SSブログ

大分県・海軍航空廠高城発動機工場跡 [├場所]

   2024年1月訪問  



1.png
撮影年月日1948/03/30(昭23)(USA R230 39) 終戦から2年半。工場敷地の様子がまだ残っている
8.png
撮影年月日1961/04/25(昭36)(MKU612 C4 18) 第六工場以北は道路が設けられ、ほぼ宅地化
a.png
撮影年月日1975/03/13(昭50)(CKU749 C3 20) 第六工場周辺のみクローズアップ
b.png
撮影年月日2007/04/29(平19)(CKU20071 C19 23) 最後まで残った第六工場。ドラッグストアは立替た模様
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。上4枚とも)


大分県大分市高城(たかじょう)西町にあった「海軍航空廠高城発動機工場」。

当工場で実際に勤務しておられた方が作成した工場の(もの凄く分かり易い)パネル図が、

大分縣護國神社の言霊記念館にあり、これがいくつかのサイト様で閲覧できます 

日豊本線と台地に挟まれた東西に細長い敷地で、敷地の西端に正門があって、分解担当の第一工場があり、

分解、仕上、組立、補機、試運転担当の第六工場、発送担当の第七工場が敷地の東端にありました。

「傷ついたエンヂンが送り込まれた」等説明があることから、

ここは単なるエンジン生産工場ではなかったのですね。


■「九州の戦争遺跡」168p に以下記されていました。

海軍航空廠高城発動機工場跡 〇大分市高城西町
 
 高城駅の南側は、かつて第12海軍航空廠の発動機(エンジン)工場があった所である。工場敷地は日豊本線と現在高城美晴台団地がある台地に挟まれた場所で、昭和十五(一九四〇)年に着工し、昭和十七(一九四二)年に完成した。
 ここには六つの工場があり、台地斜面には空襲を避けるため工場壕が掘削された。機密を守るため、ここを通る列車は車内から見えないように窓の鎧戸を閉めさせられたそうである。
 戦後は、第六工場(防音設備を備えたエンジン試運転工場)だけを残し工場群は解体され、敷地跡は新しい道路が造られ、住宅地やショッピングセンターとなった。
 第六工場跡はしばらく焼酎工場として利用されていたが、平成十九(二〇〇七)年に解体され、現在は大型パチンコ店になっている。
 解体前に筆者がこの工場跡を訪れたときには二階建の巨大なコンクリートの建造物が聳え立ち、内部に入ると分厚いコンクリートの壁に区切られた部屋が続き、入口の鉄扉には無数の機銃掃射の弾痕穴があいていた。
 歴史的に貴重な遺構であり、地元の平和団体の方が保存運動をしておられたが、ついに実現できず、解体されてしまった。
 現在残る遺構は、ここから少し西に行ったところにあるイタリア料理店(中略)裏の台地下に工場壕跡が三つ残るだけである。


上に年代ごとの航空写真を貼りましたが、徐々に工場が姿を消していく様子が分かりますね。

「九州の戦争遺跡」によれば、最後に残っていた第六工場が2007年に解体されたとあります。

上に貼った最後の航空写真は2007年のものですが、まだ第六工場が写っています。

工場の最後の姿ですね。

残された三つの工場壕跡を見てきました。

DSC_2416_00001.jpg
赤マーカー地点。


DSC_2418_00001.png
青マーカー地点。


DSC_2422_00001.jpg黄色マーカー地点。



      大分県・海軍航空廠高城発動機工場跡         
海軍航空廠高城発動機工場 データ
設置管理者:海軍
所在地:大分県大分市高城西町
座 標:33°14'24.4"N 131°39'07.3"E
標 高:14m
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さは防衛研究所資料から)

沿革
1940年 着工
1942年 完成
1945年 終戦
2007年 第六工場解体

関連サイト:
ブログ内関連記事

この記事の資料:
九州の戦争遺跡


コメント(6) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
メッセージを送る