なかうみスカイポート [├国内の空港、飛行場]
2023年12月訪問
島根県松江市 中海西岸にある「なかうみスカイポート」。
山陰中央新報2017年2月4日付によれば、
松江市は中海振興の一環で水陸両用機の飛行場を整備、せとうちSEAPLANESを誘致する計画であるとしました。
2018年春の運用開始を見込んでおり、飛行場としてだけでなく、サイクルステーションの併設、
水上スポーツや野鳥観察の拠点施設としても活用する計画でした。
残念ながらその後せとうちSEAPLANESはなくなってしまいましたが、
松江市のサイト:なかうみスカイポート(松江市中海振興多目的施設)■
松江市観光協会/なかうみスカイポート■
では、現在でも水陸両用機運用可能な施設であると謳っています。
斜路
浮き桟橋
サイクリングスタンド
無料双眼鏡
駐機場
島根県・なかうみスカイポート
なかうみスカイポート データ
占用者:松江市長
種 別:水陸両用飛行場
所在地:島根県松江市上宇部尾町626
座 標:35°29'26.1"N 133°08'04.9"E
標 高:3m
占用面積:3382.62㎡
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
2016年 春以降、せとうちSEAPLANESによる調査飛行、チャーター便による遊覧飛行実施
2017年02月 3日 松江市による水陸両用機施設整備計画が明らかに。2018年春の運用予定
2018年 なかうみスカイポート竣工。プレ運航開始
2019年04月 本格運航開始
2021年01月 せとうちSEAPLANES営業休止
09月 せとうちSEAPLANES清算
関連サイト:
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中国四国・2 [■旅行記]
Ⓐ道の駅 湯の川→Ⓑなかうみスカイポート→ⓒ県グライダー滑空訓練場跡地→Ⓓ松江水上機基地跡地→Ⓔ出雲空港→Ⓕ都野津町付近着陸場跡地→Ⓖ高津町付近着陸場跡地→Ⓗ石見空港→Ⓘ下ヶ原飛行場跡地→Ⓐ奥屋PA→Ⓑ来島海峡SA(車中泊) (赤マーカー:北浜防空監視哨跡)
4:30 起床
夜中に寒くて布団被ったけど、念のため持ってきた寝袋使うほどでもなかった。
布団も結局初日に使っただけで、毛布2枚で十分事足りました。
トイレのある建物に向うと、国道に面した第一駐車場は大型トラックのエンジン音が響いてました。
車中泊する方、第二駐車場お勧めですヨ。
5:25 道の駅湯の川出発。気温7℃
昨日来た道を30km引き返す。
途中セブンで弁当購入。
6:30 本日最初の見学ポイントである「なかうみスカイポート」到着。
でも優雅なのはここまで。
この後はひたすら移動と撮影を繰り返しました。
15:20 広島県の山道にて撮影終了。
計画では明るさが残ってるうちは瀬戸内海側に出て撮影を続行するつもりだったんですが、
雨脚は強まる一方でした。
天気をチェックしてみると、中国地方は今日明日共に全域雨ベース。
出発前より悪い方に振れました(;´Д⊂)
一方、四国は明日以降全域ほぼ曇りベース。
ということで、本日の撮影はここで終わりにして、このまま四国に入ることに(広島県内にあと6ヵ所残ってるけど)。
時間はあるし、のんびり下道で行こうかと思ったけど、広島市内は相変わらず渋滞が酷い。
それと、四国に入るには思ってたより遠回りになる(カーナビセットして気が付いた)。
ということで広島高速から山陽道に乗り、しまなみ海道を利用しました。
鼻血が出やすいのにマーボー大好きなオイラ。
(オイラにとっては)胃が痛くなる辛さでヒヤヒヤだったけど、店内で鼻血出さずに済みました。
辛いけど美味しかったです。
19:35 来島海峡SA着
20:15 寝る
おやすみなさい。
(続きます)
本日の走行距離:534km
再訪した場所は既存の記事に追記してあります。
県グライダー滑空訓練場跡地■
松江水上機基地跡地■
出雲空港■
石見空港■
鳥取県・皆生海軍省通信隊通信壕跡 [├場所]
2023年12月訪問
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
鳥取県米子市皆生 国道431号線から少し入った所にある「皆生海軍省通信隊通信壕跡」。
鳥取県米子市教育委員会発行の「米子市指定史跡 旧海軍美保航空隊飛行機用掩体」■
というパンフレットの中に、「米子市に残る主な戦争遺産一覧」
があり、ここに「皆生海軍省通信隊通信壕 米子市皆生5丁目 長さ 2150、幅 400、高さ 45」
と記されていました(ここで正式名称知った)。
美保基地はここから西北西約12kmにあります。
鳥取県・皆生海軍省通信隊通信壕跡
皆生海軍省通信隊通信壕 データ
設置管理者:海軍
所在地:鳥取県米子市皆生5丁目7
座 標:35°27'01.3"N 133°21'28.4"E
(座標はグーグルアースから)
関連サイト:
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鳥取県・日野川空港跡地 [├場所]
2023年12月訪問
測量年1934(昭9)(5万地形図 108-12-7 図名米子)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
鳥取県米子市内を流れる日野川。
地元サイト様情報ですが、かつてこの日野川の河川敷に「日野川空港」がありました。
サイト様によりますと、
昭和9年、日野川河川敷が100m程整地され、20日間ほど飛行機の飛来があり、
周辺から見物人があつまり、店が出る賑わいになった。
この飛来は、米子に飛行場を作るための調査飛行と思われる。
とのことでした。
昭和9年は、米子市、松江市、新潟市で国際飛行場の誘致合戦が行われた年なので、時期的にはこれと合致します。
「日野川空港」は日野川の河川敷にあった。とは言うものの、河川敷は両岸に細長く続くため、
なんとか場所を絞り込まねばなりません。
上に貼った地図はちょうど昭和9年測量のものであり、
サイト様に記されている地名からすると、当時の河川敷内で適地は、上の地図のAとBと思われます。
既に90年近く経過しており、現在とは河川敷の形が大きく異なりますね。
Aでも長さ600mあり、広さは十分なのですが、
前述の地元サイト様にて、「てっぺんまで登って(飛行機の)見学した」とされる記念碑
(紫マーカー・少し移設したらしい)との位置関係からすると、Bの可能性が高いように思います。
Bは少し屈曲しますが、最大で1,300mx220mの広さがあります。
赤マーカー地点。
青マーカー地点。
個人的にはここから奥に向っての河川敷内に滑走路が設けられたと思うのですが…
鳥取県・日野川空港跡地
日野川空港 データ
種 別:調査用仮設飛行場?
所在地:鳥取県米子市古豊千?
座 標:35°24'51.4"N 133°22'08.7"E?
標 高:13m?
飛行地区:約100m
方 位:15/33?
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1934年 20日間ほど飛来あり
関連サイト:
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鳥取県・YS-11の胴体跡地 [├場所]
2023年12月訪問
撮影年月日2021/06/01(令3)(CCG20211 C5 21)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
鳥取空港の滑走路西端すぐ近くに長いことYS-11の胴体が置いてありました。
【鳥取県 YS-11】等で検索すると、多数の記事がヒットします。
…が、オイラがお邪魔した2023年12月には、キレイさっぱり無くなっていました。
(少なくとも2023年3月まではココにあったらしい)
一足遅かった!! つД`)・゚・。・゚゚・*:.。
ではなぜここにYSの胴体があったかというと、事故を起こして廃棄となったのでした。
事故調から133Pの調査報告書が出ており、閲覧できます■
事故について一言でまとめると、「離陸時に機首上げができずオーバーランしてしまった」ということです。
調査報告書にザっと目を通してみたのですが、
おおよそ次のようなことでした(詳しくは直接報告書をご覧ください)。
■事故の概要
事故が発生したのは、昭和63年(1988年)1月10日。
事故機は美保飛行場発 大阪国際空港行き 東亜国内航空670便のYS-11型機(JA8662)でした。
胴体は永く鳥取空港近くに置かれていたのですが、事故が起きたのは、美保飛行場(米子空港)だったんですね。
同機は9時34分、美保飛行場R/W25から離陸滑走開始したのですが、
V₂コール後も機首上げができず、R/W07側過走帯の末端からオーバーランし、中海に突入してしまいました。
この事故で乗客8名が軽傷、機体は中破しました。
なぜ機首上げができなかったのか。
V₂コールの後、操縦輪を握っていた副操縦士の「重いなぁ」という音声が記録されています。
操縦輪を引き、機首上げ操作をしたにもかかわらず、機首は上がりませんでした。
直ちに離陸断念操作に移ったものの、機体は滑走路内で止まりきれず、中海に突入してしまいました。
■なぜ機首は上がらなかったのか
ではなぜ機首上げ操作をしたのに、機首は上がらなかったのでしょうか。
結論から言うと、当時の気象状況からくる昇降陀の動作不良でした。
事故発生当時、YS-11は就航から20余年経過していたのですが、
実はYS-11型機、寒冷時の運航中に今回の事故と類似した昇降陀の異常事例が十数軒報告されています。
異常事例のうち12件は、今回の事故と同様に離陸滑走時に発生しています。
異常事例発生時に共通していたのは、
・10月~2月で冬期がほとんど
・空港の気象状況は、しゅう雪(止み間のある雪、みぞれ混じりも含む)又は降雪後の曇り
・全天が雲に覆われている状況
・雪質:湿り雪
・気温:1℃~-2℃
というものでした。
全ての事例を通じ、エプロンでの飛行前点検、及び離陸滑走直前のコントロール・チェックでは、
昇降陀は正常に作動していました。
ところが、離陸滑走の終期に近い速度付近で、昇降舵作動に異常を認知しています。
(操縦士は、「昇降陀が重い」「動かない」「動きが悪い」「効きが悪い」等表現している)
そして離陸を中止してエプロンに引き返す途中、及び、エプロンでのチェックでは、
昇降陀の作動は、正常な状態に回復しています。
直前まで正常に動作していたのに、肝心の機首上げの時だけ動作不良を起こし、
すぐまた正常に戻る。
不思議ですね。
まるでワイエスが「離陸したくない」という意志を持っているかのようです。
事故調では、他機種を含めて、同種事例についての照会をICAO、NTSB、FAA、NASAに行ったのですが、
いずれも資料には記載されていないとの回答でした。
今回の事故に話を戻します。
事故当時は気温1℃ 露点温度-1℃。
天候は弱いしゅう雪(止み間のある雪)で、滑走路面はウエット。
8時の時点で、R/W07側、滑走路中央に積雪なし、R/W25側の滑走路には1mmのスラッシュがありました。
事故報告書にはこの「スラッシュ」という言葉が度々登場するのですが、
同報告書内で「水分を含んでいる雪で、踏みつけたり蹴ったりするとハネが上がる状態の雪」(9コマ)
と説明しています。
出発前の整備士、機長によるエプロンでの点検の時点では、主翼上、水平尾翼上に明らかな積雪はなく、
防氷作業は実施されませんでした。
離陸開始約9秒前に実施したコントロール・チェックでも特に異常はなし。
ところが、Vʀで機首引き起こし操作を行ったものの、エレベータ・コントロールが重くて動きません。
V2に達しても機首上げが困難であったため、離陸断念操作に入ったと推定されています。
後に行われた凍結に関する模擬風洞試験の結果から同報告書内では、
水平安定板には水、スラッシュが付着していたと考えられ、
地上走行時(約3分間)、そして特に離陸滑走時(約24秒間)、プロペラ後流の影響もあり、
水、スラッシュの一部で凍結、氷着が進行したと考えられる。
水平安定板、昇降舵、タブ表面にこれらの現象が起ると、
操舵力の増大、気流の乱れ、ヒンジ部の固着の可能性がある。
と結論されています。
■なぜ止まれなかったのか
事故機は離陸滑走開始から約370mの地点でV₁、470mの地点でV₂がコールされ、
600mのちょい手前からはタイヤ痕跡が付き始めています。
現在は2,500mなのですが、当時の滑走路は1,500mで、更に60mの過走帯がありました。
つまり事故機は、滑走路長の半分に満たないところからブレーキをかけ始め、
そこから滑走路の残り900m、更に60mの過走帯を減速に費やしても止まりきれず、
そのまま中海に突入してしまったことになります。
このため、YS-11型機の離陸断念時の特性に関する資料を得る目的で、
秋田空港にて実機による飛行試験を実施しています。
秋田空港での実機による試験の際、
離陸断念時、スロットル・レバーを全開位置から全閉位置へ操作するのに要した時間の平均値は、
3.6秒(最短1.6秒~最長4.8秒)でした。
これは、スロットル・レバーを急激に絞った場合のエンジン・ガスタービン温度の急激な上昇を危惧して、
計器を注視しながら操作を行う必要があるためです。
これ以外にも、ターボプロップ機特有の問題があり、素早い減速はなかなか難しい事情があります。
このため報告書では、
滑走路内に停止できなかったことについては、離陸断念時の速度が大きかったこと並びに滑走路面にスラッシュがあったこと、主脚分担重量が小さかったこと等によるブレーキ効果の現象があったことの関与が考えられる。
とあります。
他の記述も総合すると要するに、操縦士の操作(スロットル全閉、ブレーキ)は適切であったと思われ、
この条件下では、止まりきれなかったのはやむを得なかったと考えられる。
と結論されています。
車みたいに、「危ない!!」と思ったら即ブレーキペダルに踏みかえ。とはいかないんですね。
■事故後に講じられた措置
運輸省航空局は定期運航各社に対し、
運航、整備関係の諸規定の遵守の徹底を図る等、万全を期するべきであるとの通達しました。
東亜国内航空の行った改善措置は、
冬期運航時の安全確保に関して運行、整備関係者に対し注意喚起の実施
メンテナンスマニュアル「航空機の某除雪・防除氷・防除霜」の一部改訂、作業を行う気象条件等を明確化
またこれと関連して、「水平尾翼の防氷措置」の発行、「航空機の防除雪氷について」の一部改訂
昇降舵タブ・ヒンジ部の凍結防止のためのグリース塗布の項を追加
フライト・コントロールの離陸前点検の方法を明確化
等がありました。
YS-11は北海道でも普通に飛び回っていました。
冬の道内といえば、-10℃、-20℃は当たり前。
事故機だって、当日上空10,000ft、-20℃を降下し、米子空港に着陸しています。
そんな低温と比べたら、1℃なんて余裕っしょ。
報告書を読みながらそんなことを考えていたんですが、
昇降陀の動作には影響を及ぼすはずのない水とスラッシュが、
地上走行、プロペラ後流が当たるという条件変化で、
たちまち凍結して重大事故の原因になってしまったのでした。
これが粉雪だったら簡単に吹き飛ばされるでしょうし、
この微妙な雪質と気温が曲者だったんですね。
■まとめ
「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」という神サイト様に当機についての記事があり■
事故当時、解体、船具店の事務所等に使用していた当時の非常に貴重な写真が掲載されています。
また、頭部は川崎市にある「電車とバスの博物館」に展示されています。
タキシング中のヒコーキが動翼をパタパタさせるのは、空港では当たり前に見る光景ですが、
こんな事故例があったのだと知ると、決して疎かにはできない重要なチェックなんですね。
実機を使って試験をしたり、風洞実験をしたり、これが製造者(国)の責任ということなんでしょうか。
事故調から調査報告書が出たのは、事故発生から9ヵ月後のことでした。
報告書全体を通して、当時の状況、物証の収集と分析、再現実験、専門家からの意見収集等、
丹念な調査、考察が多岐にわたって実施されており、これだけの期間を要したのも納得です。
あらゆる可能性を1つ1つ検証してゆくため、報告書が出るまで数年かかることもあるのだとか。
こうやってキチンと事故原因の究明と対策を決める方がいて、
その対策を日々実践する方がいて、そんな積み重ねの上に今があるのですね。
鳥取県・YS-11の胴体跡地
YS-11の胴体 データ
所在地:鳥取県鳥取市伏野
座 標:35°31'39.2"N 134°08'58.6"E
(座標はグーグルアースから)
沿革
1988年01月 10日 事故発生
1989年02月 10日 抹消登録、解体。その後胴体は鳥取空港近くに置かれる
2023年12月 消えていた
関連サイト:
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中国四国・1 [■旅行記]
Ⓐ自宅→Ⓑ清水PA→ⓒ湾岸長島PA→Ⓓ宝塚北SA→Ⓔ但馬空港→Ⓕ鳥取空港→Ⓖ鳥取飛行場跡地→ⒽYS-11胴体跡地→Ⓘ日野川空港跡地(推定位置)→Ⓐ皆生海軍省通信隊通信壕跡→Ⓑ米子発電施設(通信器材格納壕)跡→ⓒ掩体壕跡→Ⓓ弾薬庫跡→Ⓔ美保基地南地区展示場→Ⓕ米子空港→Ⓖ(車中泊)
2023年12月中旬、中国四国を周ってきたのでした。
3:00 自宅発 気温12℃
本日は順調順調♪
…と思ったら、数百メートル走ったところで布団と毛布積むのを忘れてたΣ(゚Д゚;)
この時期布団無しで車中泊したら死ぬ。
車中泊で出掛けるようになった初期に荷物のチェックリスト作って、以来ずっと使ってたんですが、
慣れるに従っていろいろ追加したり削除したりで、すっかりぐちゃぐちゃになったので、今回作り直しました。
その際、「いくらなんでもこれは忘れないだろう」と、【寝具類】を削除してあったのでした。
アホがおる(///∇///)
まっさらなチェックリストに赤ペンで「ふとん・まくら」と追加(〃__)σ
3:12 気を取り直して再出発。
最寄りのETCゲートを無事4時前に通過し、兵庫県の但馬空港を目指したのでした(ここだけ中国じゃないけど)。
11:00 但馬空港到着。
YS-11は元気にしてました。
本日は水曜日なんですが、山陰地方には次の日曜日に大雪の予報が出ていて、
道中そこここでスタンバイする除雪車、冬タイヤの装備を促す表示を目にしました。
本日見学したポイントの1つ、米子発電施設(通信器材格納壕)跡でのことなんですが、
ここは畑の奥に跡地があって、道路から撮るしかないなあ。と思っていたのですが、
丁度畑にお母さんがおられました。
デジイチ持参で突如真っ直ぐ向かってくる怪しげな風体に、お母さんは一瞬でいろいろと察したようで、
「こっちからの方が入口がよく見えるから」「このへんは他にもいろいろあるけど、ここのは大きいよ」
と畑の中に入れてくれたのでした。
ありがとうございますありがとうございますヽ( ゚∀゚)ノ
16:40 米子空港の見学終了。
この時期の鳥取の日の入りは17時前で、次の見学ポイントは15km先。
確実に日没後だし、周辺には他にもまだポイントがあるので、今日はここまで。
日中はそんなに寒くなかったけど、日が落ちてから一気に気温が下がりました。
まだ時間があるので、図書館に資料探しに行こう。
スマホで調べたら、県立図書館は本日休館日(;´Д⊂)
最寄りの市立図書館へ。
…特に収穫無し。
18:10 給油。
車中泊しようと道の駅を探したら、周辺にいくつかあるので、早速スマホで口コミをリサーチ。
最近は車中泊目線で道の駅の評価をしてるサイト様が多くて非常に助かってますm(_ _)m
その結果、最寄りの道の駅は駐車場が狭くて、大通りに面しているのでうるさいらしい。
次の道の駅は、なんと「車中泊禁止」を謳ってる。とのことでした(@Д@)
個人的に、利用しようとした道の駅が「車中泊禁止」でパスするのは初めてです。
そして更に先にある道の駅は、非常に高評価。
ココは2012年に利用しことのあるので、どんな素晴らしいか知ってる。
次の見学ポイントを30km以上通り越した先にある道の駅だけど、安眠には代えられない。
ということで、
19:10 道の駅 湯の川到着。
すっかり施設の営業は終了してるけど、トイレのある館内は暖房が効いててあったかい。
ちょっとこの館内で寝たくなる。
20:00 寝る(車内で)。
おやすみなさい。
本日の走行距離:907km
再訪した場所は既存の記事に追記してあります。
但馬空港■
鳥取空港■
鳥取飛行場跡地■
米子発電施設(通信器材格納壕)跡■
掩体壕跡■
弾薬庫跡■
美保基地南地区展示場■
米子空港■
(続きます)
名古屋・3 [■旅行記]
昼食:名物味噌煮込みうどんの店に連れてってもらいました。
味噌煮込みうどんの麺は普通に注文すると、ビックリするほど硬いのだそうで、
「よく茹ででお願いします」と注文したら、
「ウチは茹でません。蒸すんです」とのことで、「よく蒸し」でお願いしましたΣ(゚Д゚;)
「3回食べないと良さが分からない。3回食べると中毒になる」
とのことだったのですが、見た目の塩辛そうさ(日本語)にビビったものの見た目ほどではなく、
カツオ出汁が効いてて、非常に美味しかったです。
昼食後、店先にてお別れ。
14時頃、埼玉を目指したのでした。
日曜日の夕方の上り線ということで、東京に近づくにつれ渋滞発生。
今回は燃費が24.6km/Lと、非常に悪かったです。
大人3名乗車、荷物満載だったのと、もしかしたら新東名でキッチリ120km/h出したのが響いたのかも。
昨夏父が亡くなった後、母が急に、
「名古屋の娘の所に行きたい」と言い出したことから今回の旅行が実現したのですが、
名古屋行きの相談/準備段階から、
「すぐにでも沖縄行きたい」「北海道にもお花(あの紫の花のことか?)見に行きたい」
と言い始め、母親は完全に出不精だと思っていた我々子ども一同ビックリだったのでした。
年々体力が落ちているのと、病気の心配があるため、ポイポイ気軽に出かけられないのですが、
あと何回くらい一緒に行けるかしらん。
(おしまい)
総走行距離:761.0km
燃費:24.6km/L
名古屋・2 [■旅行記]
昨晩5分くらい仮眠でのつもりで19時にふとんに入って、はっと気が付いたら午前2時Σ(゚Д゚;)ハッ
酒飲み過ぎで喉カラカラ(XДX)
なんか目が冴えて、マンガ、インターネットコーナーで水分補給しつつ、2時間ほど遊んでしまう。
そして二度寝。
アニキは都合5回も温泉に入ったらしい。
11時過ぎ、チェックアウトを済ませ、名古屋の妹夫婦の自宅に移動。
13時頃到着。
朝食が8時からとゆっくりだったのと、バイキング形式で全員たらふく食べたので
(鶏ちゃんが死ぬほど旨かった)、「昼食はかるく寿がきやにしようか~」とか言ってたけど、
誰一人としてお腹空かない。
一息ついて後、みんなでアピタにお土産、明日の朝食の買い出しに行くことに。
やっぱり関東とは微妙に品ぞろえが違う。
デリカコーナーには多種多様な味噌味総菜が山ほど並んでる。
流石名古屋。
18時過ぎ、名古屋の居酒屋へ。
妹によれば、アニキにとってはこの居酒屋こそが今回の旅行のメインイベントだったらしい。
15時頃、さすがに小腹が減って皆でお菓子をつまんだりしたけど、
アニキは「居酒屋で美味しく飲み食いするために」と一切何も口にしなかった。
そういえば、夏の甲子園観戦の際、「スタンドで最高のビールを飲むために」と、
4時間前から水分を一切絶つような人でした(良い子はマネしないでね)。
名古屋メシを堪能しました。
たらふく飲み食いしたというのに、そしてもう遅い時間だというのに、
妹夫婦宅に戻る途中、セブンですれぞれ好きなスイーツ買って、家で二次会(良い子はマネしないでね)。
そして寝る。
(続きます)
名古屋・1 [■旅行記]
名古屋と言いつつ、初日の本日は岐阜県の恵那峡で合流して遊覧船に乗って、ホテル泊です。
八ヶ岳PAで昼食。
その後恵那峡で無事合流して遊覧船乗り場へ。
1時間に1便なのですが、ちょうど我々の手前で満席になってしまい、
30分後に臨時便を出して貰えることに。
例年だと恵那峡は紅葉のタイミングドンピシャの時期だったのですが、
今年は紅葉が少し遅れているようでした。残念
プロペラ船もあるのですが、我々が乗ったのはお値段1億円のウオータージェット船でした。
いすゞって船のエンジンも作ってるんですね。
「バス2台分の馬力」とのことでした。
「あのコは最近来るようになって~」と鳥の個体の最新動向まで把握されてましたΣ(゚Д゚;)
実は今日明日共に4~7℃と寒い上に天気が悪くて、予報がコロコロ変わり、
遊覧船に乗るのは2日目の朝にしようか。とかいろいろ考えてたんですが、
結局雨に降られることはほぼなく済みました。
遊覧船乗り場から歩いてすぐのホテルに移動。
チェックインを済ませ、ルームキーを受け取ると、夕食の時間まであと25分ほど。
部屋に移動してゆっくりするか~と思っていたら、酒と鉄道、そして温泉をこよなく愛するアニキから
「早く温泉行こう温泉ヽ( ゚∀゚)ノ」と矢のような催促。
散歩に行きたくて行きたくて、リード引っ張る犬みたい。
ということで夕食前にササッと入ることにしたのですが、お湯をかぶった途端、大量の鼻血が(☆Д☆)
子どもの頃から鼻血で、今やすっかり鼻血マイスターのオイラは、危険日と安全日をなんとなく把握しています。
今日は出ないはずだったので完全に油断してました(危険日はそもそも公衆浴場入らない)。
以前洗い場で血の川を流すというバイオテロで大変な迷惑をかけた前科アリのオイラ。
今日は客がまばらだったのと、足元に排水されるので助かりました。
洗い場でじっとしてるオイラを尻目に、アニキは身体を洗ってお湯に入ったのですが、まだ止まらないつД`)
「先に出てるから」と不思議そうに声を掛けられる頃、やっと止まったのでした(後ですごいいじられた)。
せっかくなので、ちょっとだけ湯につかり、それから大急ぎでレストランに直行。
5分遅刻しました。
たらふくご馳走を堪能し、アルコールを摂取し、自室に戻ったのが19時頃。
猛烈な眠気に襲われ、ちょっと仮眠をとろうと布団に入ったのでした。
(続きます)
飲んだ日 [■ブログ]
ということで、3日間近畿を周った翌日の午後、飲み仲間と隣町の川越市に繰り出したのでした(o ̄∇ ̄o)フフ
川越市では"COEDOビール"というクラフトビールを作ってまして、
こちらのオシャレなお店ではオシャレなイタリアンと一緒にCOEDOビールを飲むことができます。
…と、知ったように書きましたが、こんな店があったなんて今まで全く知りませんでした。
COEDOビールにはいくつか種類があるので、別々のものを頼んで回し飲みシェアしました。
COEDOビールって飲むのも初めてだったんですが、色も香りも味もみんな個性的でした。
まあ~オシャレなお店でした。
オイラ1人じゃ絶対入れない。
1時間程飲んでで河岸を変えることに。
次はどの店に入ろうかと駅前の商店街をぶらつき、途中の百貨店で北海道展やってたのでお買い物。
次に入ったのがこちら。
大衆寿司屋? という雰囲気。
大勢の常連っぽいお客さんたちで和気あいあいとした賑やかな雰囲気でした。
こんなとこ初めて入った。
オイラ一人じゃ絶対(以下省略)
ラスト3件目。
「おでん食べ放題の店を予約しといたから」
ってことだったので、大根は外せないよね~。いややっぱり卵でしょ~とか言いながら楽しみにしてたのに、
実際に入ってみたら、先月妹弟と来た肉とチーズ料理のがメインの店でした(@Д@)
そしてサービスクーポンで出てきたのが、上の写真。
なんかもうよくわかんない(XДX)
それはともかく、
三日間見知らぬ土地で防御/臨戦態勢を維持し続けてた後だったので、
気心の知れた仲間との語らいは格別だったのでした。
おしまい。