡飛行
五 魚群、難船、山火事の発見及び海洋山林事件の捜査飛行
六 旅客貨物郵便物の空中輸送
七 航空気象学の研究
八 各種宣伝ビラ散布及宣伝飛行
九 航空知識の普及を目的とする高等曲技飛行の実施
十 同乗遊覧飛行 同乗飛行は一般休日と定め、同乗券は一二円とする
徳島航空学校の本科飛行機操縦生は、剣山号・徳島号など四機を使用して訓練を重ねた。学校創設以来既に飛行回数二一四回に達した富岡町樫野喜久雄・坂東町岩田源一・松茂村石田貞夫・岡田博文・門田秀夫らは、昭和三年第一期生として卒業した。岩田源一は、岐阜県各務ケ原において三等飛行士試験に合格、昭和五年には埼玉県所沢飛行学校において二等飛行士試験に合格して、母校の教官となり後輩操縦生の指導にあたった。
昭和二年五月八日、徳島県・徳島市・歩兵第四三聯隊・徳島商業会議所・徳島市消防組・帝国飛行協会・帝国在郷軍人会・各新聞社の後援の下に、鮎喰川原において関西航空ページェント大会が開催された。航空思想の普及宣伝のため総経費一万余円をもって計画されたこの航空大会では、当時一流の民間飛行家といわれた片岡・遠藤・和田・石野・張・乗池・横山らの各一等飛行士をはじめ、女流飛行家木部シゲノ、阪妻プロ俳優原田龍治、ドイツ人ジョーヘッゲーらが、つぎつぎに妙技を披露し、さらに歩兵四三聯隊将兵と空陸攻防戦を展開するなど数万の観衆を魅了したという。
上記資料内で「鮎喰川原で開催された関西航空ページェント大会」について触れていますが、
練兵場すぐ近くを流れてますね。
鮎喰川はあるのですが、大会が開催された「鮎喰川原」については、場所を特定することができませんでした。
上の地図は、鮎喰川の中でも特に川原が広々としている部分です。
練兵場も近いし、もしかしてこの広々とした川原が大会会場になっていたのかも。
(場所がキチンと特定できれば別記事にするところなんですが、練兵場とも関りがあるので、ここに含めました)
昭和二年十月一日、新たに自動車科を設けて、自動車運転手の養成に乗り出した。コンクリート舗装の練習場を新
設し、シボレー・フォードなど一〇数台の自動車を使用したので、練習生が殺到した。しかし、昭和七年、上海事変の勃発によって練兵場における兵士の訓練が激しくなったので、廃校のやむなきにいたった。
ということで、上海事変の勃発により練兵場の間借りができなくなってしまいました。
約10年間の使用で廃校となってしまったのですが、
しかし徳島航空学校はこれで完全に終了した訳ではありませんでした。
(続きます)


徳島市史編さん室 編『徳島市史』第3巻 (産業経済編・交通通信編),徳島市教育委員会,1983.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9575283 (参照 2024-07-13)(上2枚とも)

赤マーカー地点。
美しく整備の行き届いた蔵本公園。
今から100年程昔、ここ四三聯隊練兵場でヒコーキが飛び回っていました。
徳島県・四三聯隊練兵場(徳島航空学校)跡地
四三聯隊練兵場(徳島航空学校) データ
設置管理者:横山友象
種 別:陸上飛行場
所在地:徳島県徳島市庄町
座 標:34°04'28.7"N 134°30'53.6"E
標 高:5m
面 積:12.3ha
飛行場:400mx330m(不定形)
(座標、標高、飛行場大きさはグーグルアースから。面積は市史から)
沿革
1926年06月 創立事務所開設。その後徳島航空学校開校、事務所開設
1927年05月 8日 鮎喰川原にて関西航空ページェント大会開催
1928年 第一期生卒業
1932年 廃校
1935年09月 11日 沖洲町高洲海岸付近の市有地にて徳島航空学校再興
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この記事の資料:
徳島市史 第3巻 (産業経済編・交通通信編)
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