東京都・中島飛行機東京工場跡地 [├場所]
2023年7月訪問
撮影年月日1944/10/16(昭19)(8911 C2 73)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
1/25000「吉祥寺」昭和2年修正「今昔マップ on the web」から作成
東京都杉並区桃井3丁目にあった「中島飛行機東京工場」。
エンジンメーカーとしての地位を確立した「寿」、零戦や隼に搭載された「栄」等、
航空機エンジンを開発、生産しました。
現在は公園、団地等になっています。
エンジンメーカーとしての地位を確立した「寿」、零戦や隼に搭載された「栄」等、
航空機エンジンを開発、生産しました。
現在は公園、団地等になっています。
赤マーカー地点。
公園の一角に碑が建立しています。
公園の一角に碑が建立しています。
ロケット発祥の地(全文)
戦後間もない昭和28年、旧中島飛行機から社名を変えた富士精密工業は東京大学生産技術研究所(現、文部科学省宇宙科学研究所)の指導を受け、ロケットの開発に着手した。2年後の昭和30年にはペンシルロケットの初フライトに成功し、これが日本のロケット第1号となった。
爾来、約半世紀、富士精密工業は、プリンス自動車工業、日産自動車、アイ・エイチ・アイ・エアロスペースと変遷を重ねたが、ロケット技術は脈々と後進に受け継がれ、現在の日本の主力ロケットを生み出す原動力となった。ロケット開発の拠点たる日産自動車荻窪事業所は平成10年5月に群馬県富岡市へ移転したが、跡地は再開発されることになった。
この地の生み出した創造的意義に鑑み、ここに記念碑を建立し、往時を偲びつつ、宇宙開発の更なる発展を祈念するものである。平成13年11月
戦後間もない昭和28年、旧中島飛行機から社名を変えた富士精密工業は東京大学生産技術研究所(現、文部科学省宇宙科学研究所)の指導を受け、ロケットの開発に着手した。2年後の昭和30年にはペンシルロケットの初フライトに成功し、これが日本のロケット第1号となった。
爾来、約半世紀、富士精密工業は、プリンス自動車工業、日産自動車、アイ・エイチ・アイ・エアロスペースと変遷を重ねたが、ロケット技術は脈々と後進に受け継がれ、現在の日本の主力ロケットを生み出す原動力となった。ロケット開発の拠点たる日産自動車荻窪事業所は平成10年5月に群馬県富岡市へ移転したが、跡地は再開発されることになった。
この地の生み出した創造的意義に鑑み、ここに記念碑を建立し、往時を偲びつつ、宇宙開発の更なる発展を祈念するものである。平成13年11月
東京都・中島飛行機東京工場跡地
中島飛行機東京工場 データ
所在地:東京都杉並区桃井
座 標:35°42'45.9"N 139°36'25.1"E
面 積:
(座標はグーグルアースから)
沿革
1925年 東京工場開設
1930年 「寿」を開発
1931年 中島飛行機株式会社に商号変更
1936年 「栄」を開発
1938年 太田、武蔵野、田無の各製作所と共に軍の管理工場に指定
1945年 4月 中島飛行機は第一軍需工廠に移管。東京工場は同工廠第23製造廠となる
8月 終戦処理命令により、第一軍需工廠は解散。富士産業に商号変換
1950年 富士産業(株)から第2会社15社が分離・独立富士精密工業(株)(旧東京工場)発足
1955年 ペンシルロケット初フライトに成功
1961年 富士精密工業(株)は、プリンス自動車工業(株)に商号変更
1966年 日産自動車(株)と合併。同社荻窪工場開設
1998年 日産自動車(株)荻窪工場は、群馬県富岡市に移転
2011年 区立桃井原っぱ公園開園
関連サイト:
すぎなみ学倶楽部■
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この記事の資料:
現地の説明板
そう、ココには日産の工場がありました。
我が家から荻窪駅への移動ルート上であり、
桃井原っぱへの変遷は当時毎日のように眺めていました。
既にお気づきのことと存じますが、
地図を北へ移動すると先日の拙blog記事の場所であります。
https://an-kazu2.blog.ss-blog.jp/2023-06-17
by an-kazu (2023-11-15 19:58)
■an-kazuさん
変遷をずっと見てこられたのですね。
所縁の深い場所だったのですね~
>拙blog記事の場所
こんな近場だったとは!!
by とり (2023-11-16 07:10)