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千島・蘂取第二飛行場(計画) [└日本統治時代の飛行場]

   2023年6月作成(未訪問)  



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5万地形図 測量年1992(平4)(リスト番号14-9-3) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases. Report No. 3-d(54), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)


択捉島北部蘂取(しべとろ)村、日本陸軍の「蘂取第二飛行場」。

蘂取第三飛行場の南東約4.5kmに位置していたと思われます。

上に貼った図に"CONSTRUCTION SUSPENDED"(建設中止)とある通り、

完成しなかった飛行場です。

そのため、周辺をグーグルマップで探したのですが、痕跡を見つけることができませんでした。

位置の絞り込みができなかったため、当初この記事を作るつもりはなく、

先にアップした「第一」と「第三」で蘂取関連記事は終了のはずだったのですが、johokotuさんから、

「戦後直後の米軍資料で、トウロ沼から年瑠璃へと向かう道路の途中、道の南側にあると推定している図が残っているそうです。」

との情報を頂き、位置をかなり絞り込むことができたため、記事作成が可能となりました。

johokotuさんもおおまかな場所を示しておられるのですが、上に貼った国土地理院の地図の通りで、

「トウロ沼から年瑠璃へと向かう道路の途中、道の南側に」飛行場適地が広がっています。

それで恐らくここに「第二」を建設するつもりだったのではないかと。

詳しくはjohokotuさんの記事をご覧ください 

johokotuさん貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m


おおよその位置が特定できたところで、

最終的にグーグルマップの【基本地図】:地形モードで位置の微調整をしました。

滑走路の向きについては、上に貼った米軍資料に第一から第三まで同じ向きで並んでますね。

これは模式図もいいとこですけど、日本軍はきちんとウインドローズを作って滑走路の向きを決めてました。

隣接する第三は滑走路跡がハッキリ残っていて、向きも分かります。

飛行場適地はこの第三から3.5~5.5km程度しか離れていませんから、

恒風もほとんど変わらず、滑走路の向きも同じのはず。

以前某小型機用飛行場のオーナーさんにいろいろ伺う機会があったのですが滑走路の向きについて、

「〇〇空港が近いからね。アッチはきちんと調べて向き決めてるから、同じにしとけば間違いないんだぁ」

と仰ってました。

実際地図を眺めると、地域の滑走路はほぼ同じ向きで揃ってることが多いです。

ということで、地形を見ながら第三と似た滑走路の向きにしました。

長さと幅については、上に貼った米軍資料を使いました。

当時の日本陸軍は、おおよそこの辺りにこんな感じで滑走路を建設しようとしていたはずです。




     千島・蘂取第二飛行場(計画)         
蘂取第二飛行場(計画) データ
設置管理者:日本陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道根室振興局択捉島蘂取村
座 標:45°17'04.7"N 148°26'28.1"E?
標 高:144m?
滑走路:1,600mX200m?
方 位:13/31?
(座標、標高、方位はグーグルアースから。滑走路長さは米軍所資料から)

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コメント(2) 
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コメント 2

johokotu

とりさん、こんばんは。
予定を変更しての取り上げ、ありがとうございます。
滑走路想定位置の推定まで進んで驚きです。
北方領土の姿が少しでも日本人の目に触れられると嬉しいです。いつかは現地に行けるようになってほしいです。
失礼しました。
by johokotu (2023-06-19 22:36) 

とり

■johokotuさん
おはようございます。
この度は貴重な情報ありがとうございました。
おかげ様で記事にすることができました。
いつかは国内線で普通に行けるようになってほしいです。
by とり (2023-06-20 04:55) 

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