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大分県・鎮魂碑 [├場所]

   2024年1月訪問  




前記事のB29に体当たりした紫電改は、大分県竹田市山中に墜落してしまいました。

紫電改の墜落地近くにも鎮魂碑が建立されています。

先頭のグーグルマップは、鎮魂碑(赤マーカー)とB29墜落地点(青マーカー)です。

直線距離で約7.5km離れています。


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碑文(右側)
 昭和二十年五月五日、旧日本海軍戦闘機「紫電改」が米軍戦略爆撃機B29との空中交戦により当地西方の三本松芹川に墜落しています。すでに戦後七十余年が過ぎました。証言者も少なくなり、また戦闘記録等も殆どない中で唯一歴史証言となり得るのは物的証拠を探すことでした。戦争に関しての調査研究を行っているPOW研究会の協力もあり証言を元に地元関係者、有志の方々と調査を開始致しました。回数を重ねる中で初期の目的は不十分ながも達成できています。数十点の破片を回収でき、関係機関、旧海軍関係者、そして資料を通じての検証作業でしたが、「紫電改」に間違いないと確信するに至りました。これらを本地に保存展示することにより、故粕谷欣三海軍一等飛行兵曹をはじめ幾多の若者の想いを感じて頂ければと思います。二〇一九年(令和元年)五月吉日

碑文(左側・2度出てくる「撃」の字、「撃」の異体字:「車の下に山」が使われていました)
 昭和二十年春遅く大東亜戦争末期に方り沖縄攻防戦は酣で主要都市は連日の様に空襲を受け戦局は好転せず国民は悲壮な決意で本土決戦に備えて居た。五月五日快晴の朝北九州を爆撃して南方基地へ歸還中のB29十数機の編隊が現われた。これを追撃する大村海軍航空隊の日本戦斗機は飛燕の様な速さで襲いかかった。果敢な体当りである。銀翼が傾いて「空の要塞」B29は火を噴き乍ら東北方明治村の山中へ墜ちて行った。同時に我が戦斗機も亦当地の上流八百米の谷深く突込んでいった。この戦斗機こそ当時日本海軍が誇る「紫電改」であり単身操縦して散華したのは粕谷少年航空兵未だ紅顔十九才の若桜であった。
遺体は久保公民館に運ばれて安置された。埼玉県入間郡三ヶ島村(現所沢市)の出身である。宮ヶ瀬川の流れは清く緑滴る渓谷に雄魂は眠ったまゝである。三十余年を回顧して吾々は相謀り茲に碑を建て国家永遠の礎を築いた有形無形の教訓を永く後世に伝えんとす。昭和五十五年三月吉日

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墓碑を指し示す方向はご覧の通りで谷底。

わざわざ移植したりこの場所に建立したりする訳ですね。




     大分県・鎮魂碑         
鎮魂碑 データ
所在地:大分県竹田市久保
座 標:32°58'29"N 131°16'59"E
標 高:579.6m
(座標、標高は現地碑文から)

沿革
1945年05月 5日 B29に体当たりの末墜落
1980年03月 碑建立
2019年05月 資料展示

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この記事の資料:
現地の碑文


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