SSブログ
├国内の空港、飛行場 ブログトップ
前の5件 | -

■飛行場/跡地リストA■ 北海道~関東 [├国内の空港、飛行場]

字数制限のため二分割してあります。続き   
五十音順飛行場索引 場所が分からない飛行場   情報お待ちしておりますm(_ _)m
最終更新:2021/03/08 東京都・江戸川飛行場跡地 追加


より大きな地図で 空港、飛行機関係の場所 を表示

4.PNG

 

 北海道 
■道北■ (残1:稚内不時着陸場跡地)     
礼文空港     
利尻空港  
稚内空港   
稚内水上基地(稚内海軍飛行場)跡地
    
サロベツフライトクラブ滑走路
   
浅茅野第一飛行場跡地
   
浅茅野第二飛行場跡地
  
名寄駐屯地滑走路
   
愛別飛行場(運用当時)
    
 愛別飛行場(廃止後)
  
当麻滑空場    
トムラウシフライトクラブ
   
新得(西部地区)農道離着陸場
     
旭川飛行場    
旭川空港  
美瑛滑空場  
上富良野演習場飛行場
   
稚内不時着陸場跡地(未訪問) 

■道東■ (残2:中標津不時着陸場跡地、弟子屈不時着陸場跡地)     
紋別(オホーツク紋別)空港
  
旧紋別空港跡地
   
遠軽駐屯地滑走路
   
北見地区農道離着陸場(スカイポートきたみ)
    
旧女満別空港跡地     
女満別空港    
美幌航空公園    
美幌第一飛行場跡地    
美幌第三飛行場跡地
    
標津第二航空基地(川北飛行場)跡地   
旧中標津空港(標津第一航空基地)跡地      
中標津(根室中標津)空港       
計根別第一飛行場跡地     
計根別第二飛行場跡地    
計根別第三飛行場跡地    
計根別飛行場    
計根別第五飛行場跡地    
弟子屈飛行場跡地
   
別寒辺飛行場
   
矢臼別飛行場
   
根室航空機(花咲)不時着陸場、根室第一飛行場跡地   
根室航空基地(牧ノ内/根室第二飛行場)跡地
    
愛国釧路飛行場跡地   
釧路(たんちょう釧路)空港    
フライトパーク白糠
    
足寄芽登飛行場
  
上士幌航空公園  
然別演習場滑走路
   
帯広第二飛行場跡地
        
十勝飛行場    
帯広緑ヶ丘飛行場跡地       
音更飛行場跡地       
ホープランド飛行場     
豊頃(MICとよころ)飛行場(運用当時)       
豊頃(MICとよころ)飛行場(廃止後)  
豊頃町滑空場跡地   
帯広(とかち帯広)空港
      
上更別飛行場跡地
   
大樹町多目的航空公園
    
広尾(小紋別、豊似)飛行場跡地
   
能取水上基地跡地
  
厚岸水上機基地跡地
  
厚岸飛行場跡地  
北斗場外離着陸場跡地
  
トムラウシの飛行場
  
千代田滑空場跡地
  
中標津不時着陸場跡地(未訪問) 
弟子屈不時着陸場跡地(未訪問) 

■道央■ (残4:富浦不時着陸場跡地、室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地、苫小牧飛行場跡地、南恵庭駐屯地)
深川市グライダー滑空場
   
赤平航空公園  
たきかわスカイパーク    
滝川駐屯地飛行場
   
美唄農道離着陸場(スカイポート美唄)
    
新篠津滑空場      
UFO PARK 飛行場
   
孫別演習場の滑走路
   
北大夕張川滑空場
   
南幌場外離着陸場   
王子江別飛行場跡地     
丘珠空港(札幌第二飛行場、新札幌飛行場、札幌飛行場)   
札幌第一(北海タイムス社、札幌)飛行場跡地
   
札幌興農園(興農園耕地)飛行場跡地
   
島松演習場滑走路
   
北千歳駐屯地滑走路
   
千歳飛行場(千歳着陸場、千歳第一航空基地)
   
新千歳空港
    
千歳第二、第三飛行場跡地      
日本航空学園千歳校
     
鯉沼スカイパーク   
沼ノ端飛行場跡地   
新冠飛行場  
苫小牧不時着陸場跡地   
雲雀ヶ丘飛行場跡地  
アップルポート余市
  
倶知安駐屯地滑走路
  
大滝飛行場
 
白老滑空場  
敷生飛行場跡地  
幌別駐屯地滑走路跡地
  
室蘭飛行場跡地
    
小樽航空水上基地(小樽海軍飛行場)跡地
  
富浦不時着陸場跡地(未訪問) 
室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地(未訪問) 

■道南■ (COMPLETE)    
八雲(室蘭八雲)飛行場
    
奥尻空港
    
旧奥尻空港跡地     
鹿部飛行場    
函館(赤川)飛行場跡地
   
函館空港
     

 東 北 
■青森県■ (残:2 淋代陸軍飛行場跡地、木ノ下飛行場跡地)     
樺山飛行場跡地
     
大湊航空基地
      
青森(油川)飛行場跡地
      
旧青森空港跡地
     
青森空港
     
淋代海岸滑走路跡地
    
三沢空港
    
カワヨグリーン牧場滑走路
     
八戸駐屯地飛行場
      
八戸航空基地飛行場
    
三本木(三沢第二)飛行場跡地
  
茂浦水上機基地
  

■岩手県■ (残:3 見前滑走路跡、観武ヶ原の滑走路跡、花巻不時着陸用滑走路)   
観武ヶ原飛行場跡地
      
鶯宿滑空訓練所跡地
    
山田水上機基地跡地
     
花巻(いわて花巻)空港
    
岩手陸軍飛行場(後藤野飛行場)跡地
    
岩手県第二滑空訓練所跡地
     
金ヶ崎(高谷野原)飛行場跡地
    
小山(水澤)飛行場跡地
    

■宮城県■ (COMPLETE)   
瀬峰場外離着陸場(セミネ飛行場)
     
四壇原(高清水)飛行場跡地
   
王城寺原秘匿飛行場跡地   
航空自衛隊松島基地(旧海軍矢本飛行場)
   
利府森郷場外離着陸場
     
霞目飛行(旧陸軍仙台飛行場、仙台第二飛行場)
  
青野木場外離着陸場(スカイライフ飛行場)
  
仙台空港(旧増田陸軍飛行場)
 
角田滑空場
  
宮城野原陸軍練兵場(仙台第一飛行場)跡地
  
追廻練兵場跡地
  

■秋田県■ (COMPLETE)    
能代陸軍(東雲)飛行場跡地
     
ハイランド滑空場跡地
    
大館能代(あきた北)空港
     
田代菜の花飛行場
   
大潟場外離着陸場跡地
      
旧秋田空港跡地
     
四ツ小屋滑空場
     
秋田空港
   
稲沢場外MLP専用飛行場
    
六郷(明田地)飛行場跡地
     
土浦海軍航空隊秋田基地跡地
  
新屋の飛行学校跡地 
後三年滑空機練習所跡地 
佐藤章飛行士発着跡地 
北楢岡飛行場跡地 

■山形県■ (COMPLETE)   
庄内空港(おいしい庄内空港)
  
真室川飛行場跡地
  
升形飛行場(滑空場)跡地
  
大蔵村南山の場外離着陸場
  
玉野原飛行場跡地
  
山形空港(おいしい山形空港)
  
日飛(漆山)飛行場跡地
  
むつみ飛行場  
八幡原飛行場跡地 
寒河江の滑空場跡地(推定位置) 

■福島県■ (COMPLETE) 
ふくしまスカイパーク
  
梁川場外離着陸場   
原町陸軍飛行場跡地  
磐城陸軍飛行場跡地
   
馬場平飛行場跡地
   
第二郡山航空基地(金谷飛行場)跡地
   
矢吹陸軍飛行場跡地      
福島空港
   
棚倉(沢田、石川沢田)飛行場跡地
   
須賀川飛行場跡地
  
浅川航空基地跡地  
第三郡山航空基地(大槻飛行場)跡地  
御代田航空基地跡地 


 関 東 
■茨城県■ (COMPLETE)   
十王飛行場
      
河原子滑空場跡地  
水戸北飛行場跡地
     
水戸陸軍(水戸東)飛行場跡地
     
水戸南(吉田)飛行場跡地
    
湊町海岸滑空場跡地  
大洗場外離着陸場跡地
  
水戸フライングクラブ
       
百里飛行場(茨城空港)
     
鉾田(豊鹿島)飛行場跡地     
北浦海軍航空隊跡地     
神之池航空基地跡地     
内閣中央航空研究所鹿島実験場跡地     
軽野滑空場跡地
      
筑波航空基地(友部飛行場)跡地
     
大日本飛行協会中央滑空訓練所(石岡飛行場)跡地
     
石岡航空基地(東の辻飛行場)跡地
     
千代田場外離着陸場
 
古河航空機乗員養成所(岡郷/小堤/関戸の飛行場)跡地    
下館ULP飛行場  
関城ULP飛行場    
下館飛行場跡地
     
明野場外離着陸場
     
真壁(桜川、筑波)滑空場
     
海老ケ島秘匿飛行場跡地
     
西筑波飛行場跡地
     
大畑秘匿飛行場跡地
  
大曽根飛行場跡地
  
谷田部航空基地跡地
     
霞ヶ浦海軍航空隊跡地
     
土浦海軍航空隊跡地
  
舟島水上機離着水場跡地
  
阿見飛行場
  
 阿見飛行場(廃止後) 
ピッコロ水上飛行場(鹿島海軍航空隊跡地)  
竜ヶ崎(貝原塚)飛行場跡地  
竜ヶ崎飛行場
  
大利根飛行場
  
守屋飛行場
   
守谷(MFOC守屋)飛行場跡地   
真壁(金敷)秘匿飛行場跡地 
つくば滑空場  

■栃木県■ (COMPLETE)   
スカイフィールドナス)
  
黒磯陸軍(埼玉、那須野)飛行場跡地  
金丸原陸軍飛行場跡地
  
湯津上(佐良土)飛行場跡地
  
御前原飛行場跡地
  
今市飛行場跡地
  
鬼怒川(氏家)滑空場
  
ツインリンクもてぎ南滑走路
  
宇都宮場外離着陸場
  
宇都宮陸軍(清原/鐺山)飛行場跡地
  
大野原飛行場跡地
  
宇都宮(宇都宮南)飛行場
  
壬生(上長田/国谷)飛行場跡地  
仁良川飛行場跡地
  
小山絹滑空場
  
藤岡(静和)飛行場跡地
  
スカイフィールドわたらせ離着陸場(藤岡場外離着陸場)
  
中禅寺湖水上機基地跡地 
黒磯滑空場跡地  

■群馬県■ (残:1 敷島滑空訓練所跡地)   
板倉滑空場
     
大西(館林エアロ、旧陸軍館林)飛行場(運用当時)     
 館林(大西)飛行場跡地追加  
太田小泉飛行場跡地       
尾島飛行場跡地  
新田陸軍(生品)飛行場跡地        
桐生愛国飛行場跡地      
前橋(堤ヶ岡)飛行場跡地      
高崎飛行場跡地   
相馬原飛行場
  
伊勢崎場外離着陸場 
坂東飛行場跡地 

■埼玉県■ (残:1 川口地方滑空訓練所跡)   
羽生滑空場
    
読売加須滑空場(旧大利根滑空場)     
宝珠花滑空場     
妻沼グライダー滑空場
     
児玉飛行場跡地    
三尻陸軍(稜威ケ原)飛行場跡地     
小原(熊谷南)飛行場跡地
     
荒川河畔グライダー場跡地
   
関東松山飛行場跡地
    
東京フライングクラブ飛行場
    
ホンダエアポート
     
 桶川陸軍飛行場跡地  
坂戸陸軍飛行場跡地
    
高萩飛行場跡地    
大宮の中島飛行機飛行場跡地
    
越谷(論田、新和、荻島)飛行場跡地
      
所沢飛行場跡地     
入間基地(旧豊岡飛行場、修武台飛行場、ジョンソン基地)    
狭山飛行場跡地
      
吹上飛行場
  
大里飛行場
  
浦和(埼玉第一)飛行場跡地
  
朝霞訓練場離着陸場跡地
  

■千葉県■ (残:2 大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場跡地、習志野4丁目滑走路跡地)   
下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地
    
香取航空基地(干潟の飛行場)跡地    
横芝(栗山、横芝栗山)飛行場跡地    
成田国際空港(成田空港)     
下志津陸軍飛行学校八街分教場跡地     
豊成(東金)飛行場跡地    
関宿滑空場
  
蕃昌飛行場跡地    
柏飛行場跡地
    
逓信省印旛地方航空機乗員養成所、印旛(草深)飛行場跡地
   
下総航空基地
    
松戸飛行場跡地    
習志野離着陸場
    
船橋飛行場跡地(初代)    
船橋飛行場跡地(二代目)
    
伊藤飛行機研究所滑走路(津田沼、伊藤飛行場)跡地    
下志津飛行場跡地
   
稲毛飛行場跡地
    
白戸飛行機教習所跡地   
浦安市の臨時滑走路
   
誉田飛行場(平川滑空場)跡地
    
真名(茂原)飛行場跡地   
茂原海軍航空基地跡地
    
太東航空基地跡地    
木更津飛行場
    
館山航空基地
    
県営千葉県魚群探見飛行場跡地  
大利根飛行場跡地(水上機基地)  
佐原飛行場跡地 
五井水上基地跡地  
第一航空学校跡地 

■東京都■ (COMPLETE)   
千住草加間国道秘匿滑走路跡   
赤羽飛行場跡地  
板橋(前野)飛行場跡地
  
成増陸軍飛行場跡地
  
成増飛行場秘匿滑走路跡地 
篠崎飛行場(江戸川飛行場)跡地  
江戸川飛行場跡地  
洲崎(深川浦)飛行場跡地・江東区  
月島飛行場(晴海連絡用滑走路)跡地 
東雲飛行場跡地  
代々木練兵場跡地
  
東京国際空港(羽田空港)
  
 東京羽田飛行場(1931~1939)  
 東京飛行場(1940~1945)  
 ハネダエアベース(1945~1952)  
 東京国際空港(1952~)  
戸田橋滑空場跡地
  
読売飛行場跡地
  
調布飛行場
  
東京陸軍航空学校滑空場跡地   
横田(旧福生、多摩)飛行場     
国立飛行場跡地   
立川飛行場
    
昭和飛行場跡地
    
旧陸軍大島飛行場、北の山陸軍飛行場、旧大島空港跡地
   
大島空港(東京大島かめりあ空港)  
神津島空港  
三宅島空港
   
八丈島海軍(三根)飛行場跡地
   
八丈島空港
  
新島空港
  
 陸軍新島飛行場跡地  
 新島村営場外離着陸場跡地  
洲崎飛行場(江東区豊洲)跡地
  
深川7号埋立地(洲崎飛行場・江東区辰巳)跡地
  
中島大井(大井)飛行場跡地
  
(洲崎飛行場跡地(父島))
   
(父島飛行場)
  
(千鳥(下の、第一)飛行場跡地)
   
(元山(第二)飛行場跡地)
 
(北(上の、第三)飛行場跡地)
  
(硫黄島飛行場)
  
(南鳥島飛行場)
   

■神奈川県■ (COMPLETE)   
伊勢佐木町(若葉)飛行場跡地      
間門飛行場跡地
      
第十一横浜水上基地(根岸飛行場)跡地     
横浜水上基地(富岡飛行場)跡地
      
横須賀第一(追浜)飛行場跡地
     
横須賀第二(長井)飛行場跡地
      
横須賀第三(黒崎、初声)飛行場跡地
      
キャスナー陸軍飛行場     
相模(中津)飛行場跡地
     
大山秘密航空基地(厚木第二飛行場)跡地  
新厚木基地跡地 
厚木飛行場      
厚木(銀紙)飛行場跡地  
藤沢飛行場跡地      
磯子飛行場跡地
  
三本葭飛行場跡地
  
玉井飛行場跡地
  
片岡飛行場跡地
  
宗里飛行場跡地(第一航空学校)
  


更新履歴
2021/03/08 東京都・江戸川飛行場跡地 追加
2021/03/01 東京都・成増飛行場秘匿滑走路跡地 追加
2020/05/10 神奈川県・新厚木基地跡地 追加
2020/02/17 兵庫県・六甲飛行場跡地 追加
2020/02/10 岡山県・吉井川左岸福岡付近着陸場跡地 追加
2020/02/03 岡山県・岡山練兵場着陸場跡地 追加
2020/01/06 静岡県・飛行第七連隊飛行場跡地 追加
2019/12/02 茨城県・つくば滑空場 追加
2019/10/23 秋田県・北楢岡飛行場跡地 追加
2019/08/05 千葉県・第一航空学校跡地 追加
2019/06/24 秋田県・北楢岡飛行場跡地 追加
2019/06/17 北海道・室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地 追加
2019/06/10 北海道・弟子屈不時着陸場跡地 追加
2019/06/03 北海道・富浦不時着陸場跡地 追加
2019/05/20 北海道・中標津不時着陸場跡地 追加
2019/05/13 北海道・愛国釧路飛行場跡地 追加
2019/05/06 北海道・稚内不時着陸場跡地 追加


台湾・八塊飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問)  




(TAIWANAIRBLOG様から許可を得て記事と作図を使用させて頂いておりますm(_ _)m 下記リンク参照)

台湾桃園八徳区にあった日本陸軍の「八塊飛行場」。

(八塊は戦前の旧名で、八塊が八徳になったのだそうです)

■「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、

当飛行場は連合軍によりMLG(Medium Bomber Landing Ground:中爆撃機着陸場)に分類されていました。

特攻隊の出撃基地でもあるのだそうです。

■太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署(下記リンク参照)には以下の通り記されていました。

鳳山、宜蘭、小港、八塊等、日本では珍しいV字形が採用されたのは、

周囲に拡張可能な土地が不足していたためでした。

飛行場敷地は、近くの地形、集落、鉄道、道路、川、谷の障害物によって制限を受けます。




     台湾・八塊飛行場跡地         
八塊飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾桃園八徳区
座 標:24°56'08.1"N 121°18'27.3"E
標 高:139m
主滑走路:1,550mx250m(05/23)
補助滑走路:1,510mx65m(18/36)
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1944年10月 完成

関連サイト:
TAIWANAIRBLOG/八塊飛行場
盟軍記載的二戰臺灣機場(21コマ) 
太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署 
ブログ内関連記事     


コメント(0) 

台湾・淡水飛行場(水上機)跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問)  




台湾新北市淡水(たんすい)区にあった「淡水飛行場(水上機)」。

史跡に指定されており、スリップが現存する他、当時の地割がかなり残っています。

■「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、

当飛行場は連合軍によりSS(Seaplane Station:水上機基地)に分類されていました。

■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

の中に1/20,000の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。

要図には、恒風:北西 と書かれていました。

同資料内の情報を以下引用させて頂きます

台湾・淡水飛行場(水上機)
位置
 台北州淡水郡淡水街竿蓁林字庄子内
滑走地域
 滑走区域は関渡合流點より下流の淡水
 河水面及淡水灯台を中心とし、半径五千メー
 トル以内の海面一帯とす
照明設備
 信号柱 繋留浮標

■中国語版Wiki/淡水水上機場(下記リンク参照)によりますと、

1941年に台湾唯一の民間水上機基地として完成し、

主に横浜~バンコク間の給油、積み替えの経由地として使用されました。

離着水の際、巡視船が周辺の船舶にスピーカーを使って安全を確保したのだそうです。

しかし、同年12月の太平洋戦争突入と共に定期航路は廃止となりました。

その後淡水飛行場は日本海軍が駐屯しました。


■アジア経済ニュース2016/05/02(月)テイクオフ:「淡水発着の国際航空便…(下記リンク参照)

によりますと、飛行場跡は現在海軍と中央気象局の管轄で非公開となっており、

戦前ここに国際便が飛来していたことを知る人は少ないのだそうです。

機材は日本海軍の九七式飛行艇(乗客20人)で、横浜~バンコク間10時間。

神戸~基隆の船便が所要3日だった当時、横浜~淡水を5時間弱で結びました。

「片道運賃は大卒初任給の5倍だが、開設当初から満席続きだった」のだそうです。

更に終戦直後の昭和20年9月、敗戦で混乱に陥った台湾を救うため、

現ナマを満載した飛行艇がGHQの許可を受け、

緑十字機(終戦処理専用機)として横浜~淡水間を往復するという一幕もあったそうです。




     台湾・淡水飛行場(水上機)跡地         
淡水飛行場(水上機) データ
設置管理者:台湾総督府(後に日本海軍?)
種 別:水上機基地
所在地:台湾台北州淡水郡淡水街竿蓁林字庄子内(現:新北市淡水区)
座 標:25°09'52.1"N 121°26'47.2"E
スリップ:65mx40m?
(座標、スリップ長さはグーグルアースから、他は防衛研究所資料から)

沿革
1930年    イタリア人パイロットが水上機で淡水に着水
1937年    飛行場建設計画
1941年    完成。横浜~バンコク便(月2回)の経由地となる
     12月 12日 バンコク便運航停止。その後海軍が駐屯
1944年10月 12日 米軍による爆撃
1945年08月 終戦
     09月 緑十字機飛来
2000年    台北県政府により郡史跡に指定


関連サイト:
盟軍記載的二戰臺灣機場(21コマ) 
中国語版Wiki/淡水水上機場 
アジア経済ニュース 
文化部iCulture/淡水水上機場 
ブログ内関連記事       


この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

コメント(0) 

台湾・鳳山飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問)  




台湾の高雄市にあった鳳山(ほうざん)飛行場。


「盟軍記載的二戰臺灣機場」(下記リンク参照)によれば、

当飛行場は連合軍によりMLG(Medium Bomber Landing Ground:中爆撃機着陸場)に分類されていました。

■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」

に要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。

後述しますが、鳳山飛行場の2本の滑走路は段階的に拡張したようで、600mから始まり、

資料から確認できる最終的な長さは、おおよそですが、1,500mと1,400mに達しています。

そのためだと思うのですが、【鳳山飛行場】で検索すると、

微妙に異なる図が幾つかヒットします(特に滑走路交差部の形が違う)。

というか、全体から見ればオイラの作図の方が異端なんですが、

防衛研究所の昭和19年資料では2本とも1,200mx200mとしているため、

この資料の通りに作図してあります。

画像検索するとすぐにいろんな形の鳳山飛行場が見つかりますので興味のある方はご覧くださいませ。

防衛研究所の昭和19年要図では、恒風:北北西(滑走路方向) と記されていました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

鳳山飛行場
位置
 高雄州鳳山郡大寮庄
滑走地区
 滑走地区 東西一、二〇〇米 南北二〇〇米
      東西二〇〇米 南北一、二〇〇米
 地盤は粘土質にして乾季には良好なるも雨季軟弱となし北
 方の煉瓦会社煙突並に海軍無線塔に注意を要す
付属施設
 格納庫、燃料庫、給水、宿舎なし
飛行場
 付近水田にして開闊なり
気象 
 雨季飛行場軟弱となる
交通通信 航法施設
 潮州線後庄駅より東南約六〇〇米
 高雄-屏東街道に接す
其の他
 屏東飛行場の場周に当り離着陸に注意を要す

 
当飛行場について、手持ちの情報は現在のところこれだけです。

アジ歴、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、目ぼしいものは出てきません。

一方、地元台湾では日本が建設した飛行場についての記事がとても多くヒットします。

グーグル翻訳を使ってそれらの記事を拝見すると、

この鳳山飛行場で実際に飛行機が離陸したところを見たことがなく、

竹細工の飛行機を駐機させてあり、実際にこれらが空襲の標的になった点に触れているものがありました。

オイラが閲覧した範囲では、当飛行場は「疑似」飛行場であるというのが地元では定説になっているようです。

一例としてあるサイト様では、80歳になるおじいさんの証言として、

子供だった頃に先生に引率され、鳳山飛行場で2時間の草むしりをした
竹細工の飛行機が銀色に塗られ、日の丸が描かれた
飛行場は無人で、実際に飛行機が離陸するところを見たことが無い
戦後、ここは飛行場に適していないため、最終的に廃止になった

とありました。

「鳳山飛行場は実機のためのものではなく、疑似飛行場である」

この定説に異を唱えている地元サイト様が1つだけありました。

同サイト様の記事を一部引用します(Google翻訳)。

米軍の航空写真の撮影時間は、実際には終戦(1941-1945)に限定されており、実際には、台湾に関する「部外者」の間接的な知識しか表せません。データは日本からのものでなければなりません。言い換えれば、アメリカの空中データまたは文書は補助データとしてのみ使用する必要があります。重要な情報は、日本のアーカイブおよび履歴データから開始し、空港の設立の背景とコンテキストを確立すると同時に、航空開発全体のコンテキストに配置する必要があります。この方法でのみ、その存在の戦略的重要性を見ることができます。言い換えれば、空港を調査して属性を決定するために外部画像のみを使用する場合、それは誰かの写真を見て、彼の静的な外観だけを知っているが、彼の動的な過去、性格、好み、または専門知識を知らないようなものです。理解、それは一方的な推測と理解かもしれません。台湾への空爆を研究するための研究テーマとして米軍を利用する場合でも、軍事に関する専門知識を十分に持ち、アーカイブの利用の優先順位を明確にし、米軍のデータの限界を理解し、重要視する必要があります。(中略)

中荘、大寮、高雄にあるこの空港については、多くの人が紹介や調査を行っており、この空港は変で、かつてないかもしれない、あるいは敵を誘惑するための「偽の空港」だと誰もが思っています。データによって制限されますが、おそらく当時の画像データでしか説明できませんでした。しかし、軍事体制に戻り、その時の日本陸軍空軍の組織の変化と実際の作戦を考えれば、より完全な全体像をまとめることができるかもしれません。 1944年に出版された本「SouthernFlyingTeam」によると、この空港は当時陸軍によって実際に「疑似飛行場」と呼ばれていました。そうです、彼の「疑似」は米軍を欺くために使用されなかっただけですが、その他の重要な兵役。機能と目的。この目的は、実際には陸軍飛行場旅団の演習空港として使用されることであり、隣接する陸軍屏東航空工場の鳳山燃料貯蔵所(陸軍ステップスクールの裏丘にあります)と密接に関連しています。後で)。言い換えれば、この「疑似空港」は1930年代後半に建設されました。したがって、もちろん、最も初期の主な目的は、戦争の終わりに敵を欺くために使用されることではありません。

要約すると、

「鳳山飛行場は疑似」というのが定説ではあるが、当飛行場の建設は1938年にはほぼ終了しており、

当時は米軍の目をごまかす必要などなかった。

日本の資料をきちんと調べないと、その飛行場の真実は分からない。

ということになるでしょうか。


冒頭に引用した防衛研究所の資料は、昭和19年に調製されたものですが、

「疑似」飛行場を匂わすような文言は出てきません。

1,200m滑走路を2本も擁する疑似飛行場なんて、(オイラの知る限り)内地にも無いですしね。

前出:防衛研究所資料の「其の他」の項目に「屏東飛行場の場周に当り離着陸に注意を要す」とあります。

当飛行場から約7kmの所に屏東飛行場がありました(こちらの方が規模がずっと大きい)。

仮に鳳山飛行場が疑似飛行場だったとしたら、こんな注意喚起は不要のはずです。


その後更に地元のサイトを調べていたら、この辺の疑問を一気に解決する非常に詳しい資料を見つけました。

太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署(下記リンク参照)というサイトです。

以下関係する部分を要約します。


鳳山飛行場は民間飛行場として1937年9月に着工しました。

その後南方の戦闘状況に対応して島内の新旧飛行場を改修する計画がなされ、

大本営は1941年6月までに、鳳山、潮州、佳冬、恒春を陸軍飛行場として整備する決定をしました。

9年18日、満州に駐屯していた新たに再編された第4飛行場設定隊と第9飛行場設定隊が高雄に到着。

鳳山飛行場の建設を開始するために2チームが第4飛行グループに編成されました。

当時飛行場設定隊は、約80~90名の軍人と部下で構成されていました。

鳳山、宜蘭、小港、八塊等、日本では珍しいV字形が採用されたのは、

周囲に拡張可能な土地が不足していたためでした。

飛行場敷地は、近くの地形、集落、鉄道、道路、川、谷の障害物によって制限を受けます。

風山飛行場の場合、2本の滑走路の間には岡山西(江山村)があります。

これは隆起し周囲よりも高くなっており、この場所を避けるために滑走路がV字型になりました。

開戦前の段階で、設営隊は風山飛行場の建設に3ヶ月しか従事しなかった可能性があり、

滑走路の長さはわずか600mでした。

これは潮州、佳冬、恒春等新設飛行場の中でも最短であり、飛行に適していません。

このため太平洋戦争が始まったとき、鳳山飛行場に使用の記録はありませんでした。

1944年4月現在、風山飛行場の両滑走路は1,200mx200mに延長されていました。

飛行場施設には、格納庫、燃料貯蔵所、給水施設、寮が含まれます。

開放的な水田に囲まれ、眺望は良いものの、

土質は乾季に使用できる粘土ですが、雨季は土壌が弱く、離着陸が難しいです。

また、近くに煙突と海軍の無線塔があり、飛行の支障となります。

屏東空港にも隣接しているので、着陸するときは注意が必要です。

このように、鳳山空港が長期間使用されていない理由は明らかです。

元々この場​​所が選ばれたのは、陸軍が交通動脈を保護するためでしたが、

飛行場については考慮すべき多くの要因があります。

土質の点では、飛行場には土壌が適しています。

小さな砂利は離着陸時に機体や航空機の翼に跳ね返って損傷するため、砂利は適していません。

また、粘土質土壌は降雨時に軟化するため不適切です。

さらに離着陸時には障害物を避けるために、飛行場周辺の高さを制限する必要があります。

一方、鳳山飛行場の土壌は粘土質であり、飛行場西側は通信塔や煙突に塞がれており、

東側も屏東飛行場に近く、互いに干渉します。

南北は山岳地帯に面しており、飛行の安全性に問題があり、飛行場として理想的な場所ではありません。

1944年8月、太平洋艦隊と太平洋艦隊合同司令部は、蓄積された情報データに基づいて、

鳳山飛行場がダミー飛行場であると判断しました。

当時、2本の滑走路は2,800フィートと3,300フィートに延長されていました。

避難経路は飛行場の中央にあり、65フィートの航空機の砦が5つあり、格納庫や兵舎は見られませんでした。

1944年3月6日、5機の日本の飛行機が駐機していましたが、それらは偽の飛行機であるはずでした。

次に、風山空港を放棄または偽の空港として直接マークします(9月10日)。

戦闘後、米国の鳳山飛行場の調査は継続されました。

1945年1月29日までに、2つの滑走路は、4,850ft×600ft、4,500ft×600ftに延長されました。

とありました(Google翻訳)。


元々鳳山飛行場は1937年に民間飛行場として着工したものの、実は同資料内では、

高雄の民間航空は1939年に岡山空港に離着陸した。鳳山空港の問題は終わったように見えた。 1940年の終わりには、海軍の岡山空港と陸軍の嘉義空港だけが台湾で唯一の飛行場であり、比較的良好な状態でした。

とあります。

「岡山空港」とは、当時の海軍高雄飛行場のことだと思います。

海軍高雄飛行場は1939年開場でした。

せっかく鳳山飛行場を民間飛行場として建設したのに、同じ高雄市内の海軍飛行場が民間航空に使用されたのですね。

そして鳳山飛行場は民間航空が飛来することもなく時間が経過し、

その後大本営の指示により陸軍飛行場として転用工事が始まったのですが、

土質の問題、屏東飛行場と空域が干渉してしまうこと、高度制限等から実際の運用にはいろいろと難があった。

ということのようですね。

それでも、運用実績はないにも関わらず当初600mだった滑走路はその後拡張され、

1,500m、1,400m級にまでなっています。

鳳山飛行場は「本物の」飛行場として建設されたものの、

同じく陸軍の屛東飛行場の補助飛行場、若しくはイザという時のための不時着用としての性格が強くなり、

米軍や地元の方からは「疑似」飛行場と映った。

ということなのかもしれません。

地勢的に飛行場に向いておらず、囮の飛行機を置いていたら、そりゃ「疑似」と捉えられても仕方ないのかも。




     台湾・鳳山飛行場跡地         
鳳山飛行場 データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:台湾大寮区高雄市
座 標:22°38'15.9"N 120°24'07.7"E
標 高:14m
滑走路:1,200mx200m 2本(08/26)、(14/32)
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さは防衛研究所資料から)

沿革
1937年09月 民間飛行場として着工
1938年    ほぼ完成

1941年06月 大本営、この月までに鳳山を陸軍飛行場として整備と決定
     09月 18日 第4、第9飛行場設定隊が高雄に到着。滑走路600m
1944年04月 この頃までに両滑走路は1,200mx200mに延長
     08月 米軍は鳳山飛行場をダミーと判定。滑走路は853m、1,005mに延長(写真判定だから?)
1945年01月 29日 この頃までに滑走路は、1,478m×182m、1,371m×182mに延長

関連サイト:
太平洋戰爭下日本陸軍於高雄地區的機場整備與航空隊部署 
盟軍記載的二戰臺灣機場(21コマ) 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 内地(千島、樺太、北海道、朝鮮、台湾を含む) 昭和十九、四、二〇調製 第一航空軍司令部」


コメント(0) 

東京都・江戸川飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2020年12月訪問  



無題b.png
1/25000「船橋」昭和7年要修・昭和7.10.30発行「今昔マップ on the web」より作成


東京都江戸川区、江戸川河川敷にあった「江戸川飛行場」。

奈良原三次と伊藤音次郎の子弟コンピが昭和10年に設置許可を得た飛行場です。

ややこしいですが、戦時中にはすぐ南側に「篠崎飛行場」がありました。

「江戸川飛行場」については、ググっても出て来ず、場所を明示した資料も見つかりませんでした。

自力でなんとかしなければなりませんのだ。

後述しますが「南国イカロス記 かごしま民間航空史」の中に場所特定の手掛かりとして、

①昭和9年(1934年)6月使用申請書提出
②千葉県・市川鉄橋の下流2km
③東京市江戸川区篠崎町の江戸川河川敷
④河川敷は、南東から北西に最長距離1,000m、幅300m(の平坦地)
⑤面積75,600坪(24.99ha)の平坦地

とあります。

①昭和9年(1934年)6月使用申請書提出 なんですが、

上に貼った今昔マップは、ちょうど昭和7年のものなで、申請書提出の2年前に当ります。

時期的に奈良原、伊藤両氏が調査して、「よし、ここにしよう」と決めたタイミングに非常に近いです。

で、この地図から条件に合う場所を探したのでした。

①~⑤の条件をザッと見たところ、候補地は上の地図に示したAとBの2か所となりました。

②千葉県・市川鉄橋の下流2km とありますが、この「市川鉄橋」というのがドレなのか確実なことは不明です。

上に貼った地図の上流側に市川駅があり、駅のすぐ西側に江戸川を渡る鉄橋があります。

これが「市川鉄橋」と仮定して話を進めますが、

A→市川鉄橋の下流2km
B→市川鉄橋の下流3km

という位置関係になります。

③東京市江戸川区篠崎町の江戸川河川敷 とありますが、

江戸川の左岸は千葉県、右岸が東京市江戸川区であるため、

右岸側の河川敷ということになります(上の地図だと川の西側)。

東京市江戸川区という条件はA,Bどちらも満たしているんですが、

江戸川区の特に篠崎町となると、上に貼った昭和7年の地図では、Bの辺りが篠崎町です。

④河川敷は、南東から北西に最長距離1,000m、幅300m(の平坦地)

この条件は、A,Bどちらも満たしています。

⑤面積75,600坪(24.99ha)の平坦地 とありますが、実際に作図して面積を出してみたところ、

A→24.9ha
B→20.4ha

となりました。

Aの方は、敷地の北側部分にちょうど水路?があり、ここを飛行場の境界とすると、ピッタリ24.9haになりました。

実はちょい南側の「笹ヶ崎」にも飛行場敷地を分断するように水路がありますが、暗渠化すればイケるかと。

Bは、この場所で平坦地としてとれる最大限の広さで作図したのですが、それでも20.4haにしかなりませんでした。

ということで、Aの部分が、①~⑤の条件のうち、

③東京市江戸川区篠崎町の江戸川河川敷 以外を全て満たしています。

(どういうこっちゃ??)と思ったのですが、同じ場所を昭和20年の地図でみたら、

Aの西側の地名が、「上篠崎町」、「北篠崎町」、「西篠崎町」となっていました。

そんな訳で、Aの部分が「江戸川飛行場」だったのではないかと思います。

「南国イカロス記 かごしま民間航空史」131pに当飛行場開設のいきさつ等出ていました。

以下引用させて頂きます。

 昭和九年(一九三四年)六月、日本軽飛行機倶楽部は、千葉県・市川鉄橋の下流二㌔のところに
ある、東京市江戸川区篠崎町の江戸川河川敷を飛行場として使いたい、という申請書を東京市に
提出した。明治四十五年五月、千葉県稲毛に民間飛行場を開場してから二十二年になる。大勢の
若者たちが、不便を耐え忍びながら干潟飛行場で訓練を続けてきた。満潮時は飛べず、干潮時と
いっても残り水の飛沫(ひまつ)をあびなければならないのだ。しかし軽飛行機が実用時代にはい
ってき、いずれはエアタクシー計画も実現したい。それには完全な飛行場がほしい。奈良原三次
と伊藤音次郎がコンビで踏査した江戸川河川敷は、南東から北西に最長距離一〇〇〇㍍、幅三〇
〇㍍、面積七万五千六百坪(二四万九四八〇平方㍍)が平坦だし、江戸川放水路開設から十数年にな
るが出水の被害もなく、地質も良好であった。
 奈良原三次と伊藤音次郎は、せっせと関係方面の説得に走りまわった。
 一年後の昭和十年六月、江戸川飛行場の設置が許可になった。それを機に、日本軽飛行機倶楽
部ではグライダー部を新設し、東京帆走(グライダー)飛行研究会と命名し、奈良原三次が会長を
兼務した。
伊藤と共に、飛行機の大衆化をはかるには、飛行機に乗る前に費用その他から、着手しやすいグラ
イダーを提供しようというのである。グライダーは、大正十一年(一九二二年)に伊藤式第1BO
型を設計製作して以来、セコンダリー、ソアラーと技術的にも進歩し、各団体で愛用されるよう
になっていた。それらを、津田沼とは異なり、満干の悩みのない常設練習場で飛ばすことが出来
るのだ。

干潟は干潟で苦労があったのですね。

「日本軽飛行機倶楽部」という初耳の倶楽部についても、「南国イカロス記 かごしま民間航空史」

の中で、124p以降次の様に記されていました。

 昭和元年(一九二六年)十二月二十六日から、伊藤音次郎は津田沼の伊藤飛行機研究所の経営指
揮を英仏留学から帰国した稲垣知足技師長にまかせ、自分は銀座二丁目に東京出張所をもうけ、
対航空局折衝と営業活動に専念することにした。
 翌昭和二年七月中旬、伊藤飛行機研究所改め伊藤飛行機製作所東京出張所の看板を見て訪ねて
きたのが、思いもかけず師の奈良原三次であった。オートジャイロ模型の写真を持参し、試作を
依頼にやってきたのだという。それにしては身なりが少しくたびれていたし、いくらか面やつれ
もしていた。そのくせ、身なりのいい取り巻きをを一人つれていた。東京飛行機製作所支配人・住
吉貞次郎の子分で、丹藤といい、伊藤音次郎には見覚えがあった。
 それはともかく、実直な伊藤音次郎は、かつての師が困窮生活の中にいても相変わらず空飛ぶ
機械に打ち込んでいる姿に感動し、いっそのこと三河島を引きはらい、今一度航空事業に手を染
めていただけませんか、と申し出た。できれば、懸案の軽飛行機倶楽部が設立されたら会長に推
挙したい、と思ったのだ。いささかの恩返しにもなるではないか。伊藤音次郎は、千葉県市川市
市川新田二四六番地に家を買い求め、奈良原三次一家に移り住んでもらうことにした。
 懸案の日本軽飛行機倶楽部というのは、次のような趣旨のものであった。
『今や航空機は国防上又文化生活上重要なる役目を帯び将来益々人生に欠くべからざるものとな
る事は今更申すまでもありません。
 欧米列国に於ては最も此航空事業に力を尽しその進歩を期し常に飛行大会、ラヂオ放送、講演
等あらゆる方法を以て普及に努力して居ります。
 航空思想の普及は最も青少年に必要であり又理解せしめ易いので烱眼なる英政府は先づ各小学
校に航空講演の巡回講話をなし且つ同乗飛行を実験せしめその安全にして愉快なる事を理解させ
て将来の基礎を作り又青少年男女の為には最も低廉なる経費と多数の時間を以て懇切に操縦術を
授け有事の際国防第一線に立つべき空の勇姿を挙国的に養成するのが目的であります。(中略)
 我帝国の位置より見て優秀なる飛行国として立たねばならぬ地勢でありながら独り航空事業の
みが一般から継子扱ひにされて居るのは財政上の障害もあらうが要するに国民の航空機に対する
理解のない為めであります』(顧問 陸軍中将・長岡外史、発起人代表 伊藤音次郎)

日本軽飛行機倶楽部が設立されたのは、昭和五年(一九三〇年)一月十五
日で、奈良原三次は陸軍中将・長岡外史、陸軍工兵大佐・徳永熊雄、実
業家・児玉静治と共に顧問に就任した。
 以後一年間に、十一人の操縦士を養成した。航空免状を取得したのはその中の六人で、二等飛
行機操縦士二人、三等飛行機操縦士四人であった。
 翌昭和六年(一九三一年)四月二十一日、倶楽部組織変更について東京・芝田村町の飛行館で初
会合を催し、代表・伊藤音次郎は常務理事となり、会長には奈良原三次が就任した。(中略)
 奈良原三次は『会報』第三号に『会長を承はりて』という文章を書いた。
『(中略)新飛行機の製作、新飛行計画等々の実施に努めませう。』
 みずから設計製作した飛行機で、つまり国産機でわが国最初の飛行に成功した人だけに、五十
五歳で会長に据えられても、決して名前だけでなく、先頭に立って航空発展のために力を尽くす
のだ。(中略)
 ともあれ日本軽飛行機倶楽部は、昭和十六年三月民間における操縦練習の打ち切りが発令され
るまでに、九十二人の免許取得者を卒業させるのだ。(中略)
奈良原三次は日本軽飛行機倶楽部発展のため積極的に動きまわっ
た。二等飛行機操縦士奨励金問題では、伊藤音次郎常務理事と共に上京し、逓信省その他に対し
熱心な運動を展開した。彼は少しも骨惜しみしなかった。

DSC_0034_00001.jpg
赤マーカー地点(2枚とも)。


DSC_0038_00001.jpg
今からおよそ90年ほど昔、ここでヒコーキ、グライダーが訓練に明け暮れていたのですね~。



     東京都・江戸川飛行場跡地         
江戸川飛行場 データ
設置管理者:日本軽飛行機倶楽部
種 別:陸上飛行場
所在地:東京市江戸川区篠崎町の江戸川河川敷
座 標:N35°43′08″E139°54′06″
標 高:1.4m
着陸帯:1,000mx300m不定形
方 位:14/32
(座標、標高、方位は地理院から、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1934年06月 日本軽飛行機倶楽部、東京市に江戸川河川敷の使用申請書を提出
1935年06月 設置許可

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「南国イカロス記 かごしま民間航空史」


コメント(0) 
前の5件 | - ├国内の空港、飛行場 ブログトップ
メッセージを送る