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浦和(埼玉第一)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2016年12月訪問 2022/7更新  



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撮影年月日1944/09/28(891 C2 66) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

埼玉県さいたま市、志木市にあった「浦和(埼玉第一)飛行場」。

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行

の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」非公共用飛行場 として以下記されていました(9コマ) 

名 称  埼玉第一飛行場
経営者  埼玉義勇飛行會
所在地  埼玉縣入間郡宗岡村荒川河川敷
水陸の別 陸
滑走区域 東西四〇〇米 南北八〇〇米
備 考  (記載無し)

■防衛研究所収蔵資料:「S14.10 航空路資料 第3 其の3 関東地方飛行場及不時着陸場 水路部」

の中に、当飛行場の情報がありました。

以下一部引用させて頂きます。

浦和飛行場
埼玉県入間郡宗岡村荒川河川敷(志木町の北東方約2.5粁)

着陸場の状況
高さ 平均水面上約3米。
広さ及形状 本飛行場は長さ南北約600米、幅東西約300米の不規則なる
半円形地区(総面積約15,8萬平方米)なり・着陸地域は荒川右岸概ね図示の
如き長さ約400米、幅約200米の台形地区なり(付図参照)。
地表の土質 砂混り粘土。
地面の状況 本場は秋ヶ瀬と称する河原に在り荒川右岸砂洲の発達せる河
川敷にして昭和12年4月重さ約4屯の「ローラー」を以て転圧整地し飛行場
とせしものなり・場内の滑走路は舗装を施しあらざるも一帯に堅硬平坦にして
起伏なし但し東方部に稍軟弱なる箇所あり・大出水氾濫の際は場全面浸水し之
が為土砂堆積又は陥凹地を生ずることあり・場内一面に芝、雑草類密生す・排
水施設としては西側道路に沿い南北に簡単なる粗朶式暗渠を埋没し場内の雨水
を排水する設備あるも地表は多少東側に下り傾斜あり却って西側の水田の水浸
透し地盤低き西側部分は常に湿地又は凸凹地をなす場内の傾斜少く排水良好な
らず・炎天続くときは地表乾燥し粘土部分は高度を増し却って好結果を興う・
降雨後は地表軟弱と為り多少凸凹をなす箇所あるも着陸には支障を来たす程度
にあらず又冬季霜解の際は稍泥濘と為るも砂地は土質の関係上変化せず・毎年
二三回荒川出水氾濫し本河原一帯浸水することあるも減水後地面の状況は大な
る変化なし。
場内の障碍物 着陸区域内の東方に凸凹あり。
適当なる離着陸方向 北北西又は南東。
着陸上注意すべき点 場内の東側及西側道路付近は不整地なり又降雨に際
しては場内処々に水溜りを生ずることあり・付近に護岸堤防の設けあるを以て
着陸の際注意を要す。

施設 格納庫1(高さ約8米、間口約7米、奥行約14米)、宿舎(高さ約
8米、間口約4米、奥行約14米)、事務室兼休息室(高さ約2米、間口約6米、
奥行約4米)、国旗掲揚柱兼吹流柱(高さ約13米)・場の略中央付近東より西
に向い地名標識「サイタマ1」(白色コンクリート文字板)と記名標示す。

其の他
本飛行場は昭和12年7月非公共用陸上飛行場として設置せられたるものにし
て埼玉県北足立郡志木町埼玉義勇飛行会(役場内)の経営なるも近く帝国飛行
協会に移管せられ諸施設の整備に努むる計画あり・設置期間は昭和12年2月
至同17年2月5箇年間となり・目下埼玉県中等学校総合「グライダー」練習
場にして格納庫内に滑空機3機あり・埼玉県当局は飛行場設置の際施設費とし
て金2,000円を補助せり・昭和13年6月所沢陸軍飛行連隊此地に於て演習を
行い飛行機本場に着陸せしも損傷なかりしと言う。
 

■防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料 関東地方飛行場及不時着場 昭和18.8 」

にも当飛行場の情報がありました。

以下引用させて頂きます。

第9 浦和飛行場 (昭和17年12月調)

管理者 大日本飛行協会埼玉支部(埼玉県庁内)。
位置 埼玉県入間郡宗岡村字秋ヶ瀬、荒川右岸河川敷。
   (浦和市南西方4.8粁、北緯35°50′2、東経139°36′2)。
種別 非公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約3米。
広さ及形状
 本場は総面積15.6萬平方米にして長さ北西-南東最大750米及長さ南北
 650米、幅東西最大350米の半円形地域なり・着陸地域は概ね図示の長さ
 北西-南東最大550米、幅東西250米の梯形地区なり(付図参照)。
地表の土質
 砂混り粘土。
地面の状況
 着陸地域内は約4噸の「ローラー」を以て転圧せる堅硬地なり・地表は極
めて平坦なるも全般的に東方河岸に向け極めて緩除なる下り片勾配を有す
・一面に良好なる芝及雑草密生す・降雨後は処々に水溜を生じ地盤稍軟弱
となる箇所あるも排水良好なるを以て乾燥速なり・晴天続きの際は硬度を
増し好結果となる・冬季霜柱の発生を見るも離着陸上支障となる程度なら
ず・毎年夏秋の候2-3回荒川河水の場内に浸水することあるも減水後の
地面の状況は大なる変化なしと言う。
場内の障碍物
 なし。
適当なる離着陸方向
 冬季は北北西、夏季は南南東。
離着陸上注意すべき点
 場の東側河岸及北西方に護岸堤防(4-7)米、南方400米に高さ50米の
 高圧送電線鉄塔あり、何れも障碍となるを以て注意を要す。
施設
 格納庫(間口15米、奥行15米、高さ8米、現在大小滑空機13収容)1・
 二階建宿舎(事務所及講堂を含む)1・倉庫1棟あり。
 昼間標識 吹流(高さ13米)1あり。
 夜間標識 なし。

周囲の状況
堤防
 付近に山岳、丘陵等の障碍物なく地貌極めて平坦にして河岸を除き四周は
 広濶なる水田地帯なるも場の東側河岸及北西端付近に高さ4-7米の堤防
 存在し東西方向は稍狭隘を感ず、北方は開闊なり。
樹林
 場の西端及東方荒川対岸処々に高さ約5米の樹林点在するも特に障碍とな
 らず。
電線
 場端より南方約160米に高さ8米の普通電線、南方600米に略東西に架設
 せる高さ50米の高圧送電線鉄塔あり、何れも障碍となるを以て特に注意
を要す。
河川
 場の東側に沿い河幅約80-90米、深さ1-1.5米内外の荒川あり、南東流
 して東京湾に注ぐ、本河は小型蒸気船程度の運航可能にして本場付近に常
 時砂利採取船輻輳す・西方約2.3粁に南流する新河岸川と称する荒川支流
 あり。
橋梁
 南方約300米に高さ10米の荒川秋ヶ瀬橋(コンクリート造)あり。
建築物
 北西端付近に格納庫(高さ8米)、宿舎(高さ約10米)、吹流柱(高さ13
 米)等の飛行場付属建物あり、其の他付近に障碍となる建築物なし。
着目標
 荒川、志貴町、荒川秋ヶ瀬橋(コンクリート造)、格納庫、吹流。

地方の状況
警察署及役場
 浦和警察署(浦和市仲町)北東方約5粁、宗岡村駐在所(宗岡村字下の谷)
 西方約2粁・宗岡村役場(宗岡村字下の谷)西方約2粁。
医療
 志木町に医院5、浦和市に病院8及医院34あり。
宿泊
 場内に宿舎の設備あり、志木町に旅館1(収容員数計10)、浦和市に同5
 (収容員数計100)あり。
清水
 場外格納庫付近に井戸あり・付近の民家に水質良好なる井戸多数あり。
応急修理
 志木町に三枝自動車修理店、浦和市に鈴木自動車電機工業所、佐藤鉄工所
 及鈴木鉄工場等あり、何れも一時的応急修理程度ならば可能なり。
航空需品
 志木町、浦和市より少量の自動車用「ガソリン」を需むることを得・浦和
 市に関東瓦斯会社あり、液化燃料を研究中なりと言う。

交通、運輸及通信
鐡道及電車
 浦和駅(省線電車)北東方約6粁、志木駅(東上線)南西方約4粁。
乗合自動車
 浦和駅-志木駅間に定期乗合自動車便あり、最寄停留所は秋ヶ瀬橋(南方
400米)なり。
道路
 場の南方約400米を東西に通ずる浦和、調布線(幅5米)と称する県道あ
 り、東は秋ヶ瀬橋を経て浦和市方面へ、西は志木町を経て所沢町方面に通
 ず・本道路を乗合自動車運行す。
舟艇
 荒川は東京港と埼玉県とを結ぶ水路にして常時小蒸気船及50噸程度の砂
 利取船運航す。
運送店
 志木町に東上通運株式会社志木支店(貨物自動車3、三輪自動車5)、及
 志木駅付近に朝霞合同運輸有限会社(貨物自動車30)等あり・浦和市に日
本通運株式会社浦和支店(貨物30、乗用車5)あり。
電信及電話
 付近になし・志木郵便局(西方約2.6粁)、浦和郵便局(北東方約6粁)、
何れも電信及電話を取扱う。

気象
測候所
 浦和観測所(浦和市)北東方約4.5粁。
地方風
 流行風は冬季は北風、夏季は南風なり。
天候
 浦和測候所に於ける昭和6-10年5箇年間の月別統計次の如し。(以下月別データ省略)
地方特殊の気象
 7,8月頃雷雨多く進行方向は北西-南東に進む傾向多し・5月頃降雹あり
 ・12月より翌年3月間降雪あり。
 低気圧の発達せるもの日本海にあるときは南風一般に強し・冬季北寄りの
 風は特に猛烈にして気流不良なり。
 夏季南風の際は所沢地方一帯は層雲に蔽わるること多きも山口貯水池、入
間川流域及川越市上空は切間多し。
荒川、入間川に河霧発生し局地的に視界を害することあり。

其の他
1. 昭和13年6月所沢陸軍飛行隊此の地に於て演習の際本場を使用し又昭和
 17年秋陸軍航空士官学校練習機1機及民間機夫々本場を使用の際何等の支
 障なく離着陸せりと言う。
2. 本場は昭和12年7月非公共用飛行場として設置を許可せられたるものに
 して目下埼玉県下中等学校滑空練習場として主用せられつつあり。
3. 大出水氾濫の際は場内に土砂堆積し且処々に陥没地を生ずることありと言
う。

同資料に「浦和飛行場」の付図がありました。

それによれば、現存する「宗岡第二号横提」の丁度上に吹き流し(A:青マーカー)が、

そして横提の下流側(B:黄マーカー)に格納庫、宿舎、事務所兼休息所、炊事場がありました。

「横提」とは耳慣れない言葉ですが、川の流れに対して、通常とは異なり直角に築く堤防のことです。

この上に諸施設が建設されましたので、余程の洪水にならない限り、流されることはなかったはず。

沿革にもまとめましたが、

昭和12年に埼玉義勇飛行会の「埼玉第一飛行場」として設置許可、

後に帝国飛行協会に経営者変更となり、その後「浦和飛行場」に名称変更しました。

水路部作成の地図には、三日月型の河川敷内が飛行場として示されています。

そして河川敷内に特に「飛行適地」の線が引かれており、上のマップはその通りの線を引きました。

川の流れが変わってしまい、現在飛行場跡地はほとんど川底ですね。

飛行場の敷地は最大でも500m程度で、ここを拡張して首都北部の防空用飛行場とする構想があったのですが、

戦局の悪化により実現しませんでした。

■志木市発行の資料、「Shiki ity 2015.8 戦後 70周年 平和への願い」の中で当飛行場のことが取り上げられており、

「秋ヶ瀬飛行場で細田学園生徒による勤労奉仕(昭和19年)」という写真と共に、

「現在の秋ヶ瀬取水堰近くに秋ヶ瀬飛行場があり、主に入隊前の訓練生がグライダーの訓練を行っていました。今も残されている荒川の横提を背に、格納庫などが作られ、その南側に飛行場が広がっていたといいます。」

と記されていました。

記事中にある通り、地元では「秋ヶ瀬飛行場」、「秋ヶ瀬浦和飛行場」とも呼ばれていたようです。

DSC_0019.jpg

右岸側(赤マーカー)から。

最初は飛行場敷地で現在も河川敷が残っている左岸から撮ろうと思ったのですが、

造成中でダンプが行き交っており、近づけませんでした。


     埼玉県・浦和(埼玉第一)飛行場跡地      

浦和(埼玉第一)飛行場 データ
管理者:埼玉義勇飛行会→帝国飛行協会→大日本飛行協会埼玉支部(埼玉県庁内)に改組
種 別:非公共用陸上飛行場
飛行場:600mx300m半円形地区
面 積:15.8ha(昭和18年8月水路部資料では15.6)
着陸地域:400mx200m台形地区(昭和18年8月水路部資料では550mx250m)
所在地:埼玉県入間郡宗岡村字秋ヶ瀬荒川河川敷(現・埼玉県志木市宗岡、さいたま市桜区下大久保)
座 標:N139°36′02″E35°50′02″
標 高:3m

沿革
1937年04月 4屯ローラーで転圧整地し飛行場とする
     07月 30日 埼玉義勇飛行会の埼玉第一飛行場として逓信省より設置許可(非公共用)
1938年06月 所沢陸軍飛行連隊の演習で当飛行場を使用
1939年03月 15日 財団法人帝国飛行協会に経営者変更
1940年01月 12日 浦和飛行場に名称変更
1942年秋   陸軍航空士官学校練習機1機、民間機が当飛行場を使用  

関連サイト:
首都圏における飛行場と都市計画(pdf) 
Wiki/浦和飛行場  
ブログ内関連記事
       

この記事の資料:
「Shiki ity 2015.8 戦後 70周年 平和への願い」
防衛研究所収蔵資料:「S14.10 航空路資料 第3 其の3 関東地方飛行場及不時着陸場 水路部」
防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料 関東地方飛行場及不時着場 昭和18.8 」


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