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奄美群島・5 [■旅行記]


ホテル→県立図書館→奄美空港→羽田空港→坂戸駅→自宅//


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5日目

ホテル最寄りの県立図書館へ。

開館時間とほぼ同時に入館し、ヒコーキの時間ギリギリまでパソコンデスクをお借りして、

ひたすら資料集めと記録付け。

その後空港に移動。

レンタカーを返却して空港で手続きを済ませ、搭乗待合室にあるパソコンが使えるデスクでもひたすら記録付け。

「搭乗待合室でパソコン作業」

これ、いつかやってみたかったんです(o ̄∇ ̄o)フフ


IMG_20240407_140851250_HDR.jpgIMG_20240407_140855966.jpg


14:15 奄美空港発


IMG_20240407_154157605.jpg



16:20 羽田到着

17:25 羽田発(バス)

19:00 坂戸駅着

徒歩で駐車場に移動し、無事自宅に戻ったのでした。


(あとがき)

2012年与論島にお邪魔したのですが、

今回はそれ以外の(飛行場のある)奄美群島にお邪魔したのでした。

一連の奄美群島旅行記でも書きましたが、奄美群島を訪れて先ず強烈に感じたのは、

島のそこここにある沖縄文化でした(伝統行事、信仰、民具等)。

行く先々の店でも、地元FMでも、TVCMでも、流れているのは琉球民謡の三線の音色。

島の方言は沖縄の方言から類推できるし、

標準語でも、その喋り方やイントネーションはどこか沖縄っぽいです。

(鹿児島県なのに、なんでこんなにオキナワなんだろう??)

日を経るごとにそんな疑問が膨れ上がってゆき、島の図書館では、飛行場について一通り調べたら、

実は余った時間で奄美群島のルーツ関連の本を探してました。

(どの図書館にも、「琉球弧」、「ヤポネシア」という馴染みのない言葉をキーワードにした本が並んでた)

そしてある1冊の本(題名忘れた)の極めて簡潔な1節で、その疑問が一気に解けたのでした。

「1600年までの約400年間、奄美群島は琉球王国の統治下にあったため、言語を始め、その影響は今日に至るまで色濃く残ることとなった」

奄美群島は琉球王国の統治下にあったのか!!

オイラはこのことを全っっったく知りませんでした。

本当にお恥ずかしい話です。

沖縄県民の端くれとして、この歴史的事実はきちんと心に刻んでおかねば。

400年の琉球時代が終わって更に400年経ったけど、それでもこれだけ沖縄っぽさが残るのは、

気候風土、島同士という同じ環境が大きいのかしらん。

これまた図書館で見つけたある書籍(題名忘れた)なんですが、その一節が強く印象に残りました。

「本土とも、沖縄とも、ちょっと違う。独特な発展を遂げた島、奄美」

自宅に戻り、集めまくった資料を見ながら改めて思い返すと、

すごく沖縄っぽいけど、でもやっぱり奄美は奄美でした。


DSC_2853_00001.jpg
祖国復帰十五周年の記念樹


DSC_2855_00001.jpg

こんな歌があったんですね(@Д@)

詳しく書くとキリがないので簡単に書くと、

終戦と共に奄美群島と沖縄を軍政下に置いた米国は、これら島々を日本に返還せず、

アメリカの信託統治にしようと目論んでいた時期がありました。

この辺りのことは、

アジ歴/本土復帰から70年 ー アジ歴資料からみる奄美群島返還の軌跡 ー で非常に分かり易く解説されてました。

これで奄美群島の旅行記はおしまいです。

長々とお付き合い、ありがとうございましたm(_ _)m

(もう続かない)


うっかり貼り忘れた写真を以下まとめて貼っておきます。


IMG_20240407_045404671_HDR.jpg

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鹿児島県・奄美大島要塞司令部跡

   2024年4月訪問  



 
鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋にある「奄美大島要塞司令部跡」碑。

大島海峡防備のため設置された陸軍施設です。

前記事でも触れましたが、手安弾薬本庫跡等、現存するこの要塞の一部が国指定史跡になりました。


DSC_2851_00001.jpg

県立古仁屋高校正門。

画面左端に碑が建立しています。


DSC_2846_00001.jpgDSC_2847_00001.jpgDSC_2849_00001.jpgDSC_2850_00001.jpg


碑文(全文)
 大正九年(一九二〇)古仁屋に陸軍築城本部奄美大島支部が開設され、直ちに大島海峡東口(皆津崎・安脚場)、同西口(西古見・実久)四地点に砲台陣地構築と共に要塞司令部施設工事が着工。後に「太平洋上の防衛制限条約」(ワシントン)が締結され工事は中止の止むなきに至った。大正十二年(一九二三)砲台工事は未完成のまゝ奄美大島要塞司令部は、現在地に開庁された。以来、要塞司令官以下各砲台監視員・所要兵科要員が常駐した。この時同時開設された父島、膨湖島要塞と共に、日本三大要塞として国防第一線を担った。以来要塞地帯法・軍紀保護法等の施行により一般住民の日常生活にも制約を受けるに至った。昭和十六年(一九四一)大東亜戦争勃発、大島海峡は南進基地と化し、艦船や戦闘機の発着が激化、海峡両岸各地には三軍の防備部隊が駐屯、沖縄作戦と共に敵機は要塞司令部を目標として間断なく来襲、同司令部も遂に古仁屋市街地と共に被爆、周囲の塀に無数の弾痕を残し終戦となった。
 こゝに由来の一端を記し後世に伝承する。 平成三年秋 瀬戸内大正会




     鹿児島県・奄美大島要塞司令部跡         
奄美大島要塞司令部跡 データ
設置管理者:陸軍
所在地:鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋399-1
座 標:28°09'05.2"N 129°18'43.1"E
(座標は碑の位置。グーグルアースから)

沿革
1920年 古仁屋に陸軍築城本部奄美大島支部開設
1923年 奄美大島要塞司令部開庁
1941年 大東亜戦争
1945年 終戦
1991年 碑建立

 
関連サイト:
ブログ内関連記事

この記事の資料:
現地碑文


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鹿児島県・手安弾薬本庫跡

   2024年4月訪問  





鹿児島県奄美大島南端、手安にある「手安弾薬本庫跡」。

前記事の古仁屋基地から車で約2kmの場所にあります。

当「手安弾薬本庫跡」と、「西古見砲台跡」、「安脚場砲台跡」の三か所が「奄美大島要塞跡」として、

2022年12月に国指定史跡に指定されました。

当施設については、良質のサイト様が多数ありますので、詳しくはそちらをご覧いただくと良いと思います。


DSC_2845_00001.jpg

県道から手安弾薬本庫跡に通じる細道入ってすぐの所に門柱があります。


DSC_2843_00001.jpgDSC_2844_00001.jpgDSC_2838_00001.jpg
説明板:旧陸軍弾薬庫跡(全文)
 この弾薬庫跡は、旧陸軍により昭和七年に構築完成され、戦時中は南西諸島及び南方防衛の海陸空軍弾薬貯蔵補給基地として厳戒態勢がとられていたため地元民は この壕の存在すら知らなかった。
 終戦により、武装解除とともに大量の弾薬が運びだされ、当地沖の大島海峡にすてられて、初めて弾薬庫という事がわかった。
 この施設の内部は網の目に組まれた鉄骨を厚いコンクリートで固め、さらに銅板を張りめぐらせ空気が漏れないように、又、湿気防止のため周囲は空間を設け風圧に耐えるため二重壁の構造になっているなど、当時の弾薬庫としては珍しく規模、構造とも日本で最も優れた施設であったと言われている。

(字が欠けている部分は、あちこちのサイト様に掲載されている当説明版の古い写真から補いました)


B.jpg
内部の写真をずらずらと並べますが、なんのこっちゃか分からなくなるので。

動きとしてはこんな感じで、入口から入って、出口から出ました。

ではさっそく。


DSC_2824_00001.jpgA1.jpg


DSC_2823_00001.jpg

DSC_2825_00001.jpg

DSC_2826_00001.jpgA2.jpg
この写真からだとよく分らないですが、上述の説明版にある通り、弾薬庫が二重構造になってます。

もっとパシャパシャ撮っとけば良かった。


DSC_2828_00001.jpg
こちらに立て掛けてあった見取図を活用させて頂きましたm(_ _)m


DSC_2829_00001.jpg
通路を通って第二弾薬庫に行きます。


DSC_2830_00001.jpgA3.jpgDSC_2831_00001.jpgDSC_2835_00001.jpgDSC_2836_00001.jpg
この写真だと、その厳重で手の込んだ二重構造が伝わりますかね。

説明版によれば、昭和7年完成とのことで、100年近く昔のものです。

ただただ驚くばかりです。


DSC_2837_00001.jpgA4.jpg
出た。

電気を消して帰ります~。



     鹿児島県・手安弾薬本庫跡         
手安弾薬本庫 データ
設置管理者:陸軍
所在地:鹿児島県大島郡瀬戸内町手安540
座 標:28°09'26.9"N 129°17'57.2"E
標 高:47m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1931年 この頃建設
1945年 終戦
2022年 国指定史跡


関連サイト:
瀬戸内町/手安弾薬本庫跡 
ブログ内関連記事

この記事の資料:
現地の説明版
九州の戦争遺跡


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■飛行場/跡地リストA■ 北海道~関東 [├国内の空港、飛行場]

字数制限のため二分割してあります。続き   
五十音順飛行場索引 場所が分からない飛行場   情報お待ちしておりますm(_ _)m
最終更新:2024/05/17 鹿児島県・奄美大島水上基地(古仁屋基地)跡地 追加

4.PNG

 

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下館飛行場跡地
     
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土浦海軍航空隊跡地
  
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 阿見飛行場(廃止後) 
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大利根飛行場
  
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守谷(MFOC守屋)飛行場跡地   
真壁(金敷)秘匿飛行場跡地 
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黒磯陸軍(埼玉、那須野)飛行場跡地  
金丸原陸軍飛行場跡地
  
湯津上(佐良土)飛行場跡地
  
御前原飛行場跡地
  
今市飛行場跡地
  
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宇都宮陸軍(清原/鐺山)飛行場跡地
  
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壬生(上長田/国谷)飛行場跡地  
仁良川飛行場跡地
  
小山絹滑空場
  
藤岡(静和)飛行場跡地
  
スカイフィールドわたらせ離着陸場(藤岡場外離着陸場)
  
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黒磯滑空場跡地  

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板倉滑空場
     
大西(館林エアロ、旧陸軍館林)飛行場(運用当時)     
 館林(大西)飛行場跡地追加  
太田小泉飛行場跡地       
尾島飛行場跡地  
新田陸軍(生品)飛行場跡地        
桐生愛国飛行場跡地      
前橋(堤ヶ岡)飛行場跡地      
高崎飛行場跡地   
相馬原飛行場
  
伊勢崎場外離着陸場 
坂東飛行場跡地 
敷島滑空訓練所跡地 

■埼玉県■ (COMPLETE)   
羽生滑空場
    
読売加須滑空場(旧大利根滑空場)     
宝珠花滑空場     
妻沼グライダー滑空場
     
児玉飛行場跡地    
三尻陸軍(稜威ケ原)飛行場跡地     
小原(熊谷南)飛行場跡地
     
荒川河畔グライダー場跡地
   
関東松山飛行場跡地
    
東京フライングクラブ飛行場
    
ホンダエアポート
     
 桶川陸軍飛行場跡地  
坂戸陸軍飛行場跡地
    
高萩飛行場跡地    
大宮の中島飛行機飛行場跡地
    
越谷(論田、新和、荻島)飛行場跡地
      
所沢飛行場跡地     
入間基地(旧豊岡飛行場、修武台飛行場、ジョンソン基地)    
狭山飛行場跡地
      
吹上飛行場
  
大里飛行場
  
浦和(埼玉第一)飛行場跡地
  
朝霞訓練場離着陸場跡地
  
川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地 

■千葉県■ (COMPLETE)   
下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地
    
香取航空基地(干潟の飛行場)跡地    
横芝(栗山、横芝栗山)飛行場跡地    
成田国際空港(成田空港)     
下志津陸軍飛行学校八街分教場跡地     
豊成(東金)飛行場跡地    
関宿滑空場
  
蕃昌飛行場跡地    
柏飛行場跡地
    
逓信省印旛地方航空機乗員養成所、印旛(草深)飛行場跡地
   
下総航空基地
    
松戸飛行場跡地  
習志野離着陸場  
船橋飛行場跡地(初代)  
船橋飛行場跡地(二代目)
    
伊藤飛行機研究所滑走路(津田沼、伊藤飛行場)跡地    
下志津飛行場跡地
   
稲毛飛行場跡地
    
白戸飛行機教習所跡地   
浦安市の臨時滑走路
   
誉田飛行場(平川滑空場)跡地
    
真名(茂原)飛行場跡地   
茂原海軍航空基地跡地
    
太東航空基地跡地    
木更津飛行場
    
館山航空基地
    
県営千葉県魚群探見飛行場跡地  
大利根飛行場跡地(水上機基地)  
佐原飛行場跡地 
五井水上基地跡地  
第一航空学校跡地 
川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地 
大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場跡地 
習志野4丁目滑走路跡地 

■東京都■ (COMPLETE)   
千住草加間国道秘匿滑走路跡   
赤羽飛行場跡地  
板橋(前野)飛行場跡地
  
成増陸軍飛行場跡地
  
成増飛行場秘匿滑走路跡地 
篠崎飛行場(江戸川飛行場)跡地  
江戸川飛行場跡地  
洲崎(深川浦)飛行場跡地・江東区  
月島飛行場(晴海連絡用滑走路)跡地 
東雲飛行場跡地  
代々木練兵場跡地
  
東京国際空港(羽田空港)
  
 東京羽田飛行場(1931~1939)  
 東京飛行場(1940~1945)  
 ハネダエアベース(1945~1952)  
 東京国際空港(1952~)  
戸田橋滑空場跡地
  
読売飛行場跡地
  
調布飛行場
  
東京陸軍航空学校滑空場跡地  
横田(旧福生、多摩)飛行場  
国立飛行場跡地  
立川飛行場
  
昭和飛行場跡地
  
環七滑走路跡 
旧陸軍大島飛行場、北の山陸軍飛行場、旧大島空港跡地   
大島空港(東京大島かめりあ空港)  
神津島空港  
三宅島空港
   
八丈島海軍(三根)飛行場跡地
   
八丈島空港
  
新島空港
  
 陸軍新島飛行場跡地  
 新島村営場外離着陸場跡地  
洲崎飛行場(江東区豊洲)跡地
  
深川7号埋立地(洲崎飛行場・江東区辰巳)跡地
  
中島大井(大井)飛行場跡地
  
(洲崎飛行場跡地(父島))
   
(父島飛行場)
  
(千鳥(下の、第一)飛行場跡地)
   
(元山(第二)飛行場跡地)
 
(北(上の、第三)飛行場跡地)
  
(硫黄島飛行場)
  
(南鳥島飛行場)
   

■神奈川県■ (COMPLETE)   
伊勢佐木町(若葉)飛行場跡地      
間門飛行場跡地
      
第十一横浜水上基地(根岸飛行場)跡地     
横浜水上基地(富岡飛行場)跡地
      
横須賀第一(追浜)飛行場跡地
     
横須賀第二(長井)飛行場跡地
      
横須賀第三(黒崎、初声)飛行場跡地
      
キャスナー陸軍飛行場     
相模(中津)飛行場跡地
     
大山秘密航空基地(厚木第二飛行場)跡地  
新厚木基地跡地 
厚木飛行場      
厚木(銀紙)飛行場跡地  
藤沢飛行場跡地      
磯子飛行場跡地
  
三本葭飛行場跡地
  
玉井飛行場跡地
  
片岡飛行場跡地
  
宗里飛行場跡地(第一航空学校)
  


更新履歴
2024/05/17 鹿児島県・奄美大島水上基地(古仁屋基地)跡地 追加
2024/05/15 鹿児島県・旧奄美空港跡地 追加
2024/05/13 鹿児島県・奄美空港 追加
2024/05/10 鹿児島県・喜界空港 追加
2024/05/08 鹿児島県・喜界航空基地(喜界ヶ島航空基地)跡地 追加
2024/05/03 鹿児島県・徳之島飛行場跡地 追加
2024/05/01 鹿児島県・浅間飛行場(徳之島北飛行場)跡地 追加
2024/04/24 鹿児島県・徳之島空港(徳之島子宝空港) 追加
2024/04/19 鹿児島県・沖永良部空港 追加
2024/03/18 鹿児島県・小川飛行機練習所跡地 追加
2024/03/01 徳島県・沖洲飛行場跡地 追加
2024/02/28 香川県・日本航空輸送高松基地跡 追加
2024/02/26 香川県・善通寺練兵場着陸場跡地 追加
2024/02/14 愛媛県・愛媛義勇飛行場跡地 追加
2024/02/09 広島県・下ヶ原航空基地(六二二基地)跡地 追加
2024/02/07 島根県・高津町付近着陸場跡地 追加
2024/02/05 島根県・都野津町付近着陸場跡地 追加
2024/01/31 島根県・なかうみスカイポート 追加
2024/01/08 和歌山県・旧南紀白浜空港跡地 追加
2023/12/29 大阪府・八雲滑空道場跡地 追加
2023/12/27 兵庫県・川西鳴尾飛行場跡地 追加
2023/12/22 兵庫県・繫昌飛行場跡地 追加
2023/12/20 兵庫県・赤井野グライダー訓練所(大日本飛行協会兵庫支部第二地方滑空訓練所)跡地 追加
2023/12/15 京都府・安井飛行場跡地 追加
2023/12/11 滋賀県・琵琶湖水上機基地跡地 追加
2023/11/10 東京都・環七滑走路跡 追加
2023/11/01 道央・南恵庭駐屯地場外離着陸場跡地 追加
2023/11/01 道央・苫小牧飛行場跡地 追加
2023/10/30 道央・シノダイ岬離着陸場跡地 追加
2023/10/02 青森県・木ノ下飛行場(木ノ下平臨時飛行場)跡地 追加
2023/09/28 青森県・淋代陸軍飛行場跡地 追加
2023/09/11 岩手県・見前滑走路(進駐軍滑走路)跡地
2023/08/17 愛知県・築地の水上飛行場跡地岐 追加
2023/03/20 岐阜県・各務原中飛行場跡地 追加
2023/01/23 群馬県・敷島滑空訓練所跡地 追加


鹿児島県・奄美大島水上基地(古仁屋基地)跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2024年1月訪問  



7.jpg
撮影年月日1965/12/21(昭40)(MKU653X C15B 3) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

9.png
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Ryukyu Islands airfields. Report No. 1-b(10), USSBS Index Section 6 
(国立国会図書館ウェブサイトから転載。2枚とも)


鹿児島県奄美大島の南端に海軍の「奄美大島水上基地(古仁屋基地)」がありました。

この記事作成に当たって、鹿児島のこういちさん、地元図書館の学芸員さんに大変お世話になりました。

どうもありがとうございましたm(_ _)m

先頭のグーグルマップは、「せとうちなんでも探検隊/須手」 から作図させて頂きました(これが一番詳細だった)。


■戦史叢書「沖縄方面海軍作戦」p100

十九年一月八日、佐鎮命令による航空基地整備要領は次のとおりで、従来と違って明らかに作戦基地として整備が進められた。

施設名 奄美大島
工事要領等 古仁屋基地現工事を極力促進す
(滑走台新設を含む)
記事 昭和一八年官房機密第二八三三号訓令に依り施行

防衛庁防衛研修所戦史室 編『沖縄方面海軍作戦』,朝雲新聞社,1968. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9581812 (参照 2024-05-15)
 

■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)

位置 鹿児島県大島郡古仁屋
基地名 奄美大島水上基地
建設ノ年 1940
飛行場 80x40 60x15 混木
格納庫 1,800㎡
収容施設 士官 50 兵員 150
工場倉庫 〇(施設あるも数量不明)
主要機隊数 小型機
主任務 作戦
隧道並に地下施設 〇(施設あるも数量不明)
掩体 〇(施設あるも数量不明)


■名瀬市史 下巻
62p
大島の要塞とその重要性 日本海軍の戦略からいって、南西諸島の役割として、二つのことが考えられていた。その一つは、艦隊の前進基地としての役割、すなわち迎撃戦の場合、主力の前進基地として、大島の薩川湾が考えられていた。これはのちには、トラック島に変わることになる。今一つの役割は、海上交通上の要地という考え方である。南西諸島は、南方からの重要物資の輸入や、補給作戦などにおいて、南方航路の哨戒や護衛のための中間基地として、重要であると考えられていた。
63p
十九年十月十日、空母十七隻を基幹とした米機動部隊の延一四◯◯機による南西諸島の空襲は、空の威力をまざまざとみせつけられた。海軍は、古仁屋の須手の航空基地の滑走台新設、喜界に小型機約五◯機分の秘匿所工事を、二十年二月完成をメドに、指令した。陸軍も、十八年、徳之島に機動用飛行場の建設に着手した。
66p
近海における戦闘は、昭和二十年(一九四五)3月ごろ米機動部隊が接近してきてから、航空隊による索敵および攻撃がなされている。三月二十五日には、喜界空港から天山五機が発進し、米戦艦二隻に夜間雷撃を加えている。二十六日、第一機動(中継)基地航空部隊指揮官は、喜界基地使用を有利と認め薄暮、七◯一空司令を基地司令官として、彗星一八機・天山五機を率い、同島に進出させている。そのうち、天山五機は二十七日◯時発進し(未帰還二)、彗星一二機は五時三◯分発(未帰還九)となっている。4月十一日には、本島南方にある機動部隊へ、爆戦五◯機・彗星九機が攻撃を加え、空母二隻・艦船三隻に被害を与えたが、二五機が未帰還となっている。4月二十五日には、古仁屋からも、瑞雲三機が沖縄周辺艦船攻撃に飛び立っている。このように奄美諸島近海では、終戦まで毎日のように、米機動部隊と日本特攻隊との激戦が展開されていたのである。


DSC_2770_00001.jpg
施設跡・1

ということで現地にお邪魔してきました。

現在は埋立が進んでいますが、当時は道路隔ててすぐ浜辺でした。

山を削って平地を確保したんでしょうね。

当時は基地の施設が立ち並んでいた場所ですが、現在はガス会社等の敷地になっています。


DSC_2766_00001.jpg
紫マーカー地点。

海軍航空隊古仁屋基地跡碑。

須手二本松公園の道路側にあります。


DSC_2767_00001.jpg
平成三年九月 海軍航空隊古仁屋基地跡 瀬戸内町大正会之建

DSC_2768_00001.jpg
碑文 この須手地内は大東亜戦中旧日本海軍航空隊唯一の南進中継基地として前線に匹敵する役割を果した戦跡の地である 平成三年九月


DSC_2771_00001.jpg
施設跡・2

ここも基地当時、諸施設があった場所です。

ここで海側を振り返ると、


DSC_2772_00001.jpg
こんな感じ。

海沿いの脇道がありますね。

入り口の形状はなだらかに変わりましたが、この脇道は当時からありました。

この脇道を進んでみます。


DSC_2775_00001.jpg
施設跡・3

この建物は当時の詳細な地図に描かれた地割と一致しています。


DSC_2776_00001.jpg
施設跡・4

このスベリは、基地当時の地図には無いので、戦後に建設されたと思うのですが、

防波堤?の沖に向って伸びる部分は、一部が当時の地図に出ています。

画面右側、「立入禁止」「遊泳禁止」2枚看板が並んでます。

ここでカメラを右に振ると、


DSC_2778_00001.jpg

DSC_2777_00001.jpg
こんな感じ。

砂浜は、「立入禁止」の看板のあるコンクリが立ち塞がる向こう側があり、

この場所からこれ以上西に進めないっぽいので、施設跡(と思われるもの)を撮りつつ、県道に出ることに。


DSC_2779_00001.jpg

DSC_2781_00001.jpg


DSC_2782_00001.jpg
施設跡・5

県道に出て、一気に150m位西に進みました。


DSC_2820_00001.jpg
先頭のグーグルマップで見た方が早いのですが、ここから山奥に向って、

かなりの数の施設が立ち並んでいました。

が、山の方へは行かず、ここで左折して海の方に向います。


DSC_2783_00001.jpg
例によって施設跡(と思われるもの)を撮りつつ進みます。


DSC_2784_00001.jpgDSC_2788_00001.jpg
東京大学医科学研究所 奄美病害動物研究施設
ハブ実験飼育中に付ききけんですから入ってはいけません

「古仁屋基地跡地は現在東大の施設になっている」的な説明をしばしば目にしました。

いよいよ中枢に踏み込みます!<(`・ω・´)(入ってないけど)。


DSC_2789_00001.jpgDSC_2790_00001.jpgDSC_2792_00001.jpgDSC_2793_00001.jpgDSC_2791_00001.jpgDSC_2794_00001.jpg
これは先程の東大施設内を外側から撮ったのですが、

第四塁 
品名 第二石油類(JIS2号軽油)
最大数量 三九〇立
少量危険物貯蔵取扱所
火気厳禁
とあります。

灯油貯めてあるみたいですが、コンクリのこの質感からすると、基地当時の施設を流用しているような…


DSC_2796_00001.jpgDSC_2797_00001.jpg
施設跡・7

中枢の西の端っこに来ました。

基地当時の地図からすると、ここは中枢の敷地外のため、このスベリは当時からあったとしても、

水上機が使用したものではないはず。幅も狭いですし。

以下この周辺をずらずらと。


DSC_2798_00001.jpgDSC_2799_00001.jpg

DSC_2801_00001.jpgDSC_2803_00001.jpgDSC_2804_00001.jpgDSC_2806_00001.jpg
中枢側。

水上機用の滑走台跡です。


DSC_2807_00001.jpg

DSC_2808_00001.jpg
施設跡・8


DSC_2811_00001.jpgDSC_2812_00001.jpgDSC_2814_00001.jpg
赤マーカー地点。

当時はここに滑走台があり、日常的に水上機が使用していました。




     鹿児島県・奄美大島水上基地(古仁屋基地)跡地         
奄美大島水上基地(古仁屋基地) データ
設置管理者:海軍
種 別:水上機基地
所在地:鹿児島県大島郡瀬戸内町手安
座 標:28°09'00.3"N 129°18'01.7"E
滑走台:80x40 60x15 混木
(座標はグーグルアースから。滑走台長さは防衛研究所収蔵資料から)

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
現地の碑文
戦史叢書「沖縄方面海軍作戦」
名瀬市史 下巻
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)


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鹿児島県・旧奄美空港跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2024年1月訪問  



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撮影年月日1984/05/10(昭59)(KU843X C5 16) 
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撮影年月日1990/12/25(平2)(KU905X C19 11) 廃港から2年後。滑走路にXマーキング
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


鹿児島県奄美大島にあった旧奄美空港。

奄美群島復興振興事業により、総工費1億9千万円で着工したもので、1964年開港。

1988年、北東約2kmに新空港が開港するまでは、ここが奄美大島の空の玄関でした。

現在、滑走路の南側とエプロン、ターミナル等は奄美パークとして整備されています。


■航空振興(1970年発行)
空港紹介/再拡張計画が要望される奄美空港(一部抜粋)
 開港当初は東亜航空のコンベア240による鹿児島-奄美-徳之島間、ヘロン機による鹿児島-喜界-奄美間各1便であったが、40年7月に全日空がF-27により鹿児島-奄美-沖縄間週2便正式運行するようになり、このため41年4月1日小さいながらも"国際空港"になった。その後旅客の増加にともない増便、また機種も両者ともYS-11に変更、現在の定期便は東亜航空が鹿児島間3便、徳之島間2便、沖永良部間、喜界島間各1便、全日空が鹿児島-奄美-沖縄間週6便となっているが、各便とも利用率は比較的高く、特に奄美-鹿児島間は盛況で、オフシーズンの場合でも捌ききれない現状である。これら定期便のほか自衛隊機、使用事業機、自家用機等の飛来も多く、それに台湾、フィリピン等の中継基地としても活用され、離島空港としては大変な繁盛ぶりで、42年に拡張されたエプロンも、すでに狭隘になり再拡張の要望が強い状況である。
 当空港は北緯30°以南にあるため、沖縄FIRに属し管制指示は、すべて米軍が運営する沖縄ACCから受けており、また徳之島、沖永良部、喜界各空港の管制指示、管制通報など管制上の業務については、当所がカバーするという特異な業務形態にあるため、運用にあたる職員のはかりしれぬ労苦は並々ならぬものがある。

問題点
 離島空港は地形上との制約から、いずれも幾多の問題を抱えているようであるが、当空港も悩みは多い。その一つに着陸帯両端の急勾配がある。特に02側は急勾配表示はしているが、10m余の断崖で、その下は県道を隔てて
サンゴ礁の隆起した海になっており、気流の乱れも激しく危険なため、早くから緩勾配実施の要望が出されているが、延長問題ともからんで早急な実現は困難のようである。(以下略)


1.png
奄美大島の空の玄関として賑わう奄美空港


2.png
タクシーが並ぶターミナル周辺
南海日日新聞社, 沖縄グラビア社 編『新奄美大観』,南海日日新聞社,1970.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9774504 (参照 2024-05-14)上2枚とも


6.jpg
『かごしまの建設事業』昭和51年版,鹿児島県土木部,1976. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9669523 (参照 2024-05-14)



ということで、現地にお邪魔してきました。
 

DSC_2731_00001.jpg
赤マーカー地点。

ここが滑走路の南側の端っこで、ターニングパッド跡の辺りから滑走路方向。

前述の「航空振興」で問題点として挙げられていた箇所です。

高低差ができてますが、当時の滑走路はあの高さだったのではないかと。

あの高い所に移動してみます。


DSC_2737_00001.jpg
青マーカー地点。

移動してきました。

R/W02エンド付近から海方向。

こんな急勾配ギリギリに滑走路端があると、気流が乱れて上手く飛べないのですね。

某ヒロインもここに着陸する時はユパ様に運んでもらうのかしらん。


DSC_2740_00001.jpg
黄色マーカー地点。

野外ステージ上から。

ここから奥にあるあの白い施設に向って真っすぐ滑走路でした。


DSC_2727_00001.jpg
灰マーカー地点。

当時はこの辺りから、ターミナル、駐車場エリアが広がってました。


DSC_2753_00001.jpg
黒マーカー地点。

当時はここから奥に向ってエプロンでした。


DSC_2756_00001.jpg
紫マーカー地点。

展望台。


DSC_2758_00001.jpg
(*´∀`*)


DSC_2760_00001.jpgDSC_2761_00001.jpg
立入できないエリアなのですが、滑走路面が見えます。


DSC_2765_00001.jpg
この黄色のラインは、一応滑走路のつもり。

当時の航空写真と比較すると、奥の野外ステージの辺りから、白くて丸い施設を通過しているはずなので、

多分こんな感じだったのではないかと思います。



     鹿児島県・旧奄美空港跡地         
旧奄美空港 データ
設置管理者:鹿児島県
種 別:第3種空港
3レター:ASJ
4レター:RJKA
所在地:鹿児島県大島郡笠利町
標 点:28°24′55″N 129°41′55″E
標 高:23.3m
面 積:18.62ha
着陸帯:1,360mx90m
滑走路:1,240mx30mアスファルト
方 位:02/20
(データは航空統計年報 昭和37年から。方位は航空写真から)


沿革
1961年11月 30日 空港設置許可(旧空港)
1964年03月 17日 第3種空港政令指定
     06月 1日 供用開始(R/W1,240m×30m)
     07月 ターミナルビル供用開始。東亜航空が鹿児島線、徳之島線開設
1965年02月 東亜航空が喜界線開設
     03月 全日空が鹿児島線、沖縄線開設
1967年   単車輪荷重8.5tまで着陸可能に補強
1972年02月 東亜国内航空が沖永良部線開設
1982年09月 3日 空港設置許可(新空港R/W2,000m×45m)
1983年12月 東亜国内航空からの路線移管により日本エアコミューターが喜界、徳之島、沖永良部、与論線開設
1988年07月 10日 空港施設供用開始(1期R/W2,000m×45m)
2001年09月 30日 奄美パーク開園


関連サイト:
鹿児島県/奄美空港 
ブログ内関連記事


この記事の資料:
航空振興(1970年発行)
航空統計年報 昭和37年
全国空港ウォッチングガイド


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鹿児島県・奄美空港 [├国内の空港、飛行場]

   2024年4月訪問  



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撮影年月日1983/11/03(昭58)(KU831Y C2 20) 新空港設置許可から1年。開港まであと4年8ヵ月
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撮影年月日1996/02/12(平8)(KU953X C17C 11) 開港から7年7ヵ月
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。上2枚とも)
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SkyVector.com

鹿児島県奄美群島最大の島、奄美大島。

その奄美大島の北東部、リーフ上に奄美空港があります。

元々は南西約2kmに旧空港があったのですが、1988年の現空港開港により、ジェット化を果たしました。

国内主要都市空港と奄美群島各空港とのハブ空港としての機能を果たしています。


【奄美空港 建設】等のワードで図書目録を見ると、

上述の通り新空港の滑走路はリーフ上に建設されたため、反対運動が起こったこと、

またエプロンやターミナル、駐車場周辺には多数の遺跡が存在することから、発掘調査が実施されたこと

等出てきました。


DSC_2726_00001.jpgDSC_2724_00001.jpgDSC_2716_00001.jpgDSC_2717_00001.jpgDSC_2718_00001.jpgDSC_2719_00001.jpgDSC_2720_00001.jpgDSC_2722_00001.jpg

DSC_0048_00001.jpg






     鹿児島県・奄美空港         

    ビュー:☆☆☆☆★  
屋上に広々とした無料展望デッキあり。
滑走路側は高いフェンスが張られているが、細長い窓が設けてあり、エプロン、滑走路全域見渡せる


    施設:☆☆☆☆★  
ターミナル前に無料駐車場あり
分かり易いターミナル。ファミレス、各種売店あり


    マニア度:☆☆☆★★  
周辺は撮影スポットに恵まれている


    総合:☆☆☆☆★  
奄美群島と本土を結ぶハブ空港


奄美空港 データ
設置管理者:鹿児島県
種 別:地方管理空港
3レター:ASJ
4レター:RJKA
所在地:鹿児島県奄美市
標 点:北緯28度25分51秒東経129度42分45秒
標 高:4.2m
面 積:109.6ha
着陸帯:2,120m×300mC級
滑走路:2,000m×45mLA-12
方 位:03/21
誘導路:2,383m×23~30m
エプロン:331.5m×190m(MJ-1,SJ-2,プロペラ-3,大型ヘリ-1)
駐車場:241台
照明施設:精密進入用灯火1式
無線施設:VOR/DME,ILS
運用時間:8時00分~19時30分(11.5時間)
(主に県公式サイトから)


沿革
1982年09月 新空港設置許可
1983年   この年から遺跡調査実施
1985年07月 新空港の航空灯火設置許可(CAT-1)
1987年04月 新空港の空港施設変更許可
     05月 新空港の航空灯火変更許可
     09月 新空港の航空灯火変更許可(PAPI)
1988年07月 10日 空港施設供用開始(1期R/W2,000m×45m)、航空灯火供用開始(1期夜間照明,PALS420m)
       日本エアシステムが鹿児島線ジェット化
1989年07月 24日 航空灯火変更許可(転回灯,SALS)
     09月 21日 航空灯火供用開始(2期PALS900m)
1990年07月 1日 空港施設供用開始(2期着陸帯150m→300m)  航空灯火供用開始(3期CAT-1)
1992年12月 日本エアシステムが東京線を開設(MD-81)
1993年03月 2日 空港施設変更許可(A/P拡張等の変更3~4期) 航空灯火変更許可(4~4期)
1994年09月 日本エアシステムが関西線を開設
1995年02月 21日 航空灯火変更許可(R/W灯等)
     06月 22日 空港施設供用開始(3期平行T/W,A/P拡張) 航空灯火供用開始(4期平行T/Wに伴う)
     11月 エアーニッポンの鹿児島・那覇線が全便ジェット化
1996年05月 23日 空港施設供用開始(4期平行T/W,A/P拡張) 航空灯火供用開始(5期平行T/Wに伴う)
1997年05月 22日 航空灯火供用開始(R/W灯等)
1998年12月 日本エアシステムが関西線休止、伊丹線開設
1999年02月 エアーニッポンの那覇線休止。琉球エアコミューターが那覇線開設
2004年12月 6日 航空灯火変更許可(高輝度誘導案内灯)
2005年06月 30日 空港施設変更許可(A/P拡張) 航空灯火変更許可(A/P拡張に伴う)
2007年09月 27日 空港施設変更供用開始(A/P拡張) 航空灯火変更供用開始(A/P拡張に伴う)
2009年08月 18日 航空灯火変更許可(CCR用無停電電源装置)
2011年04月 7日 航空灯火変更供用開始(CCR用無停電電源装置)
2016年09月 7日 航空灯火変更許可(SALS光度変更)

 
関連サイト:
空港公式サイト 
鹿児島県/奄美空港 
航空局/奄美空港(38コマ) 
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この記事の資料:
全国空港ウォッチングガイド

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■ヒコーキの雑談・リスト■  [├雑談]

2005年
空港がいっぱい (全国に空港、飛行場はいっぱいあるという話)
飛行場の跡地  (オイラの地元の飛行場跡地の話)
ボーイング王国日本(今後日本がボーイング王国になってしまうという話)
太平洋無着陸横断への挑戦(挑戦の様子を年表形式でまとめたような話)
岩手県・花巻空港(旧ターミナル運用当時
)(国道のすぐわきに空港があった話)    
3レターコード
  (3レターについての話)
飛行機の燃費節約(ヒコーキ流燃料節約術の話)
さようなら YS-11(YSについての話)

2006年
エコノミー席での背もたれ倒し(エコノミーで背もたれを倒すのはやめませんか?という話)
災害とヒコーキ (新潟中越地震とヒコーキの話)
一ヒコーキ好きの嘆き(ヒコーキマニアの自虐ネタの話)
日航機ニアミス判決(判決についての話)
ヒコーキはなぜ飛ぶか・1(空気はスゲー重いという話)
ヒコーキはなぜ飛ぶか・2(ヒコーキはスゲー軽いという話)
あなたもパイロットになれますか?(人を陥れる話)
ベルヌーイvsニュートン・1(ベルヌーイで世界中が納得しているかと思ったら大間違いという話)
ベルヌーイvsニュートン・2(ベルヌーイの疑問点の話)
ベルヌーイvsニュートン・3(それぞれの言い分の話)
乗客が全員力士だったら(それでもヒコーキは飛ぶか?という話)
大西飛行場のその後(大西さんの夢はまだまだ続いているという話)
戦闘妖精雪風・DVD(雪風カッコイイイイイ!という話)
「機長、コーヒーです」(自衛隊関係者の皆様、ゴメンなさいという話)
気をつけなくっちゃ(マスメディアのヒコーキ話には結構ツッコミどころが多いという話)
本当の幸せとは(パイロットもいろいろ大変。という話)
YS-11企画展@所沢航空発祥記念館(YSイベントの話)
鳥人間コンテスト(同コンテストについての妄想記事)
UFO(UFOの正体にするどく迫った記事・笑)
A380の翼面荷重(A380の翼面荷重を他機といろいろ比較してみた話)
ヒコーキ雲(ヒコーキ雲ができる条件の話)
羽田空港の駐車場(P1,P2)(P1,P2の利用法の話)

2007年
ぼくは航空管制官(について熱く語った話)
ぼくは航空管制官2(同上)
空港ランキング(ビューベスト5)(今まで見た中で、眺めのよい空港の話)
空港ランキング(マニア度 ベスト5)(今まで見た中でマニアックだった空港の話)
空港ランキング(家族でドライブ ベスト5)(今まで見た中でドライブにお勧めな空港の話)
ボン社事故(Q400胴体着陸関連の妄想記事)
ヒコーキ好きにとって魅力的な空港(オイラ的魅力的な空港)      
新石垣空港建設計画
(建設決定 という話)      
ホンダエアポート/飛行船
(ホンダエアポートで飛行船を見学した話)      
石垣空港の跡地利用
(地元の方の懸念の話)      
PAN AM Tシャツ
(もらって嬉しかった話)
新潟空港阿賀野川側からの撮影情報
(解放して欲しい話)     
B787・1 開発開始までの迷走
(開発までを時系列で並べてみた話)      
B787・2 開発開始
(ロールアウトまでを時系列で並べてみた話)       
4レターコードの ”とり説”(改訂版)・1
(4レターの法則についての妄想話)
4レターコードの”とり説”(改訂版)・2(4レターの法則についての妄想話・2)
那覇~下地島 運休(エアトランセがコケてしまった話)     
ブログ紹介
(すごいお方のブログ紹介の話)     
波照間路線の今後
(エアードルフィンさん、引き継いでくれるの? という話)
名古屋空港事故(F-2事故の話)      
いわて花巻空港の展示物
(気になっていたものを確認した話)       
波照間路線の今後・2
(エアードルフィンさん、ありがとう!!という話)
妄想ドライバーの日々(運転中、パイロットになりきってる人の話)
波照間路線の今後・3(RAC波照間便廃止、という話)

2008年
交通機関とエコ その1(三乗の法則のちょっとおさらいの話)
交通機関とエコ その2(まずは船にダメ出しする話)
交通機関とエコ その3(列車にダメ出しする話)
交通機関とエコ その4(ヒコーキにダメ出しする話)
交通機関とエコ その5(鉄道活用の話)
岐阜県・各務原(各務原すげー!という話)
静岡空港(開港前)
(開港前に見に行った話)
羽田空港
(鶴丸ゲットした話)
ぼくは航空管制官3(ぼく菅3 出たよ!という話)
運休、廃止(福島空港、佐渡便の話)
ふくスカ桃祭り 2008・1(カンクリさんに会った話)
ふくスカ桃祭り 2008・2(室屋さんを見た話)
新サービス?(ここはドコ?という話)
ふくスカ・1(リンゴ祭り・午前の話)
ふくスカ・2(リンゴ祭り・午後の話)
旭伸航空(見納めの話)
映画 ハッピーフライト(珍しく映画の話)

2009年
空港探索について・1(ブログの路線変更の話)
空港探索について・2(優先順位の話)
バードストライク、FOD・1(用語の薀蓄話)
バードストライク、FOD・2(エンジンに金網張れない話)
バードストライク、FOD・3(鳥を追い払う苦労話)
バードストライク、FOD・4(エンジンの話)
バードストライク、FOD・5(またエンジンの話)
バードストライク、FOD・6(安心させる話)
787情報(787進捗情報の話) 
B787・3 ロールアウト以降のつまずき (ロールアウト以降の時系列の話)
787関連 衝撃の人事発表(恒例のお騒がせ話)
B787・4 概要(787スペックなどの話) 
Hotelicopter(壮大なスケールのエイプリルフール話) 
続・Hotelicopter(なんでこんなに壮大なことしたかの話)
羽田おきてん(羽田空港の変遷の話)       
アンケートのお願い
(メーカー、機種の人気投票の話)    
B787 6月にテストフライト  か?
(見事に裏切られた話)   
アンケートの結果です
(そのまんま結果発表の話)  
戦争遺構(なんで跡地を回っているのか、の話)     
ファーストクラスの世界・1
(行きの話)    
ファーストクラスの世界・2(戻りの話)   
ファーストクラスの世界・3(38,000円!!!! の話) 
787 エンジンテスト(787のエンジンの話) 
787 中間ガントレットテスト終了(初飛行の期待が高まっていた話)    
羽田D滑走路工事
(D滑走路を見学した話)  
羽田再拡張
(あちこち工事してる話) 
787初飛行延期
(トラブル発生!!! の話)  
東武小泉線物語
(小泉線変遷の話) 
東武小泉線西小泉駅
(西小泉駅周辺の話)      
熊谷~大幡・前編
(熊谷駅から歩いてみた話)  
熊谷~大幡・後編
(続きの話)   
787 いつになったら飛ぶの?
(豚よりは速く飛んで欲しい話)      
787 新スケジュール発表される
(今度は大丈夫??? という話)      
JALのこと・1
(コストをLCCと比較してみる話)     
JALのこと・2 安全確保
(整備費以外を削って欲しい話)    
JALのこと・3 日本の空にLCC
(LCCの運賃にビックリの話)    
Amazing Jumbo Landing!
(ヒコーキ動画の話)       
北方領土の飛行場
(上から丸見えの話)       
九州へ行った話
(社長に謁見した話)    
室谷さん@会津塩川バルーンフェスティバル2009
(ご家族の会話が面白かった話)      
それがマニア・1
(マニアの心理に鋭く迫った話 かな??)    
沈まぬ太陽
(JALに頑張って欲しい話)      
それがマニア・2
(自己診断の話)    
ヒコーキ版・今年の重大ニュース(アンケートのお願い)
(そのまんま今年の重大ニュースの話)    
ヒコーキ版・来年の重大ニュース(アンケートのお願い)
(来年に何に興味ある?? の話)     
787ファーストフライト スケジュール発表
(予定通り飛んでおくれ~ という話)   
787ファーストフライト
(やっと飛んだ話)    
B787・5 初飛行までの経緯
(初飛行までを時系列に並べた話)     
ヒコーキ版・今年の重大ニュース 結果発表
(投票ありがとうございました という話)    

2010年
ヒコーキ版・今年気になるランキング(こちらもご協力ありがとうございました という話)   
佐賀空港のYS-11再び!! (またワイエスが見られるようになる。という話)    
羽田・1
(羽田空港を見学して来た話)       
羽田・2(続きの話)      
787は今年中にデリバリーできるのか?
(についてアンケートお願いの話)       
どの路線にデビューする? 787
(についてアンケートお願いの話)       
航空自由化と離島路線
(小難しい話)
鴨池飛行場(鹿児島のこういちさんからいただいた当時の貴重な情報とお写真の話)
モヒカンジェット(やっとモヒカンをゲットできた話)
ツェッペリンNT号 事業停止(飛行船の話)  
ヒコーキ二題(ヒコーキの話ふたつ)
717の話(そのまんま717の話)
787デリバリー またまた遅延(また遅れてしまった話)
LCCの話(そのまんまLCCの話)
成田空港の運用時間は何時間?(成田の運用時間は短い。という話)
羽田見学(国際線ターミナル見学の話)
ハブ空港・1 国内線ここまでの話(国内線のここまで話)
ハブ空港・2 「ハブ空港」=「大空港」?(ハブ空港の話)
「ハブ空港」・3 日本と「ハブ空港」(ハブでいろいろ妄想する話)

2011年
787デリバリー 新スケジュール発表
(2011年第3四半期(7~9月)だそうですよという話
ハブとメーカー
(787と380の話)
「オペレーション・スターシップ」(エイプリル・フールネタ)
Q:どの位燃やされる?(久々の三択クイズ)
6周年(どうもありがとうございます)
A:どの位燃やされる?(三択クイズの続き)
B787、日本初飛来決定!(そのまんまの話)
二宮忠八とライト兄弟・1(思いつくままにいろいろ書いた話)
二宮忠八とライト兄弟・2(上に同じ)
ビードル号記念飛行(帰ってきたビードル号の話)    
787とウインドウォッシャー
(ついた話)
B787・6 デリバリー開始までの経緯(シリーズ完結の話)
787就航
(おろ・おろしさんおめでとうございます。という話)
日本とダグラス旅客機(ダグラス大好き~という話)

2012年
ヒコーキの前後バランスの話
(ウエバラの話)
エンジン位置の話(意外といろいろ差が出る。という話)
HondaJet・1 年表(実は先の二つの記事は前フリだった話)
HondaJet・2 MH02(元祖HondaJetの話)
飛行場の場所を教えてくださいm(_ _)m(他力本願な話)
日本のジェットエンジン開発(エンジン開発の皆さん、頑張ってください!という話)
HondaJet・3 エンジン開発(実は前記事は前フリだった話)
翼の取り付け位置の話(いろんな事情の話)
HondaJet・4 OTWEM(「主翼上面エンジン配置」の話)
HondaJet・5 翼型(「自然層流翼型」の話)
沖縄の飛行場の変遷(沖縄にはたくさん飛行場があった話)
787の近況(大急ぎで作らないといけない話)
米国にエアバスの工場(受注競争に与える影響を心配する話)
秘匿飛行場
(本当にここだったのかしらん。という話)
HondaJet・6 機体の特徴など(シリーズ完結。という話)
787デリバリー1周年(次の1年で何機デリバリーできるかという話)
岩国錦帯橋空港(べっ、別に偶然開港前にたまたま前を通りかかっただけなんだからねっ! という話)

2013年
787運行停止
(今のうちに膿を出し切って欲しい話)
787運行停止・その2(トラブルまとめの話)
787運行停止・その3(バッテリーの話)
787運行停止・その4(大人の事情の話)
A350XWB の近況(後発の利点を最大限活かしてる話)
枕崎空港廃止(寂しい話)
神風号亜欧連絡飛行・1(出発までの話)
神風号亜欧連絡飛行・2(その後の話)
787運行再開(やっと再開した話)
"重い"787(実は重かった。という話)
飛行の中の非日常(ヒコーキが怖くなる話)
八丈島の飛行場・補足(米軍もよくやるよ。。。という話)
787デリバリー2周年(OILMANさんおめどうございます。という話)
「君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らず。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」(防空識別圏の話)

2014年
福島空港とウルトラマン(福島空港を応援する話)
とり日記(ムック本に載った話)
広島ヘリポートのレターコード(ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。という話)
ANAの787(データ拾うのにすんごい苦労した割に地味な話)
桶川飛行場の「弾薬庫」のこと(奉安殿?? という話)
内閣中央航空研究所のこと(どんな研究所?? という話)
福岡第一飛行場
(離陸待機の話)
787デリバリー 3周年(いろいろ妄想が広がった話)
MRJ・1(祝・MRJロールアウト という話)
MRJ・2(続きの話)

2015年
ヒコーキネタ(ヒコーキネタいろいろの話)
HondaJet ワールドツアー@岡南飛行場
(おろ・おろしさん ありがとうございます!! という話)
伊良部大橋開通(やっと開通したけれど…という話)
オバーの歌(不思議な歌の話)
御宿と銚子のVOR廃止(コース変更の話)  
祝! MRJ 初飛行(この先も頑張って欲しい話)   
根岸氏と水産試験場のこと(疑惑の話)   
Honda Jet デリバリー開始(\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/)   
続・根岸氏と水産試験場のこと(やっぱりそうだったっぽい話)  

2016年 
ANA、A380発注正式発表(ANAは別にA380の運航がしたい訳じゃないような気がする話)
セントレア二題(順調にすすむのかしらん。という話)  
磯子埋立地 1,500mのナゾ(いろいろ妄想した話)   
ボーイングのデリバリー数(もうすぐ500!という話)  

2017年
国交省、完全自動化旅客機導入の方針(エイプリルフールネタ)
ボーイング、自動操縦ジェット旅客機の関連技術試験実施へ(うわの空)
朝鮮強化月間開催(しますよ!という話)
韓国、北朝鮮の飛行場(済州島に行きたくなった話)
朝鮮強化月間終了(終わりましたよ!という話)
那覇空港第二滑走路(何のために造ったのか分からなくなる話)  
松本空港展望デッキ(見学には辛い時代の話)  
せとうちホールディングス(ノウハウを国内に持ち込むつもりなのかしらん。という話)  
那覇空港・1(アップまで2カ月かかったけど、結局どうすればいいか分からない話の始まり)  
那覇空港・2(更によく分からなくなる話)
那覇空港・3(ますますよく分からなくなる話)
那覇空港・4(分からないまま終わる話)  
横田空域と羽田新ルート(これもよく分からない話)  
伊丹空港の展望デッキも。。。(見学には辛い時代の話2)

2018年
羽田空港ボーディングステーション供用開始(一度利用して見たい話)
ホンダジェット(世界地図色塗りがすげー大変だった話)
ボーイングとエンブラエル提携へ(この記事が実現するには幾つも奇跡が必要な話)
MRJデリバリー前倒しなるか(ちょっといい話)  
軽井沢の飛行場について(意外といっぱいあった話) 
SkyVectorのチャートのこと(同上の話) 
中国、2035年までに空港数をほぼ倍増へ(世界の本〇みたいな話) 

2019年
A380生産終了・1(胴体の話) 
A380生産終了・2(主翼の話) 
A380生産終了・3(エンジンの話) 
A380生産終了・4(航空会社の話) 
A380生産終了・5(メーカーの話・上) 
A380生産終了・6(メーカーの話・下) 
大西洋今昔(ちゃんと大圏コースの話) 
RJTT RJAA(台風19号の話)

2021年
聖火リレーと飛行場(johokotuさんのおかげ企画) 
ブルーインパルス号デビュー!(マリオ師匠のおかげ企画) 
観測ロケットS-520-31号機 打上げ(鹿児島のこういちさんのおかげ企画) 
HondaJet 2600 Concept(出してください出してください出して) 

2022年
ロシアの旅客機問題(巻き込まれるロシア国民…な話)
三菱スペースジェット・3(MRJの続編話)
三菱スペースジェット・4(一応完結)
2タミ本館と北側サテライト結合へ(羽田はまだまだ進化する話)
TOKI AIR、ATR72-600型初号機受領(羽田バイパスのハブになって欲しい話)
大分空港ホーバークラフト運行計画(今度は軌道に乗って欲しい話) 

2023年 
747 最終引渡し(いろいろと目から鱗だった話)
スペースジェット開発中止・1(そういうものに わたしはなりたい話)
スペースジェット開発中止・2(多分航空会社とパイロットの見解の相違話) 
海南島/気球発射基地(ここから来たっぽい話) 
スペースジェット開発中止・3(いきなり飛び恥の話) 
スペースジェット開発中止・4(なんとか完結した話) 


鹿児島県・喜界空港 [├国内の空港、飛行場]

   2024年4月訪問  



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撮影年月日1965/06/08(昭40)(MKU653X C21 2) 町営飛行場として開港から6年。1,080mx30m
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撮影年月日1977/10/22(昭52)(CKU776 C46 3) 1,200mx30m舗装化から9年後
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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SkyVector.com

鹿児島県喜界島にある「喜界空港」。

島の西部北岸に位置しており、海軍の喜界航空基地跡地を整備して建設されました。


3.png
運輸省大臣官房文書課 編『運輸』4(2),運輸故資更生協会,1954-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2275022 (参照 2024-04-22)


上に貼ったのは、「還ってきた奄美群島の運輸交通事情」と題する記事の一部です。

奄美群島が日本に返還されたのは、1953年12月24日のことでした。

その直後の奄美群島の飛行場について、現状と要望が記されています。

戦時中、奄美群島にあった陸上飛行場は、

日本陸軍が建設した「徳之島飛行場」、そして日本海軍の「喜界航空基地」の2つだけでした。

どちらも破壊され、現在は米国民政府の管理となり、農耕地として貸し付けられているとあります。

台風の際、ひどいと1ヵ月もの間孤立してしまうため、

要望として、緊急輸送用に軍用飛行場跡地に是非飛行場の再開を、とあります。

この要望記事が出てからおよそ5年後に航空路が開設することになったのでした。

 
■喜界町誌693p-
(2)喜界空港建設の経緯
 喜界島に民間航空路が建設されたのは、一九五九(昭和三十四)年八月であった。その経緯については竹内譲著『趣味の喜界島史』を要約する。
 一九五八(昭和三十三)年に中里の旧海軍飛行場を民間旅客機の空港に転用するという航空開設案に沿って、県土木部の港湾係長、大島支庁土木課の港湾係長、鹿児島航空保安事務所の施設課長三名が、一月二十九日に来島し、現地調査を実施した。その結果、県は昭和三十三年度の復興予算の中から、三百九十二万円を空港の整備に支出する方針を固めたところ、大蔵省は奄美復興中央審議会で
・本格的空港は大島本島に造るべき
・喜界飛行場を整備しても、法定の第三種空港には該当せず、国の補助が受けられない
との理由からこれに反対し、県の提案を保留にした。町では七月十日、運輸省・自治省・復興審議会に陳情したが、不首尾に終った。
 これにより、同年七月二十九日、町は独力で飛行場の整備に着手した。大島市長からブルドーザーを借り受け、町民・喜界高校の生徒の労力によって工事は進み、その一方で、東亜航空からは鹿児島支社長が来島し、工事の指導にあたった。このような経緯で空港としての環境が整備された。滑走路は長さ百二十㍍、幅五十㍍となり、一面に美しい朝鮮芝が植えこまれた。
 町と議会は、町民の熱意と既成事実を関係当局に陳情し、事業費三百九十二万円の補助を得ることに成功した。
①離着陸試験の実施
 一九五八(昭和三十三)年八月二十一日、運輸省鹿児島航空保安事務所による初の離着陸試験は、東亜航空の七人乗り双発機ビーチクラフトで行われ、鴨池-喜界島間三百五十㌖を一時間三十八分で飛んだ。航空局では、三十四年五月二十日、七月二十五日の二回にわたり、安全性と設備状況などを綿密に調査し、就航出願中の東亜航空に路線許可を与えた。
②旅客輸送の開始
 一九五九(昭和三十四)年八月十日午前十一時十分に県の副議長、土木部長、鹿児島航空保安事務所長、東亜航空会長、同社長らを乗せた一番機が鴨池の上途式場を飛び立った。翌八月十一日から旅客の輸送をはじめたが、運賃は大人片道五千五百円、十二才未満はその三割引きで、一日おきに運行した。また、同年十月一日からは喜界-鹿児島間の空路速達便が開設され、東京には早くて二日で速達が届くようになったが、半年後には廃止された。
(3)その後の喜界空港の変遷
 以下の記述は『喜界町町勢要覧』「喜界島」一九九九、『喜界町町制施行四十周年記念誌』「喜界島」、『鹿児島県喜界町広報きかい縮小版 第一巻』等による。
・一九六七(昭和四十二)年九月、空のダイヤ一時休止(空港滑走路延長・整備のため)
・同年十二月、空のダイヤ三か月ぶりに再開
・一九六八(昭和四十三)年十一月、喜界空港舗装整備なる
・一九六九(昭和四十四)年四月、YS11定期就航実現
・一九七一(昭和四十六)年四月、喜界空港第三種空港に昇格
・一九八〇(昭和五十五)年七月一日、喜界-鹿児島線航空直行便就航
・一九八二(昭和五十七)年三月、喜界-鹿児島線航空直行便運休
・一九八三(昭和五十八)年十二月十日、日本エアコミューター(株)の十九人乗りドルニエ機喜界-奄美間に就航、一日五往復
・一九九三(平成五)年七月、喜界空港運用時間延長
・一九九五(平成七)年四月、鹿児島直行便サーブ機就航
・一九九五(平成七)年九月、ドルニエ機の最終飛行(十二年間就航)
・一九九六(平成八)年十一月、鹿児島直行便サーブ機二便体制
・一九九九(平成十一)年七月現在、喜界-奄美間三往復、喜界-鹿児島間二往復体勢で就航中


大蔵省から「喜界島に第三種空港はムリ。補助金出さない」と言われ、各所に陳情に赴くも不首尾となりますが、

「それならば」と町が独力で空港建設して実績を作り、最後は第三種空港にまでしています。

凄いですね(@Д@)


DSC_2657_00001.jpg
青マーカー地点。

R/W25エンド付近。

遊歩道が整備され、周辺は広々としていますが、滑走路面は見えません。


DSC_2664_00001.jpg
赤マーカー地点。

R/W07側PAPI


DSC_2665_00001.jpg
R/W07側エンド周辺。


DSC_2668_00001.jpgDSC_2669_00001.jpg
ランウェイエンドから撮るなら、こちら側からのが良さげですね。


DSC_2674_00001.jpg
ターミナルと駐車場


DSC_2676_00001.jpg
黄色マーカー地点。

ターミナル横/エプロン前には、ヒコーキ眺めるのにおあつらえ向きの場所があります。

この東屋敷地の片隅(凄く分かりにくいけどフェンス沿いの奥)に碑があります。


DSC_2678_00001.jpg
「記念樹」。

裏面には、

「復帰十五周年記念 関西より郷土訪問團訪れる 昭和四十四年五月(一九六九年) 関西奄美会建之」

と刻まれていました。


DSC_2677_00001.jpgDSC_2683_00001.jpgDSC_2675_00001.jpg
ヒコーキ眺めながら軽食とかステキやん(*´∀`*)





     鹿児島県・喜界空港         
    ビュー:☆☆☆☆★  
展望デッキなし。
フェンス隔ててエプロン目の前に東屋あり。


    施設:☆☆☆★★  
ターミナル前に無料駐車場あり
非常に小さなターミナル。売店にて土産物、軽食メニュー取り扱い(テーブル席あり)


    マニア度:☆☆☆★★  
展望デッキはないけど、東屋、滑走路西側エリア等、恵まれた撮影スポットあり


    総合:☆☆☆★★  
空港について公式に扱っているサイトは、国交省、鹿児島県の「県内の空港」のみ。地元自治体や空港独自のサイトは見当たらず


喜界空港 データ
設置管理者:鹿児島県
種 別:地方管理空港
3レター:KKX
4レター:RJKI
所在地:鹿児島県大島郡喜界町
座 標:北緯28度19分17秒東経129度55分41秒
標 高:4.65m
面 積:20.9ha
着陸帯:1,320m×100m F級
滑走路:1,200m×30m LA-4
誘導路:90m×18m
方 位:07/25
エプロン:78m×50m(プロペラ-1)
駐車場:81台
照明施設:昼間着陸用灯火1式
無線施設:RAG
運用時間:8時30分~18時30分(10時間)【4月1日~9月30日】
     8時30分~17時30分(9時間)【10月1日~3月31日】
(主に県公式サイトから)


沿革
1945年08月 15日 終戦。喜界航空基地は米国民政府の管理となり、農耕地として貸し付け
1953年12月 24日 本土復帰
1958年01月 29日 現地調査。大蔵省、海軍飛行場を民間空港に転用とする県の提案を保留
     07月 10日 町、運輸省・自治省・復興審議会に陳情したが、不首尾
       29日 町、独力で飛行場(120mx50m)を整備し、関係当局から補助金獲得
     08月 21日 運輸省鹿児島航空保安事務所、離着陸試験実施(東亜航空のビーチクラフト機)。
1959年02月 6日 飛行場設置許可申請(喜界町管理)
     05月 20日 航空局、安全性と設備状況等の調査実施
     07月 25日 航空局、安全性と設備状況等の調査実施。その後東亜航空に路線許可
     08月 10日 供用開始(R/W1,080×30m未舗装)。鴨池から1番機。翌日から旅客輸送開始
     10月 1日 喜界-鹿児島間の空路速達便開設(半年後に廃止)。
1965年07月 12日 空港設置許可
1967年09月 滑走路延長・整備のため空のダイヤ一時休止
     12月 空のダイヤ再開
1968年05月 1日 供用開始(R/W1,200×30m未舗装)
     08月 12日 空港施設変更許可(滑走路舗装)
     08月 26日 供用休止(S43年8月26日~43年12月27日)
     12月 28日 空港施設変更供用開始(R/W1,200×30m)
1969年04月 YS-11型機、定期就航
1971年04月 1日 第3種空港政令指定
1974年07月 26日 設置者の地位の承認許可(喜界町→鹿児島県)。喜界島空港から喜界空港に名称変更
1975年08月 30日 航空灯火設置許可(昼間照明)
1976年08月 1日 航空灯火供用開始(昼間照明)
1980年07月 1日 鹿児島線直行便就航
1982年03月 鹿児島線直行便運休
1982年05月 29日 航空灯火変更許可(予備電源)
1983年06月 29日 航空灯火変更供用開始(予備電源)
1983年12月 10日 日本エアコミューター、ドルニエ機(19人乗)による奄美線就航。1日5往復
1992年04月 2日 航空灯火変更許可(PAPI)
1993年03月 5日 航空灯火変更供用開始(PAPI)
     07月 運用時間延長
1995年04月 鹿児島直行便就航(サーブ機)
1996年11月 鹿児島直行便2便化(サーブ機)


関連サイト:
鹿児島県/喜界空港 
航空局/喜界空港(39コマ) 
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この記事の資料:
現地の碑文
喜界町誌

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鹿児島県・喜界航空基地(喜界ヶ島航空基地)跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2024年4月訪問 2024/5更新  



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撮影年月日1946/04/19(昭21)(USA M57 139) 終戦翌年
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

鹿児島県喜界島(きかいじま)の西側、北岸にあった海軍の「喜界航空基地(喜界ヶ島航空基地)」。

本土と沖縄の途上にある海軍航空基地であったため、末期には特攻機の中継地となりました。

この島の名称は古来様々あり、そのためか海軍作成の資料でもこの島の航空基地を指して、

確認できるだけでも「喜界航空基地」、「喜界島航空基地」と表記が分かれています。


■戦史叢書「沖縄方面海軍作戦」p100

十九年一月八日、佐鎮命令による航空基地
整備要領は次のとおりで、従来と違って明らかに作戦基地として
整備が進められた。

施設名 喜界島
工事要領等 小型機0.五隊使用可能の如く、滑走路長さ最小限一,〇〇〇mに拡張す
記事 昭和一八年官房機密第二八三三号訓令に依り施行

防衛庁防衛研修所戦史室 編『沖縄方面海軍作戦』,朝雲新聞社,1968. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9581812 (参照 2024-05-15)

■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)

位置 鹿児島県大島郡
基地名 喜界ヶ島
建設ノ年 1944
飛行場 1,200x300 800x270 芝張
格納庫 〇(施設あるも数量不明)
収容施設 200名
工場倉庫 〇(施設あるも数量不明)
主要機隊数 小型機
主任務 作戦
掩体 小型18


■喜界町誌485p-
六 太平洋戦争(途中から)
沖縄戦が開始されると奄美大島は日本本土防衛の最前地点となり、海軍飛行場のある喜界島は特攻機の中継基地となった。

1 海軍喜界島飛行場
 中里海岸を整備して東西に長い海軍不時着飛行場が完成したのは一九三一(昭和六)年で、時々海軍機が飛来するようになり、石垣積みの露天格納庫を設け、一九四三(昭和十八)年頃までは不時着飛行場として利用されていた。南方の戦局が悪化し、敵の進行速度が速くなると、一九四四(昭和十九)年五月、海軍佐世保鎮守府司令部は設営隊(宮本部隊)を編成して喜界島へ派遣し、飛行場拡張工事を命じた(その頃、請負会社星野組も来島し工事した)。
 両町村の動員係は集落毎に人夫を割当て、国民学校、青年学校生徒も勤労奉仕作業に参加し、拡張工事は急速に進められた。完成した飛行場は幅二〇㍍、長さ一〇〇〇㍍東西南北二つの滑走路があり、どの方向からも離着陸できるようになった。
 飛行場周辺には戦闘指揮所(鉄筋コンクリート造りの地下壕、屋上は見張所)や掩体壕、弾薬庫、燃料庫などが宮本部隊の手によって造られ、一九四四(昭和十九)年九月には、飛行場を守る戦闘部隊である巖部隊(海軍南西諸島航空隊)喜界島分遣隊が駐屯するようになった。
 当時、巖舞台に所属していた整備兵宮原清三氏(島中出身)によると、昭和二十年三月末から敵機の来襲が頻繁になり、特攻機が出撃できない時もあった。その時は飛行場の反対側に位置する志戸桶集落南部海岸の草原に設営された模擬飛行場に、竹と藁で編んだ模擬飛行機を並べ、吹き流しを立て、恰も本物の飛行場であるかのように装い、敵機が此処を攻撃している間に特攻機を出撃させたことも度々あり、約百機の特攻機をこの飛行場から見送った。その約九割は帰ってこなかったという。

2 軍作業の動員
(1)飛行場の整備、掩体壕、誘導路作業
 飛行機を格納する掩体壕は飛行場から一~二㌖離れた水天宮山の麓や、赤連・池治集落の丘の麓にも造られ、誘導路で結ばれていた。(赤連の掩体壕二か所には終戦まで飛行機が格納されていた)

693p-
3 航空
(1)旧海軍喜界島飛行場
 現在の喜界空港はかつての旧海軍飛行場の跡地に再興された空港である。同飛行場は終戦時には二本の滑走路を持つ奄美諸島では最大級の海軍飛行場で、県本土から沖縄に出撃する特攻機の重要な中継基地であった。
 同飛行場は昭和六年、旧海軍の仮設飛行場として建設され、場内には石垣で囲った露点格納庫を備えて居た。戦争の気配が濃くなった昭和十二年から十三年にかけて拡張整備され、昭和十九年には更に拡充された。そして特攻機の中継基地として利用されたため、米軍の爆撃、機銃掃射も熾烈を極め、多大な被害を島にもたらして戦争は終わった。その後、飛行場は米軍の爆撃の跡を残したまま、民間空港として再出発するまでの十数年間放置されていた。
跡地に建設された喜界空港には昔を思い出させるものは残っていないが、中里集落の一角に残っている「戦闘指揮所」の跡と、スギラビーチの東端の道沿いに平成八年、戦中喜界島海軍基地に駐屯していた従軍有志によって建立された「海軍航空基地戦没者慰霊之碑」は、激しかった日本海軍と米軍の攻防の歴史を物語るかのようである。

 
3.png
運輸省大臣官房文書課 編『運輸』4(2),運輸故資更生協会,1954-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2275022 (参照 2024-04-22)


戦後の喜界航空基地跡は、米国民政府の管理となり、農耕地となったのでした。


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黒マーカー地点。

中里戦闘指揮所跡。

町誌には「鉄筋コンクリート造りの地下壕、屋上は見張所」とありましたが、

外観は非常に不思議な形をしており、素人のオイラにはどこが見張所なのかさえ分かりません。

その特徴的な外観を以下ずらずらと。


DSC_2685_00001.jpgDSC_2686_00001.jpgDSC_2695_00001.jpgDSC_2691_00001.jpgDSC_2690_00001.jpgDSC_2693_00001.jpgDSC_2697_00001.jpgDSC_2698_00001.jpgDSC_2701_00001.jpg


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赤マーカー地点。

海軍型掩体壕がキレイに残っていました。

南国の強烈な紫外線と潮風に曝されながら、よくこんなに良好な状態が保てるものだと不思議な程でした。

以下ずらずらと。


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DSC_2662_00001.jpg
紫マーカー地点。

海軍航空基地 戦没者慰霊之碑


DSC_2660_00001.jpg
碑文(全文)
 喜界島海軍基地は、昭和十九年、国土防衛の最前線基地として拡張整備され、七月
海軍 巌部隊が常駐することになった。
 翌二十年、米軍沖縄上陸後は、戦争遂行上の最重要戦略基地として、連日連夜にわたって米軍機の猛爆撃を受けながら、特攻機の整備出撃に多大の貢献をした。しかし、この間莞爾として沖縄に向け飛び立ち、遥か征って帰らざる壮途につかれた若き勇士たちをはじめ、巌部隊員で特攻機の出撃準備中の整備兵防空防衛の任務遂行中の砲台員等で戦死された人達も多かった。ここに基地開設五十周年にあたり、これら戦死者の霊を慰めるとともに、永久の平和を祈念して慰霊碑を建立するものである。
平成六年 月 旧海軍航空基地戦没者慰霊之碑建立期成会 会長 海軍主計大尉 関根廣文 外会員一同
碑建立発起人代表 宮原清三 協賛会会長、喜界町長 野村良二 喜界町町民一同

碑文周辺に置いてあるのは、航空基地当時の舗装面だったりするのでしょうか。




     鹿児島県・喜界航空基地跡         
喜界航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:鹿児島県大島郡喜界町
座 標:28°19'18.7"N 129°55'45.7"E
標 高:4m
面 積:138.8ha
滑走路:1,200x300 800x270 芝張(「海軍航空基地現状表(内地の部)」)、1,000mx20m 2本(喜界町誌)
(座標、標高はグーグルアースから。滑走路長さは防衛研究所資料と町誌から併記)

沿革
1931年    海軍不時着飛行場完成
1937年    翌年にかけて拡張整備
1944年05月 飛行場拡張工事。2本の滑走路、戦闘指揮所、掩体壕、弾薬庫、燃料庫等建設
     09月 巖部隊(海軍南西諸島航空隊)喜界島分遣隊駐屯
1945年03月 末から敵機頻繁に来襲
     08月 15日 終戦。戦後基地跡は米国民政府の管理となり、農耕地となる
1994年    碑建立

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現地の説明版、碑文
喜界町誌
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)


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