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■飛行場/跡地リストA■ 北海道~関東 [├国内の空港、飛行場]

字数制限のため二分割してあります。続き   
五十音順飛行場索引 場所が分からない飛行場   情報お待ちしておりますm(_ _)m
最終更新:2024/03/18 鹿児島県・小川飛行機練習所跡地 追加

4.PNG

 

 北海道 
■道北■ (COMPLETE)     
礼文空港     
利尻空港  
稚内空港   
稚内水上基地(稚内海軍飛行場)跡地
    
サロベツフライトクラブ滑走路
   
浅茅野第一飛行場跡地
   
浅茅野第二飛行場跡地
  
名寄駐屯地滑走路
   
愛別飛行場(運用当時)
    
 愛別飛行場(廃止後)
  
当麻滑空場    
トムラウシフライトクラブ
   
新得(西部地区)農道離着陸場
     
旭川飛行場    
旭川空港  
美瑛滑空場  
上富良野演習場飛行場
   
稚内不時着陸場跡地 

■道東■ (COMPLETE)     
紋別(オホーツク紋別)空港
  
旧紋別空港跡地
   
遠軽駐屯地滑走路
   
北見地区農道離着陸場(スカイポートきたみ)
    
旧女満別空港跡地     
女満別空港    
美幌航空公園    
美幌第一飛行場跡地    
美幌第三飛行場跡地
    
標津第二航空基地(川北飛行場)跡地   
旧中標津空港(標津第一航空基地)跡地      
中標津(根室中標津)空港       
計根別第一飛行場跡地     
計根別第二飛行場跡地    
計根別第三飛行場跡地    
計根別飛行場    
計根別第五飛行場跡地    
弟子屈飛行場跡地
   
別寒辺飛行場
   
矢臼別飛行場
   
根室航空機(花咲)不時着陸場、根室第一飛行場跡地   
根室航空基地(牧ノ内/根室第二飛行場)跡地
    
愛国釧路飛行場跡地   
釧路(たんちょう釧路)空港    
フライトパーク白糠
    
足寄芽登飛行場
  
上士幌航空公園  
然別演習場滑走路
   
帯広第二飛行場跡地
        
十勝飛行場    
帯広緑ヶ丘飛行場跡地       
音更飛行場跡地       
ホープランド飛行場     
豊頃(MICとよころ)飛行場(運用当時)       
豊頃(MICとよころ)飛行場(廃止後)  
豊頃町滑空場跡地   
帯広(とかち帯広)空港
      
上更別飛行場跡地
   
大樹町多目的航空公園
    
広尾(小紋別、豊似)飛行場跡地
   
能取水上基地跡地
  
厚岸水上機基地跡地
  
厚岸飛行場跡地  
北斗場外離着陸場跡地
  
トムラウシの飛行場
  
千代田滑空場跡地
  
中標津不時着陸場跡地 
弟子屈不時着陸場跡地 

■道央■ (COMPLETE)
深川市グライダー滑空場
   
赤平航空公園  
たきかわスカイパーク    
滝川駐屯地飛行場
   
美唄農道離着陸場(スカイポート美唄)
    
新篠津滑空場      
UFO PARK 飛行場
   
孫別演習場の滑走路
   
北大夕張川滑空場
   
南幌場外離着陸場   
王子江別飛行場跡地     
丘珠空港(札幌第二飛行場、新札幌飛行場、札幌飛行場)   
札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場跡地
   
札幌興農園(興農園耕地)飛行場跡地
   
島松演習場滑走路
   
北千歳駐屯地滑走路
   
千歳飛行場(千歳着陸場、千歳第一航空基地)
   
新千歳空港
    
千歳第二、第三飛行場跡地      
日本航空学園千歳校
     
鯉沼スカイパーク   
沼ノ端飛行場跡地   
新冠飛行場  
苫小牧不時着陸場跡地   
雲雀ヶ丘飛行場跡地  
アップルポート余市
  
倶知安駐屯地滑走路
  
大滝飛行場
 
白老滑空場  
敷生飛行場跡地  
幌別駐屯地滑走路跡地
  
室蘭飛行場跡地
    
小樽航空水上基地(小樽海軍飛行場)跡地
  
富浦不時着陸場跡地 
室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地 
シノダイ岬離着陸場跡地 
苫小牧飛行場跡地 
南恵庭駐屯地場外離着陸場跡地(未訪問) 

■道南■ (COMPLETE)    
八雲(室蘭八雲)飛行場
    
奥尻空港
    
旧奥尻空港跡地     
鹿部飛行場    
函館(赤川)飛行場跡地
   
函館空港
     

 東 北 
■青森県■ (COMPLETE)     
樺山飛行場跡地
     
大湊航空基地
      
青森(油川)飛行場跡地
      
旧青森空港跡地
     
青森空港
     
淋代海岸滑走路跡地
    
三沢空港
    
カワヨグリーン牧場滑走路
     
八戸駐屯地飛行場
      
八戸航空基地飛行場
    
三本木(三沢第二)飛行場跡地
  
茂浦水上機基地
  
淋代陸軍飛行場跡地 
木ノ下飛行場(木ノ下平臨時飛行場)跡地 

■岩手県■ (COMPLETE)   
観武ヶ原飛行場跡地
      
鶯宿滑空訓練所跡地
    
山田水上機基地跡地
     
花巻(いわて花巻)空港
    
岩手陸軍飛行場(後藤野飛行場)跡地
    
岩手県第二滑空訓練所跡地
     
金ヶ崎(高谷野原)飛行場跡地
    
小山(水澤)飛行場跡地
  
花巻の不時着陸用滑走路跡地  
見前滑走路(進駐軍滑走路)跡地 

■宮城県■ (COMPLETE)   
瀬峰場外離着陸場(セミネ飛行場)
     
四壇原(高清水)飛行場跡地
   
王城寺原秘匿飛行場跡地   
航空自衛隊松島基地(旧海軍矢本飛行場)
   
利府森郷場外離着陸場
     
霞目飛行(旧陸軍仙台飛行場、仙台第二飛行場)
  
青野木場外離着陸場(スカイライフ飛行場)
  
仙台空港(旧増田陸軍飛行場)
 
角田滑空場
  
宮城野原陸軍練兵場(仙台第一飛行場)跡地
  
追廻練兵場跡地
  

■秋田県■ (COMPLETE)    
能代陸軍(東雲)飛行場跡地
     
ハイランド滑空場跡地
    
大館能代(あきた北)空港
     
田代菜の花飛行場
   
大潟場外離着陸場跡地
      
旧秋田空港跡地
     
四ツ小屋滑空場
     
秋田空港
   
稲沢場外MLP専用飛行場
    
六郷(明田地)飛行場跡地
     
土浦海軍航空隊秋田基地跡地
  
新屋の飛行学校跡地 
後三年滑空機練習所跡地 
佐藤章飛行士発着跡地 
北楢岡飛行場跡地 

■山形県■ (COMPLETE)   
庄内空港(おいしい庄内空港)
  
真室川飛行場跡地
  
升形飛行場(滑空場)跡地
  
大蔵村南山の場外離着陸場
  
玉野原飛行場跡地
  
山形空港(おいしい山形空港)
  
日飛(漆山)飛行場跡地
  
むつみ飛行場  
八幡原飛行場跡地 
寒河江の滑空場跡地(推定位置) 

■福島県■ (COMPLETE) 
ふくしまスカイパーク
  
梁川場外離着陸場   
原町陸軍飛行場跡地  
磐城陸軍飛行場跡地
   
馬場平飛行場跡地
   
第二郡山航空基地(金谷飛行場)跡地
   
矢吹陸軍飛行場跡地      
福島空港
   
棚倉(沢田、石川沢田)飛行場跡地
   
須賀川飛行場跡地
  
浅川航空基地跡地  
第三郡山航空基地(大槻飛行場)跡地  
御代田航空基地跡地 


 関 東 
■茨城県■ (COMPLETE)   
十王飛行場
      
河原子滑空場跡地  
水戸北飛行場跡地
     
水戸陸軍(水戸東)飛行場跡地
     
水戸南(吉田)飛行場跡地
    
湊町海岸滑空場跡地  
大洗場外離着陸場跡地
  
水戸フライングクラブ
       
百里飛行場(茨城空港)
     
鉾田(豊鹿島)飛行場跡地     
北浦海軍航空隊跡地     
神之池航空基地跡地     
内閣中央航空研究所鹿島実験場跡地     
軽野滑空場跡地
      
筑波航空基地(友部飛行場)跡地
     
大日本飛行協会中央滑空訓練所(石岡飛行場)跡地
     
石岡航空基地(東の辻飛行場)跡地
     
千代田場外離着陸場
 
古河航空機乗員養成所(岡郷/小堤/関戸の飛行場)跡地    
下館ULP飛行場  
関城ULP飛行場    
下館飛行場跡地
     
明野場外離着陸場
     
真壁(桜川、筑波)滑空場
     
海老ケ島秘匿飛行場跡地
     
西筑波飛行場跡地
     
大畑秘匿飛行場跡地
  
大曽根飛行場跡地
  
谷田部航空基地跡地
     
霞ヶ浦海軍航空隊跡地
     
土浦海軍航空隊跡地
  
舟島水上機離着水場跡地
  
阿見飛行場
  
 阿見飛行場(廃止後) 
ピッコロ水上飛行場(鹿島海軍航空隊跡地)  
竜ヶ崎(貝原塚)飛行場跡地  
竜ヶ崎飛行場
  
大利根飛行場
  
守屋飛行場
   
守谷(MFOC守屋)飛行場跡地   
真壁(金敷)秘匿飛行場跡地 
つくば滑空場  

■栃木県■ (COMPLETE)   
スカイフィールドナス)
  
黒磯陸軍(埼玉、那須野)飛行場跡地  
金丸原陸軍飛行場跡地
  
湯津上(佐良土)飛行場跡地
  
御前原飛行場跡地
  
今市飛行場跡地
  
鬼怒川(氏家)滑空場
  
ツインリンクもてぎ南滑走路
  
宇都宮場外離着陸場
  
宇都宮陸軍(清原/鐺山)飛行場跡地
  
大野原飛行場跡地
  
宇都宮(宇都宮南)飛行場
  
壬生(上長田/国谷)飛行場跡地  
仁良川飛行場跡地
  
小山絹滑空場
  
藤岡(静和)飛行場跡地
  
スカイフィールドわたらせ離着陸場(藤岡場外離着陸場)
  
中禅寺湖水上機基地跡地 
黒磯滑空場跡地  

■群馬県■ (COMPLETE)   
板倉滑空場
     
大西(館林エアロ、旧陸軍館林)飛行場(運用当時)     
 館林(大西)飛行場跡地追加  
太田小泉飛行場跡地       
尾島飛行場跡地  
新田陸軍(生品)飛行場跡地        
桐生愛国飛行場跡地      
前橋(堤ヶ岡)飛行場跡地      
高崎飛行場跡地   
相馬原飛行場
  
伊勢崎場外離着陸場 
坂東飛行場跡地 
敷島滑空訓練所跡地 

■埼玉県■ (COMPLETE)   
羽生滑空場
    
読売加須滑空場(旧大利根滑空場)     
宝珠花滑空場     
妻沼グライダー滑空場
     
児玉飛行場跡地    
三尻陸軍(稜威ケ原)飛行場跡地     
小原(熊谷南)飛行場跡地
     
荒川河畔グライダー場跡地
   
関東松山飛行場跡地
    
東京フライングクラブ飛行場
    
ホンダエアポート
     
 桶川陸軍飛行場跡地  
坂戸陸軍飛行場跡地
    
高萩飛行場跡地    
大宮の中島飛行機飛行場跡地
    
越谷(論田、新和、荻島)飛行場跡地
      
所沢飛行場跡地     
入間基地(旧豊岡飛行場、修武台飛行場、ジョンソン基地)    
狭山飛行場跡地
      
吹上飛行場
  
大里飛行場
  
浦和(埼玉第一)飛行場跡地
  
朝霞訓練場離着陸場跡地
  
川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地 

■千葉県■ (COMPLETE)   
下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地
    
香取航空基地(干潟の飛行場)跡地    
横芝(栗山、横芝栗山)飛行場跡地    
成田国際空港(成田空港)     
下志津陸軍飛行学校八街分教場跡地     
豊成(東金)飛行場跡地    
関宿滑空場
  
蕃昌飛行場跡地    
柏飛行場跡地
    
逓信省印旛地方航空機乗員養成所、印旛(草深)飛行場跡地
   
下総航空基地
    
松戸飛行場跡地  
習志野離着陸場  
船橋飛行場跡地(初代)  
船橋飛行場跡地(二代目)
    
伊藤飛行機研究所滑走路(津田沼、伊藤飛行場)跡地    
下志津飛行場跡地
   
稲毛飛行場跡地
    
白戸飛行機教習所跡地   
浦安市の臨時滑走路
   
誉田飛行場(平川滑空場)跡地
    
真名(茂原)飛行場跡地   
茂原海軍航空基地跡地
    
太東航空基地跡地    
木更津飛行場
    
館山航空基地
    
県営千葉県魚群探見飛行場跡地  
大利根飛行場跡地(水上機基地)  
佐原飛行場跡地 
五井水上基地跡地  
第一航空学校跡地 
川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地 
大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場跡地 
習志野4丁目滑走路跡地 

■東京都■ (COMPLETE)   
千住草加間国道秘匿滑走路跡   
赤羽飛行場跡地  
板橋(前野)飛行場跡地
  
成増陸軍飛行場跡地
  
成増飛行場秘匿滑走路跡地 
篠崎飛行場(江戸川飛行場)跡地  
江戸川飛行場跡地  
洲崎(深川浦)飛行場跡地・江東区  
月島飛行場(晴海連絡用滑走路)跡地 
東雲飛行場跡地  
代々木練兵場跡地
  
東京国際空港(羽田空港)
  
 東京羽田飛行場(1931~1939)  
 東京飛行場(1940~1945)  
 ハネダエアベース(1945~1952)  
 東京国際空港(1952~)  
戸田橋滑空場跡地
  
読売飛行場跡地
  
調布飛行場
  
東京陸軍航空学校滑空場跡地  
横田(旧福生、多摩)飛行場  
国立飛行場跡地  
立川飛行場
  
昭和飛行場跡地
  
環七滑走路跡 
旧陸軍大島飛行場、北の山陸軍飛行場、旧大島空港跡地   
大島空港(東京大島かめりあ空港)  
神津島空港  
三宅島空港
   
八丈島海軍(三根)飛行場跡地
   
八丈島空港
  
新島空港
  
 陸軍新島飛行場跡地  
 新島村営場外離着陸場跡地  
洲崎飛行場(江東区豊洲)跡地
  
深川7号埋立地(洲崎飛行場・江東区辰巳)跡地
  
中島大井(大井)飛行場跡地
  
(洲崎飛行場跡地(父島))
   
(父島飛行場)
  
(千鳥(下の、第一)飛行場跡地)
   
(元山(第二)飛行場跡地)
 
(北(上の、第三)飛行場跡地)
  
(硫黄島飛行場)
  
(南鳥島飛行場)
   

■神奈川県■ (COMPLETE)   
伊勢佐木町(若葉)飛行場跡地      
間門飛行場跡地
      
第十一横浜水上基地(根岸飛行場)跡地     
横浜水上基地(富岡飛行場)跡地
      
横須賀第一(追浜)飛行場跡地
     
横須賀第二(長井)飛行場跡地
      
横須賀第三(黒崎、初声)飛行場跡地
      
キャスナー陸軍飛行場     
相模(中津)飛行場跡地
     
大山秘密航空基地(厚木第二飛行場)跡地  
新厚木基地跡地 
厚木飛行場      
厚木(銀紙)飛行場跡地  
藤沢飛行場跡地      
磯子飛行場跡地
  
三本葭飛行場跡地
  
玉井飛行場跡地
  
片岡飛行場跡地
  
宗里飛行場跡地(第一航空学校)
  


更新履歴
2024/03/18 鹿児島県・小川飛行機練習所跡地 追加
2024/03/01 徳島県・沖洲飛行場跡地 追加
2024/02/28 香川県・日本航空輸送高松基地跡 追加
2024/02/26 香川県・善通寺練兵場着陸場跡地 追加
2024/02/14 愛媛県・愛媛義勇飛行場跡地 追加
2024/02/09 広島県・下ヶ原航空基地(六二二基地)跡地 追加
2024/02/07 島根県・高津町付近着陸場跡地 追加
2024/02/05 島根県・都野津町付近着陸場跡地 追加
2024/01/31 島根県・なかうみスカイポート 追加
2024/01/08 和歌山県・旧南紀白浜空港跡地 追加
2023/12/29 大阪府・八雲滑空道場跡地 追加
2023/12/27 兵庫県・川西鳴尾飛行場跡地 追加
2023/12/22 兵庫県・繫昌飛行場跡地 追加
2023/12/20 兵庫県・赤井野グライダー訓練所(大日本飛行協会兵庫支部第二地方滑空訓練所)跡地 追加
2023/12/15 京都府・安井飛行場跡地 追加
2023/12/11 滋賀県・琵琶湖水上機基地跡地 追加
2023/11/10 東京都・環七滑走路跡 追加
2023/11/01 道央・南恵庭駐屯地場外離着陸場跡地 追加
2023/11/01 道央・苫小牧飛行場跡地 追加
2023/10/30 道央・シノダイ岬離着陸場跡地 追加
2023/10/02 青森県・木ノ下飛行場(木ノ下平臨時飛行場)跡地 追加
2023/09/28 青森県・淋代陸軍飛行場跡地 追加
2023/09/11 岩手県・見前滑走路(進駐軍滑走路)跡地
2023/08/17 愛知県・築地の水上飛行場跡地岐 追加
2023/03/20 岐阜県・各務原中飛行場跡地 追加
2023/01/23 群馬県・敷島滑空訓練所跡地 追加


小川飛行機練習所跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問)  



無題a.png
1/25000「桜島南部」昭和7年補正・昭和10.10.30発行「今昔マップ on the web」より作成


大正時代、鹿児島県鹿児島市内に地元出身者が開設した「小川飛行機練習所」がありました。

旧鹿児島空港の南南西約4.7kmに位置しています。

飛行場の位置を明示する資料が見当たらないのですが、以下3つの資料がありました。

2.png
①報知新聞社 編『報知年鑑』大正15年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/976133 (参照 2024-01-28) 

報知年鑑 大正15年
本邦民間飛行場調〔大正14.8〕
使用者 小川三郎
種類 陸上
位置 鹿児島縣鹿児島郡谷山村中■谷より同村新屋敷に至る海岸
面積 干潮時の砂洲長さ1,500米幅600米 235,950坪


3.png
②報知新聞社 編『報知年鑑』大正16年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/976134 (参照 2024-01-28) 


報知年鑑 大正16年
本邦民間飛行場調〔大正15.8〕
使用者 小川三郎
種類 陸上
位置 鹿児島縣鹿児島郡谷山村(中■谷-新屋敷間海岸)
面積 235,950坪


③「南国イカロス記 かごしま民間航空史」101p
「谷山村塩屋海岸の干潟を利用し、小川飛行機練習所を開設した」


実は上に貼った昭和7年の地図にもちょっと見えてるんですが、すぐ南に「和田」という、

如何にも「飛行場のために造成しました」と言わんばかりの細長い埋立地があり、

最初はそちらに目が行ったのですが、

ここは1,600mx380mで、報知年鑑大正15年版に出てくる「干潮時の砂洲長さ1,500米幅600米」

とは、長さはともかく幅が違いました。

そもそも「南国イカロス記 かごしま民間航空史」には「干潟を利用」と出ています。

上に貼った今昔マップには、干潟を示す破線が描かれていて、

その通りに作図してあります(赤線でレイヤ引いたのでほとんど見えませんけども)。

黄色く囲った地割のうち、北側はまだまだ干潟が続いているのですが、

報知年鑑大正15年版にある通り、1,500mでバッサリ切りました。

上記報知年鑑には、飛行場の面積がどちらも235,950坪とあります。

これは78haに相当するのですが、先頭のグーグルマップのグレーのシェイプを2つ足すと、76.7haになります。

幅も最大で650mあり、面積的にもここなのではないかと。

永田川で飛行場の地割が分断されてしまうのが非常に気になるのですが、

南側の大きい方は長さが900m近くありますので、大正時代のヒコーキならこれだけでも十分過ぎると思います。

(大戦期の鹿児島航空基地の長さは、最大で1,700mでした)


「南国イカロス記 かごしま民間航空史」101p

 小川三郎は、川内での飛行会を終えると伊敷練兵場に引き返した。ここで県内における民間初の往復長距離飛行が完成したのであった。
 こうして最初の目的を果たした小川三郎は、そのまま小川式5号南洲号と共に鹿児島に残り、次の目的を達成しようとした。操縦士の養成である。彼は谷山村塩屋海岸の干潟を利用し、小川飛行練習所を開設したが、資金難で間もなく閉鎖してしまった。
 当時、民間航空が栄えていたのは東京湾沿岸で、特に千葉県津田沼の伊藤飛行機研究所(伊藤音次郎所長)と千葉町寒川の白戸飛行練習所が中心的存在であったが、経営は必ずしも楽ではなかった。まして小川三郎は、たとえ郷里とはいえ、小川の飛行を見たのがはじめてで、しかもばく大な練習費を払ってまで危険な飛行機に乗ろうという人が少ない土地で、練習所を開いても無理であった。時期尚早ともいえたろうが、条件がすべて不利であった。なんといっても資金不足だし、また三等飛行機操縦士程度の技量で、たとえ技術屋的なセンスはあっても経営の才に乏しい人が、航空人口の少ない場所で練習所を開いても無駄であった。
 現に、小川三郎にとって助手という以上に、協力者として郷土訪問飛行にまで裏方的役割を果たした本田稲作でさえ、小川三郎と袂(たもと)をわかち、橋口季則(宮崎県)と共に再上京し、東京・洲崎の小栗飛行学校に入学するのだ。(中略)要するに二、三度乗せてもらっただけだが、小川の操縦ぶりが荒っぽく、こわかったのだ。それは小川三郎を誹謗(ひぼう)することではなく、当然のことであった。二、三十時間の飛行経歴では、ひよこ同然なのだ。しかし小川としては引きとめようもなく、これまでの労をねぎらって、軍から払い下げてもらった横廠式ロ号水上偵察機を本田稲作に贈った。
 本田稲作は後になって次のようにいった。「私にとってはまぎれもない先輩。実に頭の鋭い、いわば天才はだの人間だった」
 晩年の小川三郎の消息については、折田兼才氏の手紙がある。
『其後何時迄飛んで居たか知りませぬが、久しぶりに会った時、歯科医の奥さんを得て飛行機をあきらめ、技工の加勢をして居ると聞きました。私も(昭和)七年に上京、偶然東京で会った時、何か飛行機の部品作りをして居ると聞いたようですが、私の思い違いかもしれませぬ』(昭和五十八年七月二十五日)
 小川三郎は昭和三十六年(一九六一年)十一月七日、武蔵野市の自宅で病没。享年六十五歳だった。



     鹿児島県・小川飛行機練習所跡地         
小川飛行機練習所 データ
使用者:小川三郎
種 別:陸上飛行場
所在地:鹿児島縣鹿児島郡谷山村(現・鹿児島市南栄、東開町)
座 標:31°31'31.1"N 130°31'37.6"E
標 高:1m
滑走帯:干潮時の砂洲長さ1,500米幅600米
面 積:78ha
(座標、標高はグーグルアースから。滑走帯長さは資料から)

沿革
1921年 開設
1926年 少なくともこの年まではあった

関連サイト:
ブログ内関連記事     
「伊敷練兵場」記事(小川飛行機練習所以前の小川氏の様子) 

この記事の資料:
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」


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徳島県・沖洲飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



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1/25000「徳島」昭和9年二修「今昔マップ on the web」から作成 
2.png
撮影年月日1947/10/08(昭22)(USA R517-2 2) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


徳島県徳島市北沖洲。

徳島空港の南約7kmのこの場所に昭和12年、民間の「沖洲飛行場」が建設されました。

飛行場の正確な位置は不明です。

後述しますが、飛行場の地名が「徳島市沖須町高洲」とあること、上に貼った地図、航空写真から、

恐らく先頭のグーグルマップに囲った範囲にあったと思います。

2.png
『徳島市民読本』,徳島市教育会研究部,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1035109 (参照 2024-02-28) 


■徳島市民読本(昭和12年出版)↑上に貼ったもの
「最近の発展」の項目で、「近く沖洲飛行場も開設を見やうとしてゐる。」

■「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」 211p
沖洲民間飛行場
(徳島飛行場・グライダー滑空場)
徳島市沖須町高洲
1937年8月28日徳島毎日新聞は「日本で初めての六角型の飛行場で…何れの風向に於ても自由に離着陸し得るもので相当期待がかけられている」と報じている。飛行場の埋め立てが完了したにかかわらず、陸上施設が竣工しなかったので、市民の期待する航空路は開設されなかった。

■徳島市史 第3巻 (産業経済編・交通通信編)760p
(三)沖洲飛行場の建設
 国民の空に対する関心が深まって、全国各地で愛国飛行場の建設、防空兵器の献納が盛んに行われるようになった。徳島においても昭和九年に北佐古町湊晴喜・佐古町山本岩吉・西新町大西角平らの在郷軍人が、愛国飛行場の建設・聴音機・高射砲の防空施設の設置を計画した。また、これに同調して徳島国権宣揚会も、建設資金の募集をはじめた。このころ逓信省においては、国内に航空路を新設するため新潟・長野・富山・徳島・高知に飛行場の建設を決定、昭和十年に七四万円の予算を計上した。翌十一年には大阪・徳島・高知間の航空路を開設するため、逓信省徳島飛行場出張所を設置し、延原正義を主任として常駐させた。
 徳島県は飛行場の候補地に、徳島市沖洲町高洲、徳島市津田町、名東郡加茂名町鮎喰川下流、板野郡川内村小松新田、那賀郡板野村和田島の五か所を内定した。逓信省森航空館の実地調査の結果、徳島市街に近接するうえ飛行機離着陸の障害物が少なく、比較的地価が低廉で全用地を久米寅七が所有しているため買収交渉が容易であるなどの好条件に恵まれている沖洲町高洲が指定された。
 総面積六万二〇〇〇余坪(二〇万四六〇〇平方㍍)の買収が完了したので、昭和十二年八月二十八日、清水徳島県知事・後藤総務部長、藤岡徳島市長・津川助役、立木・立石・橋本各県議、関係地主ら五〇余名が出席して、徳島飛行場建設地鎮祭が現地において厳粛に執行された。
 設計書が不明であるため飛行場の構造は詳かではないが、当時の徳島毎日新聞はつぎのように報じている。「日本ではじめて六角形の飛行場、敷設は六万余坪形状については理想的とする円形は経済の都合上差控え円形に次ぐ理想たる六角形状に類似したものを採用したもので此の計画は本邦嚆矢のものであり何れの風向に於いても自由に離着陸し得るもので相当期待がかけられている」しかし、実際に完成したときには三角形であったという説もある。建設工事を進めていた徳島県は、内務省神戸土木出張所のサンドポンプ船和泉丸を借用し、徳島港浚渫の土砂をもって六万二〇〇〇余坪を埋立てて、陸上施設を建築し昭和十二年度内に完成する予定であったが、工事が遅れて埋立てが完成するのは翌十三年八月ころであった。これに要した工費はおよそ一五万円であるが、地元に設置を希望した徳島市は市会の議決を経て五万七〇〇〇円を負担することにした。
 飛行場用地の埋立が完了したにもかかわらず陸上施設が竣功しなかったので、市民の期待した航空路は開設されなかった。このころ航空知識の普及と飛行士への適性を向上させるため、グライダーの操縦が盛んになってきた。徳島航空学校長岩田源一は、この用地を借用して徳島グライダー研究会を設立し、滑空士の養成にあたった。研究会は、名誉会長工藤隆治徳島市長・会長岩田源一徳島航空学校長・理事長谷川寛治徳島航空学校主事・専務理事中川一等飛行士・同糸田川二等飛行士らによって構成された。また、文部省が全国の中等学校・専門学校・高等学校・青年学校・青年団などに訓練を奨励したので、徳島においても、昭和十四年に徳島師範学校、翌十五年に徳島工業学校、同十六年には寺島青年学校が訓練をはじめた。このため沖洲飛行場は、グライダー滑空場となってしまった。


逓信省主導の航空路新設構想から始まった飛行場建設だったのですね。

昭和13年頃に埋立が終わったものの、地上施設は完成せず、

大阪へ、高知へと、市民の期待した路線開設は実現しませんでした。

実現しなかった理由について、資料には特に記されていませんが、

大阪から水上機で小松島、松山、高松に路線開設していた日本航空輸送研究所が、

国策会社である大日本航空の設立により業務停止したのが昭和14年でした。

恐らくこうした徐々に強まる戦時統制の影響じゃないでしょうか。


冒頭でも触れましたが、資料にある通り、諸条件から「沖洲町高洲」が飛行場用地として選定されました。

上に貼った地図は昭和9年のものなので、「ここに造ろう!」と決まる2年前の地図。

海岸沿いに「高洲」という地名がありますからこの周辺なんだろうと分かりますが、

遊水地?の存在感が凄いです。

次の航空写真は昭和22年のものですが、ここでも遊水地?の存在感は相変わらず。

つまり、埋立工事を含む飛行場建設後も遊水地?は変わらずここにあった訳で、

とすると、円形に近い六角形の飛行場はこの遊水地?の内陸側にあったはず。

そう考えて昭和22年の航空写真を見ると、遊水地?の内陸側に三角形の地割が浮かび上がります。

ということで先頭のグーグルマップは、航空写真の三角形の範囲をレイヤにして作図したのでした。

資料では、「総面積六万二〇〇〇余坪(二〇万四六〇〇平方㍍)の買収」とあります。

二〇万四六〇〇平方㍍≒20.46ha
グーグルマップの三角形≒19.6ha

かなり近い数字ですね。

作図をしていた際は、「この三角形の範囲内に六角形の飛行場があったんじゃないか」と思っていたのですが、

それだと六角形の飛行場はかなり小さくなります。

六角形の飛行場の面積が、二〇万四六〇〇平方㍍≒20.46haだったとすると、

遊水地?は動かしようがないですから、

しっかりと整備されている道路、畑、集落のある側に飛行場を広げざるを得ません。

それよりは、資料内でも「実際に完成したときには三角形であったという説もある。」とある通り、

オイラとしましては、グーグルマップの三角形が飛行場の形にかなり近いのではないかと思います。

買収した飛行場敷地は三角形で、その中で特に離着陸に適した六角形の「離着陸帯」が設定されたのかも。


■徳島市史 第4巻 (教育編・文化編)452p
県立工業学校などは昭和十五年にいち早くグライダーを取り入れ、沖洲飛行場で盛んに猛訓練を繰り返した。

■帰らざるふるさと・徳島75p
(徳島市立工業学校卒業生の手記から一部抜粋) 航空機科の生徒は文部省から支給された「グライダー」の組立てをしたり、沖洲飛行場で連日滑空訓練に汗を流し大いにきたえられた。(中略)しかし昭和二十年八月十五日の終戦とともに航空機科は終わりをつげ、十一月に航空機科は正式に廃止された。

上記2つの資料では、実際に沖洲飛行場で滑空訓練が行われていたことが扱われています。

滑空訓練は終戦まで続けられていたようですね。

民間航空路開設のために建設されたものの、グライダー練習場として終戦を迎え、

その後徐々に開発が進み現在に至ります。

まさに時代に翻弄された土地ですね。

仮に飛行場施設が計画通り完成し、航空路が開設していたとしたら、

もしかして、ここが拡張を続けて徳島空港になった未来もあったのかしらん。

なんてことも考えたのですが、当飛行場がグライダー練習場と化したのが昭和14年、

7km離れた場所に海軍徳島航空基地(現・徳島空港)が発足したのが昭和17年。

海軍は当然沖洲飛行場の存在は知っていたはずですが、それでも一面の田圃に新規で飛行場を造成したのでした。


DSC_2035_00001.jpg
赤マーカー地点。

この先に飛行場が広がっていたのではないかと。




     徳島県・沖洲飛行場跡地         
沖洲飛行場 データ
種 別:陸上飛行場
所在地:徳島県徳島市沖須町高洲(現・徳島市北沖洲)
座 標:34°04'14.5"N 134°35'21.7"E
標 高:2m
面 積:20.5ha
(座標、標高はグーグルアースから。面積は徳島市史から)

沿革
1934年 逓信省、この頃航空路新設のため新潟・長野・富山・徳島・高知県内に飛行場建設を決定
1935年 逓信省、74万円の予算計上
1936年 逓信省徳島飛行場出張所設置。その後、候補地の中から高洲に決定。土地買収へ
1937年 8月28日 地鎮祭
1938年 8月 この頃埋立て完成するも地上施設は完成せず 
1939年 徳島師範学校が滑空訓練開始
1940年 徳島工業学校が滑空訓練開始
1941年 寺島青年学校が滑空訓練開始
1945年 終戦

関連サイト:
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この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
「徳島市史 第3巻 (産業経済編・交通通信編)」
「徳島市史 第4巻 (教育編・文化編)」
「帰らざるふるさと・徳島」


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香川県・日本航空輸送高松基地跡 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



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1/25000「高松北部」昭和3年測図「今昔マップ on the web」から作成


大正時代、香川県高松市に日本航空輸送研究所の水上機基地が設けられました。

新修高松市史Ⅱ 482p に以下記されていました 

高松空港の由来
大正十一年(1922)十一月、日本航空輸送研究所機が、高松を訪問した。ちょうど、県下で、陸軍特別大演習が、行われている時であったから、速報をたっとぶ新聞社がわから、大いに歓迎、利用された。
 大演習の記事や、写真の輸送に、とりわけ、スピード化を発揮して、喜ばれた。この時の高松-大阪間は、一時間五十分でとんだ。
 大正十二年二月一日、同所(日本航空)は、堺-高松-徳島-堺の、三角コース定期航空を、開始した。
 高松の基地は、西浜漁港の近く、鉄道線路北がわに、格納庫一棟と、引揚用桟橋を設けて、ここから沖合に出た。
 当時の飛行機は、横廠式イ号甲型双浮舟複葉水上機という、いまから考えると幼稚な飛行機であった。
 大正十四年(1925)五月二十日、堺-高松-今治間の郵便飛行を開始した。昭和四年には、大阪(木津川)-高松-松山間の旅客、郵便、貨物の輸送が開始され、高松商船組(高松商運の前身)が、この航空路の代理店であった。
 高松港外(大的場)で、モーターボートによって、連絡し、旅客の送迎、郵便貨物を積み込んだ。とりわけ、悦ばれたのは、スピードを、利用する旅客はもちろん、大阪一流料亭への、鮮魚の輸送などに、おおもてだった。
 このときの使用機は、ユンカーF一三型金属製低翼単葉水上旅客機、発動機ユンカーモーターL五・三一〇馬力、速力、時速一ニ〇キロ、乗員二名、旅客四名、貨物一二〇キロであった。ほかに、ハンザー単葉水上機、六機で、貨物、郵便物も運んだ。
 そのご、昭和九年十二月三日、一四式改造旅客機五機をふやし、大阪-高松-松山-別府線に、就航させた。
 昭和十一年十一月四日から、スーパーマリン、サザンプトン双葉複葉飛行艇を使用した。この艇は、旅客十七名をのせる大型で、これを初めてみた市民は、なんと大きな、飛行艇だと、おどろいたものだ。
 いまでこそ、三十人、五十人、百人乗りの大型機が、就航している。昔のことで、十七人乗りは、大きなもの
であった。
 日本航空輸送が、どうして、この大型艇を、高松へもってきたか。これは、瀬戸内海国立公園の景観を、空からながめさせ、遊覧飛行の将来を、ねらうのが、目的であったらしい。
 だから、この機には、あらたに、エアホステスを乗せ、飛行ちゅう、機内で、空からみる島々の説明をし、飲
みもののサービスに、あたらしていた。
 ともかく、遊覧飛行のムードを、おこさせ、たのしい空の旅を、じゅうぶん、味あわせることに、つとめた。また大阪商船と、タイアップして、連絡券を発行し、飛行機と船で、高松、松山、別府への観光客を、誘致に努めたので、成績があがったといわれる。
 昭和十五年に入って、戦線はきびしく、戦時体制が強化された。こういうわけで、大阪-高松間の航空路を、そだてた日本航空輸送研究所は、大日本航空(株)会社に、統合された。
 そのご戦況おもわしくなく、ローカル・ラインは、ついに廃止された。瀬戸内海定期航空路は、戦争のため影
を消した。

「高松の基地は、西浜漁港の近く、鉄道線路北がわに、格納庫一棟と、引揚用桟橋を設けて、ここから沖合に出た。」

とあります。

これは大正12年(1923年)のことで、上に貼った地図は昭和3年(1928年)のものですが、

確かにそんな感じになってますね。

先頭のグーグルマップをご覧の通りで、その後埋立が進み、

当時の海岸線も桟橋も、今はすっかり陸地になっています。

DSC_2019_00001.jpg
赤マーカー地点。

瀬戸大橋通りを跨ぐ陸橋から。

当時はこの瀬戸大橋通りの画面向って右側が陸側で、左側が海でした。

陸側から海に突き出した桟橋は、画面左端のボーリング場の辺りまで伸びてました(オイラの作図が正しければ)。

この辺りで小型水上機や連絡船の行き来があったはずです。




     香川県・日本航空輸送高松基地跡         
日本航空輸送高松基地 データ
設置管理者:井上長一
種 別:水上飛行場
所在地:香川県高松市浜ノ町9-12
座 標:34°20'57.7"N 134°02'20.1"E
標 高:2m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1922年11月 日本航空輸送研究所機飛来
1923年02月 1日 堺-高松-徳島-堺の三角コース定期運航開始
1925年05月 20日 堺-高松-今治間郵便飛行開始
1929年   大阪(木津川)-高松-松山間の旅客、郵便、貨物輸送開始
1934年12月 3日 大阪-高松-松山-別府線に一四式改造旅客機就航
1940年   日本航空輸送研究所、大日本航空(株)会社に統合

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香川県・善通寺練兵場着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2023年12月訪問  



無題6.png
撮影年月日1947/09/08(USA M450 40) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

香川県善通寺市、善通寺駐屯地の北約1kmにあった「善通寺練兵場」。

現在は研究所、医療センター等になっていますが、当時この練兵場内に着陸場が設定されていました。

■防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」の中に当着陸場の地図があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

精度は低いんですが、おおよそこんな感じと思います。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

善通寺練兵場(昭和10年6月調)
香川県仲多度郡善通寺町

着陸場の状況
高さ 平均水面上約25米。
広さ及形状 本練兵場は東西最大約1粁、南北最大約550米の東西に長き
地域なり・着陸地域は其の東半部図示の長さ東西約550米、幅南北約100米の
東西に細長き長方形地区なり(付図参照)。
地表の土質 沙を混ずる粘土。
地面の状況 地表概ね平坦且堅硬なり・場の西半部には殆ど芝を生ずるも
東半部の着陸地域内及其の付近一帯は禿地にして沙地の地肌を露出す・場の北
西隅付近芝を生ずる地域一帯は起伏なきも若干の凸凹あり地表比較的軟弱なり
・着陸地域内及其の付近一帯は禿地なるを以て夏季炎天続き強風の際は沙塵を
飛揚することあり・降雨の際は地表概して平坦なる為諸処に水溜を生ずるも沙
を混ずるを以て排水概ね良好なり、又霜解け時には地表土質粘土なるを以て局
処的に稍泥濘と為る処あり。
場内の障碍物 着陸地域内にはなし・場の北側略中央部に付近に(原文ママ)軍用建築
物ある森林地帯あり・場の南側東部に高さ約5米の独立樹(松の記念樹)あり。
適当なる着陸方向及着陸上注意すべき点 西南西・前記の際は場の北東外
側に沿う道路の東方に在る高さ約15米の赤煉瓦煙突を右下に認めつつ西南西
方に降下着陸するを適当とす・場の東側南部に在る高さ約7米の並木に注意を
要す。
其の他
本練兵場は航空各部隊の飛行基地として屡使用す。 


DSC_1982_00001.jpg

赤マーカー地点。

着陸場方向。




     香川県・善通寺練兵場着陸場跡地         
善通寺練兵場着陸場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:着陸場
所在地:香川県仲多度郡善通寺町(現・善通寺市仙遊町)
座 標:N34°13′47″E133°46′25″
標 高:25m
着陸場:550mx100m
方 位:07/25
(座標、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「昭和10年11月 刊行 中国及四国地方不時着陸場 水路部」


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