富江(福江、小濱)水上機基地跡地 [├国内の空港、飛行場]
2017年5月訪問 2022/1更新
撮影年月日 1948/02/26(昭23)(USA M804-1 34)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
前記事の「富江航空基地(野々切飛行場)」の西南西約5.5kmにあった「富江水上機基地」。
当記事作成にあたり、PUTINさんに大変お世話になりましたm(_ _)m
■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
に当基地の資料がありましたので以下引用させて頂きます。
位置 長崎県南松浦郡福江町
基地名 福江水上基地
最寄駅よりの方位 距離 粁 福江島東部
建設の年 1943
飛行場 75x30木
格納庫 施設あるも数量不明
収容施設 士官200 兵員900
工場倉庫 施設あるも数量不明
主要機隊数 水偵0,5
主任務 作戦
隧道竝に地下施設 施設あるも数量不明
掩体 分散
■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
には、「福江(水上基地)(昭18建)」とありました。
他資料では、当基地は「富江」なのですが、同資料によりますと、「福江町にある福江基地」とあります。
Wikiによりますと、福江町は1919年~1954年まで存在した町とあるので辻褄は合っております。
この名称は同資料でしか確認できないため、今のところ「こんな資料もありますよ」ということにしておきます。
スリップが現存しています。
こっち側から見るとすっかり風化が進み、かつてここから水上機の上げ下ろしをしていたようにはとても見えません。
■「日本海軍航空史」(終戦時)によれば、富江水上機地:滑走台30x60 とありました。
水面下の先端部分から防波堤までがほぼ60mです。
■「日本海軍航空史」(終戦時)によれば、富江水上機地:滑走台30x60 とありました。
水面下の先端部分から防波堤までがほぼ60mです。
県道49号線橋の上から。
現在は豚舎が並んでいますが、水上機基地当時はこの谷間の部分に居住施設、自家発電機、水場があり、
山中に爆弾庫、燃料庫、無線電信所、戦闘指揮所の諸施設がありました。
現在は豚舎が並んでいますが、水上機基地当時はこの谷間の部分に居住施設、自家発電機、水場があり、
山中に爆弾庫、燃料庫、無線電信所、戦闘指揮所の諸施設がありました。
長崎県・富江水上機基地跡地
富江水上機基地 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:水上機基地
所在地:長崎県五島市富江町田尾
座 標:N32°37′59″E128°45′57″
標 高:0m
スリップ:75mx30m
(座標はグーグルアースから)
沿革
1943年 建設
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
「日本海軍航空史」
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
設置管理者:旧海軍
種 別:水上機基地
所在地:長崎県五島市富江町田尾
座 標:N32°37′59″E128°45′57″
標 高:0m
スリップ:75mx30m
(座標はグーグルアースから)
沿革
1943年 建設
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
「日本海軍航空史」
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
良く残っていたものですねヮ(゚д゚)ォ!
by an-kazu (2017-09-05 21:56)
■an-kazuさん
本当ですね~ヮ(゚д゚)ォ!(←マネ)
by とり (2017-09-06 06:04)
防波堤の向こう側は制度上としては長崎県の管理物ですけど、そこに至るまでの豚舎含む盆地全域が現在はまるごと私有地だから長年放置された結果じゃないかなあと思います
by 地元民 (2022-05-10 16:10)
■地元民さん
そうなんですか。
情報ありがとうございました。
by とり (2022-05-11 20:02)