朝鮮・済州島飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]
2024年10月 記事作成
大韓民国済州島北部にある済州国際空港。
ここはかつて日本陸軍の「済州島飛行場」でした。
■「陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)」13コマに済州飛行場滑走路のレイアウト図が出ており、
先頭のグーグルマップはここから作図しました(戦史史料・戦史叢書検索で閲覧できます)。
現在の済州国際空港の滑走路レイアウトと同じなので、重ねただけですけどね。
当飛行場の位置を図示した史料は非常に限られていて、オイラが見つけたのは上に貼った図と、
■「第五航空軍展開配置要図」(昭和二十年六月ごろにおける)■
の2点のみでした。
前記事の海軍「済州島航空基地」は、済州島の右下の先っちょに位置しているのに対し、
これら2つの図は、どちらも島の中央北(現・済州国際空港の位置)に井桁マークが描かれており、
小さな島ですが陸軍も海軍もかなりの規模の飛行場を建設しています。
この島が戦略上如何に重要であったか分かりますね。
因みに上に貼った図は本土決戦の際、朝鮮に展開する日本陸軍機の闘い方を記した、
「第五航空軍決號作戦計画の大綱」と題する史料の一部です。
潭陽飛行場記事でも書きましたが、日本軍は米軍が朝鮮半島に攻めてくるとしたら、
済州島か群山に来ると予想していました。
図の上が見切れていますが、一番上には「飛行部隊展開配置(済州作戦時)」と記されていて、
この図が、米軍が済州島に上陸作戦を仕掛けてくるケースを想定したものであることを示しています。
群山飛行場、潭陽飛行場、木浦飛行場と共に、済州島飛行場も含めて"53FBK"と記されており、
済州島に上陸作戦を仕掛けられた場合、
陸軍としてはこの4飛行場が連携して米軍に相対する計画であることが分かります。
このように、「位置をちゃんと図示した資料」は2点しか見つけることができず、
アジ歴で【済州島 陸軍飛行場】と検索しても、まったくヒットしません。
それでも、国立国会図書館デジタルコレクションで【済州島 陸軍飛行場】と検索すると、534件ヒットし、
少なくとも「済州島に陸軍が飛行場を建設した」「済州島に陸軍戦闘機部隊があった」
という記述は、当時の陸軍兵士の手記を含め、いくらでも出てきます。
日本語版Wiki/済州国際空港には日本軍との関連は含まれていないのですが、
韓国語版Wiki/제주국제공항(済州国際空港)の方には、
「歴史 1940年代に日本が太平洋戦争を起こしながら作った滑走路を空港として活用し、」
と短く記されています(Googie翻訳・以下同様)。
【제주국제공항 일본 육군】(済州国際空港 日本陸軍)で検索すると、
前記事の海軍「済州島航空基地」に引っ張られる記事もあるのですが、
「済州国際空港は、元々日本陸軍が建設した飛行場である」
と記したハングルのサイト様はいくらでも見つかります。
例えばその中の1つにはこうあります■
「陸軍が初めて建設した飛行場、言い換えれば済州に2番目に建設された飛行場はチョントルビ行場だ。滑走路は1千800m×300mと1千500m×200mの2つだった。 1942年1月に設置されたと知られているこの飛行場は現在済州国際空港に発展した。」
現在の済州国際空港と日本陸軍との関りを記したサイト様は、
「滑走路は1,800mx300m、1,500mx200mの2本であった」とするものが多く、
「日本陸軍は済州島に更に別の飛行場も建設した」という、非常に気になる情報を記したものも多数あります。
これについては次の記事で。
済州国際空港
朝鮮・済州島飛行場跡地
(1)済州島飛行場(推定) データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
座 標:33°30'41.2"N 126°29'37.7"E?
標 高:22m?
滑走路:1,800mx300m(13/31)、1,500mx200m(07/25)?
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さはネット記事から)
(2)済州国際空港(現在) データ
運営者:韓国空港公社、韓国海軍
種 別:軍民共用
3レター:CJU
4レター:RKPC
所在地:大韓民国済州特別自治道済州市空港路2
座 標:33°30'41"N 126°29'35"E
標 高:36m
滑走路:3,000mx45m(07/25)、1,910mx45m(13/31)
(主に韓国語版Wiki/제주국제공항(済州国際空港)から)
沿革
1942年1月 設置(地元サイト等から)
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)
第五航空軍展開配置要図」(昭和二十年六月ごろにおける)
朝鮮・済州島航空基地跡地 [└日本統治時代の飛行場]
2024年9月 記事作成
「済州島航空基地」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08010529900、鎮海警備府 引渡目録 3/3 (防衛省防衛研究所)(4枚とも)
広々とした畑地、草原の広がるこの場所は、かつて日本海軍の「済州島航空基地」でした。
そのスジでは有名な、海軍式有蓋掩体壕がそこら中に点在する済州島のあの場所です。
戦時中、飛行場は地元で「アルトゥル(下の原野)飛行場」と呼ばれていたのですが、
戦後接収を経て現在は韓国空軍所管の臨時滑走路になっています。
そのため「アルトゥル飛行場」という名称は現在でもグーグルマップで普通に使われています。
先頭のグーグルマップは、上に貼ったアジ歴の「済州島基地施設位置図」(以下・図)から作図しました。
図からレイヤを作って、グーグルマップに重ねてみると、
当時の誘導路が現在もほぼそのまま道路として使用されていたり、
格納庫のあった方形の地割がそのまま残っていたりと、驚くほど当時の痕跡が残ってました。
但し、図の掩体壕と誘導路の描き方が割とアバウトで、
現存する掩体壕の位置に合わせて、誘導路の形を調整してあります。
無蓋掩体壕は(オイラが見た限りでは)1つも残っておらず、どんな形状だったか不明のため、
中国 安慶市に建設された日本陸軍「安慶飛行場」の無蓋掩体壕の設計図■
から、26mx25.5mとして作図しました(かなりフリーハンドですけど)。
それから有蓋掩体壕につきましては、図には20基描かれており、
Wiki/アルトゥル飛行場や地元サイト様等には「20基のうち19が現存」とあるのですが、
グーグルマップで探した限り、オイラは17基しか見つけられませんでした。
グーグルアースで当地は2008年撮影の画像までさかのぼって閲覧可能なのですが、
2008年撮影の画像で探しても、あったはずの場所周辺にそれらしき形はありませんでした。
(グーグルマップの作図でその3基には(推定位置)と注釈してあります)
■昭和8年~
地元サイト様等ネット情報によれば、当航空基地は1930年代初期に建設が始まったとあります。
(日本軍の飛行場としては)古くからあった部類ですね。
最初からこの規模の飛行場だったのではなく、
オイラの知る限り二度の拡張を経てグーグルマップの形になりました。
アジ歴に関連資料が残っていました。
「官房第3537号 8.8.1 土地買入の件 濟州島飛行機不時着陸場」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05023170400、公文備考 K巻11 土木建築 海軍大臣官房記録 昭和8(防衛省防衛研究所)(以下3枚とも)
昭和8年、佐世保鎮守府から海軍大臣宛
用途:済州島飛行機不時着陸場用
数量:60,242坪、199,147㎡
価格:10,843.56円
マル秘マークの入った海軍大臣宛の資料なんですが、こんな遊び心? が入る余地があったんですね。
余談ですが軍作成の史料を見ていると、当時の書類は手書きの割合が多くその筆跡は様々で、
オイラにゃ判読不能なほど流麗な草書体から、如何にも左利きだったり、丸文字の元祖だったり実に様々です。
この切り取り方、なんか陸軍ぽいような…
上の「実測図」をグーグルマップに落すとこんな感じ(赤枠部分)。
ここから始まったのですね。
■昭和12年~
「第2373号 12.7.1 土地買入の件 朝鮮全羅南道済州島大静面」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05111121000、公文備考 昭和12年 K 土地建築 巻9(防衛省防衛研究所)(2枚とも)
「土地購入ノ件報告」
昭和12年、佐世保鎮守府から海軍大臣宛
用途:済州島着陸場増設敷地用
数量:147,257坪 486,800㎡
価格:27,582.770円
最初に買収した土地と比較すると、面積で2.44倍、価格は2.54倍なので、土地単価が僅かに上ってます。
昭和8年の最初の買収時は「済州島飛行機不時着陸場」でしたが、今回は「済州島着陸場」になっています。
広くなってちょっと昇格したんでしょうか。
それと、口座名が「済州島避難場」になっているのは、防諜目的なんでしょうか。
「在来着陸場」の南側が拡張したんですね。
この後更に土地買収を経て黄色い作図の範囲まで拡大したはずなのですが、
残念ながら、これ以降の土地買収関連史料は見つかりませんでした。
但し、戦史史料・戦史叢書検索で【済州島】と検索すると、
■⑤航空部隊-航空基地-87_2 済州島航空基地位置図 (20-5-1現在)
という史料があり、上のグーグルマップの黄色のシェイプの形が描かれていて、
「拡張地域(昭和二十年)」とありました。
昭和12年の段階で正方形と長四角を重ねたような形状の飛行場として計画され、
その後戦局が悪化して空襲への対応が迫られたため、敷地の東西に掩体壕、誘導路を建設するため、
昭和二十年に拡張した―
というところでしょうか。
地下施設、隧道も随分と建設されたようです。
■アジ歴グロッサリー/第58軍(砦)には一部こうありました。
「日本は韓国を併合した後、済州島を海軍佐世保鎮守府の管轄に入れ、「満州事変」、「北支事変」を通して済州島の航空基地化を進めていた」
「蘇州攻撃戦闘詳報 木更津海軍航空隊 昭和12年8月16日/附表第2 行動図及爆撃合戦図」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120384900、木更津海軍航空隊戦斗概(詳)報 昭和12.8~12.10(防衛省防衛研究所)戦斗概(詳)報 昭和12.8~12.10(防衛省防衛研究所)
木更津海軍航空隊が済州島着陸場から蘇州攻撃を実施したことを示す図。
アジ歴で【済州島航空基地】で検索すると、
昭和12年に実施した済州島から中国大陸を渡洋攻撃した資料がいくつもヒットします。
上に貼ったのは済州島往復ですが、
大村基地を発進して中国(南京等)を空襲→済州島に着陸。というパターンもありました。
このように、済州島着陸場は中国大陸攻撃の前線基地として使用されていたのですが、
後に上海等に橋頭保を確保すると、中国沿岸の飛行場から直接出撃するようになったようです。
■終戦まで
戦史史料・戦史叢書検索で【済州島】と検索すると、
■「鎮海警備管区 作戦施設工事現状報告 昭和20.3.20 件名 濟州島海軍航空隊」
という史料が見つかりました(無断転載不可のため、興味のある方は検索してみてください)。
この史料は済州島航空基地の工事進行表で、
掩体壕、誘導路から浴場、便所まで、ずらりと工事項目が並んでいます。
特に掩体壕関連を抜き出しますと、
零戦用有蓋掩体 11月1ヵ月間で6棟、同じく12月1ヵ月間で14棟
中攻用有蓋掩体 翌年4月~8月いっぱいで10棟
艦攻用無蓋掩体 翌年7月下旬~9月いっぱいで10棟
零戦 無蓋掩体 翌年7月下旬~9月いっぱいで12棟
となっていました。
後述しますが、引渡し目録には有蓋掩体壕数:20とあります。
済州島航空基地の有蓋掩体壕は20基と様々なサイト様で記されていますが、
更に中攻用有蓋掩体10棟の計画があったのですね。
また無蓋掩体は、10+12で22基が計画されていましたが、引渡し目録の図では、
21しか確認できませんでした。
オイラが見落としてるのか…
先頭のグーグルマップの作図に使用した図の全体図。
北側にも基地施設が続いており、かなり広大な基地であったことがわかりますね。
実はこの図、引渡目録の一部でして、
「済州島飛行機不時着陸場」→「済州島着陸場」ときて、ここでやっと「済州島航空基地」になりました。
飛行場の項目に、「一,二〇〇〇〇〇平米」(≒120ha)とありますね。
図では、南北方向の滑走路の東側が広く空いていて、中央に「飛行場」と記されています。
図に従って「飛行場」の範囲と思しき部分を囲ってみたら、104haでした(先頭のグーグルマップ水色のシェイプ)。
これよりもうちょい広かったんですね。
因みにこの引渡し目録にはもっと詳しい表もあり、そこには済州島航空基地の土地:220haとありました。
また、「掩体 20個 85万円」とありました。
単純に割ると、小型有蓋掩体壕1基:42,500円ということになるんですが、高いのか安いのか…
■戦後~現在
Wiki/アルトゥル飛行場 によれば、
戦後は米軍に接収され、「朝鮮戦争時にはK-40済州第二空軍基地としてアメリカ空軍は使用」とあります。
その後韓国空軍の所管となり現在に至ります。
赤マーカー地点。
日本軍当時の滑走路方向
青マーカー地点。
360°掩体壕ゴロゴロ
紫マーカー地点。
これは…映えスポットなのかしらん。
朝鮮・済州島航空基地跡地
(1)済州島飛行機不時着陸場(昭和8年土地購入) データ
設置管理者:日本海軍
種 別:不時着陸場
所在地:朝鮮全羅南道済州島大静面上摹里及下摹里(現・大韓民国済州特別自治道西帰浦市大静邑)
座 標:33°12'26.9"N 126°16'09.1"E
標 高:12m
面 積:19.9ha
飛行場:460mx430m
(座標、標高はグーグルアースから。所在地、飛行場長さ、面積はアジ歴資料から)
(2)済州島着陸場(昭和12年土地購入) データ
設置管理者:日本海軍
種 別:着陸場
所在地:朝鮮全羅南道済州島大静面(現・大韓民国済州特別自治道西帰浦市大静邑)
座 標:33°12'19.3"N 126°16'11.5"E
標 高:9m
面 積:68.6ha
飛行場:1,100mx900m(不定形)
(座標、標高はグーグルアースから。所在地、飛行場長さ、面積はアジ歴資料から)
(3)済州島航空基地(昭和20年土地購入) データ
設置管理者:日本海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:朝鮮全羅南道済州島済州邑(現・大韓民国済州特別自治道西帰浦市大静邑)
座 標:33°12'18.9"N 126°15'59.6"E
標 高:6m
面 積:120ha(飛行場部分)、220ha(航空基地)
飛行場:芝張転圧
滑走路:1,400mx70m(芝張転圧)
方 位:18/36
(座標、標高、方位はグーグルアースから。所在地、滑走路長さ、面積はアジ歴資料から)
(4)アルトゥル飛行場(現在) データ
設置管理者:韓国空軍
種 別:臨時滑走路
所在地:大韓民国済州特別自治道西帰浦市大静邑
座 標:33°12'11.7"N 126°16'19.8"E
標 高:7m
滑走路:1,300mx280m(芝張転圧)
方 位:15/33
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
沿革
1933年 土地買収
1937年 増設のため土地買収、中国大陸攻撃実施
1945年 終戦。米軍に接収される
1950年 朝鮮戦争勃発。K-40済州第二空軍基地として米軍が使用。その後韓国空軍に移管
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
アジ歴グロッサリー/第58軍(砦)
戦史史料・戦史叢書検索:⑤航空部隊-航空基地-87_2 済州島航空基地位置図 (20-5-1現在)
戦史史料・戦史叢書検索:「鎮海警備管区 作戦施設工事現状報告 昭和20.3.20 件名 濟州島海軍航空隊」
■日本統治時代の飛行場跡■ [└日本統治時代の飛行場]
千 島
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潮見飛行場跡地
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第二占守航空基地跡地
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新知島北部武露頓湾不時着場跡地
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桃園飛行場跡地
潭陽飛行場跡地(推定位置)
木浦飛行場(木浦西飛行場、木浦東飛行場)跡地
泗川飛行場跡地
晋州飛行場跡地(推定位置)
密陽飛行場跡地
海雲台飛行場(水営飛行場)跡地
済州島航空基地跡地
台北飛行場跡地
宜蘭飛行場跡地
桃園飛行場跡地
湖口陸軍演習場跡地
新竹飛行場跡地
鳳山飛行場跡地
台中(公館)飛行場跡地
台中(西屯)飛行場跡地
旧鹿港陸軍飛行場跡地
嘉義(陸軍)飛行場跡地
屏東(南)飛行場跡地
屏東(北)飛行場跡地
高雄(岡山)飛行場跡地
佳冬飛行場跡地
澎湖島(猪母水)飛行場跡地
馬公旧飛行場
台南(南)飛行場跡地
台東(北)飛行場跡地
東港水上機基地跡地
桃子園(左營)飛行場跡地
花蓮港飛行場(北)跡地
台南北(永康)飛行場
麻豆飛行場跡地
小港(西)飛行場跡地
潮州(西)飛行場跡地
恒春飛行場跡地
花蓮港新(花蓮南)飛行場跡地
淡水飛行場(水上機)跡地
埔里臨時飛行場跡地
埔里飛行場跡地
草屯飛行場跡地
北斗飛行場跡地
里港(北)飛行場跡地
小港東(大寮)飛行場跡地
卓蘭飛行場跡地
高雄(苓雅寮)水上機基地跡地
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大崗山飛行場跡地
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上大和(南)飛行場跡地
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燕巣(岡山東)飛行場跡地
大肚山飛行場跡地
宜蘭(西)飛行場跡地
大林飛行場跡地
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池上飛行場跡地
苗栗飛行場跡地
平頂山(內埔,老埤)飛行場跡地
金山飛行場跡地
苓雅寮飛行場跡地
彰化(鹿港東)飛行場跡地
台中(東)飛行場跡地
潮州東飛行場跡地
台北南(板橋)飛行場跡地
虎尾飛行場跡地
龍潭(西)飛行場跡地
紅毛飛行場跡地
林田飛行場跡地
塩水(鹽水)北飛行場跡地
塩水(南)飛行場跡地
新社飛行場跡地
桃子園水上機基地跡地
台中西(豐原西)飛行場跡地
鹽埔(新圍)飛行場跡地
台東(南)飛行場跡地
宜蘭(南)飛行場跡地
二林飛行場跡地
歸仁飛行場跡地
千島:
「陸空-本土周辺-16飛行場記録(千島の部)第1復員局」
「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」
樺太:
「陸空-本土周辺-11 飛行場記録(樺太の部) 大東亜戦争第1復員局」
「陸空-本土防空-47飛行場記録(樺太の部)第1復員局」
「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」
朝鮮:
「航空路資料第9 朝鮮地方飛行場及不時着陸場 昭和18年9月刊行」
「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
台湾:
TAIWANAIRBLOG■
盟軍記載的二戰臺灣機場■
日治下臺南永康機場的時空記憶■
「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」
「航空路資料第10 台湾地方飛行場及不時着陸場 昭和15年4月刊行 水路部」
支那:
U.S. Army Map Service, 1942-1945/China City Plans■
「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」
朝鮮・海雲台飛行場(水営飛行場)跡地 [└日本統治時代の飛行場]
2024年10月 記事作成(未訪問)
大韓民国 釜山広域市 海雲台(ヘウンデ/かいうんだい)区にあった日本陸軍の「海雲台飛行場」。
■陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)に資料があり、先頭のグーグルマップはここから作図しました。
(無断転載不可のためご覧になりたい方は、戦史史料・戦史叢書検索→キーワード入力欄に【陸軍飛行場要覧(北海道・朝鮮)】と入力→9コマ)
掩体 大一八ヶ所
収容施設 三〇〇名分
と記されていました。
■千葉清士 著『笹舟 : 自伝抄』236p(以下3点 国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
「昭和二十年に入ると戦争はいよいよ激しさを増した。桂一は国民服に巻脚絆・戦闘帽・鉄帽・ガスマスク・水筒・雑蓑姿で隣組の人々と郊外の海雲台飛行場建設に毎日のように刈り出されるようになった。」
■誰に叫ばん : 元陸軍少年飛行兵第十二期生の記録612p
「釜山府海雲台飛行場に無事到着。五、六、七月と木浦派遣隊付となり、爆弾を翼下につけ、悪天候、払暁、薄暮、夜間を問わずに船団の援護に努力した。」
■端午之群像 69p
「二十年当初、遂に懐かしの赤い夕陽の満州をあとにして5航軍(下山琢磨中将)の指揮下に入って、朝鮮・海雲台飛行場に移駐し、木浦及び済州島を前進基地として対潜警戒と、青島との中間以東の船団護衛に任じた。」
本土航空作戦記録 (文書名: Japanese Monographs = 日本軍戦史 ; Monograph No. 23) (ボックス番号: 3)■
本土決戦の際、米軍が郡山付近に上陸した想定の飛行部隊展開配置図。
飛行場も作戦に組み入れられていました。
詳しくは潭陽飛行場記事をご覧ください■
「来信綴 日本軍連絡部(4)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15010558200、「昭和20.8―10 来信綴 日本軍連絡部」(防衛省防衛研究所)
戦後の来信綴なので、米軍将校?の名前や英文が含まれるものが多いです。
朝鮮・海雲台飛行場跡地
海雲台飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:大韓民国 釜山広域市 海雲台区 水営江左岸
座 標:35°10'18.8"N 129°07'39.7"E
標 高:7m
滑走路:1,800mx300m
方 位:15/33
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さは防衛研究所資料から)
関連サイト:
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■飛行場/跡地リストA■ 北海道~関東 [├国内の空港、飛行場]
字数制限のため二分割してあります。続き■
五十音順飛行場索引■■ 場所が分からない飛行場■ 情報お待ちしておりますm(_ _)m
最終更新:2024/09/23 徳島県・日本航空輸送研究所津田川口着水場跡 追加
北海道
■道北■ (COMPLETE)
礼文空港
利尻空港
稚内空港
稚内水上基地(稚内海軍飛行場)跡地
サロベツフライトクラブ滑走路
浅茅野第一飛行場跡地
浅茅野第二飛行場跡地
名寄駐屯地滑走路
愛別飛行場(運用当時)
愛別飛行場(廃止後)
当麻滑空場
トムラウシフライトクラブ
新得(西部地区)農道離着陸場
旭川飛行場
旭川空港
美瑛滑空場
上富良野演習場飛行場
稚内不時着陸場跡地
■道東■ (COMPLETE)
紋別(オホーツク紋別)空港
旧紋別空港跡地
遠軽駐屯地滑走路
北見地区農道離着陸場(スカイポートきたみ)
旧女満別空港跡地
女満別空港
美幌航空公園
美幌第一飛行場跡地
美幌第三飛行場跡地
標津第二航空基地(川北飛行場)跡地
旧中標津空港(標津第一航空基地)跡地
中標津(根室中標津)空港
計根別第一飛行場跡地
計根別第二飛行場跡地
計根別第三飛行場跡地
計根別飛行場
計根別第五飛行場跡地
弟子屈飛行場跡地
別寒辺飛行場
矢臼別飛行場
根室航空機(花咲)不時着陸場、根室第一飛行場跡地
根室航空基地(牧ノ内/根室第二飛行場)跡地
愛国釧路飛行場跡地
釧路(たんちょう釧路)空港
フライトパーク白糠
足寄芽登飛行場
上士幌航空公園
然別演習場滑走路
帯広第二飛行場跡地
十勝飛行場
帯広緑ヶ丘飛行場跡地
音更飛行場跡地
ホープランド飛行場
豊頃(MICとよころ)飛行場(運用当時)
豊頃(MICとよころ)飛行場(廃止後)
豊頃町滑空場跡地
帯広(とかち帯広)空港
上更別飛行場跡地
北海道スペースポート(HOSPO)
広尾(小紋別、豊似)飛行場跡地
能取水上基地跡地
厚岸水上機基地跡地
厚岸飛行場跡地
北斗場外離着陸場跡地
トムラウシの飛行場
千代田滑空場跡地
中標津不時着陸場跡地
弟子屈不時着陸場跡地
■道央■ (COMPLETE)
深川市グライダー滑空場
赤平航空公園
たきかわスカイパーク
滝川駐屯地飛行場
美唄農道離着陸場(スカイポート美唄)
新篠津滑空場
UFO PARK 飛行場
孫別演習場の滑走路
北大夕張川滑空場
南幌場外離着陸場
王子江別飛行場跡地
丘珠空港(札幌第二飛行場、新札幌飛行場、札幌飛行場)
札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場跡地
札幌興農園(興農園耕地)飛行場跡地
島松演習場滑走路
北千歳駐屯地滑走路
千歳飛行場(千歳着陸場、千歳第一航空基地)
新千歳空港
千歳第二、第三飛行場跡地
日本航空学園千歳校
鯉沼スカイパーク
沼ノ端飛行場跡地
新冠飛行場
苫小牧不時着陸場跡地
雲雀ヶ丘飛行場跡地
アップルポート余市
倶知安駐屯地滑走路
大滝飛行場
白老滑空場
敷生飛行場跡地
幌別駐屯地滑走路跡地
室蘭飛行場跡地
小樽航空水上基地(小樽海軍飛行場)跡地
富浦不時着陸場跡地
室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地
シノダイ岬離着陸場跡地
苫小牧飛行場跡地
南恵庭駐屯地場外離着陸場跡地(未訪問)
■道南■ (COMPLETE)
八雲(室蘭八雲)飛行場
奥尻空港
旧奥尻空港跡地
鹿部飛行場
函館(赤川)飛行場跡地
函館空港
東 北
■青森県■ (COMPLETE)
樺山飛行場跡地
大湊航空基地
青森(油川)飛行場跡地
旧青森空港跡地
青森空港
淋代海岸滑走路跡地
三沢空港
カワヨグリーン牧場滑走路
八戸駐屯地飛行場
八戸航空基地飛行場
三本木(三沢第二)飛行場跡地
茂浦水上機基地
淋代陸軍飛行場跡地
木ノ下飛行場(木ノ下平臨時飛行場)跡地
■岩手県■ (COMPLETE)
観武ヶ原飛行場跡地
鶯宿滑空訓練所跡地
山田水上機基地跡地
花巻(いわて花巻)空港
岩手陸軍飛行場(後藤野飛行場)跡地
岩手県第二滑空訓練所跡地
金ヶ崎(高谷野原)飛行場跡地
小山(水澤)飛行場跡地
花巻の不時着陸用滑走路跡地
見前滑走路(進駐軍滑走路)跡地
■宮城県■ (COMPLETE)
瀬峰場外離着陸場(セミネ飛行場)
四壇原(高清水)飛行場跡地
王城寺原秘匿飛行場跡地
航空自衛隊松島基地(旧海軍矢本飛行場)
利府森郷場外離着陸場
霞目飛行(旧陸軍仙台飛行場、仙台第二飛行場)
青野木場外離着陸場(スカイライフ飛行場)
仙台空港(旧増田陸軍飛行場)
角田滑空場
宮城野原陸軍練兵場(仙台第一飛行場)跡地
追廻練兵場跡地
■秋田県■ (COMPLETE)
能代陸軍(東雲)飛行場跡地
ハイランド滑空場跡地
大館能代(あきた北)空港
田代菜の花飛行場
大潟場外離着陸場跡地
旧秋田空港跡地
四ツ小屋滑空場
秋田空港
稲沢場外MLP専用飛行場
六郷(明田地)飛行場跡地
土浦海軍航空隊秋田基地跡地
新屋の飛行学校跡地
後三年滑空機練習所跡地
佐藤章飛行士発着跡地
北楢岡飛行場跡地
■山形県■ (COMPLETE)
庄内空港(おいしい庄内空港)
真室川飛行場跡地
升形飛行場(滑空場)跡地
大蔵村南山の場外離着陸場
玉野原飛行場跡地
山形空港(おいしい山形空港)
日飛(漆山)飛行場跡地
むつみ飛行場
八幡原飛行場跡地
寒河江の滑空場跡地(推定位置)
■福島県■ (COMPLETE)
ふくしまスカイパーク
梁川場外離着陸場
原町陸軍飛行場跡地
磐城陸軍飛行場跡地
馬場平飛行場跡地
第二郡山航空基地(金谷飛行場)跡地
矢吹陸軍飛行場跡地
福島空港
棚倉(沢田、石川沢田)飛行場跡地
須賀川飛行場跡地
浅川航空基地跡地
第三郡山航空基地(大槻飛行場)跡地
御代田航空基地跡地
関 東
■茨城県■ (COMPLETE)
十王飛行場
河原子滑空場跡地
水戸北飛行場跡地
水戸陸軍(水戸東)飛行場跡地
水戸南(吉田)飛行場跡地
湊町海岸滑空場跡地
大洗場外離着陸場跡地
水戸フライングクラブ
百里飛行場(茨城空港)
鉾田(豊鹿島)飛行場跡地
北浦海軍航空隊跡地
神之池航空基地跡地
内閣中央航空研究所鹿島実験場跡地
軽野滑空場跡地
筑波航空基地(友部飛行場)跡地
大日本飛行協会中央滑空訓練所(石岡飛行場)跡地
石岡航空基地(東の辻飛行場)跡地
千代田場外離着陸場
古河航空機乗員養成所(岡郷/小堤/関戸の飛行場)跡地
下館ULP飛行場
関城ULP飛行場
下館飛行場跡地
明野場外離着陸場
真壁(桜川、筑波)滑空場
海老ケ島秘匿飛行場跡地
西筑波飛行場跡地
大畑秘匿飛行場跡地
大曽根飛行場跡地
谷田部航空基地跡地
霞ヶ浦海軍航空隊跡地
土浦海軍航空隊跡地
舟島水上機離着水場跡地
阿見飛行場
阿見飛行場(廃止後)
ピッコロ水上飛行場(鹿島海軍航空隊跡地)
竜ヶ崎(貝原塚)飛行場跡地
竜ヶ崎飛行場
大利根飛行場
守屋飛行場
守谷(MFOC守屋)飛行場跡地
真壁(金敷)秘匿飛行場跡地
つくば滑空場
■栃木県■ (COMPLETE)
スカイフィールドナス)
黒磯陸軍(埼玉、那須野)飛行場跡地
金丸原陸軍飛行場跡地
湯津上(佐良土)飛行場跡地
御前原飛行場跡地
今市飛行場跡地
鬼怒川(氏家)滑空場
ツインリンクもてぎ南滑走路
宇都宮場外離着陸場
宇都宮陸軍(清原/鐺山)飛行場跡地
大野原飛行場跡地
宇都宮(宇都宮南)飛行場
壬生(上長田/国谷)飛行場跡地
仁良川飛行場跡地
小山絹滑空場
藤岡(静和)飛行場跡地
スカイフィールドわたらせ離着陸場(藤岡場外離着陸場)
中禅寺湖水上機基地跡地
黒磯滑空場跡地
■群馬県■ (COMPLETE)
板倉滑空場
大西(館林エアロ、旧陸軍館林)飛行場(運用当時)
館林(大西)飛行場跡地追加
太田小泉飛行場跡地
尾島飛行場跡地
新田陸軍(生品)飛行場跡地
桐生愛国飛行場跡地
前橋(堤ヶ岡)飛行場跡地
高崎飛行場跡地
相馬原飛行場
伊勢崎場外離着陸場
坂東飛行場跡地
敷島滑空訓練所跡地
■埼玉県■ (COMPLETE)
羽生滑空場
読売加須滑空場(旧大利根滑空場)
宝珠花滑空場
妻沼グライダー滑空場
児玉飛行場跡地
三尻陸軍(稜威ケ原)飛行場跡地
小原(熊谷南)飛行場跡地
荒川河畔グライダー場跡地
関東松山飛行場跡地
東京フライングクラブ飛行場
ホンダエアポート
桶川陸軍飛行場跡地
坂戸陸軍飛行場跡地
高萩飛行場跡地
大宮の中島飛行機飛行場跡地
越谷(論田、新和、荻島)飛行場跡地
所沢飛行場跡地
入間基地(旧豊岡飛行場、修武台飛行場、ジョンソン基地)
狭山飛行場跡地
吹上飛行場
大里飛行場
浦和(埼玉第一)飛行場跡地
朝霞訓練場離着陸場跡地
川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地
■千葉県■ (COMPLETE)
下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地
香取航空基地(干潟の飛行場)跡地
横芝(栗山、横芝栗山)飛行場跡地
成田国際空港(成田空港)
下志津陸軍飛行学校八街分教場跡地
豊成(東金)飛行場跡地
関宿滑空場
蕃昌飛行場跡地
柏飛行場跡地
逓信省印旛地方航空機乗員養成所、印旛(草深)飛行場跡地
下総航空基地
松戸飛行場跡地
習志野離着陸場
船橋飛行場跡地(初代)
船橋飛行場跡地(二代目)
伊藤飛行機研究所滑走路(津田沼、伊藤飛行場)跡地
下志津飛行場跡地
稲毛飛行場跡地
白戸飛行機教習所跡地
浦安市の臨時滑走路
誉田飛行場(平川滑空場)跡地
真名(茂原)飛行場跡地
茂原海軍航空基地跡地
太東航空基地跡地
木更津飛行場
館山航空基地
県営千葉県魚群探見飛行場跡地
大利根飛行場跡地(水上機基地)
佐原飛行場跡地
五井水上基地跡地
第一航空学校跡地
川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地
大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場跡地
習志野4丁目滑走路跡地
■東京都■ (COMPLETE)
千住草加間国道秘匿滑走路跡
赤羽飛行場跡地
板橋(前野)飛行場跡地
成増陸軍飛行場跡地
成増飛行場秘匿滑走路跡地
篠崎飛行場(江戸川飛行場)跡地
江戸川飛行場跡地
洲崎(深川浦)飛行場跡地・江東区
月島飛行場(晴海連絡用滑走路)跡地
東雲飛行場跡地
代々木練兵場跡地
東京国際空港(羽田空港)
東京羽田飛行場(1931~1939)
東京飛行場(1940~1945)
ハネダエアベース(1945~1952)
東京国際空港(1952~)
戸田橋滑空場跡地
読売飛行場跡地
調布飛行場
東京陸軍航空学校滑空場跡地
横田(旧福生、多摩)飛行場
国立飛行場跡地
立川飛行場
昭和飛行場跡地
環七滑走路跡
旧陸軍大島飛行場、北の山陸軍飛行場、旧大島空港跡地
大島空港(東京大島かめりあ空港)
神津島空港
三宅島空港
八丈島海軍(三根)飛行場跡地
八丈島空港
新島空港
陸軍新島飛行場跡地
新島村営場外離着陸場跡地
洲崎飛行場(江東区豊洲)跡地
深川7号埋立地(洲崎飛行場・江東区辰巳)跡地
中島大井(大井)飛行場跡地
(洲崎飛行場跡地(父島))
(父島飛行場)
(千鳥(下の、第一)飛行場跡地)
(元山(第二)飛行場跡地)
(北(上の、第三)飛行場跡地)
(硫黄島飛行場)
(南鳥島飛行場)
■神奈川県■ (COMPLETE)
伊勢佐木町(若葉)飛行場跡地
間門飛行場跡地
第十一横浜水上基地(根岸飛行場)跡地
横浜水上基地(富岡飛行場)跡地
横須賀第一(追浜)飛行場跡地
横須賀第二(長井)飛行場跡地
横須賀第三(黒崎、初声)飛行場跡地
キャスナー陸軍飛行場
相模(中津)飛行場跡地
大山秘密航空基地(厚木第二飛行場)跡地
新厚木基地跡地
厚木飛行場
厚木(銀紙)飛行場跡地
藤沢飛行場跡地
磯子飛行場跡地
三本葭飛行場跡地
玉井飛行場跡地
片岡飛行場跡地
宗里飛行場跡地(第一航空学校)
更新履歴
2024/09/23 徳島県・日本航空輸送研究所津田川口着水場跡 追加
2024/09/16 徳島県・徳島航空学校跡地(再興) 追加
2024/08/26 熊本県・熊本北秘匿飛行場(高遊原飛行場)跡地 追加
2024/08/12 長崎県・大村海軍航空隊跡地 追加
2024/07/29 福岡県・玄界航空基地(松末基地)跡地 追加
2024/07/22 福岡県・玄界航空基地(岐志基地)跡地 追加
2024/07/01 福岡県・九州飛行機香椎製作所のスベリ跡 追加
2024/06/24 福岡県・多々良航空基地跡地 追加
2024/06/17 福岡県・直方基地(直方牧場)跡地 追加
2024/06/05 山口県・和佐基地跡地 追加
2024/05/31 広島県・江田島の飛行場跡地 追加
2024/05/17 鹿児島県・奄美大島水上基地(古仁屋基地)跡地 追加
2024/05/15 鹿児島県・旧奄美空港跡地 追加
2024/05/13 鹿児島県・奄美空港 追加
2024/05/10 鹿児島県・喜界空港 追加
2024/05/08 鹿児島県・喜界航空基地(喜界ヶ島航空基地)跡地 追加
2024/05/03 鹿児島県・徳之島飛行場跡地 追加
2024/05/01 鹿児島県・浅間飛行場(徳之島北飛行場)跡地 追加
2024/04/24 鹿児島県・徳之島空港(徳之島子宝空港) 追加
2024/04/19 鹿児島県・沖永良部空港 追加
2024/03/18 鹿児島県・小川飛行機練習所跡地 追加
2024/03/01 徳島県・沖洲飛行場跡地 追加
2024/02/28 香川県・日本航空輸送高松基地跡 追加
2024/02/26 香川県・善通寺練兵場着陸場跡地 追加
2024/02/14 愛媛県・愛媛義勇飛行場跡地 追加
2024/02/09 広島県・下ヶ原航空基地(六二二基地)跡地 追加
2024/02/07 島根県・高津町付近着陸場跡地 追加
2024/02/05 島根県・都野津町付近着陸場跡地 追加
2024/01/31 島根県・なかうみスカイポート 追加
2024/01/08 和歌山県・旧南紀白浜空港跡地 追加
2023/12/29 大阪府・八雲滑空道場跡地 追加
2023/12/27 兵庫県・川西鳴尾飛行場跡地 追加
2023/12/22 兵庫県・繫昌飛行場跡地 追加
2023/12/20 兵庫県・赤井野グライダー訓練所(大日本飛行協会兵庫支部第二地方滑空訓練所)跡地 追加
2023/12/15 京都府・安井飛行場跡地 追加
2023/12/11 滋賀県・琵琶湖水上機基地跡地 追加
2023/11/10 東京都・環七滑走路跡 追加
2023/11/01 道央・南恵庭駐屯地場外離着陸場跡地 追加
2023/11/01 道央・苫小牧飛行場跡地 追加
2023/10/30 道央・シノダイ岬離着陸場跡地 追加
2023/10/02 青森県・木ノ下飛行場(木ノ下平臨時飛行場)跡地 追加
2023/09/28 青森県・淋代陸軍飛行場跡地 追加
2023/09/11 岩手県・見前滑走路(進駐軍滑走路)跡地
2023/08/17 愛知県・築地の水上飛行場跡地岐 追加
2023/03/20 岐阜県・各務原中飛行場跡地 追加
2023/01/23 群馬県・敷島滑空訓練所跡地 追加