静岡県・緑十字機不時着の碑 [├場所]
2023年5月訪問
静岡県磐田市鮫島海岸。
ここに「緑十字機不時着の碑」があります。
赤マーカー地点。
緑十字機不時着の碑(全文)
戦後の平和はここから始まった -鮫島住民の支援活動に感謝- 誰かおらんか!…… ここはどこかね? ここは天竜川の河口左岸に程近いところです 早く東京へ帰らないと大変なことになる 勅使だ! 勅使だ!
■歴史の記録■
緑十字機の不時着
一九四五(昭和二〇)年八月二〇日二三時五五分、終戦処理のためマッカーサー連合国軍最高司令官の指示を受け、降伏文書等の重要書類を運ぶ緑十字機(一式陸上輸送機、搭乗員六名・軍使九名)が沖縄・伊江島から千葉・木更津へ向かう途中、原因不明の燃料不足で鮫島海岸に不時着した。
日本の危機
戦況下、軍使の東京到着の遅れは連合国に遅延工作とみなされ、本土総攻撃が予想された。ソ連軍も北方四島に侵攻し、北海道は一部が占領される危機的状況にあり、列島は一刻を争う緊迫状態に陥っていた。
鮫島住民の支援
不時着。そこに偶然居合わせたのが鮫島住民だった。軍使一行の道案内、リヤカーによる降伏文書等の運搬、茶の接待、濡れた衣服の乾燥、電話の案内など迅速かつ的確な支援により、日本は事なきを得た。
もし、この救援が無かったら本土決戦、日本分断統治の可能性もあり、人々の命や財産がどれほど失われたか計り知れない。今日に続く永き平和は、この地の支援から始まっている。 平成二九年八月二〇日 鮫島自治会
緑十字機不時着の碑(全文)
戦後の平和はここから始まった -鮫島住民の支援活動に感謝- 誰かおらんか!…… ここはどこかね? ここは天竜川の河口左岸に程近いところです 早く東京へ帰らないと大変なことになる 勅使だ! 勅使だ!
■歴史の記録■
緑十字機の不時着
一九四五(昭和二〇)年八月二〇日二三時五五分、終戦処理のためマッカーサー連合国軍最高司令官の指示を受け、降伏文書等の重要書類を運ぶ緑十字機(一式陸上輸送機、搭乗員六名・軍使九名)が沖縄・伊江島から千葉・木更津へ向かう途中、原因不明の燃料不足で鮫島海岸に不時着した。
日本の危機
戦況下、軍使の東京到着の遅れは連合国に遅延工作とみなされ、本土総攻撃が予想された。ソ連軍も北方四島に侵攻し、北海道は一部が占領される危機的状況にあり、列島は一刻を争う緊迫状態に陥っていた。
鮫島住民の支援
不時着。そこに偶然居合わせたのが鮫島住民だった。軍使一行の道案内、リヤカーによる降伏文書等の運搬、茶の接待、濡れた衣服の乾燥、電話の案内など迅速かつ的確な支援により、日本は事なきを得た。
もし、この救援が無かったら本土決戦、日本分断統治の可能性もあり、人々の命や財産がどれほど失われたか計り知れない。今日に続く永き平和は、この地の支援から始まっている。 平成二九年八月二〇日 鮫島自治会
日本の代表使節団は、千葉県木更津航空基地から沖縄県伊江島飛行場までは日本海軍の一式陸上攻撃機で移動。
伊江島飛行場で米陸軍のC-54輸送機(DC4)に乗り換えてフィリピンのニコルス飛行場(当時)に到着しました。
木更津航空基地 7:18発。
伊江島飛行場 13時過ぎ着。同14時発。
ニコルス飛行場 17:54着(現地時間)。
(資料により時刻には多少のバラツキあり)
伊江島飛行場で米陸軍のC-54輸送機(DC4)に乗り換えてフィリピンのニコルス飛行場(当時)に到着しました。
木更津航空基地 7:18発。
伊江島飛行場 13時過ぎ着。同14時発。
ニコルス飛行場 17:54着(現地時間)。
(資料により時刻には多少のバラツキあり)
事故は復路で発生しました。
往路と同様、マニラから伊江島飛行場までは米軍機で移動。
伊江島飛行場で海軍の一式陸攻に乗り換えて木更津航空基地を目指しました。
ところが木更津航空基地まであと1時間というところで燃料切れを起こしてしまいました。
使節団の手記には「伊江島飛行場に到着した我々は大勢の米兵に取り囲まれて盛んに撮影された」とある通り、
当時伊江島飛行場は完全に米軍の基地と化しており、
「降伏許すまじ」とする日本の継戦派により意図的に燃料搭載量を減らされたとか、
燃料系にわざと細工したとか、そういう陰謀めいたものの入り込む余地は少なそうですが……
他サイト様によれば、鮫島海岸に不時着した一行は、
徒歩とトラックで辿り着いた浜松の飛行場から空路調布飛行場へ飛び、
すぐさま総理官邸に駆け付け、事なきを得ました。
実はアメリカ側からは、「往復ともに同行程のこと」と指示されていたのですが、
不慮の事故ですから復路が多少変更になってしまったのはどうしようもないです。
当時の浜松には「浜松飛行場」と「三方原飛行場」、2つの陸軍飛行場がありましたが、
どちらの飛行場に辿り着いたのかは不明です。
飛行場に着いてみればエンジンが故障した飛行機しか残ってなくて、
午前2時頃から応急修理を始め、一同東京に向けて機内に入ったのは8時頃だったので、
修理だけで約6時間のロス。
もかかわらず、官邸到着の予定時刻を7時間あまりの遅刻に留めています。
恐らくこれは木更津航空基地に着陸後、
官邸までの陸路の移動時間が長くかかるのが計算に入っていたからなんじゃないでしょうか。
当時はアクアラインなんてないですから、木更津から総理官邸に向かうには、
ぐーっと東京湾を大回りするしかないですからね。
ところが不時着というアクシデントにより、到着飛行場が木更津から調布に変更となりました。
調布飛行場から総理官邸なら、陸路の移動時間で相当な時間短縮になったはずです。
(調布飛行場→官邸:直線距離で20km、木更津航空基地→官邸:80kmくらい?)
往路の起点となった木更津航空基地は海軍の基地。
木更津航空基地と伊江島飛行場の往復に使用した(使用する計画だった)一式陸攻は海軍機。
使用機と飛行場、どちらも海軍です。
アクシデントのせいで予定外に利用した浜松の飛行場はどちらも陸軍の飛行場。
到着した調布飛行場も陸軍の飛行場。
陸軍機だから陸軍の飛行場を使用したのか、遅刻を最小限に留めるために臨機応変に到着地を変更したのか、
どちらだったんでしょうか。
往路と同様、マニラから伊江島飛行場までは米軍機で移動。
伊江島飛行場で海軍の一式陸攻に乗り換えて木更津航空基地を目指しました。
ところが木更津航空基地まであと1時間というところで燃料切れを起こしてしまいました。
使節団の手記には「伊江島飛行場に到着した我々は大勢の米兵に取り囲まれて盛んに撮影された」とある通り、
当時伊江島飛行場は完全に米軍の基地と化しており、
「降伏許すまじ」とする日本の継戦派により意図的に燃料搭載量を減らされたとか、
燃料系にわざと細工したとか、そういう陰謀めいたものの入り込む余地は少なそうですが……
他サイト様によれば、鮫島海岸に不時着した一行は、
徒歩とトラックで辿り着いた浜松の飛行場から空路調布飛行場へ飛び、
すぐさま総理官邸に駆け付け、事なきを得ました。
実はアメリカ側からは、「往復ともに同行程のこと」と指示されていたのですが、
不慮の事故ですから復路が多少変更になってしまったのはどうしようもないです。
当時の浜松には「浜松飛行場」と「三方原飛行場」、2つの陸軍飛行場がありましたが、
どちらの飛行場に辿り着いたのかは不明です。
飛行場に着いてみればエンジンが故障した飛行機しか残ってなくて、
午前2時頃から応急修理を始め、一同東京に向けて機内に入ったのは8時頃だったので、
修理だけで約6時間のロス。
もかかわらず、官邸到着の予定時刻を7時間あまりの遅刻に留めています。
恐らくこれは木更津航空基地に着陸後、
官邸までの陸路の移動時間が長くかかるのが計算に入っていたからなんじゃないでしょうか。
当時はアクアラインなんてないですから、木更津から総理官邸に向かうには、
ぐーっと東京湾を大回りするしかないですからね。
ところが不時着というアクシデントにより、到着飛行場が木更津から調布に変更となりました。
調布飛行場から総理官邸なら、陸路の移動時間で相当な時間短縮になったはずです。
(調布飛行場→官邸:直線距離で20km、木更津航空基地→官邸:80kmくらい?)
往路の起点となった木更津航空基地は海軍の基地。
木更津航空基地と伊江島飛行場の往復に使用した(使用する計画だった)一式陸攻は海軍機。
使用機と飛行場、どちらも海軍です。
アクシデントのせいで予定外に利用した浜松の飛行場はどちらも陸軍の飛行場。
到着した調布飛行場も陸軍の飛行場。
陸軍機だから陸軍の飛行場を使用したのか、遅刻を最小限に留めるために臨機応変に到着地を変更したのか、
どちらだったんでしょうか。
静岡県・緑十字機不時着の碑
緑十字機不時着の碑 データ
所在地:静岡県磐田市鮫島海岸
座 標:34°39'32.8"N 137°50'52.9"E
関連サイト:
鮫島自治会■
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
現地の碑文
緑十字機の鮫島海岸不時着は新聞記事で
読んだ事がありますが、現地へ行った事は
ありません(近くなんですけどネ (;∀;)
5月はとりさんが浜松にいらしたんですね
十年ぶり会えるチャンスを逃しました。
あっ私は西伊豆で車中泊でした(;'∀')
by guchi (2023-08-03 13:44)
■guchiさん
近場ほどそんなものですよね。
オイラもすぐ近所なのに行ってない気になる場所あります。
浜松にお邪魔した件は…メールに送った通りでス。
失礼しましたm(_ _)m
by とり (2023-08-03 19:34)
そういうことがあったのですね_φ(・_・
・・・やっぱりいつもタメになりまする
by an-kazu (2023-08-05 06:36)
■an-kazuさん
オイラもこのアクシデントは全く知りませんでした。
by とり (2023-08-05 19:02)