大分県・佐伯海軍航空隊の掩体壕 [├場所]
2013年10月訪問 2021/11更新
大分県の佐伯飛行場跡には2011年6月にお邪魔していて、掩体壕か現存することは知っていたのですが、
残念ながら現在は工場敷地になっており、見ることができませんでした。
ところがその後YOSSYさんから守衛に頼めば見学させてもらえることを教えて頂き、
お邪魔してみたのでした。
YOSSYさんありがとうございましたm(_ _)m
教えてもらった通り入口受付で守衛さんにお尋ねすると、見学者用の記載名簿が用意されており、まずはそちらに記入。
あちこちの見学者の方の名前等がズラリと並んでいました。
青マーカー地点。
入口近くに早速掩体壕。
分かりにくいですが、道路奥にもう1つの掩体壕が同じく左側に、ややアッチを向いてあります。
説明版が設けられています。
旧佐伯海軍航空隊と掩体壕について(全文)
昭和六年二月、海軍省が九州東海岸に航空隊を設置することを決定し、佐伯はその有力候補地として、町の発展を願い盛んに誘致活動を展開していきました。その結果、立地条件の優位により、同年八月に佐伯海軍航空隊の設置が決まりました。以来、女島沖・長島一帯・濃霞山周辺までの約四十万坪もの広大な区域が海軍航空隊の用地として整備されていきました。この工事には、地元の人々を中心に千人を超える労働者が従事したといわれ、昭和九年二月十五日に佐伯海軍航空隊が正式に開隊し、飛行場が設置され、西側の中江川沿いには戦闘機の格納庫・指揮所などが並び、基地の中枢を担っておりました。昭和十六年十一月には、ハワイ真珠湾攻撃に先立ち、佐伯湾で連合艦隊の統一訓練が行われており、本基地が太平洋戦争の開戦に大きく関わっていたことが分かります。昭和二十年ごろになると進攻作戦に転じた米軍の空襲が次第に激しくなってきました。そのため待機中の戦闘機を米軍の爆撃から守り退避させるための掩体壕が、本飛行場内に分散して設置されました。この掩体壕はそのうちの一基で、現有規格からして零式戦闘機又は飛燕戦闘機が格納されていたと思われます。この度、貴重な戦史遺産として、文化庁の「登録有形文化財」に原簿登録されました。興人佐伯工場
赤マーカー地点。
奥にあるもう一つの掩体壕。
守衛さんにお礼を述べて帰ろうとしたところ、指揮所跡があると教えて頂きましたΣ(゚Д゚;)
紫マーカー地点。
「指揮所跡」
掩体壕は工場入口入ってすぐ左手にあるのですが、こちらは入口入って右側、少し奥にありました。
大分県・佐伯海軍航空隊の掩体壕
設置管理者:旧海軍
所在地:大分県佐伯市東浜1
座 標:(掩体壕・C)N32°58′08″E131°54′58″ (指揮所)N32°58′03″E131°54′57″
(座標はグーグルアースから)
沿革
1931年08月 佐伯海軍航空隊設置決定
1934年02月 佐伯海軍航空隊開隊
1945年 この頃空襲が激しくなり、掩体壕設置
佐伯空は、川の向かいに水上機の基地がありました。
E地点の下に格納庫が、在ったと思う。
掩体壕は立派な物だと思います、掩体壕は型枠(木の枠)を組んでその上にコンクリートを流して造ります、そうすればコンクリートに木の跡が残ります、佐伯空も跡が残っています。
型枠を造るのには大工さんが必要です、手間、技術が必要です、そこで大工さんがいなくても造るために、土を饅頭のようにして盛り上げて、その上にむしろをかけてコンクリートを打設その後、中の土を出して造る、掩体壕のコンクリートには、むしろの後が残る。
by NO NAME (2013-10-25 15:17)
この形(開口部)は初めて見ますヮ(゚д゚)ォ!
by an-kazu (2013-10-26 02:42)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m
■NO NAMEさん
貴重な情報ありがとうございます。
■an-kazuさん
言われてみればそうですね!
海軍型は頂点の部分が四角く切欠があるはずですが。。。
by とり (2013-10-27 18:16)
NO NAMEでは不便なので マー坊 に、します。
中島飛行機株式会社を見ていると。
群馬県高崎市に榛名航空株式会社(社員2万人)、山田航空工業株式会社というのがありました。
私には、詳しいことは、分かりませんが榛名航空株式会社が榛名産業にな った 現、古河鉱業? 私には分かりません。
山田航空工業株式会社、この会社ホッチキスを作っている ”マックス” です。
高崎航空と言うのも出てきました、まったく私には分かりません。
なぜか ajwfgh では入力できません。
by NO NAME (2013-10-31 11:43)
■マー坊さん
榛名航空株式会社、高崎航空というものがあったのですね。初耳です。
いろいろありますね~。
マックスについては、以前社史紹介誌の中で
戦闘機の尾翼を作っていたとありました。
場所的に中島飛行機への納入でしょうか?
「戦時中は図らずも人の命を奪うものを作ってしまった。これからは人の役に立つものを作ろう」
ということでホッチキスなのだそうです。
>なぜか ajwfgh では入力できません。
以前もお書きでしたが、検索したのですが私には意味が分かりません。
これはどういうことでしょうか?
by とり (2013-11-02 06:47)
私のパソコンだけなのかしれませんが、高松飛行場、太田飛行場などの画像認証のパスワードです。数字の時はは認証しますが、なぜか小文字の英字がだめです。私のパソコンの設定がおかしのかもしれません。
by マー坊 (2013-11-02 09:48)
■マー坊さん
画像認証のことだったのですね。
以前はこの画像認証入力をいちいちしなくても良い設定にすることができたのですが、
無意味なコメントが多数送りつけられる被害が多発しているようで、
コメント投稿者が接続サービスIDでログインしている時のみ、コメント投稿時の画像認証が無効(非表示)
となるように、ごく最近変更になりました。
http://blog-wn.blog.so-net.ne.jp/2013-10-29
マー坊さんがどちらのプロバイダーをご利用か存じませんが、
多分ソネット以外の場合は画像認証入力が必ず必要な設定に強制的になっており、私にはその設定を変更することができない。
ということです。
入力する文字、数字も私が任意に設定することができません。
ご不便お掛けしてしまい申し訳ありません。
by とり (2013-11-02 10:52)
わかりました、数字のところに書きますチグハグになるかと思いますが、
山田航空工業は零戦の尾翼と書いていました。
川西の紫電改も、丸亀市の航空機会社で尾翼を作り船で運んでいたと聞いています、大きなところには、形のあるものを任せていたと思います。
中島は呑竜工場 太田製作所 小泉製作所 小泉製作所から疎開した矢島分工場 尾島町の尾島機械工場 航空学院 高林寮がありました。
尾島町の尾島機械工場の南の利根川の岸に尾島飛行場がありました。
by マー坊 (2013-11-02 14:18)