大阪府・八雲滑空道場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2023年10月訪問
1/25000「吹田」、「大阪東北部」昭和4年修正「今昔マップ on the web」より作成
大阪府守口市八雲北町にある守口市浄水場。
ここ(とその周辺)に、戦時中「八雲滑空道場」がありました。
ブログ大日本者神國也■ の盡忠報國様からこの「八雲滑空道場」について資料を頂きました。
■大阪奈良戦争遺跡歴史ガイドマップ3 によれば、
八雲滑空道場(飛行訓練場)市浄水場あたり
1942年(昭和17)6月18日付「朝日新聞」に大阪市立中学生の飛行訓練場として紹介されている。少年兵の航空訓練、グライダー(木製飛行機)の練習場であり、敷地1700坪、建坪180坪、教室24であった。
とのことで、同資料添付地図に八雲滑空道場1700坪として位置が描かれています。
盡忠報國様がこの資料と、1924年の該当地図から、大庭七番の荒地部分を特定。
ちょうど1,700坪の作図をして頂きました。
先頭のグーグルマップは、頂いた作図を使用したものです。
盡忠報國様貴重な資料と考察、作図をどうもありがとうございましたm(_ _)m
赤マーカー地点。
当時はこの周辺が滑空場だったはず。
大阪府・八雲滑空道場跡地
八雲滑空道場 データ
種 別:滑空場
所在地:大阪府守口市八雲北町3丁目
座 標:34°45'11.2"N 135°34'10.5"E
標 高:5m
面 積:0.57ha
滑空場:110mx70m(不定形)
(座標、標高、滑空場長さ、面積はグーグルマップ、グーグルアースから)
沿革
1942年 この頃滑空道場があった
関連サイト:
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この記事の資料:
大阪奈良戦争遺跡歴史ガイドマップ3
兵庫県・川西鳴尾飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2023年10月訪問
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
兵庫県西宮市高須町にあった川西航空機鳴尾製作所。
にしのみやデジタルアーカイブ様■ によれば、
昭和5年12月、川西航空機は本社と工場を神戸から現・高須町に移しました。海軍の指定工場だった同社は終戦まで、海軍のための水上機と飛行艇を主に設計、製造していました。
とのことです。
上に貼った航空写真の赤で囲った部分がそれで、海に面した部分に滑走台がありました。
■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行
の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」非公共用飛行場 として以下記されていました(8コマ)■
名 称 川西鳴尾飛行場
経営者 川西航空機株式会社
所在地 兵庫縣武庫郡鳴尾村
水陸の別 水
滑走区域 鳴尾村鳴尾字大□一番地先水面
備 考 (記載無し)
「川西鳴尾飛行場」としてちゃんと登録されていたんですね。
赤マーカー地点。
ここから駐機場が始まっていたはず。
青マーカー地点付近(以下3枚とも)。
現在は防波堤?が続いていて、壁の向こう側は鳴尾浜臨海公園等が整備されていますが、
当時はこの壁の向こう側は海で、滑走台が設置されていました。
ここで180°回頭すると、
こんな感じ。
約50m幅の駐機場の先には、工場の広大な敷地が広がってました。
兵庫県・川西鳴尾飛行場跡地
川西鳴尾飛行場 データ
経営者:川西航空機株式会社
種 別:水上機用飛行場
所在地:兵庫縣武庫郡鳴尾村(現・西宮市高須町1-3-1)
座 標:34°41'52.1"N 135°22'16.5"E
標 高:2m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1930年08月 神戸から移転して開設
関連サイト:
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兵庫県・国土交通省神戸航空交通管制部 [├場所]
2023年10月訪問
兵庫県神戸市西区にある「国土交通省神戸航空交通管制部」。
なじみの薄い管制部ですが、西日本の低高度空域の航空管制を担当しています(詳しくは下記リンク参照)。
元々当施設は「国土交通省大阪航空局 神戸航空衛星センター」で、
運輸多目的衛星(MTSAT-1R)の運用をしていたのですが、
同センターが廃止となり、改修して新たに「国土交通省神戸航空交通管制部」として運用されることに。
上に貼った2009年の航空写真、下側に3基の巨大パラボラアンテナが見えてますが、
これは運輸多目的衛星(MTSAT-1R)運用当時使用していたもので、現在は撤去されています。
兵庫県・国土交通省神戸航空交通管制部
国土交通省神戸航空交通管制部 データ
設置管理者:国交省
所在地:兵庫県神戸市西区井吹台東町7丁目6-2
座 標:34°42'19.8"N 135°02'42.3"E
標 高:118m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1999年04月 大阪航空局神戸航空衛星センター発足
2005年02月 26日 運輸多目的衛星(MTSAT-1R)打ち上げ。
2017年04月 センター内に神戸管制部準備室を設置
2018年10月 1日 施設内に神戸航空交通管制部発足
2019年 神戸航空衛星センター廃止
関連サイト:
国土交通省 航空局/航空管制の現状■
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兵庫県・繫昌飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2023年10月訪問
当飛行場については、なかなか具体的な位置を示す資料を見つけることができず、
後述しますが、各情報から上に貼った航空写真の位置が滑走路だったのではないかと考え、
先頭のグーグルマップに作図しました。
「多分こんなかなぁ」という程度のものです。
「繫昌飛行場」については米軍の資料の中に登場しており、
NAME:HANJO
POSITION:4mi,WSW of YASHIRO; 4mi,SE of HOJO
COORDNATES:34-54N 134-54E
CLASS:MLG u/c
SIZE-BEARING-SURFACE OF FIELD AND RUNWAYS:5100x230 NE/SW u/c
とあります。
名称に続けて、「社の西南西4マイル、北条の南東4マイル」とあり、
それぞれの示す地点を先頭のグーグルマップに黄、青のマーカーで示してあります。
社と北条のドコを起点にしているのか不明なんですが、なるべく中心地からにしたつもりです。
マップをご覧の通りで2つのマーカーは約2.7km離れているんですが、これでおおよその範囲が分かりますね。
続けて座標情報が"34-54N 134-54E"とあり、この範囲をグーグルマップに赤線で囲いました。
CLASS:MLG u/c とありますが、これは
MLG(Medium Bomber Landing Ground) u/c(Under construction)
ということで、米軍はここを「建設中の中型爆撃機着陸場」と見なしていたのですね。
最後に、5,100ftx230ft(1,554mx70m) 北東-南西 とあります。
ということで米軍資料の示す飛行場の方向、座標、滑走路長さと向きでアタリをつけ、
当時のこの周辺の航空写真を眺めまわした結果、最も怪しかったのが上の航空写真の位置でした。
「米軍資料からすると、ここじゃないかと思う」というオイラの主観でしかないので、
まったくの見当外れという可能性も大いにあると思いますが、
オイラにはこの周辺で他にそれらしい場所を見つけることができませんでした。
「兵庫県内の主な軍事遺跡」様■ にも、
「終戦間際1945年に繁昌飛行場を造成し、待機特攻隊が駐屯使用していた。」とありました。
終戦の年に作られ、特攻隊が使用とありますから、使用期間は本当に短かったはずで、
幻の飛行場になってしまい、位置が不明確なのかもしれません。
赤マーカー地点。
滑走路方向
兵庫県・繫昌飛行場跡地
繫昌飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:兵庫県加西市繁昌町
座 標:34°54'22.2"N 134°54'01.8"E?
標 高:83m
滑走路:1,454mx70m?
方 位:05/23?
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年 飛行場造成
関連サイト:
ブログ内関連記事■
赤井野グライダー訓練所(大日本飛行協会兵庫支部第二地方滑空訓練所)跡地 [├国内の空港、飛行場]
2023年10月訪問
兵庫県丹波市にあるひかみカントリークラブ。
ここは終戦まで滑空訓練所でした。
ネット上にある地元紙等にあった情報を以下まとめさせていただきました。
クラブハウス付近に「中級」の訓練場と格納庫があり、グリーンの一部が「初級」の訓練場で、
ヒメボタルが住む林の入り口左手に寄宿舎2棟と厨房と教官の官舎、
その奥にもう1棟格納庫があったのだそうです。
地元周辺の15歳前後の少年たちが集められ、最盛期には100人以上がここで訓練をしていたのだそうです。
当ゴルフ場の東南東約7kmに県立柏原高等学校があるのですが、
「柏原高校百年史」には、昭和16年に旧制柏原中が赤井野原野を開墾し、滑空訓練をしたこと、
同校が英語の模試で全国1位になった副賞に、主催会社からグライダー一式が授与されたこと、
等記されており、卒業生の父兄も同型の2機を贈呈。
昭和17年には同校の滑空班から甲種飛行予科練練習生が生まれ、以後、続々と予科練志願者が現たのだそうです。
ゴルフ場北側から。
兵庫県・赤井野グライダー訓練所(大日本飛行協会兵庫支部第二地方滑空訓練所)跡地
赤井野グライダー訓練所(大日本飛行協会兵庫支部第二地方滑空訓練所) データ
種 別:滑空場
所在地:兵庫県丹波市
座 標:35°09'11.5"N 135°00'41.2"E
標 高:117m
滑空場:800mx340m(不定形)
(座標、標高、滑空場長さはグーグルアースから)
沿革
1941年 旧制柏原中、赤井野原野を開墾。滑空訓練実施
1945年 終戦
関連サイト:
ブログ内関連記事■
近畿・2 [■旅行記]
Ⓐ道の駅 丹波おばあちゃんの里→Ⓑ赤井野滑空場跡地→ⓒ社(嬉野)飛行場跡地→Ⓓ繫昌飛行場跡地→Ⓔ国土交通省神戸航空交通管制部→Ⓕ川崎航空機明石飛行場跡地→Ⓖ神戸空港→Ⓗ川西鳴尾飛行場跡地→Ⓘ伊丹空港→Ⓐ八雲滑空道場跡地→Ⓑ防災用飛行場計画→ⓒ関空→Ⓓ道の駅 愛彩ランド(車中泊)
2日目
3:40 起
4:25 出発
4:30 給油
4:55 青白の某大手コンビニでお弁当買ったらちょうど、レジ前に並んでるお茶プレゼントキャンペーン中。
レジのおっちゃんから「ここから好きなの取ってもろたら」と言われました(o ̄∇ ̄o)ワーイ
この後、戦時中は滑空場として使用された山の中にあるゴルフ場に行ったのですが、
ゴルフ場を囲む細い道をゆっくり走ってたら、路上に2頭のシカが。
ピャッと山の中に消えたのですが、路駐して撮影してたら、また道路近くまで下りてきてこっちを見てたのでした。
9:00 国土交通省神戸航空交通管制部へ。
大きな施設で、入口前には警備員さんが。
撮影しても構わないか尋ねてみると、道路からでしたらどうぞどうぞとのことで、撮らせて頂く。
「道路の所から撮影したいという方が来てます」とどこかに連絡してましたΣ(゚Д゚;)
非常に気さくな警備員さんで、
「せっかくだからこの看板も撮ってもろて」
「ちょっと前まで大きなパラボラアンテナがあったんだけど、撤去されちゃったんだよね」
とのことでした。
ゴーヤーちゃんぷるぅ丼
神戸空港ターミナル前のキッチンカーで購入。
ゴーヤーの苦みと独特の香りがちゃんと残ってて、でーじ旨い。
マジ旨い。
その後、すっかり暗くなってからかんくうへ。
前回2009年にお邪魔した時はターミナル内をほとんど撮ってなかったので、
ターミナル内を撮影させて頂く。
20:50 寝る
おやすみなさい。
本日の走行距離:384km
(続きます)
今回お邪魔した場所のうち、再訪した所は既存の記事に追記してあります。
社(嬉野)飛行場跡地■
川崎航空機明石飛行場跡地■
神戸空港■
伊丹空港■
関空■
京都府・安井飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2023年10月訪問
『綾部』五万分一地形圖 明治26年測図/大正9年修正 『園部』五万分一地形圖 明治26年測圖/大正9年修正測圖■
報知新聞社 編『報知年鑑』大正14年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/976132 (参照 2023-10-29)■
報知新聞社 編『報知年鑑』大正15年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/976133 (参照 2023-10-29)上2枚とも■
報知新聞社 編『報知年鑑』大正16年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/976134 (参照 2023-10-29)■
『我等の田園生活』1927刊,京都府立京都第一中学校田園生活団,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1030690 (参照 2023-10-29)■
残念ながら飛行場の正確な位置、形は不明です。
資料に飛行場の広さが「4万坪」とあるため、先頭のグーグルマップの黄色のシェイプは、
「仮にここにあったとすると、4万坪はこんな大きさです」という程度のものですのでご了承ください。
飛行場のあった場所については、「曽根」「須知町」「院内」「高原」等の地名が挙げられています。
一般に飛行場の名称は地名からとられることが多いのですが、
「須知町」の南西約3kmに「安井」という地名があり、当初はここにあったのかと思ったのですが、
上に貼った資料の通りで、飛行場の所在地は「曽根」。
代表者/使用者は、安井荘次郎氏。
ということで、飛行場の名称は、地名ではなく代表者のお名前からとったようです。
大正時代に6年程しか活動していない飛行場なのですが、
それでも良質のサイト様がたくさんあります。
正確な位置をピンポイントで示したものはないため、自力で探すことになりますのだ。
上に貼った地図は大正9年測図ですが、安井氏が飛行場の造成にとりかかったのは大正10年ですから、
この地図は飛行場造成前年のものということですね。
肝心の「曽根」には道沿いに集落があり、その北側に等高線の間隔が広いエリアがあります。
(この地図では見切れてますが、「曽根」集落の南側は等高線が密集している)
それで、地図に赤丸で囲った辺りに飛行場が造成されたのではないかと。
幾つかの資料では、「河原に研究所を設けた」「河川敷に格納庫」といった表現があります。
地図の赤丸内の東側に川(青矢印)があり、もしかしたらここのことかもしれません。
造成翌年開場式が行われたのですが、
■京都府教育会何鹿郡部会 編『何鹿郡誌』,京都府何鹿郡教育部会,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1020239 (参照 2023-10-29)■
↑の資料によれば、
大正十一年十一月一日安井飛行場を船井郡須知町付近なる院内野に設く。常時飛行場の廣さ約八百三十アール。
とありました。
上に貼った資料では、「民間飛行機操縦術練習所」の項目に「安井航空機研究所」として紹介されています。
現代でいうところのフライトスクールとして登録していたのですね。
朝日新聞社 [編]『朝日年鑑』昭和4年,朝日新聞社,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1117692 (参照 2023-10-29)■
ここでは「死傷者十数名」とありますが、死者が1人出る事故となってしまい、
安井氏本人も昭和3年に大阪木津川尻飛行場にて墜落、死亡してしまい、飛行場はその後閉鎖となりました。
某サイト様に、安井飛行場運用当時の絵葉書が掲載されていました。
広々とした草地?が広がり、地上と上空に複葉機。背後に山並み。
というものです。
もう100年近く前の飛行場ですが、山並みの形はそうそう変わらないはず。と考え、
この画像を拡大印刷させて頂き、ストリートビューで似た山並みを随分探したのですが、
絵葉書とピッタリ同じ山並みは見つかりませんでした(手前の山脈と奥の山脈がうまく合致しない)。
それでも、最も似ている(と思われる)場所があり、
この絵葉書は、曽根の集落の北側から南東方向に向かって撮ったのではないかと思いました。
ということで、アタリをつけた場所にお邪魔して、絵葉書を印刷したものと見比べながらアチコチ探したのでした。
飛行場として広々と整地された当時と異なり、現在は建物が点在し、植生が広がり、
遠く山並みを見渡せる場所は限られています。
結局のところ、現地でも「ココ!!」という場所を探すことはできませんでした。
現地は京都の静かな山村という感じで、如何にも飛行場に適した広々と平坦な、美しい場所でした。
赤マーカー地点。
南東方向。
今から100年以上前、この辺りから写真奥に向って飛行場が広がっていて、
ヒコーキが飛んでいた(のではないか)と思うのですが。。。
京都府・安井飛行場跡地
安井飛行場 データ
代表者:安井荘次郎
種 別:陸上飛行場
所在地:京都府船井郡京丹波町曽根
座 標:35°10'02.4"N 135°24'27.2"E?
標 高:183m?
面 積:13.2ha
(座標、標高はグーグルアースから。面積は当時の資料から)
沿革
1921年 飛行場造成開始
1922年11月 1日 開場
1927年11月 3日 飛行大会中事故
1928年 安井氏、大阪木津川尻飛行場にて墜落、死亡。その後飛行場閉鎖
関連サイト:
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滋賀県・におの浜観光港(せとうちSEAPLANES試験飛行場) [├場所]
2023年10月訪問
前記事の通り、大津市では1972年まで水上機による遊覧飛行が行われていたのですが、
2020年11月24日、この場所から東南東約2kmの場所に仮桟橋が設けられ、水上機の実証飛行が実施されました。
水上機による遊覧飛行を50年ぶりに復活させようとする大津市が、
「せとうちSEAPLANES」社に運用実験を依頼したもので、
市がJTBに委託して募集した結果、16人の乗客が集まりました。
(「せとうちSEAPLANES」社は2022年に会社清算、全機登録抹消済み)
当時の記事等総合すると、実証飛行当日はおおよそ以下の流れだったと思います。
第1便は午前9時ごろ、乗客4人を乗せて関西空港を離陸。
京都市上空などで遊覧飛行を行い、約50分後、琵琶湖に着水(直行すれば25分程度らしい)。
におの浜に設置された仮桟橋発着で、2~4便が約30分間フライトしました。
第4便には佐藤健司市長ら行政関係者らが搭乗。
「光る琵琶湖が美しかった」「着水は普通の旅客機が着地するときより衝撃が少なくて驚いた」
等、搭乗客の評価は上々で、実験は成功裏に終わりました。
「小型船や水草の繁茂、ホテルとの連携など課題は多いが、琵琶湖は水面のうねりが少なく都会も近い。富裕層やインバウンドに需要があると思う」(せとうちSEAPLANES社長・当時)
「新たな人の往来が生まれることを期待し、事業者の皆さんと一緒に方法を模索したい」(佐藤市長)
とのことで、この成功を受け市としては「なぎさ公園周辺魅力向上プロジェクト」として、
遊覧飛行の事業化を探る。としていました。
前述の通り、1972年まで11年間水上機の遊覧飛行が行われていたのですが、
残念ながら利用低迷で廃止となった過去があります。
実はその後、県内の経済界や県も含め、復活を目指す動きがあったのですが、
河川法、自然公園法、漁業関係者との調整等の課題から実現していなかったのだそうです。
におの浜観光港(におの浜観光桟橋)
琵琶湖汽船の公式サイトには、
同社の「ミシガン」という外輪船がこの桟橋に接岸している様子が掲載されています。
写真はどれも船首を陸向きに桟橋につけているものばかり。
外輪が船尾についているせいで、バックで接岸すると接岸の停船時や出港時、
陸側にしぶきが降りかかって大変なことになるからかしらん。
それはともかく「接岸は左舷側」なので、上の写真の場合、船首から入って来ると、
船は桟橋のこちら側(西側)に接岸することになります。
実証飛行当時の記事を見ると、水上機の発着場所について、「におの浜桟橋」とするものと、
「仮桟橋」とするものがあります。
そして実際に桟橋に繋留している画像を見ると、「におの浜桟橋」の途中辺りから、こちら側(東側)に、
桟橋に対して直角に仮の桟橋を設けているように思います。
国土地理院の航空写真、グーグルアースの過去画像、ストリートビューで探しても、
「におの浜桟橋」に仮桟橋がくっついている画像は見当たらないのですが、
個人的には角度的にそう見えてなりません。
なんで外輪船が桟橋のドッチ側につけるかとかわざわざ触れたのは、
入港の際、船が船尾から入って来るとしたら、接岸は桟橋のこっち側になるため、
仮桟橋なんて余計なものをつけてる場合じゃないからです。
で、公式サイト等画像検索したところ、外輪船は桟橋の西側を使用しているため、
フリーな東側なら、仮桟橋の設置が可能だと考えたのでした。
実証飛行当時はコロナ禍真っただ中だった訳ですが、
「コロナ禍だからこそ、少人数移動というニーズの開拓が見込める」的な意見も見られました。
ところが肝心の「せとうちSEAPLANES」社自体がコロナ禍による需要低迷等からなくなってしまいました。
ANA総合研究所が2023年2月28日に「水上飛行機ビジネスの実現性について」と題する論文を出しており■
この中で「せとうちSEAPLANES」社を引き合いに出して、どうして日本で水上機ビジネスが厳しいのか、
非常に分かり易く解説しているのですが、
同時に湖沼等での運用が如何に水上機(を運用する航空会社)にとって有利かも示しています。
曰く、海面で運用の場合、毎日の水洗、週に一度の防錆作業の際は半日運用ができなくなるのだそうです。
琵琶湖発着の遊覧飛行が定着すれば、若しくは運用を淡水域に限定できればこれが不要となり、
航空会社の負担が相当軽減されます。
また水上機は天候に左右されることが陸上機よりはるかに多いのだそうで、
たとえば「せとうちSEAPLANES」社の規定では、波高30cmで運行不可だったのだそうで、
琵琶湖ならばこの面でも海よりはマシなのではないかと。
「せとうちSEAPLANES」社がなくなってしまったのは非常に残念なのですが、
琵琶湖での水上機運用については、同社ではなく、地元大津市に事業の意志があるため、
オイラとしましては、どこかが名乗りを挙げてくれることを願います。
滋賀県・におの浜観光港
におの浜観光港 データ
所在地:滋賀県大津市におの浜
座 標:35°00'22.8"N 135°53'17.5"E
標 高:84m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
2020年11月24日 「せとうちSEAPLANES」機による運用実験
関連サイト:
ブログ内関連記事■
滋賀県・京阪レークセンター水上機基地跡地 [├国内の空港、飛行場]
2023年10月訪問
撮影年月日1968/05/24(昭43)(MKK682 C6 5)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
1/25000「京都東北部」昭和42年改測「今昔マップ on the web」から作成
昭和36年から47年までの11年間、琵琶湖南岸に遊覧飛行用の水上機基地がありました。
この水上機基地の場所がなかなか絞り込めなかったため、大津市歴史博物館にメールを送ったのですが、
送信から僅か23分後に以下の返信が届いたのでしたΣ(゚Д゚;)
とり様
お問い合わせの件、お答えいたします。
基地の場所は、現在の 〒520-0041 滋賀県大津市浜町2のうち
タイムズ浜大津アーカス(第一)という屋外駐車場がある位置にありました。
当時は京阪レークセンターという施設の中にありました。
基地いっても、湖上から陸揚げするためのスロープと、水上機を留置する場所に簡単な柵が作られていたこと。
また、事務所の建物が1棟あったくらいです。
以下のページに写真を公開しております。
水上飛行機乗り場(昭和36年)|大津の古写真 (rekihaku.otsu.shiga.jp)
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/db/shashin/detail.html?4868
また、他にもいくつか写真がありますので、水上とかレークセンターなどで検索してください。
なお、大津には戦前にも水上機の基地が別な場所にありました。
天虎飛行研究所や天虎飛行場という施設で、昨年閉店した西武大津店の西側にありました。
いずれも昭和・平成と段階的に埋め立てられており、当時の痕跡はありません。
大津市歴史博物館
ということで、史上最速のメールによってご教授頂き、場所を特定することができたのでした。
大津市歴史博物館様、迅速で丁寧な対応誠にありがとうございましたm(_ _)m
赤マーカー地点。
当時はこの駐車場入口付近に水上機基地の事務所があって、
向い側に駐機場がありました。
現在はラウンドワンが建っています。
で、でかい!!
(みず)うみ←素で間違えた。だってデカいんだもん。
現在は埋立が進み、なぎさ公園が整備されています。
滋賀県・琵琶湖水上機基地跡地
琵琶湖水上機基地 データ
運航者:関西航空
種 別:水上機基地
所在地:滋賀県大津市5丁目
座 標:35°00'41.4"N 135°51'59.6"E
(座標はグーグルアースから)
沿革
1961年 開設
1972年 利用低迷で廃止
関連サイト:
大津市歴史博物館/大津の歴史データベース■■■
ブログ内関連記事■
滋賀県・びわ湖空港(計画中止) [├場所]
2023年10月訪問
滋賀県蒲生郡。
琵琶湖の南東部に位置するこの地域は一時、「びわこ空港」の候補地となっていました。
滋賀県が管理する2,000m滑走路を持つ空港として、平成17年度開港予定としていました。
地元からの反対等あり、後に当時の知事から正式に「計画は白紙に戻す」と発表があり、計画は中止となりました。
先頭のグーグルマップは、当時の関連する新聞記事をうんと拡大して、無理やり作図したものです。
候補地に2,000m滑走路を建設するとこんな感じ。
という程度のものです。
「びわこ空港等計画(案)の概要」(H9.7)では、
概算事業費 約1,580億円(うち空港建設約470億円)
需要予測
開港時(H17) 約76万人/年(4路線 13往復/日)
10年後(H27)約125万人/年(6路線 18往復/日)
とありました。
当空港計画については、ググるといろいろ関連記事が出てきます。
赤マーカー地点。
滑走路方向。
背後は山林で一気に標高が上がる。
滑走路方向の標高は160m~180m程度で起伏あり。
青マーカー地点。
滑走路南端部分から滑走路方向。
信号の先からまとまった集落なので、実際に建設するとしたらここはあり得ないですね。
滋賀県・びわ湖空港(計画中止)
びわ湖空港(「びわこ空港等計画(案)の概要」(H9.7)より) データ
設置管理者:滋賀県
空港種別:第3種空港(地方公共団体が設置・管理する空港)
所在地:滋賀県蒲生郡蒲生町・日野町
座 標:35°01'38.5"N 136°13'07.6"E
標 高:173m
面 積:約180ha
滑走路:2,000m
方 位:15/33
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)
沿革
1988年 蒲生・日野地区をびわこ空港の候補地として選定
1990年 「びわこ空港(仮称)基本計画(案)」を作成
1991年 国の第6次空港整備五箇年計画に予定事業として組入れ
1997年 計画案の見直し。「びわこ空港等計画(案)の概要」作成。2005年度開港予定
2000年 「立ち止まって考える」と判断
2005年 計画凍結
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