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東京飛行場(1940~1945) [├国内の空港、飛行場]

   2016年4月訪問 2022/4更新  

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撮影年月日 1944/11/14(昭19)(8926 C2 13)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

前記事の通り、1931年に約300mの滑走路1本で開場した「東京羽田飛行場」でしたが、

■「序 調査の目的と範囲-大田区ホームページ」(下記リンク参照)によれば、

1940年に拡張工事を行い、名称が「東京羽田飛行場」→「東京飛行場」に変更となりました。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に 東京飛行場がありました。

同資料の情報を以下記させて頂きます。

所在地及位置
 東京市蒲田区羽田江戸見町
  東経一三九度四五分
  北緯 三五度三三分
管理者及経営者住所氏名
 國
地形
 面積、滑走路並に滑走区域
  二一万坪 東西八〇〇米南北八〇〇米混合式乳剤簡易舗装にしてL字型滑走区域
  は滑走路に添ふ東西一〇〇〇米芝草地域にして平時全面使用し得
 土質、高低差並に地表面状態
  砂地の上に真土と砂を混合せるものを敷き転圧す 中心に於て千
  分の二「テーバー」を有す 滑走区域の地表面は概ね平均にし
  て舗装せる滑走路以外の地表面には芝草密生す
 付近状況並に使用上の注意其の他
  東北は海に西側は川を隔て南及西南側は直接工場及民家密
  集す
  排水不十分の為降雨直後に於ては滑走路以外の離着陸を禁ずることあり
気象
 恒風
  真北より五度東寄り
 晴雨日数 
  晴六二日 曇一四八日 霧六四日 雨九一日
 雨期並に暴風期
  六、七月
  一、八、九月
 地方特殊の気象状況其の他
  一日中風向の変化著しく朝北、十時頃東、午後南となる又冬期
  北西、北西の微風の時霧の発生すること多し
周囲の地理
 市街村落
  南側は川を隔て、西南及南側には工場並に民家密集す
 煙突、鉄塔並高建築物
  煙突街工物多々あり但し高度制限法公布後は同法の規定により
  制限しあり
 山岳森林
  周囲に山岳、森林なし場周北及東側に高さ一米長さ四〇〇米宛の防波堤あり
 河湖 沼小流
  南側に接して沼二個あり西側に接して海老取り川(川幅約二七
  〇)ありて之に合流する小川三本あり
 電線、高圧線
  三三〇〇ボルト用高圧線及高さニ〇米と一〇米の無線アンテナあり
保安施設
 気象観測設備
  風信儀(平均風速の測定)風向指示器
  詳細は中央気象台東京飛行場気象観測所に委託す
 有線無線設備
  一、羽田無線電信局(場内)
  一、檢見川送信所(千葉市檢見川町)
  一、岩槻受信所(埼玉縣岩月町大字岩槻)
  一、東京航空無線標 局(千葉縣印幡郡臼井町)
 照明設備
  夜間照明施設完備
 救護設備
  乗用自動車(平時業務も含む)
  救急箱 一個
  自転車 二台(平時業務用)
其の他航空に関する重要設備並能力
 飛行場草刈機 二台
 浮標 二
 錨  四

■「海軍航空基地現状表(内地の部)」でも1940年建設、滑走路(1,000mx75m)x2とあり、

■日本海軍航空史:「終戦時の内地航空隊、航空基地」でも滑走路(1,000mx75m)x2の海軍飛行場として図示されています。

羽田空港は一時期、海軍の飛行場だった時代があるのですね。

「全国空港ウォッチングガイド」には「滑走路は800x80mの2本を十字型に配置」とありました。

上の写真は拡張工事から4年後のもの。

最初の細い滑走路がまだ残ってますね。


■防衛研究所収蔵資料「関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18年8月刊行 水路部」の中に、

当飛行場の付図があり、上に貼った航空写真に赤字で情報を加えました。 

先頭のグーグルマップもこの資料の付図から作図しました。

上述の通り、滑走路の長さは資料により、(1,000mx75m)x2とも、(800x80m)x2とも記されているのですが、

先頭の航空写真の通りに作図してターニングパッドを含めると、(830mx70m)x2でした。

飛行場敷地が南側に拡張した結果、 「三本葭飛行場」時代の飛行学校まであと150mのところまで迫っています。

また、敷地南東部分は、B滑走路、誘導路T-3,T-4,T-5まで達しています。

同水路部資料に当飛行場の情報がありました。

以下引用させて頂きます。

第13 東京〔羽田〕飛行場 (昭和18年4月調)

管理者 航空局東京支局長。
位置 東京市蒲田区羽田江戸見町。
   (六郷川河口の北方1.8粁、北緯35°33′0、東経139°45′6)。
種別 公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約2.6米。
広さ及形状
 本場は総面積69.4萬平方米にして長さ東西970米、幅南北350米及長さ
 南北980米、幅東西400米のL字型地域なり・着陸地域は概ね図示の長さ
 東西800米及南北800米、幅各60米の互に直交する2条の滑走路を最適
 と認むるも風向等に依りては場端より各20乃至50米内方の全地域を使用
 するも支障なし(付図参照)。

地表の土質
 砂地に尋常土を混ず。
地面の状況
 地表は極めて平坦なるも中央部稍高く各周辺に向け1/500の下り勾配を有す
 ・滑走路を除き一面に良好なる芝及雑草密生す・地盤は概ね堅硬なるも降
 雨直後は排水稍不良なるを以て滑走路以外の地域は離着陸を禁止すること
 あり。
滑走路は乳剤簡易舗装にして日射及季節に因る影響なき堅硬地なり・場の
東側格納庫の前面に長さ南北350米、幅100米の「コンクリート」舗装の
整備場あり之より滑走路に至る誘導滑走路1條あり・場周に着陸照明燈
(高さ4米)、場周燈及着陸進入燈等の夜間照明設備あり。
場内の障碍物
 なし。
適当なる離着陸方向
 滑走路方向。
離着陸上注意すべき点
 南南東方約1粁に在る高さ60米の煙突2基は極めて障碍となるを以て注
 意を要す。
施設
 場の南西隅に在る飛行場建物敷地内に霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊本部、
 兵舎・海軍格納庫3・航空局東京支局・大日本航空株式会社支所、同会社
 格納庫5・各新聞社格納庫3及其の他の格納庫3・大日本航空株式会社修
 理工場1・日立航空機株式会社工場・油庫・発動機試運転場・羅針儀修正
 盤1・飛行機計量器1・雲高測定器・航空無線電信局・中央気象台羽田気
象観測所等あり。
昼間標識 吹流(移動式)・空陸連絡信号(布板)・地名標識「トウキヤ
ウ」あり。
夜間標識 航空燈台・着陸照明燈4・場周燈(橙色)・着陸進入燈(緑
色)・障碍物標示燈・岸壁投光器・丁型風向燈・風速燈・夜
間空陸連絡信号(手提燈又は白燈に依る「モールス」信号)等
あり。
周囲の状況
樹林
 場の南西方に隣接する鴨猟場の池の周囲に高さ10米、南方穴守神社の境
 内に高さ16米内外の各松樹林あり。
堤防
 場の北西突角より東方へ350米及南東隅より北方へ300米に亙る場端岸壁
 上に高さ1米の「コンクリート」造防波堤あり。
建築物
 場の南西隅の飛行場付属建物及格納庫、之に隣接する日立航空機製作所及
 東京飛行機製作所工場又南側の道路を隔てて日本夜光塗料会社工場、西方
 海老取川対岸の鉄工場等高層建物密集す。
煙突
 場内航空局東京支局構内に高さ18米の煙突1基、南西方約700米に高さ
 33米の工場煙突3基、南南東方約1粁に高さ60米の煙突2基あり・遥か
 西方一帯は密集せる工場地帯にして大小煙突林立す。
着目標
 六郷川河口、穴守町、京浜電気鉄道穴守線、格納庫。

地方の状況
軍隊
 場内に霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊本部及兵舎あり。
医療
 場内に霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊医務科あり。
宿泊
 場内の霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊内に約500名収容し得る宿営設備あり。
修理設備
 霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊に地上整備員駐屯す・場内に修理工場及日立
 航空機製作所工場等の完備せる修理施設あり。
航空需品
 霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊内に航空用燃料及潤滑油あり。

交通、運輸及通信
電車
 稲荷橋駅(京浜電気軌道、品川-穴守間)南西方約1.6粁、穴守駅(同前)
 南方約1粁。
乗合自動車
 省線蒲田駅(京浜線)より本場正門前(終点)に至る乗合自動車便あり約20
 分間隔に運転す。
道路
 本場より蒲田町を経て京浜国道に連絡する良好なる舗装道路あり。
航空無線通信所
 場内の航空局東京支局内に航空無線通信所あり、気象通報及飛行中の航空
 機と交信し気象状況竝に実況報等専ら飛行実用通信を取扱う。
電信及電話
 場内に東京中央郵便局分室あり、郵便、電信及電話を取扱う・霞ヶ浦海軍
航空隊東京分遣隊及航空局東京支局に各電話あり。

気象
測候所
 場内に中央気象台羽田航空気象観測所あり、地上及航空気象を観測す。
地方風
 冬季は北風にして、夏季は南風多きも1日中の風向の変化著しく朝は北風
 午前10時前後より東風となり午後南風となる・春及秋季は日中南風にし
 て朝夕は北又は北東風なり・一年を通じ西風なし。
 中央気象台羽田航空気象観測所に於ける昭和7-16年10箇年間の月別統
 計次の如し。(以下月ごとのデータ省略)
天候
 雨季は6月中旬より7月中旬に亙る梅雨季と9月中旬の颱風季節の2回な
 り・統計に拠れば初雪は12月24日頃にして終雪は3月20日頃なり、
 中央気象台羽田航空気象観測所に於ける昭和7-16年10箇年間の月別統
 計次の如し。(以下月ごとのデータ省略)
地方特殊の気象
 霧は比較的夏及秋季に多く両季を通じ約20日なり・海上煙霧多し・冬季
 気温上昇し且北西乃至北北西の微風の時霧の発生すること多し・雷雨は5
 月至7月に多し。
気象予察法
 気圧配置が雨の型式に非ざる場合にても房総沖に不連続線発生するときは
 雨と為る。

其の他
1. 本場は昭和6年8月航空局の設置に係り現在大日本航空株式会社経営の東
 京-福岡(福岡を中継地として各線に分岐す)間定期航空路及海陸軍用定
 期航空路の起終点飛行場として又帝都各新聞社通信機の発着場として使用
 されつつあり。
2. 昭和16年10月本場に霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊開設せられ目下実用機
 の飛行訓練に主用されつつあるも前記民間機の発着頻繁なると且場内稍狭
 隘なる為使用上多大の不便を感じつつありと言う。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:東京 建設ノ年:1940 飛行場
長x幅
米:1000x75x2アスファルト 主要機隊数:小型練2.0 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:指通?土中式燃爆場?分解 掩体:施設アルモ数量不明 其ノ他記事:飛行場ハ逓信省陸軍ト共有建物ハ□□(判別できず)海軍施設

こうして徐々に拡張していった「東京飛行場」だったのですが、終戦と共に米軍に接収されてしまいます。

■「日本民間航空史話」ではその時のことを、ここに飛行場が出現するきっかけとなった相羽氏本人がこう記しています。

「昭和二十年、終戦とともに、米軍命令で、えびとり川以東の穴守一帯は、稲荷神社、数百戸の住居全部が一夜にして立ち退きを強制された。弁天橋と稲荷橋も交通を遮断された。この前代未聞の不測の運命に泣いた方々に、ここに半世紀前に飛行場を創始したことに発端することを顧み、申しわけないと思っている。 」

米軍に接収された「東京飛行場」は「ハネダエアベース」となり、大変貌を遂げることになります。

続きは次の記事で。


      東京都・東京飛行場     

東京飛行場 データ(主に昭和18年4月調水路部資料から)

管理者:航空局東京支局長→海軍
種 別:公共用陸上飛行場
所在地:東京市蒲田区羽田江戸見町(現・大田区羽田空港1丁目)
座 標:N35°33′0″E139°45′6″
標 高:2.6m
面 積:69.4ha
着陸地域:(800mx60m)x2
方 位:09/27,18/36
(方位はグーグルアースから)

沿革
1939年    隣接地を買収して拡張。滑走路十字型に2本新設
1941年10月 霞ヶ浦海軍航空隊東京分遣隊開設
1945年03月 1日 海軍は陸上機の発着に使用(「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」より)
     09月 米軍による接収を受け、拡張開始

関連サイト:
「序 調査の目的と範囲-大田区ホームページ」(pdf)  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「日本民間航空史話」
「全国空港ウォッチングガイド」
「東京100km圏の戦時飛行場 関東飛行場の地歴図集」
「海軍航空基地現状表(内地の部)」
「終戦時の内地航空隊、航空基地」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料「関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18年8月刊行 水路部」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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