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北海道・月寒練兵場跡地 [├場所]

   2013年6月訪問 2021/9更新  


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1/25000「月寒」大正5年測図「今昔マップ on the web」より作成

札幌市‎豊平区‎にある月寒屋外競技場と月寒体育館。

前記事の「札幌興農園(興農園耕地)飛行場」の南南東約7.5kmにあります。

かつてこの辺りに「月寒練兵場」があり、飛行大会が行われました。

大正2年10月19日のことで、これが北海道におけるヒコーキの初飛行でした。

実はこれより1ヵ月以上早い大正2年9月7日、札幌郡札幌村興農園耕地にて、飛行会が催されました。

ただしこれは失速墜落という結果に終わっています。

新千歳市史通史編上巻729p の中にその時の様子が触れられていました。

「実質的な初飛行は同年十月十九日、興行の奈良原飛行団の奈良原式機であった。

会場は陸軍歩兵第二十五連隊練兵場(現・月寒屋外競技場一帯)、

上空を二周、滞空二分と短かったが離陸から着陸までを道民に見せた」

「南国イカロス記 かごしま民間航空史」にもこうありました。

(北陸信越での飛行を終えたばかりで)稲毛に帰って間もなく、
今度は北海道へ出かけることになった。そうなると、老朽化した4号
鳳号を飛ばせるしか方法がない。奈良原三次はむろん団長として同行したが、実体をもっともよ
く知っているだけに気が重かったに違いない。
 十月十九日、札幌・月寒練兵場で飛行会が催された。北海道で飛行機が飛んだのはこれがはじ
めてである。もっとも一か月以上前の九月七日、奈良原飛行団とは関係なく、鳥飼繁三郎が大口
豊吉製作の鳥飼式隼号で飛ぼうとし、離陸後二〇㍍の高度から失速墜落し、警察の介入があり稲
毛に逃げ帰った。鳳号は、いわばそのしりぬぐいをやったことになる。

 小樽新聞は、大正二年(一九一三年)一〇月十九日の札幌・月寒練兵場での
飛行振りを大々的に取り上げた。午前七時四十分、白戸栄之助は予備飛
行として高度四〇㍍、距離二〇〇〇㍍を五十八秒で飛んだ。
 第一回目の本番飛行が行われたのは、午前十一時であった。空飛ぶ機会をはじめて見た報道記
事は、いかにも感動的である。鳳号は四〇㍍ほど滑走して宙に浮いた。鳳号こと「空中の大魔
王」は次第に高度をとり「白戸氏の英姿は今は豆の如く小さく眼界を没し去らんとす」るほどだ
が、一〇〇㍍の高度で場内を二周した。ついで「巧妙なる空中滑翔を了って無事着陸するや、酔
へるが如き二千の観衆は茫然として夢より醒めたるものゝ如くに感嘆賛美の声に伴ふて豆を煎る
にも似たる拍手喝采は暫し鳴も止まざりき、飛行時間百二十秒得意満面に溢れたる白戸氏は奈良
原氏其他の人々の笑顔に擁せられて休息所に入る」。
 午後は一八〇㍍の高度で三分間飛んだ。翌日は風雨が強くて中止となり、二十一日になった。
やはり風が強く、静まるのを待つと、観衆が「詐欺じゃないか」とどなり出す始末である。白戸
は覚悟をきめ、風速一五㍍の中を、五〇㍍の高さでよたよたと飛んでお茶をにごした。二十二日
も月寒で飛び、二七日は旭川で飛行し、北海道での飛行大会を終わった。

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      北海道・月寒練兵場跡地      

月寒練兵場 データ

設置管理者:旧陸軍
所在地:北海道‎札幌市‎豊平区‎月寒東1条‎8丁目‎1‎
座 標:43°01'48.0"N 141°24'04.0"E
標 高:53m
着陸帯:700mx310m(不定形)
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1913年10月19日~22日 道内における初飛行大会

関連サイト:
空の開拓者~札幌飛行場正門跡~    
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この記事の資料:
新千歳市史通史編上巻
南国イカロス記 かごしま民間航空史


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コメント 3

鹿児島のこういち

大正時代の初期に飛行大会なるものを行っていたのですね。(^^)
by 鹿児島のこういち (2013-08-05 08:25) 

miffy

今回の北海道の旅はずっといいお天気だったのですね。
by miffy (2013-08-05 23:43) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
そう考えると凄いことですよね~。

■miffyさん
この日はとっても良かったんですけどね~(o ̄∇ ̄o)フフ
by とり (2013-08-06 05:16) 

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