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東京都・母島海軍航空基地(計画) [├場所]

   2022/1更新(未訪問)  



無題7.png
撮影年月日1947/06/29(USA M796 27) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
 

東京都母島の「母島飛行場」。

父島の南約45km、東京から1,000km超のこの島には、「日本海軍の飛行場」伝説情報があります。

■「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」には、

母島海軍飛行場 1000x60

とあります。

またググってみると、僅かながら同様の情報がヒットします。

ただし、起伏に富むこの島には滑走路が建設できそうな適地が見当たらず、

当然飛行場跡の航空写真等も無く、(ホントにあったのかしらん)と思っていました。

そしてこの度、やっと内部資料に出ているのに気が付いたのでした(資料は前から持ってた)。


■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)の中に、

母島の項目がありました。

以下引用させて頂きます。

位置 母島
基地名 母島
飛行場 長x幅 米 1.000x60
収容施設 士官
主要機隊数 小型機
主任務 作戦
其の他記事 計画中

具体的に1,000mx60mという滑走路の長さも出ていますが、

最後の項目、「其の他記事 計画中」とありますね。

この資料が昭和20年8月調べであることからすると、計画段階のまま終戦を迎えたのではないかと。

海軍として母島のドコか特定の場所を計画地として念頭に置いていたのか、

それとも単に「母島に1,000m級の飛行場を造るぞ」という構想だけがあったのか、

「計画中」というのがどのレベルなのか不明なのですが、

「仮にココだとすると、こんな感じ」という作図がしたいと考え、

実際に1,000m滑走路が建設できそうな場所はないかと、グーグルアースや等高線をいろいろ眺めたのですが、

なんとか無理やり1,000mの直線がとれても、滑走路端にはすぐ山が控えていたりして、

残念ながらオイラには飛行場適地は見つかりませんでした。


あまりにも島全体が険しいため、

(もしかして、陸上飛行場じゃなくて水上機基地だったとか?)

なんてことも考えたのですが、資料を見る限り、ここは陸上飛行場のようです。

この資料は、東北から沖縄まで海軍の201の航空基地を網羅する一覧表なんですが、

水上機用は(水)、水陸両用は(両)と、基地名にきちんと表示が入るからです(陸上飛行場は無印)。

実際に母島のすぐ上の父島には(水)の記入があり、滑走路の長さの項目には、

滑走路の代わりに滑走台の長さ(60x30)が記されていました。

母島には(水)や(両)といった記入はありませんし、

離島で1,000mというのは、普通に考えて滑走台ではなく、滑走路のサイズですし、

仮にこれが滑走台ではなく離着水エリアのサイズだとしても、

(湖ならともかく)幅をたったの60mに狭める意味がありません。

ということで海軍の計画は、母島に水上機基地ではなく、やっぱり1,000mx60m滑走路なのだと思います。

建設のことだけで言えば、水上機基地の方がずっと容易で現実的というのは重々承知していたはずなのですが、

任務からすると、どうしてもここに1,000m級の陸上飛行場が必要だったんでしょうか。
 

以下一般論なのですが、

軍用飛行場建設は、これまでオイラが見てきた限り、

建設とその後の維持管理に周辺住民が駆り出されるケースばかりであり、

直接的な建設の労力のみならず、水食料から寝泊りする場所に至るまで、

地元の支援を受けたというケースもしばしば目にします。

建設、運用に伴う輸送のため、駅や重要道路からほど近いのもポイントです。

そのため、「陸の孤島」のような隔絶した場所ではなく、周辺にそこそこ集落のある場所が建設候補地となりました。

ところが母島の場合、戦局が厳しくなった昭和19年、住民6,886人は本土へ強制疎開となり、

以降20年以上事実上無人島になったのだそうです(軍属として残された方もいたらしい)。

母島はほぼ「山の島」で、揚陸可能な地点も限られており、道路も未整備です。

地元民の支援も期待できず、疎開後に残された島のインフラを利用するのがせいぜいとなると、

どうしても母島最大の集落(青マーカー地点)に目が向いてしまうのですが。。。

ともかく現段階ではこれ以上の情報がないため、オイラはこんな妄想がせいぜいです。

上に貼った航空写真は、終戦から2年弱のグーグルマップマーカー周辺です。

一体ドコに建設するつもりだったんでしょうか。。。



     東京都・母島海軍航空基地(計画)         
母島海軍航空基地(計画) データ
管理者:海軍
種 別:作戦・陸上飛行場
所在地:母島
滑走路:1,000mx60m(計画)

沿革
1945年08月 計画中

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)


コメント(4) 
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コメント 4

an-kazu

計画倒れの旧帝国海軍らしさ、が感じられます・・・


by an-kazu (2020-06-30 07:33) 

とり

■an-kazuさん
そんな側面が!Σ(゚Д゚;)
by とり (2020-06-30 19:00) 

guchi

小笠原には父島だけでなく母島もあったんですね
「旧ヘリポート」が気になり、新HをG-MAPで
探しましたが、見つかりませんでした ('ω')
そして「大漁寿司」をクリックしていた私です。
( 八丈島が最南端のguchiでした )
by guchi (2020-07-02 08:46) 

とり

■guchiさん
やっぱりヒコーキ好きって
考えることが似てくるんですねΣ(゚Д゚;)
( 同じく八丈島が最南端のとりより )
by とり (2020-07-03 21:00) 

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