SSブログ

747 最終引渡し [├雑談]

6.png
flightradar24 粋なことしますね~ヽ(*´ヮ`)ノ


1969年の引渡し開始から50余年を経て、いよいよ明日が最後の引渡しです。

記念式典映像を公開するそうです 


以下、健全な一般人にはまったく興味ないであろう受注/納入各データです。

数字は全てボーイング/エアバス公式サイト様から頂きました  





B747 年別受注

  1966 1967 1968 1969 総計
-100 85 36 16 21 158
-200  - 16 7 14 37
85 52 23 35 195

  1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 総計
-100 6 3 9 18 12 5 2  8 19  11 251
-200 14 4 9 18 17 17 12  34 64  67 293
 計 20 7 18 36 29  22 14  42 83  78
544

  1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 総計
-100 14 4 2 1 - 2 - - - 1 275
-200  31  7  11  8  8  16  19  5  5  3 406
-300 4 12 1 15 16 10 7 14  1  1 81
-400 - - - - - 14 47 44  38  39 182
-400M - - - - - - 11 7  3  11 32
-400D - - - - - - - - 2 11 13
-400F - - - - - - - - - 2 2
 計 49  23  14  24  24 42 84  70 49 68 991

  1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 総計
-100 - - - - - - - - - - 275
-200 2 - - - - - - - - - 408
-300 - - - - - - - - - - 81
-400 142 33 18 2 12 35 61 19 11 33 517
-400M 8 2 6 - - 3 8 2 - 3 64
-400D 7 - - - - - - - - - 20
-400F 14 3 1 - 4 2 6 16 4 28 80
-400ERF - - - - - - - - - 2 2
 計 173 38 25 2 16 40 75 37 15 35 1,447

  2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 総計
-100 - - - - - - - - - - 275
-200 - - - - - - - - - - 408
-300 - - - - - - - - - - 81
-400 13 6 8 - - - - - - - 544
-400M - - - - - - - - - - 64
-400D - - - - - - - - - - 20
-400F 13 2 8 2 8 13 4 - - - 130
-400ERF - 8 1 2 2 17 8 - - - 40
-400ER 6 - - - - - - - - - 6
-8F - - - - - 18 36 24 - - 78
-8 - - - - - - 24 1 4 5 34
 計 32 16 17 4 10 48 72 25 4 5 1,680

  2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 総計
-100 - - - - - - - - - - 275
-200 - - - - - - - - - - 408
-300 - - - - - - - - - - 81
-400       - - - - - - - 544
-400M - - - - - - - - - - 64
-400D - - - - - - - - - - 20
-400F - - - - - - - - - - 130
-400ERF - - - - - - - - - - 40
-400ER - - - - - - - - - - 6
-8F - 4 2 6 2 6 18 3 18 - 137
-8 1 3 5 11 - - - 3 -  - 57
 計  1 7 7 17 2 6  18 6 18 0 1,762

  2020 2021 2022 総計
-100 - - - 275
-200 - - - 408
-300 - - - 81
-400 - - - 544
-400M - - - 64
-400D - - - 20
-400F - - - 130
-400ERF - - - 40
-400ER - - - 6
-8F 1  4 - 142
-8 - 1 - 58
 計  1  5 0 1,768




B747 年別納入


  1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 総計
-100 4 92 35 12 16 8 4 17 4 4 9 205
-200 - - 34 18 14 14 17 10 16 28 58 209
 計 4 92 69 30 30 22 21 27 20 32 67 414

  1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 総計
-100 17 15 9 - 1 - 2 - - 1 250
-200  56  38  17  7  8 8  14 14 10  3  384
-300 - - -  15  7  16  19  9  14 - 80
-400 - - - - - - - - - 34 34
-400M - - - - - - - - - 7 7
 計 73 53 26 22 16 24 35 23 24 45 755

  1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 総計
-100 - - - - - - - - - - 250
-200 7 2 - - - - - - - - 393
-300 1 - - - - - - - - - 81
-400  54  48 47 42 32 16 18 30 43 34 398
-400M  8 12 6 6 3 2 5 5 2 3 59
-400D - 2 8 6 1 2 - - - - 19
-400F  - - - 2 4 5 3 4 8 10 36
 計 70 64 61 56 40 25 26 39 53 47 1,236

  2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 総計
-100 - - - - - - - - - - 250
-200 - - - - - - - - - - 393
-300 - - - - - - - - - - 81
-400 9 19 5 6 3 2 - - - - 442
-400M 1 - 1 - - - - - - - 61
-400D - - - - - - - - - - 19
-400F 15 12 15 6 7 9 8 8 8 2 126
-400ERF - - 3 4 5 2 6 8 6 6 40
-400ER - - 3 3 - - - - - - 6
 計 25 31 27 19 15 13 14 16 14 8 1,418

  2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 総計
-100 - - - - - - - - - - 250
-200 - - - - - - - - - - 393
-300 - - - - - - - - - - 81
-400       - - - - - - - 442
-400M - - - - - - - - - - 61
-400D - - - - - - - - - - 19
-400F - - - - - - - - - - 126
-400ERF - - - - - - - - - - 40
-400ER - - - - - - - - - - 6
-8F - 9 19 19 9 7 6 8 6 7 90
-8  - - 12 5 10 11 3 6 - - 47
 計 0 9 31 24 19 18 9 14 6 7 1,555

  2020 2021 2022 2023 総計
-100 - - - - 250
-200 - - -  - 393
-300 - - -  - 81
-400 - - -  - 442
-400M - - -  - 61
-400D - - -  - 19
-400F - - -  - 126
-400ERF - - -  - 40
-400ER - - -  - 6
-8F 5 6 5 1 106
-8 - 1 -  - 48
 計 5 7 5 1 1,573


表をご覧の通りで、747は1966年に受注開始しました。

初年の85機には日本航空の3機も含まれています。

これは日本航空がDC-8を注文した頃の話なんですが、

DC-8を受領するまでの間、日本航空は低空鈍足のプロペラ機を運用せざるを得ず、

いち早く高空快速のB707を導入したパンナムにお客をごっそり奪われてしまいました。

この時の苦い経験が、「日本航空の747発注は世界で3番目」という早さに繋がったと言われているのだとか。


-400の受注は1985年から始まっていますが、同年-100も2機受注があり、

-300は1989年まで、-200も1990年まで受注が続いています。

四代目が受注開始しているのに、初代、二代目、三代目を数年後でも発注できてしまうという…

クルマのモデルチェンジとは勝手が違うんですね(@Д@)




7.png


4.png


8.pngGE:640 PW:734 RR:199 計:1,573 (最終納入のアトラスエア機はGEnx-2B)




■国内747納入数


  -100 -200 -300 -400 -400D -400F -8F 総計
JAL 20 31 13 34 8 2   108
ANA 17 5   12 11     45
日本貨物航空(NCA)   6       10 8 24
日本アジア航空(JAA)     1         1
日本国政府       2       2
37 42 14 48 19 12 8 180


国内のタイプ別納入数はこんな感じでした。

てっきりANAはJALと同数程度の747を持ってるのかと思ってました。

経営戦略の違いということなんでしょうか。

それから日本の国内線御用達、-400Dのデリバリー数はたったの19機なんですね。

なんかJALとANAで100機以上買ったのかと思ってました。


経済性に優れ、足の長い中型機、大型機が2つのエンジンだけで十分飛び回れるようになって、

「747でなければならない」必然性はみるみる失われてしまいました。

747の旅客機型は実質的に2017年で納入終了し(2021年に思い出したように1機納入してるけど)、

貨物型を細々と造り続けたものの、ついにそれも終わってしまうのは、当然といえば当然の結果なのでしょう。

それでも貨物に関しては、「747でなければならない」必然性はまだまだ残っています。

生産は途絶えてしまいますが、恐らく今後数十年に渡り、貨物型は世界の空を飛び回り続けることでしょう。

(いい感じにまとまった風)

コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

敷島滑空訓練所跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2022年1月訪問  



2.png
撮影年月日1946/06/07(昭21)(USA M158-A-5 69) 終戦翌年。キャスリン台風前
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
無題.png
撮影年月日1947/10/29(USA R408-No1 18) キャスリン台風から6週間後
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


群馬県前橋市にある敷島公園にはかつて、滑空訓練所がありました。

この情報は、旅する野良猫さんから頂きました。

旅する野良猫さん、どうもありがとうございましたm(_ _)m

当滑空訓練所については情報が非常に限られており、正式な名称が不明です。

「敷島滑空訓練所」というのは、オイラが暫定的に付けたものですので、ご了承くださいませ。


群馬県立敷島公園公式サイト内に、「敷島公園のあゆみ」という項目がありこの中で、

昭和18年7月9日 前橋市議会全員協議会が敷島球場を拡張し、滑空訓練所に改装。グライダーの練習場となる。
(昭和22年のキャスリン台風で流出。)

とありました(下記リンク参照)。

球場を拡張して造ったんですね。

公園内のドコに球場があったかについては情報がなかったのですが、

上に貼った当時の航空写真、現在の球場の場所にいかにもなものが映ってました。

公式サイトには、「敷島球場を拡張し、滑空訓練所に改装」とありますが、

写真を見ると、球場のレフトフェンスが撤去され、細長いショートケーキ状の滑空場にしているように見えます。

恐らく戦前から球場はここにあり、ここが滑空場になったのではないかと。

公式サイトでは続けて、「(昭和22年のキャスリン台風で流出。)」とあります。

Wikiによりますと、キャスリン(カスリーン)台風は1947年9月15日から16日にかけて、関東に最接近しました。

上に貼った航空写真は、1枚目が台風前年のもの、そして2枚目がキャスリン台風から6週間後のもの。

ビフォーアフターで比較すると、

台風後の方が内野、ファウルラインがクッキリ見えてて、むしろこっちのが球場っぽいです。

この台風による群馬県内の被害は、関東他県と比較しても非常に甚大であり、

死者592人は関東全体の54%、田畑の浸水は関東全体の35%に達し、

各所で鉄道、道路が破壊、寸断されました。

そんな状況で台風から6週間後に球場の内野、ファウルラインを優先して整備するとは考えにくく、

台風前に見えなかった内野、ファウルラインが、台風直後にクッキリ見えているのは、

表土が流され、元々あった球場が姿を見せたからではないかと。

現在は敷地が一回り大きくなり、上毛新聞敷島球場になっています。

夏の全国高校野球選手権の県大会、プロ野球公式戦でも利用される立派な球場なんですが、

かつてこんなことに使われていたとは、ビックリです。


DSC_0002_00001.jpg


赤マーカー地点。


DSC_0007_00001_01.jpg


青マーカー地点。

Lゲート。

立派なレストスタンドですが、滑空場だった頃はこの場所のスタンドが撤去され、

場内まで地続きで見えていたはずです。


DSC_0008_00001.jpg


黄色マーカー地点。

当時からある松林ではないかと。




     群馬県・敷島滑空訓練所跡地         
敷島滑空訓練所 データ
設置管理者:前橋市?
種 別:滑空場
所在地:群馬県前橋市敷島町66(現・上毛新聞敷島球場)
座 標:N36°24′51″E139°3′1″
標 高:111.9m
着陸帯:400mx180m(最大)
面 積:3.56ha
(座標、標高は地理院から。着陸帯長さ、面積はグーグルマップから)

沿革
1943年07月 9日 前橋市議会全員協議会が敷島球場を拡張し、滑空訓練所に改装
1947年09月 キャスリン台風により流出

関連サイト:
群馬県立敷島公園公式サイト 
ブログ内関連記事


コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

群馬県に行った話 [■旅行記]


Ⓐ自宅→(お客様宅)→Ⓑリサイクルセンター→Ⓒおおぎやラーメン→Ⓓ敷島球場→Ⓐ自宅


(2022年1月の話です)

ちょっと離れたお客様宅に1軒だけ行く用事のあった日、

ついでに群馬県の滑空場跡地に足を伸ばすことにしたのでした。

お客様宅近くに市指定のリサイクルセンターがあり、動かなくなってしまった洗濯機もついでに持っていくことに。

まずは郵便局でリサイクル券を購入しないと。

事前に市のサイトで調べたら、洗濯機のリサイクル料金は2,530円とありました。

実は、廃品回収業者にも回収料金をお尋ねしてみたのですが、

1軒目は3,000円、2軒目は5,000円と言われました。

5,000円はともかくとして、3,000円の所に頼むよりも、自分で持っていけば470円安く済むんだな~

などと考えていたのですが、イザ郵便局に行ったら、なんかナゾ料金が加算され、合計2,843円也Σ(゚Д゚;)

3,000円で回収してくれる業者さんはどうやって利益出すんでしょうか??

その業界ならではの蛇の道ルートがあるのか、

はたまたイザ車に積み込んだ段階でなんかナゾ料金加算されたりするのかしらん(以前テレビでやられたことアリ)

ナゾがナゾをよびつつ、まずはお客様宅で用事を済ませ、それからリサイクルセンターへ。

簡単な手続きですんなり洗濯機を降ろし、すっかり身軽になったところで群馬県へ=(⊃゜Д゜)⊃


IMG_20220204_124243.jpg


藤岡のおおぎやラーメンで腹ごしらえ。

いつもは味噌一択だけど季節限定酸辣湯麺(醤油)。

1時に群馬在住のFさんに「今藤岡なんですけど夕方会えますか?」とLINEするけど返信なし。

普通に仕事中だからな~。

前橋市の敷島公園へ。

コロナ期間中でさすがに人の出はほぼなし。

お散歩中の方に時々すれ違う程度でした。

園内をゆっくり見て回り、Fさんから連絡がないので一旦藤岡まで戻ることに。

藤岡市内の某スーパーであれやこれやと買い物を済ませ、そのまま駐車場で仮眠を取らせていただくm(_ _)m

陽も落ちてきて薄暗くなって参りました。さ、寒い!!

18時過ぎに「今日は帰ります」とLINEして自宅に戻ることに。

その後Fさんから「ゴメン今気が付いた」と連絡があったのでした。

思い付きでイキナリだったからな~。


(おしまい)


コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

東京都・八幡山滑空場(予定地) [├場所]

   2021年10月 訪問  



無題4.png
1/25000「溝口」昭和20年部修「今昔マップ on the web」より作成


■「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)の中にある「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

東京府立第六中學校校友會滑空部・四谷區内藤町東京府立第六中學校内・「戸田橋滑空場」「(豫定地)世田ケ谷區八幡山町」

とありました。

この情報はアギラさんから頂きました。

アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

「世田ケ谷區八幡山町が滑空訓練の予定地だった」訳なのですが、

いろいろ調べても、残念ながら現在のところ分かっているのはここまで。

具体的に八幡山のドコが滑空場の予定地になったのか、その後実際に滑空場として使用されたのか等不明です。

そのため、以下完全にオイラの妄想推測ですのでご了承ください。

上に貼ったのは昭和20年の地図なので、「予定地」と記載、発行されてから4年後のものです。

当時の地図で見る限り、八幡山町で(オイラが個人的に)最も滑空場適地と思われるのが、赤く囲った部分。

おおよそですが、200mx200mのまとまった広さがあり、平坦な更地となっています。

そしてこの場所は現在、ほぼ当時のままの形で、明治大学八幡山グラウンドになっています。

当時の学生の滑空訓練は、生徒たちが校庭でゴム索を引っ張って飛ばすパチンコ方式が資料に多数残ってます。

校庭でも訓練可能でしたから、これだけのスペースがあれば十分可能ではないかと。


DSC_0026_00001.jpg


赤マーカー地点。

ここが滑空訓練の予定地になったのではないかと思うのですが。。。




     東京都・八幡山滑空場(予定地)         
八幡山滑空場(予定地) データ
使用者:東京府立第六中學校校友會滑空部
種 別:滑空場
所在地:東京府世田ケ谷區八幡山町(現・東京都世田谷区八幡山2丁目17)
座 標:35°39'43.7"N 139°37'01.6"E
標 高:46m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1935年10月 滑空場として使用の予定あり

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)の中にある「學校グライダー部一覽」


コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

東京、千葉に行った話 [■旅行記]


Ⓘ自宅→Ⓑ昭和飛行場跡地→Ⓒ八幡山滑空場予定地→Ⓓ赤羽飛行場跡地→Ⓔ第一航空学校跡地→Ⓕ白戸飛行機教習所跡地→Ⓖ印旛飛行場跡地→Ⓗ珍来→Ⓘ自宅


2021年10月某日、平日なんですが1日休みがとれ、お天気が良かったので東京と千葉を回ってきたのでした。

5:35 自宅出発

出発時は11℃。

急に冷え込んで寒い朝でした。

今回は6ヵ所回ったのですが、新規は1ヵ所のみで、他は撮り直しばかりでした。

(撮り直しの箇所はリンク貼っときます)

7:30 昭和飛行場跡地 

ここは飛行場の遺構など残ってないと思い込んでいたんですが、

資料から玉川上水の暗渠部分が遺構であることを知ったので改めてお邪魔したのでした。

暗渠化の始まる部分をパシャパシャ撮ったのですが、結構な水量でせせらぎがいい感じ。

せせらぎなんて久々に聞いたけど、いいな~。癒される~(o ̄∇ ̄o)

(その後、コメント欄にてピロシキさんから巨大格納庫の存在を教えて頂き、翌年また行くことになる)

9:30 八幡山滑空場(予定地)

ここが本日唯一の新規でした。

目指す場所は世田谷区の住宅密集地にあって、車を停める場所がなかなか見つからず、

駐車場にはベンツ、BMW、ジャガーなど、いかにもな高級車がズラリ。

万一ぶつけでもしたら、もうそれはそれは恐ろしいことになりそうです(つД⊂;)

10:30 赤羽飛行場跡地 

ここもコメント欄にて本間さんから情報頂いて場所が確定したので撮り直しでお邪魔したのでした。

都市部でなかなか見通せる場所がなく、ちょうどいい感じの場所にイオンがあったので、

ここの屋上駐車場から撮ればいいや。と目論んでいたのですが…


DSC_0037_00001.jpg


昨年一旦閉店となり、お邪魔した時にはすっかり更地になってました。

残念。


運転してると、だんだん股関節が痛くて辛くなってきました(´・ω・`)

1ヵ月位前に軽いギックリ腰になり、もう大分良くなったのですが、そのせいかしらん。

12:00 セブンで調理パン購入

朝は11℃で寒かったんですが、その後気温はぐんぐん上がり、22℃まで達し、

結局昼の時間帯はずっとクーラーつけてました。

12:30 第一航空学校跡地 

ここに最初にお邪魔した当時、オイラは「飛行場というのは陸地にある」と思い込んでいました。

ところがその後、今まで大変な勘違いをしていたことに気が付き、撮り直しとなったのでしたm(_ _)m

13:30 白戸飛行機教習所跡地 

ここは長いこと場所特定できなかったんですが、なんと大正10年の地図にちゃんと出てましたΣ(゚Д゚;)

ここも第一航空学校と同じく干潟の飛行場。

十分な明るさで撮れるのは、あと3時間くらい。

時間に余裕があれば茂原に行きたかったけど、股関節も痛くて辛いので戻り始めることに。

15:13 印旛飛行場跡地 

ここも以前お邪魔したんですが、その後碑の隣に飛行場の図を含む説明版が設置されたのと、

やっと無蓋掩体壕の位置が特定できたのでした。

ここは広々とした緑豊かな公園です。

園内には大木が多くて、時間帯のせいか人はほとんどおらず、葉擦れの音に支配されていました。

無蓋掩体壕も無事撮影。

最後にやっと飛行場らしいものが撮れました。


DSC_0064_00001.jpgDSC_0067_00001.jpg


17:15 八潮市の珍来にて麻婆丼を食す。

ここ、実は3週間前にも仕事で川口に来たついでに寄ったばかり。

このところリモートばかりで1年間全然行かなかったりするので、

来れる時に寄っとこう。という感じでまた食べたのでした。

20:00 自宅着

車を降りると、眩しいほどの月明り。

そういえばラジオで「今夜はハンターズムーン」とか言ってたっけ。

確かに狩れそうな明るさでした。

ということで、日帰りで東京、千葉を回ったのでした。

せせらぎと葉擦れと月明り。

久々のドライブで良いリフレッシュができた1日となったのでした。


(おしまい)

本日の走行距離:270.8km

コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
メッセージを送る