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小型掩体構造図 [├資料]

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「安慶飛行場原図(旧) 総計4枚/2.アヒ工事 掩体 誘導路 周囲土塁 有刺鉄線柵構造図」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13071091700、第6軍南京付近施設原図綴 昭和16年5月~20年4月(防衛省防衛研究所) 


上に貼ったのは、中国 安慶市に建設された日本陸軍「安慶飛行場」についてのアジ歴資料の一部です。

「昭和19年2月1日調製」小型掩体の構造図なんですが、きちんと数字が出ています。

これが、日本陸軍があまねく国内、国外に建設した小型掩体の統一規格なのかは不明なんですが、

外観は小型無蓋掩体としてしばしば登場する形状ですね。

高さ3m、入口幅12m、奥行17m と記されています。


機 種 全 高 全 幅  全 長
一式「隼」 3.085 10.837  8.92
二式「鍾馗」 3.24 9.45  8.9
三式「飛燕」 3.70 12.00  8.94
四式「疾風」 3.38 11.24  9.92


当時の陸軍戦闘機のサイズ(型式により多少差が出る場合があります)。

全高はどの機種も3mを超えていますから、掩体に収容してちょっとだけ見えている状態なんですね。

全幅については、三式「飛燕」の全幅が最大値の12mで、掩体の入口幅と同じですが、

掩体の入口幅12mというのは、数値が最小となる底部の長さであり、

底部から上に上がるに従い斜面になっていて幅は広がってゆき、

掩体の一番高い部分では、幅18mになります。

主翼端は主輪と上反角の分だけ高い位置になりますから、(そんなに余裕ないでしょうけど)まあ入ったと思います。

掩体の奥行は17mなので、仮に掩体の奥いっぱいまで機体を収容すると、

掩体入口から7~8m奥に機体が隠れる形になります。

但し上の図の通りで、入口部分の壁も斜面になっており、高さ3mに達するのは、入口から3m先からです。

つまり、高さ3m分の奥行は、実質14mとなります。

高さ3m部分で見ると、4~5m奥に機体が隠れる形となります(でもちょっとプロペラ見えてる)。

入口が大きく開いた状態ですから、奥行きにある程度余裕をもたせることで、

斜めに吹き込んでくる爆風を防ごうとしたのではないでしょうか。


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千島・年萌水上機基地跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2022年1月作成(未訪問)  




択捉島中部、年萌(としもえ/としもい)湖にあった日本海軍の「年萌水上機基地」。

この基地については、「湖の南東にあった」とする以外情報がないため、

位置は完全に推測です。

ご了承くださいませ。

グーグルアースで湖岸沿いに標高を見ていったんですが、

湖岸からいきなり10m~20m程度まで急に標高が上がる箇所ばかりで、

ビーチっぽい箇所は湖の南側に少しだけありました。

これまでの水上機基地の例からすると、単なる桟橋程度ならそれほど場所を選ばないんですが、

施設を建設するとなると、やはりある程度ビーチっぽい位置の方が便利です。

でもビーチっぽい場所は完全に湖の南で、これだと「湖の南東」じゃないです。

ということで、「湖の南東」側では標高の上がり具合がマシな場所を選びました。

南北方向に3,000m強の湖なので、離着水には適していたでしょうし、

あの単冠湾のすぐ北に位置していましたから、

荒天時等、ここに水上機基地が存在する意義は十分にあったと思います。




     千島・年萌水上機基地跡地         
年萌水上機基地 データ
設置管理者:日本海軍
種 別:水上機基地
所在地:北海道根室振興局択捉島留別村
座 標:45°01'30.9"N 147°43'14.8"E
標 高:0m
離着水エリア:3,200mx1,600m(不定形)
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

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千島・蘂取第二飛行場(計画) [└日本統治時代の飛行場]

   2023年6月作成(未訪問)  



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5万地形図 測量年1992(平4)(リスト番号14-9-3) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases. Report No. 3-d(54), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)


択捉島北部蘂取(しべとろ)村、日本陸軍の「蘂取第二飛行場」。

蘂取第三飛行場の南東約4.5kmに位置していたと思われます。

上に貼った図に"CONSTRUCTION SUSPENDED"(建設中止)とある通り、

完成しなかった飛行場です。

そのため、周辺をグーグルマップで探したのですが、痕跡を見つけることができませんでした。

位置の絞り込みができなかったため、当初この記事を作るつもりはなく、

先にアップした「第一」と「第三」で蘂取関連記事は終了のはずだったのですが、johokotuさんから、

「戦後直後の米軍資料で、トウロ沼から年瑠璃へと向かう道路の途中、道の南側にあると推定している図が残っているそうです。」

との情報を頂き、位置をかなり絞り込むことができたため、記事作成が可能となりました。

johokotuさんもおおまかな場所を示しておられるのですが、上に貼った国土地理院の地図の通りで、

「トウロ沼から年瑠璃へと向かう道路の途中、道の南側に」飛行場適地が広がっています。

それで恐らくここに「第二」を建設するつもりだったのではないかと。

詳しくはjohokotuさんの記事をご覧ください 

johokotuさん貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m


おおよその位置が特定できたところで、

最終的にグーグルマップの【基本地図】:地形モードで位置の微調整をしました。

滑走路の向きについては、上に貼った米軍資料に第一から第三まで同じ向きで並んでますね。

これは模式図もいいとこですけど、日本軍はきちんとウインドローズを作って滑走路の向きを決めてました。

隣接する第三は滑走路跡がハッキリ残っていて、向きも分かります。

飛行場適地はこの第三から3.5~5.5km程度しか離れていませんから、

恒風もほとんど変わらず、滑走路の向きも同じのはず。

以前某小型機用飛行場のオーナーさんにいろいろ伺う機会があったのですが滑走路の向きについて、

「〇〇空港が近いからね。アッチはきちんと調べて向き決めてるから、同じにしとけば間違いないんだぁ」

と仰ってました。

実際地図を眺めると、地域の滑走路はほぼ同じ向きで揃ってることが多いです。

ということで、地形を見ながら第三と似た滑走路の向きにしました。

長さと幅については、上に貼った米軍資料を使いました。

当時の日本陸軍は、おおよそこの辺りにこんな感じで滑走路を建設しようとしていたはずです。




     千島・蘂取第二飛行場(計画)         
蘂取第二飛行場(計画) データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道根室振興局択捉島蘂取村
座 標:45°17'04.7"N 148°26'28.1"E?
標 高:144m?
滑走路:1,600mX200m?
方 位:13/31?
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さは米軍所資料から)

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千島・蘂取第三飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2022年1月作成(未訪問)  



全図2.png
1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases. Report No. 3-d(54), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)

択捉島北部蘂取(しべとろ)村にあった日本陸軍の「蘂取第三飛行場」。

蘂取第一飛行場の北東約8.8kmに位置していました。

正確な位置が不明のため、

先頭のグーグルマップは、資料通り1,600mx200mだとこんな大きさ。

という程度のものですのでご了承くださいませ。




     千島・蘂取第三飛行場跡地         
蘂取第三飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道根室振興局択捉島蘂取村
座 標:45°18'22.2"N 148°23'31.4"E
標 高:145m
飛行地区:1,600mx200m
方 位:14/32
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

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千島・蘂取第一飛行場跡地 [└日本統治時代の飛行場]

   2022年1月作成(未訪問)  



全図2.png
1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases. Report No. 3-d(54), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)


千島列島の一つ、択捉島北部、蘂取(しべとろ)村にあった日本陸軍の「蘂取第一飛行場」。

上に貼った図のNO.1がココなんですが、内側の滑走路部分、50 x 1200(PLANKING)とあります。

板張りだったんですね。

飛行地区の長さは、ここでは1,400mとありますが、実際にグーグルマップで見ると、

3,000m級の舗装滑走路跡が残っています。

ともかく上に貼った1945年5月作成の地図の通りに作図するとこんな感じです。

この第一飛行場の南東に「蘂取第二飛行場」建設計画があったのですが、

上の図にある通り、第二は建設中止となったようです。

飛行地区の幅は第一と同様で、長さは第一より200m長いという計画なので、

ちょっと長い飛行場がこの近くに計画されていたのですね。




     千島・蘂取第一飛行場跡地         
蘂取第一飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道根室振興局択捉島蘂取村
座 標:45°15'30.9"N 148°18'33.3"E
標 高:14m
飛行地区:1,400mx200m
滑走路:1,200mx50m(板張)
方 位:17/35
(座標、標高、方位はグーグルアースから。飛行地区、滑走路長さは資料から)

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