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樺太・豊原(大澤)飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2022/1更新(未訪問)  



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(昭和18年9月20日撮影)高度200米 方位WSW
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(昭和18年9月20日撮影)高度200米 方位S
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(昭和18年9月20日撮影)高度200米 方位S
1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 63, 8 May 1945, photographs of airfields of Karafuto-Hokkaido and Aomori. Report No. 3-d(52), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上3枚とも)
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1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases. Report No. 3-d(54), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)


「豊原(大澤)飛行場」と「ユジノサハリンスク空港」

樺太豊榮郡大澤にあった日本陸軍の「豊原(大澤)飛行場」。

日本統治時代、南樺太の政治経済文化の中心地は豊原市であり、樺太庁舎もここに置かれました。

当飛行場はその豊原市のすぐ南に位置していました。

豊原市は現在ユジノサハリンスク市になっていて(豊原市と完全に同じ形ではないらしい)、

統治国が変わっても同市がサハリン州の州都であり、州の最大都市です。

先頭のグーグルマップ、上にスクロールするとすぐ豊原市(現・ユジノサハリンスク市)です。


■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録(樺太の部) 大東亜戦争第1復員局」
■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

に当飛行場の付図があり、先頭のグーグルマップはこの付図から作図しました。

付図がかなり大まかなもので、きちんとした基準点がとれず、最大公約数的な位置決めをしています。

そのため滑走路の長さは、付図にある通りキッチリ1,200mx80mで作図してあるんですが、

最大数百メートル程度のズレがあると思います。

滑走路の方向も最大数度のズレがあるかもしれません。

ご了承くださいませm(_ _)m


同資料内に当飛行場に関する情報がありました。

以下引用させて頂きます。

豊原飛行場
位置
樺太豊榮郡大澤

気象
恒風は主として西南風、東北風
なるも四月~八月は北西風となるこ
とあり積雪平均六十糎内外なるも
降雪は二月に於て最も多し

交通 其の他
樺太本線大澤駅近く便なり
冬期間は除雪滑走路以外
使用不能なり
 

この豊原(大澤)飛行場跡地の南南西約4.4kmのところに、

現在運用中の「ユジノサハリンスク空港」があります(グーグルマップを下にスクロールするとすぐ出てきます)。

ユジノサハリンスク空港は、州内最大にして重要な国際空港となっています。

そのユジノサハリンスク空港なんですが、

日本語版グーグルマップでは、「ホムトヴォ空港(大澤飛行場)」と大きな文字で記され、

その下に小さく"Aэропорт Южно-Сахалинск"(ユジノサハリンスク空港) とあります。

当記事では、日本軍の飛行場跡と、現在運用中のユジノサハリンスク空港について長々と書くのですが、

日本語版グーグルマップではユジノサハリンスク空港にも「大澤飛行場」という別称が付いて非常にややこしいため、

日本軍が使用していた飛行場:豊原(大澤)飛行場

現役の空港:ユジノサハリンスク空港

で統一して以下話を進めさせて頂きます。


「豊原(大澤)飛行場」≒「ユジノサハリンスク空港」?

先頭のグーグルマップを下にスクロールすれば明らかですが前述の通り、

日本語版グーグルマップでは、「ホムトヴォ空港(大澤飛行場)」と大きな文字で記され、

その下に小さく"Aэропорт Южно-Сахалинск"(ユジノサハリンスク空港) とあります。

この表記の仕方もそうなんですが、実は日本では、

「元々ここに日本軍の豊原(大澤)飛行場があって、これが拡張して現在のユジノサハリンスク空港になった」

というのが定説になっています(具体例は後述します)。

それでこの定説をご存知の方は、拙記事をここまでお読み頂いて、既に混乱しておられるか、

「は? この記事ナニ言ってんの??」と思っておられるはずです。

ここから先、「豊原(大澤)飛行場≠現在のユジノサハリンスク空港」を軸に話が進むのですが、

「そんな意見もあるのか」と訝しげにご覧頂きますと、

飲み会か何かでネタになる日が来るかもしれませんし、来ないかもしれません。

そして、豊原(大澤)飛行場と現在のユジノサハリンスク空港が同一のものかそうでないのか、

ご自身で判断して頂ければ幸いです。

それからこの記事では、珍しくあちこちのサイト様からの引用文が多いんですが、

ほぼ全てロシア語サイト様からの引用です。

今まで黙ってましたが、実はオイラ自慢じゃないですけどロシア語が、

全然分からないため、以下ロシア語のサイト様からの引用は全てGoogle翻訳様に頼っております。

そのため、いつも以上に日本語が不自由な感じになってますが、「日本語w」とか思わないでください(o ̄∇ ̄o)フフ

では早速。

 
ボルシャヤエランとホムトヴォ

ユジノサハリンスク空港の公式サイト(下記リンク参照)内にはこんな記事があります。

「本島空港の歴史は1945年に始まりました。

勝利の年の10月、最初の飛行機がハバロフスクから大沢軍用飛行場に到着し、

ボルシャヤエランの村の西に位置しました。

それ以来、ユジノサハリンスクと極東の首都の間には定期的な航空路が結ばれています。」

第二次大戦が終結し、全域がソ連領となったサハリン島の空港の歴史は、

1945年10月、日本陸軍の豊原(大澤)飛行場を利用することから始まったのですね。

ここで「ボルシャヤエラン(ボルシャヤイェラン)」という地名が出てきます。

"Аэродром Осава"(大澤飛行場)で検索すると、

豊原(大澤)飛行場について扱うロシア語のサイトがズラリと出てくるのですが、

ちょいちょい「大澤飛行場はボルシャヤエラン(の西)にあった」とか、

もっと具体的に「ボルシャヤイェラン村の西1kmにあった」と出てきます。

ロシア語版グーグルマップで"Большая Елань"(ボルシャヤイェラン)で検索すると、

豊原(大澤)飛行場の東約1kmの地点を指し示します(先頭のグーグルマップ黒マーカー)。

(因みに「ボルシャヤ」は「大きな」という意味で、「ビッグイェラン」と訳出されることもあります)

ここまでを要約しますと、「日本軍の豊原(大澤)飛行場はボルシャヤエランの西にあった」ということになります。

ボルシャヤエランは、豊原市、現在のユジノサハリンスク市中心の南約4kmに位置しています。


次に、現在のユジノサハリンスク空港の位置について、ロシア語版サイトでどのように扱われているかですが、

SAKHALIN.INFO というサイト様に、「飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ-ユジノサハリンスク空港は70歳です」

という記事があり(下記リンク参照)、ここにもこんな記事がありました。

「この間ずっと、古い日本の飛行場は動揺し、民間航空便に適応しましたが、

最終的に彼は成長する場所がありませんでした。

飛行場を新しい場所に移動する決定は1960年に行われたため、

この地域は大型航空機を受け入れることができたはずであり、カバレッジの質をより厳しく要求していました。

そして、そのような場所はユジノサハリンスクから10キロ離れた場所で発見されました。

1964年、長さ1800メートルのコンクリートコーティングが施されたまったく新しいストリップが、

ホムトヴォの新しい場所に建設されました。それは突破口でした。」

「ホムトヴォの新しい場所に建設されました。」とあります。

グーグルマップで「ホムトヴォ」と検索すると、現在のユジノサハリンスク空港とその周辺の狭い範囲を指します。

現在運用中のユジノサハリンスク空港、日本語版グーグルマップでは、

「ホムトヴォ空港(大澤飛行場)」と大きな文字で記されていると上の方で書きました。

最初この表記を見た時は、(ホムトヴォってナニ??)と思っていたんですが、地名だったんですね。

ホムトヴォにあるから「ホムトヴォ空港」ということでした。


今回記事を作るに当たり、"Южно-Сахалинск аэропорт История"(ユジノサハリンスク空港の歴史)

で検索して、出てくるロシア語の記事を(Google翻訳様に助けて頂いて)片っ端から目を通したのですが、

この新空港開港についてのくだりは、

「空港が新しくなった1964年」、「航空の発展における重要なマイルストーンは1964年でした」

的な表現がしばしば用いられ、1964年が当空港にとって大きな節目であったことを示しているのですが、

この「飛ぶ飛ぶ」記事では、ハッキリと「新しい場所に移動」する決定が1960年にあったと述べられていますね。

このように、ユジノサハリンスク空港公式サイトその他ロシア語版サイトでは、

・日本軍の飛行場はボルシャヤエランの西にあった
・現在のユジノサハリンスク空港は、1964年にホムトヴォで始まった

この2つを一貫して示しています。

また、種々のロシア語サイトではユジノサハリンスクと、日本軍の飛行場と現在の空港の位置関係について、

ボルシャヤエラン→ユジノサハリンスクの南4km
ホムトヴォ→ユジノサハリンスクの南10km

と記されています。

ボルシャヤエランとホムトヴォは別々の場所ですから、空港も別々の場所ということになります。


豊原(大澤)飛行場を利用することから始まった空港は、

どんな変遷を経て現在のユジノサハリンスク空港まで至ったのかについて、

前出のユジノサハリンスク空港公式サイトには、"История"(沿革)というページもあり、

ここに空港のかなり詳しい沿革が記されていました。

URL貼ってもなぜかページに飛べないんですが、公式サイトヘッダーのメニューから、

"О компании"→"История"で見れます。

飛行場/滑走路の変遷に絞って抜き出すとこんな感じ↓

1957-ユジノサハリンスク(ボルシャヤイェラン)の空港で、管制塔を備えた新しいターミナルの建設が
始まりました。滑走路は1000メートルまで延長されました。

1964-2月20日、ホムトヴォ地域にある新しいユジノサハリンスク飛行場の運用が承認されました。
長さ2200 mの鉄筋コンクリート滑走路により、An-10およびIl-18航空機の運用が可能になりました。

1987-ユジノサハリンスク(コムトヴォ)飛行場の500 mによる滑走路の延長の再建が完了しました。
飛行場の滑走路の長さは2700 mであったため、Tu-154B航空機の操縦が許可されました。

2000-ユジノサハリンスク飛行場(ホムトヴォ)の700メートル(南)滑走路セクションの建設が
完了しました。滑走路の全長は3400メートルでした。


余談ですが、1964年開設の新空港の滑走路の長さについて、

先程の「飛ぶ飛ぶ」では1,800mとあり、公式サイトでは2,200mとあります。

実は他のロシア語サイトでも、この2つの数字が混在しており、オイラが見た範囲では、

1,800mの方が多い印象です。

実際に長さを計ってみると、ターニングパッドまで含めて目一杯の長さで、

ピッタリ2,200mあります。

ではなぜ1,800という数字が出てくるのでしょうか?

どういうことなのか不明なんですが、ターニングパッドの長さは1コ100mです。

それでターニングパッドとその先の100mは、ディスプレイスドスレッシュホールド

(タキシングと離陸は出来るけど、着陸は不可)と見なし、"滑走路"の長さから除外しているのかも。

ともかく公式サイト様が2,200mと書いていますので、以下2,200mで話を進めます。


滑走路の変遷に限ってここまでの情報をまとめますと-

1945年 豊原(大澤)飛行場滑走路1,200m(8月まで日本軍の飛行場だったが、10月にソ連機が初飛来)
1957年 豊原(大澤)飛行場滑走路1,000mに延長
1964年 新飛行場に移設。滑走路2,200m
1987年 500m延長。滑走路2,700m
2000年 南側700m延長。滑走路3,400m

となります。

前述の通り第1復員局の資料によれば、日本軍当時の豊原(大澤)飛行場の滑走路は1,200mとあるのですが、

先頭のグーグルマップをご覧の通りで、滑走路南側にターニングパッドが二つあり、

どうやら途中で南側に延長して1,200mになったようです。

グーグルマップだと線路の表示が薄くて分かりにくいんですが、

豊原(大澤)飛行場のすぐ東隣に樺太本線(樺太東線)が走っていて、

滑走路と線路は丁度「ハ」の字みたいになっています。

(樺太本線は統治国が変わった現在でも微妙に形態を変えて営業中)

「ハ」の字ですから、これ以上滑走路の北側を伸ばすと線路にぶつかってしまいます。

なので、南側に延長するしかなかったのではないかと思います。


前出の第1復員局資料の付図には、

南側に付け足した2つ目のターニングパッドいっぱいまで使って1,200mとあります。

終戦と共にソ連がこの滑走路をどういう使い方したか不明なんですが、

1957年のところで、「滑走路は1000メートルまで延長されました。」とあることからすると、

滑走路側の事情なのか、はたまたソ連の航空法や運用機の事情なのか不明なんですが、

日本軍が元々1,200m滑走路としていたものを使用し始めたソ連は、

1945年10月~1956年までの間、滑走路全体の一部だけ、1,000m未満で使っていたことになります。

で、1957年に1,000m滑走路として運用するようになり(それでもまだ全部は使ってませんが)、

1964年に現在の場所に引っ越しました。

「樺太本線にぶつかるからこれ以上北側の延長は難しい」と書きましたが、

飛行場南側にも名称不明のニョロニョロ川があります。

また、付図には飛行場北西側(誘導路が伸びてる辺り・グーグルマップ緑マーカー)の辺りが

湿地帯であると記されています。

空港の処理能力を高めるためには、単に滑走路を伸ばせば良いという単純な話ではなく、

空港諸施設のために広大な土地を確保する必要があります。

そのため、線路と川(と湿地帯?)から離れる方向にお引越しをしたのではないかと思います。

そしてこのことが、「飛ぶ、飛ぶ」記事に出てきた、

「古い日本の飛行場は、民間航空便に適応しましたが、最終的に彼は成長する場所がありませんでした。」

ということではないかと。


線路と川(と湿地帯?)という地理的制約から解かれたためだと思うのですが、

移設先の新空港の滑走路の長さは、いきなりそれまでの倍以上の2,200mで開港しました。

ロシア語版Wiki/ユジノサハリンスク(空港) にはこうありました(下記リンク参照)。

「1964年、ホムトフスキー飛行場が就役し、空の旅の可能性が大きく広がりました。

An-10とIl-18の航空機を受け取る機会がありました。

定期便で使用することで、本土への飛行時間が大幅に短縮されました。」

An-10とIl-18は、どちらも当時としては割と大型のターボプロップ4発機で、

航続距離は4,000~6,000kmほど。

それまでは滑走路が短いせいで、航続距離の短いヒコーキしか使えず、

本土までかなりの時間を要していた訳で、

空港の規模拡張の要望はきっと切実なものがあったんでしょうね。

そして前述の通り新空港開港後は、

1964年 新空港開港。滑走路2,200m
1987年 500m延長。滑走路2,700m
2000年 南側700m延長。滑走路3,400m

となり、現在に至ります。


現在運用中のユジノサハリンスク空港、滑走路の向きは豊原(大澤)飛行場とほぼ同じで南北方向なんですが、

北側にも南側にもターニングパッドが2つずつあります。

公式サイト内には、「1964年 新空港開港。滑走路2,200m」とある訳ですが、

内側のターニングパッド同士で長さを計ってみると、ピッタリ2,200mなので、

1964年の発足時は、両端にそれぞれ1コターニングパッドがある形だったはずです。

次いで公式サイトでは、「1987年 500m延長。滑走路2,700m」とあり、

南北どちら側を延長したかは記されていないのですが、

北側の延長部分の長さを計ってみるとピッタリ500mなので、1987年の延長は北側部分だったはず。

最後に「2000年 南側700m延長。滑走路3,400m」とあり、

こちらはちゃんと「南側」を延長したと明記してますね。

計ってみるとちょうど700mで、公式サイトの記述と合致します。

こうしてユジノサハリンスク空港の滑走路は3,400mとなり、現在に至るのでした。

めでたしめでたし。


日本語版Wiki

…と、なんでわざわざ戦後の飛行場/滑走路の変遷までこうして長々と書いたかといいますとですね、

日本語版Wiki/「ユジノサハリンスク空港」の「概要」の項目には、

ロシア語版や英語版には無いこんな説明があるからです。

「ユジノサハリンスク空港は、1945年(昭和20年)8月17日に樺太豊原市大沢地区に日本軍によって豊原大澤飛行場として建設された。2,700m滑走路で開港したが、ソ連による接収後に滑走路は3,400mに拡張された。 」

この説明に出てくる滑走路の長さと場所について、以下ぐだぐだと書いてみます。


日本軍の豊原(大澤)飛行場滑走路の長さと建設時期について

日本語版Wikiは、昭和20年8月17日に日本軍が2,700m滑走路の飛行場として建設したと受け取れます。

一般には昭和20年8月15日が終戦の日ということになっていますが、

樺太では8月25日まで日本軍とソ連軍との戦闘が続いていました。

"8月17日"という具体的な日に、大澤飛行場に一体何があったのか、オイラは知らないのですが、

「8月17日に日本軍が飛行場建設云々」というのは、あり得る話ではあります。

ただし、前述の通り豊原(大澤)飛行場の滑走路は、南北が線路と川に挟まれた地形ですから、

Wikiにある2,700mは無理ではないかと。

2,700mというやけに具体的な数字、一体ドコから出てきた?? という感じなんですが、

ユジノサハリンスク空港は1987年~1999年まで、南側を延長するまでの間は確かに2,700mでした。

豊原(大澤)飛行場の話とは時代と場所が違いますけど。


飛行場の位置について

ユジノサハリンスク空港についてロシア語サイトでは、

繰り返し「空港は1964年に新しくなった」と、移設に触れています。

ところが日本語版Wikiではこの移設のことに触れていません。

そのため、現在のユジノサハリンスク空港の場所に、元々日本軍の豊原(大澤)飛行場があったと受け取れます。

移設に一切触れていないのは、何もこの日本語版Wikiに限ったことではなく、

他の日本語サイトの関連記事も(オイラが見た限り)全て同様です。

豊原(大澤)飛行場についての日本語サイトそのものが非常に限られており、

「ユジノサハリンスク空港」で検索すると、こちらは旅行系のサイトで埋め尽くされていて、

豊原(大澤)飛行場やユジノサハリンスク空港の生い立ちについて、日本語で説明するサイトは、

このWiki以外情報が非常に限られているというのが実情です。


豊原(大澤)飛行場の滑走路、せめて地割が残っていれば良かったんですが、

現在滑走路があった辺りはすっかり住宅街になってて、残ってないんですよね~。

そんなわけで日本語サイトでは飛行場の生い立ちについて扱ったものがほとんど無いため、

個人のSNS等、このWiki情報を鵜呑みにしたと思われるものが多いです。

某質問サイトでは、日本軍当時の豊原(大澤)飛行場について、滑走路の長さは「2,700m」と回答がありますし、

ユジノサハリンスク空港についての説明では、必ずといっていいほど、

「ここは元日本軍の豊原(大澤)飛行場だった」とありますし、

実際にユジノサハリンスク空港に降り立ち、「ここはかつて日本人が建設した飛行場なのだなぁ(しみじみ)」

みたいな記事が散見されます。

もしかして実際に現地の方に「ここって、元々日本が造ったんですよね」

なんて話す日本人も居たりして。。。

この記事を作るにあたり、「大澤飛行場」、「豊原飛行場」で検索して出てくる日本語記事は、

あらかた目を通してみたのですが、

豊原(大澤)飛行場と現在のユジノサハリンスク空港の位置が違うことに一言でも触れているサイトは、

(オイラが調べた限り)1つも無いです。

「現在のユジノサハリンスク空港は、元々豊原(大澤)飛行場である」

がすっかり定説となってしまっていますので、こんな弱小ブログが突然、「引っ越した」と書いたところで、

「そんなバカなw」と一笑に付され、相手して貰えないのがオチかもしれません。


地図とネットに見る世界標準と日本

記事の冒頭、ユジノサハリンスク空港は、

日本語版グーグルマップでは、「ホムトヴォ空港(大澤飛行場)」と大きな文字で記され、

その下に小さく"Aэропорт Южно-Сахалинск"(ユジノサハリンスク空港) とあると書きましたが、

「日本語版グーグルマップでは」なんてわざわざ但し書きをしたのは、

同じグーグルマップでも、英語版は勿論のこと、ロシア語版でも、

単に"Аэропорт Южно-Сахалинск"(ユジノサハリンスク空港)と表記され、

大澤を匂わす表記は1文字たりとも出てきません

(グーグルマップ左上のメニュー→言語 で好きな言語マップが選べます)

オイラの調べた限りですが、グーグルマップ以外の他の言語マップも同様であり、

ユジノサハリンスク空港に「大澤」なんて付け足しているマップはありません。

多分、グーグルマップの日本語版担当が気を利かせたんでしょうね。

ついでながら、現役のユジノサハリンスク空港についてのロシア語の関連記事も随分目を(斜めに)通しましたが、

空港名に「豊原(大澤)飛行場」と付け加えるような場面には一度もお目にかかりませんでした。

ロシア語版Wikiのユジノサハリンスク空港のページでは、

1945年まで遡って空港の歴史について扱っているのですが、大澤という地名すら1度も出てきません。

現在運用中のユジノサハリンスク空港に「大澤」など関連付けないのが世界標準で、

一方日本語版Wikiもそうですけど、現役のユジノサハリンスク空港について、

様々な形で、さも元々日本の豊原(大澤)飛行場であるかのような印象を与えることをしているのは、

恐らく日本だけの現象です。

気持ちは分かりますが。

現在のユジノサハリンスク空港と、豊原(大澤)飛行場は別々のものである根拠として、

ここまで、

・防衛研究所収蔵資料の付図
・公式サイト、「飛ぶ飛ぶ」記事をはじめ、ロシア語記事での両者についての説明

を挙げました。

この2つ以外にも「移設した証拠」は若干あるのですが、ここでアジ歴の資料をご紹介致します。


無題b.png
Translation No. 63, 8 May 1945, photographs of airfields of Karafuto-Hokkaido and Aomori. Report No. 3-d(52), USSBS Index Section 6(国立国会図書館ウェブサイトより・2枚とも)

これはアジ歴で閲覧可能な、豊原(大澤)飛行場の資料です(下記リンク参照)。

赤矢印の通り、撮影日は1943年8月16日で、飛行場の情報蘭には、

"46-55-15N,142-44E"と、飛行場の緯度経度情報があります。

この緯度経度は、ちょうど大澤駅の辺りになります(グーグルマップ赤マーカー)。


無題a.png

上の写真の飛行場部分を拡大するとこんな感じ。

撮影当時の滑走路の長さが不明なんですが、既に延長工事が済んでいれば1,200m、

そうでなければ1,000m弱と思われます。

画像手前にクッキリと樺太本線の線路が映ってますね。

線路に対して、滑走路が斜めになっていますが、画面右側にいくに従って、

滑走路と線路の距離がすごく近いです。

1,000m前後であろう滑走路と比較して、滑走路と樺太本線がどの程度接近しているか、

おおよその見当がつくと思います。

現在のユジノサハリンスク空港の滑走路は、線路まで最短でも1,600mの距離があるのですが、

この航空写真で見る限り、パースの問題を差し引いても、

線路と滑走路が1,600mも離れているとは、オイラにはとても思えません。


また、この写真に映っている線路と並走する道路の曲がり具合は、

グーグルマップの大澤駅周辺と突き合わせて比較すると、驚く程現在もほぼそのまま残っているのが分かります。

そしてユジノサハリンスク空港付近とは、線路との距離感も、道路の線形も、何もかも異なっています。

つまりこのアジ歴の写真は、座標通り確かに大澤駅周辺を撮ったものであり、

ユジノサハリンスク空港周辺ではありません。


防衛研究所収蔵資料の付図には、豊原(大澤)飛行場のすぐ横に大澤駅が描かれています(グーグルマップ青マーカー)。

前述の通り、アジ歴の緯度経度情報でも、豊原(大澤)飛行場は丁度この辺りを指していました。

付図とアジ歴の緯度経度情報は、豊原(大澤)飛行場の位置として、

どちらも「大澤駅前」という同一の場所を指し示している訳ですが、

現在のこの周辺の駅の並びはこんな感じ↓

ユジノサハリンスク駅(元・豊原駅)
 ↓
教育学研究所駅
 ↓
ボルシャヤイェラン駅(元・大澤駅)
 ↓
10月駅
 ↓
シティモール駅
 ↓
ホムトヴォ駅(ユジノサハリンスク空港の最寄駅)


防衛研究所の付図によれば、大澤駅の西口?に降りると、

駅前にはババ―ンと大澤飛行場がありました。

現在のユジノサハリンスク空港は、大澤駅から更に3つ先の駅ですから、

ロシア語版サイトで、「(空港適地はユジノサハリンスクから)10km先に見つかった」と表現するのも道理です。

「ボルシャヤイェラン」と「ホムトヴォ」は距離の離れた全く別の場所ですから地元の方にとっては、

「ボルシャヤイェランにあった日本の飛行場から、ホムトヴォの新しい飛行場へ~」

という説明だけで、違和感無く引っ越しとして受け取っているはずです。


「受け取っているはずです」とはいうものの、実は

ソ連による占領後のボルシャヤイェラン空港で長年働いた1人の女性の半生に焦点を当てた記事には、

こんな一節がありました(下記リンク参照)。

「古い空港」という名前は、南サハリンの多くの住民に戸惑いを引き起こす可能性があります。

誰もが、レーニン通りとバイパス道路の間の都市南部の地域について話していることを覚えているわけではありません。

エラニの離着陸場は長い間無くなっていますが、上空を飛ぶ鋼鉄の鳥はまだ聞こえています。


空港がボルシャヤイェランから現在のホムトヴォに引っ越して、既に半世紀余。

現地の方にとってでさえ、かつてエラニに「古い空港」があったことは、

遠い過去となってしまったようです。

日本統治時代の建造物がまだまだ残っていることも相まって、

「ユジノサハリンスク空港は、元々日本が建設したんですよね」と聞かされて、

「そうなんですか。知らなかった」なんて、真に受ける地元の方もいるのかしらん。


前述の通り、かつての豊原(大澤)飛行場があった周辺は、現在ではすっかり住宅地になっており、

かつてここに日本軍の飛行場、そしてサハリンの空の玄関口があったとは、とても思えません。

それでもここに飛行場があったことを示す遺構は何か残っていないだろうか。と思っていたのですが、

思いがけないものが残っていました。

ユジノサハリンスク/自動車学校ROSTOというサイト(下記リンク参照)に、

「1958年撮影のボルシャヤエラン空港」として、建物の写真が載せられています。

特徴的ななんか大きくてカッコいい建物(語彙力)のある敷地手前には、大きな対の門柱があり、

その門柱には"Aэропорт"(空港)と大書きしてあります。

前述の空港公式サイトにある沿革には、

「1957-ユジノサハリンスク(ボルシャヤイェラン)の空港で、管制塔を備えた新しいターミナルの建設が
始まりました。」

とあります。

この「1958年撮影のボルシャヤエラン空港」の写真にある大きな建物には、中央部に管制塔に見えなくもないもの

がありますので、これは大澤飛行場に建設された新しいターミナルの写真ではないかと。

そしてこの写真を載せているページには、地図も添付してあり、マーカーがついています。

そのマーカーの位置をストリートビューで見ると、こうなります。




対の門柱、建物上部の管制塔っぽいものが撤去されているんですが、

「1958年撮影のボルシャヤエラン空港」と同じ建物が残っていました。

この元ターミナルが映っているのは、先頭のグーグルマップ紫マーカーの位置で、

空港ターミナルがあってもおかしくない位置であり、場所的にもちゃんと合ってます。

ということで、かつて日本軍が運用していた豊原(大澤)飛行場を、

戦後空港としてソ連が利用した当時の空港ターミナルビルが現在も残っているのでした。


最後になりますが、"Region65com"というサイト様があり、

ここに大沢飛行場についてのトピック記事がありました(下記リンク参照)。

この記事を作るにあたり、随分いろんなサイト様を拝見したのですが、

この記事が日本統治時代の豊原(大澤)飛行場について、最も詳細な情報を載せていました。

日本側の資料から裏を取れないのですが、以下引用させて頂きます。

豊原空軍基地。市の南4キロに位置し、大沢駅の近くにあります。
飛行場は800 x 600メートルでした。格納庫には6機の航空機がありました。
空軍基地は、グレートジャパンエアラインズの日本Japan太線(東京-仙台-青森-札幌-豊原)
で使用されていました。
その後、基地は近代化され、
1945年9月までにソビエト空軍の指揮は、
誘導路のない1200 x 100メートルのアスファルト滑走路を備えた空軍基地を引き継いだ。
砂利ハッチを備えた20の土のサイトがありました。
運用能力は、1943年(28-32機)の州の1つの航空連隊で推定されました。
民間航空艦隊の要件から判断すると、
重軍用輸送機(ソ連と日本で使用されるダコタDC-3のライセンス)と
最前線の爆撃機を受け入れることができました。
1945年10月に飛行場がハバロフスクからのフライトを開始します。
1947年にビッグイェランに改名され、1964年にチョムトヴォ空港が建設された直後に閉鎖されます。

日本時代の飛行場について、ビックリする程の情報量!!(☆Д☆)

日本語サイトをいくら検索してもこんな情報出てこないというのに、

一体どうやってこれだけの情報を得たのでしょうか??

もしかしてユジノサハリンスク市の図書館の郷土史コーナーに行くと、

日本統治時代の飛行場についてのマニア本詳しい本があったりするのかしらん。

い、行ってみたい。ロシア語読めないけど。

当時の日本語の郷土史なんかも置いてあったりして。



     樺太・豊原(大澤)飛行場跡地         
豊原(大澤)飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:樺太豊榮郡大澤(現・サハリン州ユジノサハリンスク)
座 標:46-55-15N,142-44E
標 高:26m
滑走路:800mx600mの着陸帯?→990mx80m→1,200mx80m
方 位:18/36?
(座標、滑走路長さは、防衛研究所収蔵資料から。標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1944年   以前は800mx600mだったが、この頃までに1,200mx80mになった
1945年08月 終戦
    10月 サハリン州の空港として使用
1947年   「ビッグイェラン」と改称
1957年   滑走路1,000mに延長
1964年   新飛行場に移行。閉鎖される。その後住宅地となる

関連サイト:
ユジノサハリンスク空港公式サイト  
SAKHALIN.INFO/飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ-ユジノサハリンスク空港は70歳です 
ロシア語版Wiki/ユジノサハリンスク(空港)  
アジ歴/豊原(大澤)飛行場 
「古い空港」 
ユジノサハリンスク/自動車学校ROSTO 
Region65com/Аэродром Осава 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む)第1復員局」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録(樺太の部) 大東亜戦争第1復員局」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」


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