奄美群島・1(後編) [■旅行記]
(前記事の続きです)
前回のあらすじ:那覇に着陸のはずが鹿児島空港に緊急着陸。ソーキそばも食べずに羽田に戻ることに。
10:53「燃料補給を開始します。シートベルトは外しておいてください」
この「ベルト外しておいてください」って、
「ベルト着用サインは消えたけど、万一に備えてなるべくベルトしといてね」
みたいな意味でしょ?
オイラは外さないよ?(ドヤ)
…と思ってたんですが、CAさんが見回りをして、「ベルト外しておいてください」と
わざわざ言って回ってます(慌てて外した)。
燃料補給で万一の事態になった時、一刻も早く脱出できるように、ということなんでしょうか。
もう10年以上前の話ですが、確か石垣空港だったか、
燃料補給のために乗客が全員荷物持って一旦機外に出たことがあるんですが、
今はそこまでしなくて良くなったのかしらん。
オイラのすぐ後席に外国のご家族が座ってて、
CAさんが「ノーファッスン」「アンファッスン」と一生懸命説明してました。
11:08 「10分で燃料補給終了。その後必要な作業に10分かかります」
11:39「雷のため作業を停止しております」
今後のスケジュールについていろいろ考えたんですが、
羽田に戻ったら、徳之島に飛ぶチケットが取れるかどうか、試してみよう。
という結論に(後から考えたら、今スマホ使えるんだからサッサと機内で確認すれば良かった)。
さしあたって今日の沖永良部の宿泊とレンタカーはキャンセルしとこう。
スマホで予約サイトからキャンセルに進むと、予約番号を入力せよとなっています。
メールを開いて、予約番号を確認しようとしたその時でした。
11:48 「那覇の津波警報が注意報になったため、行き先を那覇に変更致します」
一時アナウンスを中断するほどの歓声。
床を踏み鳴らす人まで(*´∀`*)ワー
12:03「これから燃料補給を開始します」
12:13 「燃料補給完了しました。出発は12:30過ぎの予定です」
12:33 「出発準備が完了しました。シートベルトをお締めください」
12:45 プッシュバック開始
12:53 R/W34から離陸。
10時に鹿児島空港に緊急着陸して、約30分後に「羽田に戻る」とアナウンスがあり、
10分で燃料補給をして11時に出発という予定だったのに、
気が付けばもう13時前。
鹿児島空港に3時間弱滞在していました。
雷で燃料補給のできない状態がずっと続いたんでしょうか。
特に問題がなければ、サッサと燃料補給済ませて、予定通り11時に鹿児島空港を離陸し、
鹿児島空港→羽田の所要時間は2時間弱なので、ちょうど今頃羽田についていたはず。
(雷のせいだとすれば)雷様様ですね。
鹿児島空港は今年の1月に来たばかりだったんですが、
まさかこんな形で再訪することになろうとは夢にも思いませんでした。
羽田からの離陸の際は、あ、離陸が始まった。と思ったら、いつの間にかさり気なく離陸してて、
おお、如何にもエアバスらしい。と思っていたのですが、
鹿児島からの離陸の際は、背もたれにがッ!! と押し付けられるような、
「オレだって本気出せばこんな急加速できるんだぜ?」という感じでした。
いや~、良かった良かった。なんてこと考えてる間に、窓の外には沖縄本島が見えてきました。
前回のあらすじ:那覇に着陸のはずが鹿児島空港に緊急着陸。ソーキそばも食べずに羽田に戻ることに。
10:53「燃料補給を開始します。シートベルトは外しておいてください」
この「ベルト外しておいてください」って、
「ベルト着用サインは消えたけど、万一に備えてなるべくベルトしといてね」
みたいな意味でしょ?
オイラは外さないよ?(ドヤ)
…と思ってたんですが、CAさんが見回りをして、「ベルト外しておいてください」と
わざわざ言って回ってます(慌てて外した)。
燃料補給で万一の事態になった時、一刻も早く脱出できるように、ということなんでしょうか。
もう10年以上前の話ですが、確か石垣空港だったか、
燃料補給のために乗客が全員荷物持って一旦機外に出たことがあるんですが、
今はそこまでしなくて良くなったのかしらん。
オイラのすぐ後席に外国のご家族が座ってて、
CAさんが「ノーファッスン」「アンファッスン」と一生懸命説明してました。
11:08 「10分で燃料補給終了。その後必要な作業に10分かかります」
11:39「雷のため作業を停止しております」
今後のスケジュールについていろいろ考えたんですが、
羽田に戻ったら、徳之島に飛ぶチケットが取れるかどうか、試してみよう。
という結論に(後から考えたら、今スマホ使えるんだからサッサと機内で確認すれば良かった)。
さしあたって今日の沖永良部の宿泊とレンタカーはキャンセルしとこう。
スマホで予約サイトからキャンセルに進むと、予約番号を入力せよとなっています。
メールを開いて、予約番号を確認しようとしたその時でした。
11:48 「那覇の津波警報が注意報になったため、行き先を那覇に変更致します」
一時アナウンスを中断するほどの歓声。
床を踏み鳴らす人まで(*´∀`*)ワー
12:03「これから燃料補給を開始します」
12:13 「燃料補給完了しました。出発は12:30過ぎの予定です」
12:33 「出発準備が完了しました。シートベルトをお締めください」
12:45 プッシュバック開始
12:53 R/W34から離陸。
10時に鹿児島空港に緊急着陸して、約30分後に「羽田に戻る」とアナウンスがあり、
10分で燃料補給をして11時に出発という予定だったのに、
気が付けばもう13時前。
鹿児島空港に3時間弱滞在していました。
雷で燃料補給のできない状態がずっと続いたんでしょうか。
特に問題がなければ、サッサと燃料補給済ませて、予定通り11時に鹿児島空港を離陸し、
鹿児島空港→羽田の所要時間は2時間弱なので、ちょうど今頃羽田についていたはず。
(雷のせいだとすれば)雷様様ですね。
鹿児島空港は今年の1月に来たばかりだったんですが、
まさかこんな形で再訪することになろうとは夢にも思いませんでした。
羽田からの離陸の際は、あ、離陸が始まった。と思ったら、いつの間にかさり気なく離陸してて、
おお、如何にもエアバスらしい。と思っていたのですが、
鹿児島からの離陸の際は、背もたれにがッ!! と押し付けられるような、
「オレだって本気出せばこんな急加速できるんだぜ?」という感じでした。
いや~、良かった良かった。なんてこと考えてる間に、窓の外には沖縄本島が見えてきました。
さて。
無事那覇に行けるようになったまでは良かったのですが、
果たして乗継便に間に合うのだろうかという次の問題が。
沖永良部空港行きの便は14:35発
搭乗口は28番
ご存知の方はご存知と思いますが、那覇空港の28番搭乗口は、
沖止め専用の搭乗口(離島便等小型機が多い)で、
28番搭乗口を通過したら、すぐ前に停車しているバスに乗って、駐機場まで移動することになります。
しかも28番搭乗口は1Fにあるため、
2階の保安検査所を抜けたら(今回は抜ける必要ないけど)、ズラリと続く搭乗口を横目に1Fに降りないといけないのだ。
(保安検査所から一番近いのがせめてもの)
要するに、28番搭乗口は他の搭乗口より移動に余計に時間がかかるのです。
13:59 ギアダウン
無事那覇に行けるようになったまでは良かったのですが、
果たして乗継便に間に合うのだろうかという次の問題が。
沖永良部空港行きの便は14:35発
搭乗口は28番
ご存知の方はご存知と思いますが、那覇空港の28番搭乗口は、
沖止め専用の搭乗口(離島便等小型機が多い)で、
28番搭乗口を通過したら、すぐ前に停車しているバスに乗って、駐機場まで移動することになります。
しかも28番搭乗口は1Fにあるため、
2階の保安検査所を抜けたら(今回は抜ける必要ないけど)、ズラリと続く搭乗口を横目に1Fに降りないといけないのだ。
(保安検査所から一番近いのがせめてもの)
要するに、28番搭乗口は他の搭乗口より移動に余計に時間がかかるのです。
13:59 ギアダウン
↑旅行から戻ってスクショした画像なんですが、行き先が羽田のままになってますね。
14:02 那覇空港新滑走路(R/W18R)に着陸。
14:14 スポットに停止。
7:15頃搭乗したので、機外に出るのはほぼ7時間後。
周囲の小さな子供連れのご家族も、「7時間もちゃんと大人しく乗ってられたから、ハワイも行けるね〜」
なんて話してました。
この間、オイラは飲まず食わずでトイレにも立たなかったのですが(窓席だったし)、
普段の寝不足を解消しようと、アナウンスをメモしたり、情報収集以外はひたすら寝てたので、
ドリンクサービスも一切受けませんでした。
状況のせいか食欲も沸かなかったし、トイレも(そんなには)切羽詰まってないです。
搭乗前に空弁食べてトイレ行っといて良かった。
那覇に着陸し、スポットに停止してドアが空くのを待っているタイミングだったと思うのですが、
「良かったら召し上がって下さい。申し訳ありませんでした」
とベテランCAさんから大きいクッキーを2枚差し出されました。
オイラだけピンポイントで手渡してきたことからすると、
オイラは「なんかずっと寝てるオッサンがおる」と把握されてたみたい(///∇///)
1人ひとりの状況を把握して、凄いですね。
7時間のフライトというのは、国際線なら普通なんでしょうけど、
本来2時間ちょいのフライトのはずなのに、不意にこんな長時間になってしまったにも関わらず、
質の高い接客を続けるCAさんには頭が下がりました。
そういえば、3時間駐機した鹿児島空港でも、豪雨の中、
赤い合羽のスタッフさんがエプロンを走り回ってました。
本当に大変なお仕事ですm(_ _)m
羽田に戻ると聞かされ、旅行自体がどうなるかもおぼつかない状況の中、
行き先が羽田から本来の目的地である那覇に変更されたとアナウンスされた時、
己の旅行計画が潰れずに済んだと嬉しさしかなかったのが正直なところだったのですが、
震度6強の揺れ、それに傾いた建物の画像をみれば、
「死者1人、50名負傷」というのは第一報に過ぎないのだろうというのは分かりきったこと。
被害が最小で済むよう、復興が1日も早く進むよう、願うばかりです。
もう数年前の話になってしまうのですが、戦時中に日本軍が台湾に建設した飛行場の記事を作成していた際、
台湾の大学教授に地図作成で大変お世話になったのでした。
台湾と聞けば、先生の事を思い出すのですが、先生は無事なのだろうか。
無事だと良いのですが。
14:20 ヒコーキから降りると、出発の10分前までに28番搭乗口につかないといけないので、
あと5分あります。
なんとか計算できる時間に間に合った。
ふう。沖止めでバス移動とかだったら危ないところだったゼ。
搭乗口を抜ける際、スタッフさんがボードを手に乗継便の呼びかけをしてる。
こういう場面はこれまでも何度か目にしてきたけど、
ついにオイラも呼ばれる側になったか。と思ったら、
呼んでいるのは久米島便(とあと何かの便)でした。
オイラはお呼びでなかった(///∇///)
もう乗客がバスに乗り始めてる頃かも。と焦りながら28番搭乗口に行くと、沖永良部便はなんと10分遅れ。
沖永良部便そのものが津波の影響で遅れているとのことでした。
14:14 スポットに停止。
7:15頃搭乗したので、機外に出るのはほぼ7時間後。
周囲の小さな子供連れのご家族も、「7時間もちゃんと大人しく乗ってられたから、ハワイも行けるね〜」
なんて話してました。
この間、オイラは飲まず食わずでトイレにも立たなかったのですが(窓席だったし)、
普段の寝不足を解消しようと、アナウンスをメモしたり、情報収集以外はひたすら寝てたので、
ドリンクサービスも一切受けませんでした。
状況のせいか食欲も沸かなかったし、トイレも(そんなには)切羽詰まってないです。
搭乗前に空弁食べてトイレ行っといて良かった。
那覇に着陸し、スポットに停止してドアが空くのを待っているタイミングだったと思うのですが、
「良かったら召し上がって下さい。申し訳ありませんでした」
とベテランCAさんから大きいクッキーを2枚差し出されました。
オイラだけピンポイントで手渡してきたことからすると、
オイラは「なんかずっと寝てるオッサンがおる」と把握されてたみたい(///∇///)
1人ひとりの状況を把握して、凄いですね。
7時間のフライトというのは、国際線なら普通なんでしょうけど、
本来2時間ちょいのフライトのはずなのに、不意にこんな長時間になってしまったにも関わらず、
質の高い接客を続けるCAさんには頭が下がりました。
そういえば、3時間駐機した鹿児島空港でも、豪雨の中、
赤い合羽のスタッフさんがエプロンを走り回ってました。
本当に大変なお仕事ですm(_ _)m
羽田に戻ると聞かされ、旅行自体がどうなるかもおぼつかない状況の中、
行き先が羽田から本来の目的地である那覇に変更されたとアナウンスされた時、
己の旅行計画が潰れずに済んだと嬉しさしかなかったのが正直なところだったのですが、
震度6強の揺れ、それに傾いた建物の画像をみれば、
「死者1人、50名負傷」というのは第一報に過ぎないのだろうというのは分かりきったこと。
被害が最小で済むよう、復興が1日も早く進むよう、願うばかりです。
もう数年前の話になってしまうのですが、戦時中に日本軍が台湾に建設した飛行場の記事を作成していた際、
台湾の大学教授に地図作成で大変お世話になったのでした。
台湾と聞けば、先生の事を思い出すのですが、先生は無事なのだろうか。
無事だと良いのですが。
14:20 ヒコーキから降りると、出発の10分前までに28番搭乗口につかないといけないので、
あと5分あります。
なんとか計算できる時間に間に合った。
ふう。沖止めでバス移動とかだったら危ないところだったゼ。
搭乗口を抜ける際、スタッフさんがボードを手に乗継便の呼びかけをしてる。
こういう場面はこれまでも何度か目にしてきたけど、
ついにオイラも呼ばれる側になったか。と思ったら、
呼んでいるのは久米島便(とあと何かの便)でした。
オイラはお呼びでなかった(///∇///)
もう乗客がバスに乗り始めてる頃かも。と焦りながら28番搭乗口に行くと、沖永良部便はなんと10分遅れ。
沖永良部便そのものが津波の影響で遅れているとのことでした。
(音が出ます。離陸は1:12~)
ということで、一時はどうなることかと思いましたが、無事沖永良部行きのヒコーキに乗れたのでした。
よ、良かった~。
一時は旅行全体の中止も覚悟したのですが、ともかくこれで旅行が続行できそうです。
本来なら、那覇で4時間近く時間が空くので、アレコレ食べて、
すっかり完成した新国際線ターミナル見て、瀬長島行って〜とトキメいていたのですが、
そんなことする暇は一切なくなってしまいました。
今回の旅程は、沖永良部から島伝いに沖縄から離れてゆき、最終日は奄美空港から羽田行きの直行便なので、
那覇空港を利用する機会は残念ながらもうありません。
まあ、予定を崩さずに済んだだけ御の字です。
15:35 沖永良部空港到着
ターミナル入口でレンタカー屋さんが待っててくれました。
ターミナルを出ると、見える場所にレンタカー屋さんがあるので、
わざわざ送迎なんてしてくれなくても。
と、出発前は考えていたのですが、重い荷物でヨタヨタなので、
短い距離でも送迎は非常にありがたいです。
手続きを済ませ、まずは図書館へ。
郷土史コーナーに入ると、確か町史のことだったと思うのですが、今はちょうど「編纂作業のピーク」とのことで、
一室の奥には大きな机に山のように書籍が積まれ、高齢の御仁がページをめくってました。
大きなホワイトボードには、校正用と思われる走り書きがビッシリ。
そしてこの郷土史コーナーで、「沖永良部空港回顧録」という、
まさにこの本に出会うためにこの島に来たのだ。といわんばかりの書籍発見。
許可を得て撮らせて頂けることに。
沖永良部島のお天気ですが、本日は晴天なのに、明日は1日曇の予報になっています。
それでお天気の良い今日中に撮影を済ませておくことに。
ということで、一時はどうなることかと思いましたが、無事沖永良部行きのヒコーキに乗れたのでした。
よ、良かった~。
一時は旅行全体の中止も覚悟したのですが、ともかくこれで旅行が続行できそうです。
本来なら、那覇で4時間近く時間が空くので、アレコレ食べて、
すっかり完成した新国際線ターミナル見て、瀬長島行って〜とトキメいていたのですが、
そんなことする暇は一切なくなってしまいました。
今回の旅程は、沖永良部から島伝いに沖縄から離れてゆき、最終日は奄美空港から羽田行きの直行便なので、
那覇空港を利用する機会は残念ながらもうありません。
まあ、予定を崩さずに済んだだけ御の字です。
15:35 沖永良部空港到着
ターミナル入口でレンタカー屋さんが待っててくれました。
ターミナルを出ると、見える場所にレンタカー屋さんがあるので、
わざわざ送迎なんてしてくれなくても。
と、出発前は考えていたのですが、重い荷物でヨタヨタなので、
短い距離でも送迎は非常にありがたいです。
手続きを済ませ、まずは図書館へ。
郷土史コーナーに入ると、確か町史のことだったと思うのですが、今はちょうど「編纂作業のピーク」とのことで、
一室の奥には大きな机に山のように書籍が積まれ、高齢の御仁がページをめくってました。
大きなホワイトボードには、校正用と思われる走り書きがビッシリ。
そしてこの郷土史コーナーで、「沖永良部空港回顧録」という、
まさにこの本に出会うためにこの島に来たのだ。といわんばかりの書籍発見。
許可を得て撮らせて頂けることに。
沖永良部島のお天気ですが、本日は晴天なのに、明日は1日曇の予報になっています。
それでお天気の良い今日中に撮影を済ませておくことに。
空港をぐるりと1周して、
ターミナルの反対側から滑走路越しに駐機しているヒコーキの出発を撮ろうと草地でじっと待っていると、
あー、無事ここに来れた。という実感が。
撮影が終わるともう18時過ぎ。
地元スーパーで夕食を調達しようとしたのですが、お弁当、お握り的なものは見当たらず。
島の棒状カマボコ、ヨーグルト、菓子パン、水を購入。
空港最寄りのホテルにチェックイン。
食事して風呂に入って、記録つけ。
えらぶカマボコ(今夜のプロテインバー)
島の言葉は、沖縄の言葉とかなり似通ってました。
「めんそーれ」は有名だと思うのですが、
沖永良部島ではいらっしゃいませのことを、
「めんしょーり」と言い、
沖縄でありがとうは「にふぇーでーびる」なのですが、
こちらでは「みへでぃろどー」なのだそうです。
こうして、長い1日は終わったのでした。
21:00 寝る
(おやすみなさい)
続きます。