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鹿児島県・瀬滝飛行場(南飛行場)跡地(工事中止) [├場所]

   2024年4月訪問  




鹿児島県徳之島 天城村瀬滝(当時)にあった陸軍の「瀬滝飛行場(南飛行場)」。

途中で工事を中止したため、未完に終わった飛行場です。

■徳之島町誌(1970) 186p-

1.浅間飛行場
 昭和十八年、戦局は悪化し南方各島嶼各作戦は敗退を続け、インド・ビルマ作戦も後退を続けていた。敵の進攻速度は速くなり、フィリピン、台湾、沖縄、奄美と本土への飛び石伝いの島々の防衛強化がさけばれてきた。同年十月八日、航空本部熊本支所長一行十二人が徳之島に来た。一行は平土野に泊り、九日は上田利光天城村長ら幹部を帯同し、浅間部落一帯を視察、十日は瀬龍部落一帯を視察し、安藤俊良技師、太宰見習視官ら三人を残して、一行は沖縄県平島に出発した。

これは特に浅間飛行場について記した部分ですが、浅間視察の翌日、「瀬龍部落一帯を視察」とあります。

9日、10日の視察の後、12日には浅間の測量が始まり、すぐに土地買収が続きます。

瀬滝で飛行場建設が始まるのは、この時から4ヵ月後(後述)なのですが、

浅間視察の翌日に瀬滝の視察をしていたことからすると、

陸軍では来島前から既に「浅間か、瀬滝か」というところまで絞り込まれていたのかも。

いずれにせよ、瀬滝もかなり早い段階で目が付けられていたのですね。


■伊仙町誌(1978年12月発行) 253p-
4 瀬滝飛行場
 これより先、十九年二月、山県克己飛行中隊が来た。天城村瀬滝に本部を置き、兼ねて本部付、金子丑松技師一行の測量に基いて瀬滝飛行場の建設を始めた。これで浅間飛行場を徳之島北飛行場といい、瀬滝飛行場を南飛行場と呼ぶようになり、土地買収には浅間飛行場の例にならって地主と交渉しながら大島本島より六百五十人の労務者を徴用し、昼夜兼行の突貫工事を行なった。
 八月に入り作戦上の関係から急に南飛行場の工事を中止し、浅間飛行場の拡張をなし前記の如く掩体壕等を岡前たんぼ周辺に設置することになり、山県飛行中隊は浅間飛行場に移動した。

(徳之島町誌・1970年発行 189p- にも同じ記述あり)


某サイト様によれば、当飛行場について、

「飛行場の土地は戦後、地元住民へ払い下げられ、飛行場が造られる前の農地に戻っていった。ただ、滑走路の跡は一直線の道として残り、現在まで滑走路の面影を残している。」

とありました。

上記資料から、場所特定の手掛かりとしては、

「瀬龍部落一帯を視察し」「天城村瀬滝に本部を置いた」→瀬滝かその周辺に飛行場が建設されたはず

且つ、某サイト様の「一直線の道として残り、現在まで滑走路の面影を残している」→現在は直線道路

という感じかと。

現在のマップと、終戦直後の航空写真で瀬滝周辺を随分と探したのですが、

「ココだ!!」という場所を見つけることはできませんでした。

グーグルマップで瀬滝の直線道路を探すと、先頭のグーグルマップにマーカー付けた辺りが目立っています。

地元の方にお聞きしたところ、場所は不明ながら戦中の瀬滝飛行場建設についてはご存じであり、

「造るとしたら、そこ(マーカーで示した直線道路)なんじゃないかなぁ」とのことでした。

 
・米軍基地移設

時代がまったく異なるのですが、2010年、普天間基地の移設先として徳之島が候補になったことがあり、

Wikiには「徳之島空港の活用が取りざたされた」旨記されているのですが、

瀬滝地区が飛行場の移設候補地として、挙がったことがあるのだそうです(地元の方情報)。

ということで、瀬滝の直線道路にお邪魔してみました。


DSC_2603_00001.jpg
赤マーカー地点。

滑走路方向


DSC_2604_00001.jpg
青マーカー地点。

滑走路方向

確かに飛行場適地に見えます。




     鹿児島県・瀬滝飛行場(南飛行場)跡地         
瀬滝飛行場(南飛行場) データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:鹿児島県大島郡天城町瀬滝
座 標:27°46'46.4"N 128°54'17.9"E
標 高:117m
方 位:17/35?
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1943年10月 8日 航空本部熊本支所長一行、12人が来島
        10日 天城村長ら幹部を帯同し、瀬龍部落一帯を視察
1944年02月 天城村瀬滝に本部を置き、瀬滝飛行場建設開始
     08月 作戦上の関係から急に工事を中止
2010年01月 「徳之島が移設候補の1つ」と報道。反対の動き広まる
     04月 18日 反対集会に15,000人参加

関連サイト:
ブログ内関連記事

この記事の資料:
地元の方情報
徳之島町誌(1970)
伊仙町誌(1978年12月発行)


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奄美群島・3 [■旅行記]


ホテル→瀬滝飛行場予定地→徳之島空港旧滑走路跡→浅間飛行場跡地→徳之島空港→奄美空港→県立図書館→奄美空港→喜界空港→ホテル



3日目 

4:00 起床

記録付け

6:00 徳之島の見学ポイントを一気に見て周ることに。

傘を刺すほどでもない小雨が降ったり止んだりする中、先ずは瀬滝地区へ。

その後、徳之島空港旧滑走路、陸軍飛行場関連を見学。


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Σ(゚Д゚;)

8:00  一旦ホテルに戻って車を停め、徒歩で無蓋掩体号を見に行く。

1つは案内板があったからすぐわかったけど、もう1つがわからん(;´Д⊂)

もう時間がないので急いで自室に戻ることに。

玄関でおばちゃんに「奥でお茶上がってください」と言われたけど、残念ながら時間ない。

荷物まとめて玄関でおばちゃんに挨拶したところから短い会話がはじまり、興味深い話が聞けました。


詳しくは次の記事でアップするけど、

瀬滝地区には建設を途中で中止してしまった陸軍飛行場がありました。

その瀬滝地区に、多分今から20年?くらい前に米軍の滑走路建設計画があったのだそうです。

そして島民一致団結して反対運動をして、計画は中止になった。

「自衛隊なら、このご時世我々を守るために必要かもしれないが、米軍となると話は別。怖い」

こんなこともあったとは、全く知りませんでした。

自宅に戻ってから【徳之島 反対運動】で検索したところ、

普天間飛行場の移設先として、徳之島が挙がっており、

これに島民が団結して反対運動を繰り広げたとありました。

移設関係の話は時期的に鳩〇政権時の出来事で、

なんとか普天間飛行場の移設先を見つけようと模索したことが伺えます。

「最低でも県外」という言葉は、仮初にも一国の首相から発せられた言葉。

沖縄県民がこの言葉にどれだけ狂喜し、そしてどれだけ落胆させられたことか。

(普天間の親戚は、「移設したら、今度は移設先の人が大変サ」と言ってた)


おばちゃんに分かれを告げた際、「これ、昨日出来たて」という徳之島産の黒糖を頂く。

自宅に戻ってから、今回の旅行で仕入れた資料を見返していたら、

「12月20日~翌年の4月10日頃までは、製糖期シーズン」

とありました。

ちょうど最終盤だったんですね。

給油してレンタカー返却。

空港まで送ってもらう。

9:00 搭乗待合室着。

この後すぐ奄美空港に飛び、夕方の便で喜界空港に移動します。

預け荷物は喜界受取にしてもらった。

ターミナルから歩いてエプロンに駐機しているヒコーキへ。


 


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こうやってヒコーキと同じ目線で撮るチャンスって、オイラみたいな素人だとなかなか無い訳です。

こういう機会に是非とも撮りたいとウズウズしてたけど、やっと撮れた☆

スタッフさんたちの誘導を受け、乗客が整然と一列でヒコーキに向っている状態だと、

その列から1人だけ外れて撮るとか、ビビりのオイラには恐れ多くてとてもできません。

今回はヒコーキをバックに記念撮影始めた方々がいたので、便乗させてもらったのでした。

9:35 徳之島空港発。

10:10 奄美空港着

喜界空港に移動するまで5時間近く時間があるので、レンタカーを借りる。

お天気が良ければ見学ポイントの撮影したかったけど、

ずっと小雨と豪雨の繰り返しのお天気でした。

30km先の県立図書館に向け出発したのですが、カーナビ画面がたまにしか動かない(ー"ー;)

スマホのグーグル経路案内使用。

奄美は流石に車が多いです。

途中、ワンボックスカーがガードレールに激突して片側交互通行渋滞。

11:30 奄美県立図書館着。

イロイロコピー

13:30図書館発

14:30レンタカー返却

保安検査を受け、搭乗待合室へ。


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奄美→喜界 定刻15:45発だったけど、16:45発に遅延してました。

天候不良から与論便が欠航する等、イロイロあったらしい
 


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16:53 喜界空港到着

この島では移動範囲が狭いので、レンタカー借りてません。

キャリーケースをゴロゴロ引っ張って、これが喜界島か〜とキョロキョロしながらゆっくり歩く。

15分ほどでホテル到着。

本当は近くにある歴史民俗資料館に行きたかったけど、到着が遅れたためもう閉館の時間。

入浴、食事して、明日の予定組んで、記録付け。

今日は喜界島到着が遅れてしまい、見学が一切できなかった。

明日10:15のヒコーキに乗るまでに、予定していた見学ポイントを全て周らなければ。

そして再び奄美大島に戻るのですが、奄美大島では見学ポイントが島の両端にあり、

車で片道2時間半位かかるらしい。

明日は午後からお天気崩れるので、厳しい戦いになりそう。

今日はカロリーメイトとサーターアンダギーのみの1日でした。

食事の写真がない時はそういうことですのでお察しください。

21時前寝る。

おやすみなさい。


(続きます)


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鹿児島県・徳之島空港(徳之島子宝空港) [├国内の空港、飛行場]

   2024年4月訪問  



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撮影年月日1978/07/24(昭53)(CKU777 C11 7) 新滑走路(1期1,200m)供用開始まであと約3ヵ月
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撮影年月日1985/01/22(昭60)(KU844X C2  5) 2,000m滑走路供用開始から約5年
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。上2枚とも)
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SkyVector.com

鹿児島県徳之島にある徳之島空港(徳之島子宝空港)。

徳之島の北部西海岸に位置しており、サンゴ礁を埋め立てて建設された空港です。

現行の滑走路は、需要増、ジェット化に対応するため、

それまでの滑走路から若干位置と角度を変えて新たに建設されたものです。

1978年、第一期として1,200mの新設滑走路で供用開始し、

1980年、第二期では更に800m延長して2,000mとし、ジェット化を果たしました。

これは鹿児島県内の離島空港としては初のことでした(奄美空港のジェット化は1988年)。
 

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建屋の奥にもデッキが続いています。


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建屋の横を通り、奥の展望デッキへ。


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奥のデッキはこんな感じ(上2枚とも)。


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金網が張られており、覗き窓は無し。


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     鹿児島県・徳之島空港(徳之島子宝空港)         

    ビュー:☆☆★★★  
屋上に広々とした無料展望デッキあり。
滑走路側は、空港としては非常に珍しい金網に囲われ、覗き窓無し。ベンチ、双眼鏡等無し


    施設:☆☆☆★★  
ターミナル前に無料駐車場あり
レストラン、土産品、売店あり


    マニア度:☆★★★★  
ターミナル北側にある運動公園が撮影スポットに向いている(らしい)


    総合:☆☆★★★  
空港について公式に扱っているサイトは、国交省、鹿児島県の「県内の空港」のみ。地元自治体や空港独自のサイトは見当たらず


徳之島空港 データ
設置管理者:鹿児島県
種 別:地方管理空港
3レター: TKN
4レター:RJKN
所在地:鹿児島県大島郡天城町
標 点:北緯27度50分11秒東経128度52分53秒
標 高:2.3m
面 積:52.6375ha
着陸帯:2,120m×150mC級
滑走路:2,000m×45mLA-2
方 位:01/09
誘導路:270.6m×23m,144.7m×18m
エプロン:120m×85m,110m×70m(SJ-2,プロペラ-2)
駐車場 214台
照明施設 進入灯,進入路指示灯,夜間着陸用灯火一式
無線施設 VOR/DME,LOC,RAG
運用時間 8時30分~19時30分(11時間)
(主に県サイトから)

沿革
1975年10月 18日 空港施設変更許可(R/W2,000m×45m)
1978年11月 3日 空港施設変更供用開始(1期R/W1,200m×45m)
1980年06月 1日 空港施設変更供用開始(2期R/W2,000m×45m)
        航空灯火変更供用開始(夜間照明)
        東亜国内航空、DC-9型機就航、新空港ターミナルビル完成
1981年06月 15日 航空灯火変更供用開始(進入灯)
1983年12月 東亜国内航空からの路線移管により日本エアコミューターが奄美線開設(Do228型機)
1989年06月 7日 航空灯火変更許可(R/W灯等)
1990年07月 1日 航空灯火変更供用開始(RCLL,TWCL)
1991年06月 1日 航空灯火変更供用開始(RTHL,REDL,RCLL)
1992年04月 2日 航空灯火変更許可(PAPI,RAI)
1993年03月 5日 航空灯火変更供用開始(PAPI,RAI)
1995年07月 日本エアコミューター、伊丹線開設(サーブ340型機→休止)
1999年06月 24日 航空灯火変更許可(地上型灯器型式変更)
2001年07月 12日 航空灯火変更供用開始(地上型灯器型式変更)
2002年10月 1日 運用時間延長(8時間→10時間)
2009年06月 20日 第一航空、那覇線開設
     09月 11日 中華航空、台北便運航(初の国際チャーター)
2012年02月 26日 開港50周年記念式典に合わせ、「徳之島子宝空港」の愛称を制定
2019年10月 27日 運用時間延長(10時間→11時間)

関連サイト:
鹿児島県/徳之島空港 
国交省/徳之島空港(40コマ) 
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この記事の資料:
全国空港ウォッチングガイド

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奄美群島・2 [■旅行記]


ホテル→図書館→沖永良部空港→徳之島空港→ホテル
 
2日目

5:00 明るい光で目が覚める

激しい雷雨でした。

予報では8時には1mm程度に、そして昼前には曇になるらしい。

記録つけ


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8時 朝食

三線のBGMが流れてる。

もうホントにここは沖縄なのかと錯覚してしまう。

昨日の図書館のスタッフの方も、ホテルのフロントの方も、

南国特有の濃いお顔で、気質も沖縄の離島そのもの(はにかみ屋さん)な感じ。

「くわっちーさびら」(いただきます)
「でーじ まーさん」(すごく美味しい)

とか普通に通じそう(言ってないけど)。

相変わらず雨降り。

図書館の開館時間が10時なので、食事の後も自室に戻って記録つけ。

台湾の先生に(グーグル翻訳使って)メール送ってみる。

こんな時にオイラなんかがメール送ったら迷惑だろうかと昨日から迷ってたけど、安否が気になって仕方ない。

10時前チェックアウトしたけど、相変わらず雨がやまない。

昨日で撮影を全て終えておいて良かった。


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10時過ぎ、昨日とは別の図書館へ

11:30 Aコープで食料調達。

本日15:55のヒコーキで徳之島に移動するのですが、

徳之島のホテルは素泊まりなので、夕食と明日の朝食も確保。

どちらの島もマップを見れば明らかなんですが、島の中心地は港。

役場等、島の重要施設は港周辺に集中しており、お店もそうです。

空港は島の外れにあり、空港周辺では食糧調達もままなりません。

メールチェックしたら、台湾の先生から返信が来ていた。

「家族共に無事だが、今回はとても怖かった」

取り敢えず安否確認ができて一安心。

また図書館に戻る。

昨日の図書館もそうだったけど、

郷土資料コーナーには沖縄関連の史料多数。

オイラの主観だけど、郷土資料の三割位は沖縄か、沖縄と奄美を扱ったものの気がする。

そんな書籍の一つには、

「日本語」は、「大和言葉」と「琉球語」の2つに大別され、

奄美群島の言葉は琉球語に分類される。とありました。

だから言葉が似てるのか!

(この時のオイラは、奄美と沖縄の歴史的な関係性をまだ知らない)

14:30にレンタカー返却の約束だったので図書館を後にする。


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途中のコンビニでサーターアンダギー購入。

このお店もそうだけど、スーパー等、規模の大きい店舗の一角には、必ずコンテナが幾つか積まれている。

最初は廃品のコンテナを物置代わりにリサイクルしてるのかと思っていたけど、

リフトでコンテナ動かすところを何度か見かけた。

物資輸送はほぽ船便だから、お店ごとにこうやってコンテナ使ってるのかしらん。

14:00 空港内撮影。


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これから徳之島に飛ぶオイラにとっては、なんか凄い不穏な掲示が。

気になってオイラが乗る午後の徳之島便をチェックしたら、

なんと遅延表示が出ていて、15:55出発の予定が、17:05発になってる!!

マジカΣ(゚Д゚;)

ともかくレンタカー返却の時間になっているので、

14:30 空港お向かいのスタンドで給油。

スタンドのおねーさんに「こんな早い時間なのにもういいんですか〜?」

と尋ねられた。

そしてレンタカー返却して、再び空港に送ってもらう。

スタッフさん曰く、機材トラブルのため、今のところ15:05出発の予定だが、

欠航する可能性もあるという。

やめて〜(ノ><)ノヒイィィ

欠航しないことを祈りつつ、取り敢えず荷物預け。

徳之島でも空港に着いたらすぐにレンタカー使うつもりで予約していたので、

1時間ちょい遅れそうだと連絡して了承を得る。

宿にも連絡したらオバーが出て、

「はいはい。大丈夫ですよ〜 気をつけて来てくださいね〜」と名前も到着時間も聞かれず電話終了。

南国だなぁ(o ̄∇ ̄o)

機材トラブルということは、今整備士さんたちが修理してるんだよね?

どうか直ってください。おねがいしますおねがいします_| ̄|○

一番最悪なのは、欠航になった場合。

徳島行きはこれが最終便で、その前に鹿児島空港便があるけど満席。
(鹿児島空港行きにも欠航が出ており、その影響でしょうか)

つまり、徳之島行きが欠航になったら今日はもうこの島から出られない。

今朝チェックアウトしたホテルにもう一泊させてもらうとして(部屋空いてればだけど)、

問題は明日以降のスケジュール。

実は今日の16:20に徳之島に着いて、明日の9:35のヒコーキで奄美大島に移動するまでの間に

徳之島の図書館での史料収集、見学ポイントの撮影を全て済ませる予定でした。

今回の行程で滞在時間が最も短い島に限ってコレです(しかも全島で最も見学ポイントが多い)。

今日徳之島に着けないとなると、全体のスケジュールを潰さないためには、

残念だけど今回の旅行では徳之島をスルーしなければ。

欠航と分かれば、明日すぐに奄美大島に移動する方法を調べないと。

なんてことを考えていたら、時計は4時を回りました。

徳之島行きは依然17:05のまま。

この時間に欠航のアナウンスがないということは、

既にこの空港に向かってヒコーキが飛ぶ決定がなされているか、 既に離陸しているはず(願望)。

目の前では鹿児島便の保安検査の長蛇の列。

「荷物の確認があります」とさっきからひっきりなしにいろんな人が呼ばれてる。

16:30を過ぎ、ようやく鹿児島便の保安検査終了。

16:50発の鹿児島便の保安検査が20分前に終了するのなら、

もうすぐにも徳之島行きの保安検査のアナウンスが始まるはず。

…などと思っていたのですが、じりじりと時間だけが過ぎてゆき、 ついに17時を過ぎてしまいました(;´Д⊂)

こっ、これは、欠航なのかも。

と思っていたら、

ついに徳島行き保安検査開始のアナウンスが。

よ、よかった~(脱力)

即座に保安検査を受け、搭乗待合室へ。


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ヒコーキ来てる。

(早く乗せて!!(゚Д゚;≡;゚Д゚))と思っていたのですが、 これは鹿児島便でした(こちらも遅延したらしい)。

オイラの乗る徳之島便の到着は17:15、出発は今のところ17:45の予定とのこと。

ググってみたら、徳之島空港で予約したレンタカー屋さんの営業時間は8:30〜18時。

徳之島までの所要時間は25分なので、予定通り17:45に出発したとしても、到着は18:10。

預け荷物を受け取る時間も含めると、更に遅れます。

完全に営業時間外じゃん!!

明日の9:35のヒコーキで次の目的地に向かうので、 明朝短時間だけ借りて見学ポイントを周ることもできません。

恐る恐るレンタカー屋さんに電話して、ありのままを伝えたところ、

「大丈夫ですよ〜。お待ちしております」とのこと。

よ、よかった〜


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17:14 機材トラブルで遅れていた徳之島便。

無事来てくれたヽ( ゚∀゚)ノ


IMG_20240404_173543034_HDR.jpg
その後は順調に離陸に向けての準備が進み、

搭乗、ドアクローズ、エンジンスタート、タキシング、 ターニングパッドで滑走路に正対し、

1745離陸。

上昇して巡航に入ったかと思えば、

1748「これより着陸態勢に入ります」とアナウンス。

1755着陸。

18:05 荷物を受け取り、入口の所でボードを掲げたおねーさん発見。

「遅れてすみません〜」

「ヒコーキが遅れた時はいつもこうですから(*´∀`*)」

という笑顔に救われました。

退社時間に響くでしょうに、本当に助かりました。

レンタカーの手続きを済ませ、まだ十分明るさが残っているので、 早速空港の撮影をすることに。

元々の予定では、16:20に徳之島に着いて、明日はお天気が心配なので、

明るさのあるうちは撮影して、その後図書館にて閉館時間の19時まで史料収集するつもりだったのですが(事前に調べても分からなかったことがいろいろある)、

今回は無事にこの島に着けただけで御の字です。

2日連続で、スケジュールに影響しかねない状況に陥りました。

ホント、心臓に悪いよ_| ̄|○ il||li

薄暗くなってきたのでホテルへ。

宿屋のご主人と玄関で立ち話。

サンゴには放射線を吸着して放さない性質があると実験結果がでており、

福島の除染に使えないかという話があったけど、輸送コストがネックになったらしい。

徳之島は奄美群島で最初にジェット化した(ドヤ)。

徳之島は直射日光は強いけど、湿度が低いので、真夏でも窓を開けておけば涼しい風が入る。

クーラーはほとんど使わない。

サンゴを敷いた道路は直射日光が照りつけても熱くならない。

戦時中はこの島も爆撃を受けてね。

このホテルのすぐ横にも爆弾池ができたんだよ。

今は畑になってるけどね。

この島にはハブがいるよ。

どこにでも出るから気をつけてね。

つい最近もそこで出たからやっつけたんだよ(ドヤドヤア)。

沖永良部で買った丼もので夕食、シャワーから出ると、

携帯にこのホテルのオバー(沖永良部空港から「遅れます」と連絡入れたオバー)から留守電入ってた。

かけ直してみると、

「とりさん、もうホテル着きましたか?  ちょっと病院行ってたもんでね。

ああ、着いたのね。なら良かった。おやすみなさい〜」

ほっこりする電話の後は記録つけ。

21:30 寝る

おやすみなさい。


(続きます)


 


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鹿児島県・沖永良部空港(えらぶゆりの島空港) [├国内の空港、飛行場]

   2024年4月訪問  



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SkyVector.com
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撮影年月日1977/10/18(昭52)(CKU778 C5B 9) 開港から8年。1,200m滑走路
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。以下3枚とも)
(音が出ます。揺れが酷くてすみません。着陸は5:12~)


鹿児島県沖永良部島の北東に位置する沖永良部空港(えらぶゆりの島空港)。


■全国空港ウオッチングガイド
エアポートレビュー 1969年の開港から長らく1,200メートル滑走路とYS-11のコンビネーションで運用されてきた沖永良部空港だが、1998年度からサーブ340型機のペイロード制限緩和のためとDHC-8型機就航に備えた滑走路舗装強度強化が実施され、2005年度には1,350メートル滑走路が供用を開始した。日本エアコミューターの最後のYS-11運航は2006年9月30日、沖永良部発鹿児島行き3806便だった。

■福岡管区気象台要報(福岡管区気象台, 1982-03) 209p~
沖永良部空港 沖永良部測候所
SW風:山越え気流のため、風下側に弱いTURBが発生することがある。
台風や冬期の季節風の強風時を除けば、離着陸困難となった例はほとんどない。

地形および気象の概要
ア.空港は隆起サンゴ礁からなる平坦な島の北端に位置し、海抜28mである。
 空港の南西方になだらかな丘陵がひろがり、丘陵の高いところは246mである。
イ.気候は海洋性で、風向や気温の日変化は極めて小さく、風の局地性はほとんどない。


■沖永良部空港 回顧誌(昭和61年12月発行)

沖永良部空港の沿革
 沖永良部島は鹿児島から南に535kmの南西洋上に浮ぶ孤島(49.3km,面積94.51平方㎢)
年の平均気温22度、島の交通は海路にのみ頼る外ない状態でこれらの解消には航空路を開設、本
土との時間差を短縮し、島の発展を高めようと当時の町長、武田恵喜光氏の日夜献身的な御努力と国
頭地区住民の空港立地に対する絶大なる御理解と御協力をいただき、奄美群島振興特別措置法に基
づく事業として整備事業が進められた。
 又、島民御一同様の空港立地に対する意欲的な願望が適えられた。

昭和40年度空港立地調査開始
昭和41年3月14日 飛行場設置許可申請
昭和42年3月16日 空港設置に関する公聴会
昭和42年6月15日 空港設置許可
昭和42年7月 4日 工事に着工
昭和44年3月11日 工事が完成
昭和44年4月21日 大阪航空局沖永良部空港出張所開設
昭和44年5月 1日 供用開始 (開港)

 当時の東亜航空株式会社(現東亜国内航空)のDH114ヘロン機が奄美大島と沖永良部島間に
不定期便として運航が開始された。その後は同社の機種はYS-11型機となった。

 昭和47年2月11日
 沖永良部←→鹿児島空港間に奄美経由の定期便の開始を経て鹿児島直行一往復、奄美経由一往復の
計2往復4便の就航をみるに至った。
 昭和49年1月3日 航空保安施設としてNDBが誕生
 昭和49年8月30日 VOR TACAN誕生
 空の燈台とも呼ばれる施設が誕生、それぞれ供用開始された。
 昭和51年8月1日 進入角指示燈 末端識別燈 供用開始
 航空機の離着陸に必要な進入角指示燈(VASIS)及び末端識別燈(REIL)航空機に進入
方位を指示する閃光燈(瞬間的に煌く光を出す)が設置され、供用開始、航空機の安全運航に大き
く関与された。
 鹿児島、沖永良部間2往復4便、奄美、沖永良部間に一往復就航となった。
 昭和54年8月10日 南西航空 初就航
 与論経由那覇空港、毎週月・水・金、運航両県の交流を共に深め、経済の発展に寄与している。
 昭和54年10月3日 空港管理事務所新設
 昭和54年10月29日 照明制御操作盤移設
 昭和54年10月30日 移転
 航空代理店内での空港管理業務も終止符を遂げた。
 昭和56年8月20日 滑走路嵩上工事(グルーピング)
 昭和58年12月10日 日本エア.コミューター初就航

 赤字に悩む東亜国内航空の奄美路線、二地点間旅客輸送(不定期航空運送事業)として、奄美空
港を拠点に喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島を日本エア.コミューター株式会社(東亜国内航
空と地元14市町村の出資、第三セクター方式)がドルニエ228-200型19人乗りの小型機
で運行開始、昭和59年度の利用率は58.5%、60年度は52.0%上々のスタートである。

 昭和58年12月23日 予備発電設備工事着工
 進入角指示燈及び末端識別燈に対する予備発電(商用停電時)設備の建設が進められた。
 昭和59年2月20日 工事完成
 昭和59年2月22日 試験終了
 昭和59年5月2日 供用開始
 商用停電時の予備発電として航空機に対する離着陸の安全運航に大きく甦る。

 
 沖永良部は農業の島。空港周辺はさとうきび畑が多い。製糖期シーズン(12月20日より明年
の4月10日頃まで)に入ると、昔と違って収穫したきびを吊上げクレーンで積荷して、工場に搬
入する。沖永良部経済を支える大事な産業である。これまでは航空機が進入寸前吊上げクレーンを
使用していた場合もあった。これは管理者としては、とても厳しい仕事である。私も空港周辺地主
の方なり、地区担当員に説明かたがたお願いにあがる。定期便の月ダイヤ表を配布して、航空機の
到着時間帯をはずし、朝夕積荷するよう協力願っている。説明文とは次のとおりである。「運輸省
航空法第2条第8項第9項の規定によると、滑走路標点より高さ45米・半径1,800米が水平表
面とされています。水平表面とは航空機が着陸の際衝突を避けるために、一定の場周経路を旋回し
て進入するので、その安全を確保するために必要な空域です。又、航空機が進入着陸寸前にクレー
ン車を使用していると転移表面にかかります。着陸帯中心(標点)より航空機の進入両方向それぞれ
600米、高さ45米となっています。転移表面とは、航空機が着陸のため進入を誤った時、脱出
の安全を確保するため必要な安全地帯となっています」。このように協力を戴き、今後のジェット
化に対し、滑走路の拡張問題も抱え、地元の皆様とは仲よくして行かなければならない。


空港管理日誌
 昭和56年X月X日 天気晴
 午前6時起床、ここ南の沖永良部島は早春の陽気が流れる気持ちの良い朝だ。今日も絶好のフラ
イト日和になりそうだ。
 一番機が着陸するまでにチェックしなければならない管理業務が待っている、午前7時30分空
港に出勤。
 午前9時30分の運用開始までの間に空港内、諸施設に異常はないか点検を行う、私のチェック
ルートは先ず、①駐車場に放置車両がないか(前日から引続き駐車された車は登録番号を記録する)
②エプロン内に危険物が落ちていないか、③滑走路内に危険物が落ちていないか、舗装に異常カ所
がないか、標識は明確であるか、④着陸帯に欠損カ所はないか、特に雨の後等は着陸帯法面にも欠
壊カ所がないか入念に点検する。⑤航空保安照明施設の点検についてはVASISの窓を開け、
REILのガラスを拭く、最後に照明の点灯試験を終えると9時頃になる、運用開始OK、異常な
しをCABに連絡する。
 定期便が着陸するのは11時05分である、それまで別に小型機、臨時便等の着陸も予定されて
いないので、CABと連絡を取りながら着陸帯の草刈り作業を実施する。
 草刈り作業については、航空機の発着の合間を見図らっての作業に付き、計画どおりになかなか
はかどらない。しかし空港は常に最良の状態に維持し航空機の安全就航に供すべきであり、常に最
善を尽すよう心がけている。
 15時40分定期最終便出発後は、又着陸帯の草刈り作業を再開、17時30分終業点検として
何時もの通り、滑走路、エプロン、場周柵の破れカ所の有無等点検、VASIS(進入角指示灯)
の窓を閉じ、駐車場の見廻りを終え、管理日誌を記載し、1日の日課を終了し家路に付く。
 以上は私が沖永良部空港管理事務所に着任以来、5年近くの間における毎日の日課であります。
空港管理業は、外部から想像する以上に大変な仕事だと思います。大袈裟な云い方かも知らないが、
航空機1機全乗客乗員の命を、我々が預っていると云っても決して過言ではないと思います。否そ
の心構えがなければ、空港管理は到底勤まらないと思います。
 航空機は他の交通機関に比べ格段に高速であり、便利だが、反面危険な面もあります。
 即ち我が国の航空機事故の約半数が、離着陸時に起きていると聞きます。従って、このような利
便性の高い交通機関の安全運航を確保するために、運行管理者(CAB)、航空会社(エアライン)
施設管理者(県、管理事務所)が一体となり、それぞれの職分ごとに最大限の努力が必要だと思い
ます。
 私共、空港施設管理者としては、常に空港が正常な整備状況の下で供用出来るよう、点検、管理
に努め、少くとも空港施設の管理点検の不備によるトラブルがあってはならないと念じております。


9.png
これは上に貼った1,200m滑走路当時の滑走路の北側エンド部分を拡大したものです。

ターニングパッド、西側だけ広がった形状ですね。

この部分のレイヤを作って確認したところ、

b.png
撮影年月日2022/03/03(令4)(CKU202112 C3 30) 

こちらは1,350mに拡張後の滑走路の同じ場所(青マーカー)。

ここだけ舗装が飛び出してますが、1,200m当時のターニングパッドとピッタリ重なりました。

白矢印部分、この斜めになってる角度こそ、旧ターニングパッド跡の証。

滑走路は延長しただけでなく、拡幅もしたのですね。

(滑走路東側のちょっと高くなってる所から300mmで飛び出た部分を探したけど分からなかった)


DSC_2561_00001.jpg
黄色マーカー地点。

VOR


DSC_2564_00001.jpg


DSC_2565_00001.jpg
灰マーカー地点。

R/W04側

以下エプロン横(黒マーカー)から。


DSC_2568_00001.jpgDSC_2569_00001.jpgDSC_2570_00001.jpg
以下ターミナル内外。


DSC_2572_00001.jpgDSC_2573_00001.jpgDSC_2574_00001.jpgDSC_2575_00001.jpg


DSC_2584_00001.jpg
展望デッキへは、ターミナル向って左端にあるこのドアから。


DSC_2577_00001.jpgDSC_2576_00001.jpg
奥にあるのは双眼鏡ではないです。カメラ?


DSC_2578_00001.jpgDSC_2579_00001.jpgDSC_2580_00001.jpgDSC_2581_00001.jpgDSC_2582_00001.jpgDSC_2583_00001.jpg
以下滑走路反対側(赤マーカー)から。


DSC_0003_00001.jpgDSC_0005_00001.jpgDSC_0006_00001.jpgDSC_0010_00001.jpgDSC_0016_00001.jpgDSC_0018_00001.jpgDSC_0024_00001.jpgDSC_0027_00001.jpgDSC_0028_00001.jpgDSC_0034_00001.jpg

DSC_0041_00001.jpgDSC_0042_00001.jpg
最後、離陸するヒコーキを追っていくとどうなるか、ちゃんと考えてなかったため、こんな写真に(つД⊂;)




     鹿児島県・沖永良部空港(えらぶゆりの島空港)         

    ビュー:☆☆☆☆★  
屋上に無料展望デッキあり。
滑走路側は高いフェンスが張られているが、細長い窓が設けてあり、エプロン、滑走路全域見渡せる


    施設:☆☆☆☆★  
ターミナル前に無料駐車場あり
こじんまりしたターミナル。売店あり。スタッフの方は皆さん気さくで親切でした


    マニア度:☆☆☆☆★  
周辺は撮影スポットに恵まれている


    総合:☆☆☆☆★  
南の島の小さな空港


沖永良部空港 データ(昭和61年当時:主に沖永良部空港回顧誌から)
設置管理者:鹿児島県
種 別:第3種空港
所在地:鹿児島県大島郡和泊町国頭地内
標 点:27°25′35″N 128°42′23″E
標 高:27.81m
面 積:204.975㎡
着陸帯:1,320mx90m
滑走路:1,200mx30m
方 位:04/22
誘導路:70mx18m
エプロン:7,000㎡(YS-11型用2バース)
駐車場:2,249㎡(127台)
照明施設:進入角指示燈、滑走路末端識別燈
無線施設:NDB,VOR,対空通信施設、テレタイプおよび自動中継装置
気象施設:雲高計、無線模写受画装置、一般気象観測器一式
ターミナルビル:RC1階建、304㎡(町,民) 手荷物検査場48.51㎡

・沖永良部空港 データ(現在:主に県公式サイトから)
設置管理者:鹿児島県
種 別:地方管理空港
3レター:OKE
4レター:RJKB
所在地:鹿児島県大島郡和泊町
運用時間:8時30分~18時30分(10時間)【4月1日~9月30日】 
     8時30分~17時30分(9時間)  【10月1日~3月31日】
標 点:27°25′54″N 128°42′20″E
標 高:26.8m
面 積:398,351㎡
着陸帯:1,470m×150m(E級)
滑走路:1,350m×45m(LA-4)
方 位:04/22
誘導路:62.5m×18m
エプロン:165m×70m(プロペラ-3)
駐車場:120台
照明施設:昼間着陸用灯火1式
無線施設:VOR,TACAN,RAG

沿革
1965年度   空港立地調査開始
1966年03月 14日 飛行場設置許可申請
1967年03月 16日 空港設置に関する公聴会
     06月 15日 空港設置許可
     07月  4日 着工
1969年03月 11日 完成
     04月 21日 大阪航空局沖永良部空港出張所開設
     05月 1日 開港。東亜航空DH114ヘロン機にて、奄美大島不定期便運航開始。後にYS-11型機に変更
       31日     第3種空港政令指定
1972年02月 11日 鹿児島線、奄美経由の定期便を経て鹿児島直行1往復、奄美経由1往復化
1974年01月 3日 NDB供用開始
     08月 30日 VOR、TACAN供用開始
1975年02月 14日 航空灯火設置許可(昼間照明)
1976年08月 1日 進入角指示燈、末端識別燈供用開始。鹿児島線2往復4便、奄美線1往復化
1979年08月 10日 南西航空初就航。与論経由那覇線、毎週月・水・金運航
     10月 3日、空港管理事務所新設。29日、照明制御操作盤移設。30日、移転
1981年08月 20日 滑走路嵩上工事(グルーピング)
1983年06月 15日 航空灯火変更許可(予備電源)
     12月 10日 日本エアコミューター初就航。ドルニエ228-200型にて奄美線
     12月 23日 航空灯火(予備電源)着工
1984年02月 20日航空灯火(予備電源)完成。22日試験終了
     05月 2日 航空灯火(予備電源)供用開始
1988年07月 日本エアコミューター、鹿児島線開設、YS-11就航(日本エアシステムから路線移管)
1992年04月 2日 航空灯火変更許可(PAPI)
1993年03月 5日 航空灯火変更供用開始(PAPI)
1999年03月 19日 空港施設変更許可(R/W1,350m×45m)
2002年08月 30日 空港施設変更許可(Q400就航に備えた滑走路等強度変更)
2005年05月 12日 空港施設変更供用開始(Q400就航に備えた滑走路延長1,350m×45m,滑走路等強度変更)
2008年03月 エアードルフィン、那覇線就航(セスナC208型機)
2016年02月 13日 愛称「えらぶゆりの島空港」決定記念セレモニー

関連サイト:
沖永良部島観光サイト 
鹿児島県/沖永良部空港 
国交省/沖永良部空港(41コマ)
ブログ内関連記事

この記事の資料:
福岡管区気象台要報(福岡管区気象台, 1982-03)
沖永良部空港 回顧誌(昭和61年12月発行)
全国空港ウォッチングガイド


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奄美群島・1(後編) [■旅行記]

(前記事の続きです)

前回のあらすじ:那覇に着陸のはずが鹿児島空港に緊急着陸。ソーキそばも食べずに羽田に戻ることに。


10:53「燃料補給を開始します。シートベルトは外しておいてください」

この「ベルト外しておいてください」って、

「ベルト着用サインは消えたけど、万一に備えてなるべくベルトしといてね」

みたいな意味でしょ?

オイラは外さないよ?(ドヤ)

…と思ってたんですが、CAさんが見回りをして、「ベルト外しておいてください」

わざわざ言って回ってます(慌てて外した)。

燃料補給で万一の事態になった時、一刻も早く脱出できるように、ということなんでしょうか。

もう10年以上前の話ですが、確か石垣空港だったか、

燃料補給のために乗客が全員荷物持って一旦機外に出たことがあるんですが、

今はそこまでしなくて良くなったのかしらん。

オイラのすぐ後席に外国のご家族が座ってて、

CAさんが「ノーファッスン」「アンファッスン」と一生懸命説明してました。

11:08 「10分で燃料補給終了。その後必要な作業に10分かかります」

11:39「雷のため作業を停止しております」

今後のスケジュールについていろいろ考えたんですが、

羽田に戻ったら、徳之島に飛ぶチケットが取れるかどうか、試してみよう。

という結論に(後から考えたら、今スマホ使えるんだからサッサと機内で確認すれば良かった)。

さしあたって今日の沖永良部の宿泊とレンタカーはキャンセルしとこう。

スマホで予約サイトからキャンセルに進むと、予約番号を入力せよとなっています。

メールを開いて、予約番号を確認しようとしたその時でした。

11:48 「那覇の津波警報が注意報になったため、行き先を那覇に変更致します」

一時アナウンスを中断するほどの歓声。

床を踏み鳴らす人まで(*´∀`*)ワー

12:03「これから燃料補給を開始します」

12:13 「燃料補給完了しました。出発は12:30過ぎの予定です」

12:33 「出発準備が完了しました。シートベルトをお締めください」

12:45 プッシュバック開始

12:53 R/W34から離陸。


10時に鹿児島空港に緊急着陸して、約30分後に「羽田に戻る」とアナウンスがあり、

10分で燃料補給をして11時に出発という予定だったのに、

気が付けばもう13時前。

鹿児島空港に3時間弱滞在していました。

雷で燃料補給のできない状態がずっと続いたんでしょうか。

特に問題がなければ、サッサと燃料補給済ませて、予定通り11時に鹿児島空港を離陸し、

鹿児島空港→羽田の所要時間は2時間弱なので、ちょうど今頃羽田についていたはず。

(雷のせいだとすれば)雷様様ですね。

鹿児島空港は今年の1月に来たばかりだったんですが、
 
まさかこんな形で再訪することになろうとは夢にも思いませんでした。
 
羽田からの離陸の際は、あ、離陸が始まった。と思ったら、いつの間にかさり気なく離陸してて、
 
おお、如何にもエアバスらしい。と思っていたのですが、
 
鹿児島からの離陸の際は、背もたれにがッ!! と押し付けられるような、

「オレだって本気出せばこんな急加速できるんだぜ?」という感じでした。

いや~、良かった良かった。なんてこと考えてる間に、窓の外には沖縄本島が見えてきました。


19632.jpg


さて。

無事那覇に行けるようになったまでは良かったのですが、

果たして乗継便に間に合うのだろうかという次の問題が。

沖永良部空港行きの便は14:35発

搭乗口は28番

ご存知の方はご存知と思いますが、那覇空港の28番搭乗口は、

沖止め専用の搭乗口(離島便等小型機が多い)で、

28番搭乗口を通過したら、すぐ前に停車しているバスに乗って、駐機場まで移動することになります。

しかも28番搭乗口は1Fにあるため、

2階の保安検査所を抜けたら(今回は抜ける必要ないけど)、ズラリと続く搭乗口を横目に1Fに降りないといけないのだ。

(保安検査所から一番近いのがせめてもの)

要するに、28番搭乗口は他の搭乗口より移動に余計に時間がかかるのです。

13:59 ギアダウン


1.png
↑旅行から戻ってスクショした画像なんですが、行き先が羽田のままになってますね。
3.png
14:02 那覇空港新滑走路(R/W18R)に着陸。

14:14 スポットに停止。

7:15頃搭乗したので、機外に出るのはほぼ7時間後。

周囲の小さな子供連れのご家族も、「7時間もちゃんと大人しく乗ってられたから、ハワイも行けるね〜」

なんて話してました。

この間、オイラは飲まず食わずでトイレにも立たなかったのですが(窓席だったし)、

普段の寝不足を解消しようと、アナウンスをメモしたり、情報収集以外はひたすら寝てたので、

ドリンクサービスも一切受けませんでした。

状況のせいか食欲も沸かなかったし、トイレも(そんなには)切羽詰まってないです。

搭乗前に空弁食べてトイレ行っといて良かった。

那覇に着陸し、スポットに停止してドアが空くのを待っているタイミングだったと思うのですが、

「良かったら召し上がって下さい。申し訳ありませんでした」

とベテランCAさんから大きいクッキーを2枚差し出されました。

オイラだけピンポイントで手渡してきたことからすると、

オイラは「なんかずっと寝てるオッサンがおる」と把握されてたみたい(///∇///)

1人ひとりの状況を把握して、凄いですね。

7時間のフライトというのは、国際線なら普通なんでしょうけど、

本来2時間ちょいのフライトのはずなのに、不意にこんな長時間になってしまったにも関わらず、

質の高い接客を続けるCAさんには頭が下がりました。

そういえば、3時間駐機した鹿児島空港でも、豪雨の中、

赤い合羽のスタッフさんがエプロンを走り回ってました。

本当に大変なお仕事ですm(_ _)m

 
羽田に戻ると聞かされ、旅行自体がどうなるかもおぼつかない状況の中、

行き先が羽田から本来の目的地である那覇に変更されたとアナウンスされた時、

己の旅行計画が潰れずに済んだと嬉しさしかなかったのが正直なところだったのですが、

震度6強の揺れ、それに傾いた建物の画像をみれば、

「死者1人、50名負傷」というのは第一報に過ぎないのだろうというのは分かりきったこと。

被害が最小で済むよう、復興が1日も早く進むよう、願うばかりです。

もう数年前の話になってしまうのですが、戦時中に日本軍が台湾に建設した飛行場の記事を作成していた際、

台湾の大学教授に地図作成で大変お世話になったのでした。

台湾と聞けば、先生の事を思い出すのですが、先生は無事なのだろうか。

無事だと良いのですが。

 
14:20 ヒコーキから降りると、出発の10分前までに28番搭乗口につかないといけないので、

あと5分あります。

なんとか計算できる時間に間に合った。

ふう。沖止めでバス移動とかだったら危ないところだったゼ。

搭乗口を抜ける際、スタッフさんがボードを手に乗継便の呼びかけをしてる。

こういう場面はこれまでも何度か目にしてきたけど、

ついにオイラも呼ばれる側になったか。と思ったら、

呼んでいるのは久米島便(とあと何かの便)でした。

オイラはお呼びでなかった(///∇///)

もう乗客がバスに乗り始めてる頃かも。と焦りながら28番搭乗口に行くと、沖永良部便はなんと10分遅れ。

沖永良部便そのものが津波の影響で遅れているとのことでした。
19634.jpg19635.jpg

(音が出ます。離陸は1:12~)


ということで、一時はどうなることかと思いましたが、無事沖永良部行きのヒコーキに乗れたのでした。

よ、良かった~。

一時は旅行全体の中止も覚悟したのですが、ともかくこれで旅行が続行できそうです。

本来なら、那覇で4時間近く時間が空くので、アレコレ食べて、

すっかり完成した新国際線ターミナル見て、瀬長島行って〜とトキメいていたのですが、

そんなことする暇は一切なくなってしまいました。

今回の旅程は、沖永良部から島伝いに沖縄から離れてゆき、最終日は奄美空港から羽田行きの直行便なので、

那覇空港を利用する機会は残念ながらもうありません。

まあ、予定を崩さずに済んだだけ御の字です。

 
15:35 沖永良部空港到着

ターミナル入口でレンタカー屋さんが待っててくれました。

ターミナルを出ると、見える場所にレンタカー屋さんがあるので、

わざわざ送迎なんてしてくれなくても。

と、出発前は考えていたのですが、重い荷物でヨタヨタなので、

短い距離でも送迎は非常にありがたいです。

手続きを済ませ、まずは図書館へ。

郷土史コーナーに入ると、確か町史のことだったと思うのですが、今はちょうど「編纂作業のピーク」とのことで、

一室の奥には大きな机に山のように書籍が積まれ、高齢の御仁がページをめくってました。

大きなホワイトボードには、校正用と思われる走り書きがビッシリ。

そしてこの郷土史コーナーで、「沖永良部空港回顧録」という、

まさにこの本に出会うためにこの島に来たのだ。といわんばかりの書籍発見。

許可を得て撮らせて頂けることに。

沖永良部島のお天気ですが、本日は晴天なのに、明日は1日曇の予報になっています。

それでお天気の良い今日中に撮影を済ませておくことに。
DSC_2562_00001.jpg
空港をぐるりと1周して、

ターミナルの反対側から滑走路越しに駐機しているヒコーキの出発を撮ろうと草地でじっと待っていると、

あー、無事ここに来れた。という実感が。

撮影が終わるともう18時過ぎ。

地元スーパーで夕食を調達しようとしたのですが、お弁当、お握り的なものは見当たらず。

島の棒状カマボコ、ヨーグルト、菓子パン、水を購入。

空港最寄りのホテルにチェックイン。

食事して風呂に入って、記録つけ。


IMG_20240403_184239663_HDR.jpg
えらぶカマボコ(今夜のプロテインバー)

島の言葉は、沖縄の言葉とかなり似通ってました。

 「めんそーれ」は有名だと思うのですが、

沖永良部島ではいらっしゃいませのことを、

「めんしょーり」と言い、

沖縄でありがとうは「にふぇーでーびる」なのですが、

こちらでは「みへでぃろどー」なのだそうです。

こうして、長い1日は終わったのでした。

21:00 寝る
 
(おやすみなさい)
 

続きます。

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奄美群島・1(前編) [■旅行記]


自宅→駐車場→坂戸駅→羽田空港→鹿児島空港→那覇空港→沖永良部空港→ホテル泊

2024年4月初旬、奄美群島に行ってきたのでした。

5日間で、沖永良部島、徳之島、喜界島、奄美大島と、4つの島を周る計画です。

今回の旅行先で最も遠い沖永良部空港から行くことに。

羽田→鹿児島→沖永良部 というのが自然な行き方だろうと思っていたのですが、

オイラがチケットを探した時には、羽田→那覇→沖永良部

というのが最も安い行き方でした。

遠回りになるのに安いのが不思議なんですが、

沖永良部への乗り継ぎに那覇空港で約4時間空くので、その間にイロイロできます。

但し、7:30羽田発のヒコーキに乗らねばなりません。

ところが田舎住まいの悲しさ、オイラの自宅最寄駅はT武T上線Tヶ島駅で、

ジョルダンで検索したところ、最速6:52に羽田に着けるは着けるのですが、

あの東京で3回も乗り換えがあり、待ち時間は0分~2分という超ハードモード。

全力ダッシュすれば不慣れをカバーできるのかもですが(走っちゃダメだけど)、

重いキャリーバッグ引きずるので移動は普段より寧ろもたつきます。

羽田到着がギリギリなので、1本でも乗り継ぎをミスったら、もうアウトです。

オイラにゃ絶対ムリ(XДX)

次なる方法として、自宅最寄駅から2つ先にS戸駅があり、

ここから羽田空港行きのバスが出ています。

坂戸駅4:35発のバスに乗れば、5:55に羽田空港に着けます。

ところが自宅最寄駅始発は5:11のため、4:35発のバスに全然間に合いませんつД`)

自宅から坂戸駅までは約3.5kmあり、重いキャリーバッグをゴロゴロしながら1時間歩くのはキツイです。

前日に坂戸駅のコインロッカーにキャリーバッグを入れておくというテも考えたんですが、

利用時間は始発(5時台)~なのでダメ。

坂戸駅若しくは羽田空港のホテルに前日から泊まろうか、

羽田空港近くの民間駐車場を使おうか、とかいろいろ考えたんですが、

いずれもデメリットが大きいです(主に金銭的に)。

当日の朝、坂戸駅まで弟に送ってもらおうか、とも考えたんですが、

こちらも精神攻撃&後々まで見返りが凄そう。

結局、坂戸駅から徒歩10分ちょいにある1泊330円の駐車場を利用することに。

ここは駐車スペースが広がる通常の駐車場ではなく、

個人宅の2台分の駐車スペースの1つを1日単位でお借りする方式です。

ネットで事前予約するのですが、最大2週間先まで予約可能(予約できる日が毎日1日ずつ増えてゆく)。

そこそこ人気の駐車場のため、5日間確実に予約できるよう、毎日更新かかってすぐ1日ずつ押さえました。

無事5日間通しで予約できて一安心。



ということで、前フリが長くなってしまいましたが、当日の朝を迎えました。

3:50 自宅出発

3:55 駐車場着(奇跡的に次々青信号がつながった)。

住宅密集地のため、静かに静かに駐車。

ここから徒歩で10分ちょいで坂戸駅へ。

気温10℃。手がかじかむ。

-50mmズームレンズのD7100と、-300mmズームレンズのD200の2台持ちで、ノートパソコン、

それに飲み物も数本入れたため、キャリーバッグとリュックどちらも7~8kgあります。

荷物が重い。道路のちょっとしたギャップでキャリーバックよろける~~~~(⊃゜Д゜)⊃

4:10 坂戸駅着

4:35 坂戸駅発のバスで羽田へ。

6:00 羽田1タミ着。

那覇空港での乗り継ぎに4時間以上空くからどうかと思っていたのですが、

預け荷物は、最終目的地の沖永良部空港受け取りで良いんですね。


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6:30 7番搭乗口着。

A350でした。

搭乗口に向かう途中のスポットも、「時代はA350」と言わんばかりにA350がズラリ。

もうこんなにA350なのか。

B787もまだ乗ったことないのに。。。


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10時過ぎに那覇空港に着いて即、空港食堂(安くて美味しい那覇空港名物店)に行くつもりだったので、

お腹空かしとこうか。とも思ったのですが、ヒコーキ眺めながら空弁。

(ここで朝食を採ったのが後々運命の分かれ目に)

7:15 頃に機内へ。

7:30 プッシュバック開始。

D滑走路(R/W05)からの離陸でした。

ヒコーキ乗るのも那覇に行くのも7年ぶりですヽ( ゚∀゚)ノウヒョヒョー

機内は沖縄に遊びに行く子供連れのご家族が多く、賑やかでした。

外国人のご家族もちらほら。

巡航に移ってしばし後、うとうとしているとアナウンスが。

「現在宮崎県沖を高度40,000ftで順調に飛行中です。今から15分後に降下開始します。

定時出発へのご協力ありがとうございます。お陰様で到着は定刻より5分早くなる予定です」

さあ、着いたら空港食堂でソーキそばだな。いや、先ずは大東すしか?

なんて呑気に考えていたのですが、実はこのアナウンスが流れる少し前の8:58

あの台湾地震が発生していたのでした。


9:32 機内アナウンス

「台湾で地震が発生、那覇で津波3mとの予報が入っています。当機はこれから鹿児島空港に緊急着陸します」

台湾地震がどれだけ甚大な被害となったか知っている今ならともかく、

この時の機内は観光旅行ムードですっかり浮かれており、完全に寝耳に水で、

アナウンスを聞いて小さく短く「えー?」という声が広がったのでした。

それでも下りる予定の那覇で「津波3m」と言われれば、致し方ありません。


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画像は flightradar24 から。以下2枚とも。

9:57 鹿児島空港 R/W34に着陸。


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10:01 駐機場に停止。

グーグルマップと比較したところ、多分ここは16番スポットの辺りで、

本来は小型機が機首を滑走路と並行に向けて、3機並んで駐機できるようにペイントされてました。

普段なら大型機が駐機しない場所ですが、緊急事態なので便宜的にココ使ったんでしょうね。


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着陸時、窓が真っ白に曇ってしまったのですが、かなり激しい雨が降っています。

10:15「全ての電子機器が使えます。現在分かっている情報では、鹿児島空港は他の緊急着陸機で混雑しております」

とのことで、スマホの機内モードをOFFにして情報収集。

震度6強で傾いたビルが映され、この時点で既に死者1名が出ていました。

この時までオイラは、鹿児島でちょっと待って、すぐ那覇に飛ぶものと思っていて

(9:02発表の沖縄本島津波到達時刻は10時ちょうどだった)、

「鹿児島空港は他の緊急着陸機で混雑」というのも、

「離陸にちょっと手間取りそう」という意味に受け取ってました。

(那覇で4時間余裕があるから助かったや。スケジュールは崩さずにすむでしょ)

なんて思ってたのですが、

台湾の地震とその影響は、想像していたのよりずっと深刻でした。

10:31 「那覇の津波警報が解除されないため、当機は11時に羽田に戻ります」

既に台湾地震の深刻さが知れ渡っていたせいなのか、機内は特にリアクション無し。

決定を坦々と受け止めている感じでした。


今回の旅行では、「1日1島」ペースで毎日次の島に移動するスケジュールを組んでおり、

チケットの変更は不可(安いから)(;´Д⊂)

これから羽田に戻って、改めて沖永良部空港に行っても、見学時間はほとんどとれません。

ならば、今回沖永良部の見学は諦めて、次の徳之島からスケジュール通りに周るようにすれば、

影響は最小限に抑えられるはず。

でも、これだけ大きな揺れだと、気象庁が「今後1週間は同程度の余震が~」なんて言ってるのよく見るしなぁ。

最悪の場合、向こう1週間、那覇空港は余震の影響を受け続け、奄美方面にも機材繰りのしわ寄せがくるかも。

となると、羽田に戻ったら、旅行は中止して、もう大人しく家に帰った方が良いのかしらん(´・ω・`)

   な ん て こ っ た _| ̄|○ il||li

突然陥った窮地に、そんなことをぐるぐる考えていたのでした。


(長くなってしまったので後編に続きます)

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溺れた話 [■ブログ]

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モッツァレラの香草カプレーゼ

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スモークサーモンのカルパッチョ

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濃厚チーズの雪山シーザーサラダ。サーブされてから削りチーズで真っ白に。

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自家製ローストビーフ -シャリアピンソース

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チーズの海に溺れるグリルチキン 皮パリパリ。オイラはコレが一番美味しかった。

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季節野菜のラクレットチーズがけ

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雪山チーズのボロネーゼ チーズで真っ白になる前にも撮っておけばヨカッタ

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チーズたっぷりハニーモンテビアンコ アイスにハチミツとチーズかかってて美味しい


チーズ好きシェフによるおまかせ8品。

※メニューは公式サイトからコピペしました。

「変更する場合あり」とのことで、間違えてたらゴメンナサイ。


前記事の通り、妹と弟がそれぞれ帯状疱疹とコロナになってキャンセルしていたのですが、

2人とも回復したため、3月下旬、弟と名古屋から改めて遊びに来た妹の3人で溺れに行ったのでした。

写真は全て3人分。

「コレ、1人分でもイイよね〜」なんて話していたのですが、

さすがチーズなだけのことはあり、最後は十分満足でした(その後デニーズ行ったけど)。

妹は「実家来たら、また来たい」と大層気に入ったご様子。


実はこのお店、年末に予約をいれていたのにキャンセルしてしまい、先月もキャンセルしてしまい、

三度目の正直でした。

お店の予約フォームには、「度重なるキャンセルの方は予約拒否の措置をとらせて頂きます」

的なことが書かれており、ビクビクだったのですが、無事予約が通って一安心でした。

今回はちゃんと行ったので、汚名返上できてると良いのですが。

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とほほ話 [■ブログ]

2月初旬また九州方面に行く計画だったのでした。

仕事、用事を完璧に済ませ、

出発前日の夕方仕事から戻って車から仕事関係の不要な物をすべて下ろし、旅行用の積み込み。

この後の伏線として積み込んだブツをわざわざ書き出してみますれば、

まずは水1箱(2Lx6本)、見学ポイントのファイル、撮影機材、入浴セット、5日分の衣類、

車中泊用の窓の目隠し、各種充電、栄養ドリンク、コーヒー、野菜ジュース、

床面をフラットにするための板を敷き、マットレスを敷き、車中泊用マクラをセット

ETCカードセット、最後におやつ(超重要)


特に今回は初日の見学箇所に時間制限があったため、出発時刻を午前2時半にせざるを得ず、

カーナビに目的地、経路設定まで済ませておくという念の入れよう。

前日までにできる準備を全て済ませると、もう21前。

そろそろ寝るか。というタイミングで、弟から「コロナになったかも」とLINEがΣ(゚Д゚;)

体温が39℃弱あり、簡易キットでの結果は、「測定不能」(浮き出る線が極めて不鮮明)とのことで、

明日病院に行くとのことでした。

同居する母は今のところ平熱らしい。

旅行先が関東圏内ならまた別なんですが、1日がかりで九州まで移動したところで、

「やっぱりコロナだった」だとマズイです。

ということで、旅行は中止にしたのでした。


結局弟は翌日病院で陽性判定が出て、その後40日間咳が続き、自宅隔離となったのでした。

後遺症が出なかったのがせめてもの。

高齢で病気持ちの母に染らなかったので一安心。

その後母は2月下旬に1人で沖縄に遊びに行き、

「すごく楽しかった。次は北海道行きたい。台湾も行きたい」などと、久々の沖縄を満喫したのでした。


実は九州から戻った翌週には、妹が名古屋から遊びに来ることになっていて、

チーズ好きな妹の熱望で、「チーズの海に溺れたい」という、

チーズそんなにな方にとっては店名だけで胸焼けしそうなお店に予約を入れていたのですが、

弟がコロナになったのと同じ日、妹は帯状疱疹になってしまい、予約キャンセルしたのでした。


そして最後にスギヒノキ花粉症のオイラ。

2月初旬は車中泊できるギリギリのタイミングだったのですが、

これを外してしまったため、花粉が収まるまで、しばらく車中泊旅行はおあずけと相成ったのでした。

とほほ。

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九州・5 [■旅行記]


Ⓐ三木SA→Ⓑ桂川PA→ⓒ岡崎SA→Ⓓ清水PA→Ⓔ自宅//


1:50 起床 

気温-1℃と低くて、一応寝袋も持ってきたんですが、布団と毛布2枚で十分でした。

車中泊中は、目を覚ましたら、まずは身支度を整えて、

それから目隠しを外して窓の内側にびっしりと付いた結露取りなんですが、

フロントとリアの結露が凍ってました(@Д@)

こんなこと初めてです。

幸いフロントはタオルで拭き取れるシャーベット状だったので良かったのですが、

リアは結構ガチガチだったので拭き取りはできず、走行中にデフォッガーを使用することに。


2:25 三木SA出発。

ここから自宅まであと600km弱。

リアデフォッガーON。

多分、この機能使うの人生初です。

3:30 桂川PA

5:20 岡崎SA こんな早朝なのに売店開いてたのでお土産購入。

ということで自宅に向けひた走っているのですが、実は少々困った事態に陥っていて、

自宅に到着してもまだまだ走行可能距離が余裕で残っていたのに、

その余分の走行可能距離が、100km走るごとに50km位の勢いでどんどん減ってゆくのです。

なんで? 気温か? 気温のせいなのか??(゚Д゚;≡;゚Д゚)

120km/h区間も大人しく100km/hで走行(でもやっぱりどんどん減ってゆく)。

この調子だと、東名道から圏央道に入る辺りで自宅にすら辿りつけなくなりそうです(;´Д⊂)

でも圏央道に給油できるSA、PAなんてあったかしらん。

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7:20 清水PAにてすた丼(前回で超気に入った)

店内で検索したところ、海老名SAに24時間営業のスタンドがあることが判明。

良かった~。

イザとなったら、ここで給油しよう。

…と思っていたのですが、オイラは東名道から分岐で圏央道を走るのに、

海老名SAは東名道にあり、しかも分岐の先でした。危ない。

圏央道に入ったところで、75km/h巡航の大型トラックの後ろについていくことに。

(本当はスリップストリーム使いたいけど使ってません)

すると、一時は自宅到着して9km分しか余裕のないところまで落ち込んでいた走行可能距離が、

少しずつ増え始めました。

た、助かった~。

これで勝てる(かも)。


最寄りのIC下りてすぐの所にスタンドあるので、そこまではもって欲しいのですが、

行きつけのスタンドだと会員割引使えるので、できればそこまで行きたい。

結局、自宅最寄りのICで降りて、買い物して、行きつけのスタンドで無事給油できました。

この時点で走行可能距離は残り18kmでした。

10:40 自宅着。

これで今回の旅行は終了です。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。

(もう続かない)


本日の走行距離:578km
総走行距離:3,387km
総燃費:25.32km/L

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