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鹿児島県・喜界空港 [├国内の空港、飛行場]

   2024年4月訪問  



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撮影年月日1965/06/08(昭40)(MKU653X C21 2) 町営飛行場として開港から6年。1,080mx30m
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撮影年月日1977/10/22(昭52)(CKU776 C46 3) 1,200mx30m舗装化から9年後
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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鹿児島県喜界島にある「喜界空港」。

島の西部北岸に位置しており、海軍の喜界航空基地跡地を整備して建設されました。


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運輸省大臣官房文書課 編『運輸』4(2),運輸故資更生協会,1954-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2275022 (参照 2024-04-22)


上に貼ったのは、「還ってきた奄美群島の運輸交通事情」と題する記事の一部です。

奄美群島が日本に返還されたのは、1953年12月24日のことでした。

その直後の奄美群島の飛行場について、現状と要望が記されています。

戦時中、奄美群島にあった陸上飛行場は、

日本陸軍が建設した「徳之島飛行場」、そして日本海軍の「喜界航空基地」の2つだけでした。

どちらも破壊され、現在は米国民政府の管理となり、農耕地として貸し付けられているとあります。

台風の際、ひどいと1ヵ月もの間孤立してしまうため、

要望として、緊急輸送用に軍用飛行場跡地に是非飛行場の再開を、とあります。

この要望記事が出てからおよそ5年後に航空路が開設することになったのでした。

 
■喜界町誌693p-
(2)喜界空港建設の経緯
 喜界島に民間航空路が建設されたのは、一九五九(昭和三十四)年八月であった。その経緯については竹内譲著『趣味の喜界島史』を要約する。
 一九五八(昭和三十三)年に中里の旧海軍飛行場を民間旅客機の空港に転用するという航空開設案に沿って、県土木部の港湾係長、大島支庁土木課の港湾係長、鹿児島航空保安事務所の施設課長三名が、一月二十九日に来島し、現地調査を実施した。その結果、県は昭和三十三年度の復興予算の中から、三百九十二万円を空港の整備に支出する方針を固めたところ、大蔵省は奄美復興中央審議会で
・本格的空港は大島本島に造るべき
・喜界飛行場を整備しても、法定の第三種空港には該当せず、国の補助が受けられない
との理由からこれに反対し、県の提案を保留にした。町では七月十日、運輸省・自治省・復興審議会に陳情したが、不首尾に終った。
 これにより、同年七月二十九日、町は独力で飛行場の整備に着手した。大島市長からブルドーザーを借り受け、町民・喜界高校の生徒の労力によって工事は進み、その一方で、東亜航空からは鹿児島支社長が来島し、工事の指導にあたった。このような経緯で空港としての環境が整備された。滑走路は長さ百二十㍍、幅五十㍍となり、一面に美しい朝鮮芝が植えこまれた。
 町と議会は、町民の熱意と既成事実を関係当局に陳情し、事業費三百九十二万円の補助を得ることに成功した。
①離着陸試験の実施
 一九五八(昭和三十三)年八月二十一日、運輸省鹿児島航空保安事務所による初の離着陸試験は、東亜航空の七人乗り双発機ビーチクラフトで行われ、鴨池-喜界島間三百五十㌖を一時間三十八分で飛んだ。航空局では、三十四年五月二十日、七月二十五日の二回にわたり、安全性と設備状況などを綿密に調査し、就航出願中の東亜航空に路線許可を与えた。
②旅客輸送の開始
 一九五九(昭和三十四)年八月十日午前十一時十分に県の副議長、土木部長、鹿児島航空保安事務所長、東亜航空会長、同社長らを乗せた一番機が鴨池の上途式場を飛び立った。翌八月十一日から旅客の輸送をはじめたが、運賃は大人片道五千五百円、十二才未満はその三割引きで、一日おきに運行した。また、同年十月一日からは喜界-鹿児島間の空路速達便が開設され、東京には早くて二日で速達が届くようになったが、半年後には廃止された。
(3)その後の喜界空港の変遷
 以下の記述は『喜界町町勢要覧』「喜界島」一九九九、『喜界町町制施行四十周年記念誌』「喜界島」、『鹿児島県喜界町広報きかい縮小版 第一巻』等による。
・一九六七(昭和四十二)年九月、空のダイヤ一時休止(空港滑走路延長・整備のため)
・同年十二月、空のダイヤ三か月ぶりに再開
・一九六八(昭和四十三)年十一月、喜界空港舗装整備なる
・一九六九(昭和四十四)年四月、YS11定期就航実現
・一九七一(昭和四十六)年四月、喜界空港第三種空港に昇格
・一九八〇(昭和五十五)年七月一日、喜界-鹿児島線航空直行便就航
・一九八二(昭和五十七)年三月、喜界-鹿児島線航空直行便運休
・一九八三(昭和五十八)年十二月十日、日本エアコミューター(株)の十九人乗りドルニエ機喜界-奄美間に就航、一日五往復
・一九九三(平成五)年七月、喜界空港運用時間延長
・一九九五(平成七)年四月、鹿児島直行便サーブ機就航
・一九九五(平成七)年九月、ドルニエ機の最終飛行(十二年間就航)
・一九九六(平成八)年十一月、鹿児島直行便サーブ機二便体制
・一九九九(平成十一)年七月現在、喜界-奄美間三往復、喜界-鹿児島間二往復体勢で就航中


大蔵省から「喜界島に第三種空港はムリ。補助金出さない」と言われ、各所に陳情に赴くも不首尾となりますが、

「それならば」と町が独力で空港建設して実績を作り、最後は第三種空港にまでしています。

凄いですね(@Д@)


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青マーカー地点。

R/W25エンド付近。

遊歩道が整備され、周辺は広々としていますが、滑走路面は見えません。


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赤マーカー地点。

R/W07側PAPI


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R/W07側エンド周辺。


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ランウェイエンドから撮るなら、こちら側からのが良さげですね。


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ターミナルと駐車場


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黄色マーカー地点。

ターミナル横/エプロン前には、ヒコーキ眺めるのにおあつらえ向きの場所があります。

この東屋敷地の片隅(凄く分かりにくいけどフェンス沿いの奥)に碑があります。


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「記念樹」。

裏面には、

「復帰十五周年記念 関西より郷土訪問團訪れる 昭和四十四年五月(一九六九年) 関西奄美会建之」

と刻まれていました。


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ヒコーキ眺めながら軽食とかステキやん(*´∀`*)





     鹿児島県・喜界空港         
    ビュー:☆☆☆☆★  
展望デッキなし。
フェンス隔ててエプロン目の前に東屋あり。


    施設:☆☆☆★★  
ターミナル前に無料駐車場あり
非常に小さなターミナル。売店にて土産物、軽食メニュー取り扱い(テーブル席あり)


    マニア度:☆☆☆★★  
展望デッキはないけど、東屋、滑走路西側エリア等、恵まれた撮影スポットあり


    総合:☆☆☆★★  
空港について公式に扱っているサイトは、国交省、鹿児島県の「県内の空港」のみ。地元自治体や空港独自のサイトは見当たらず


喜界空港 データ
設置管理者:鹿児島県
種 別:地方管理空港
3レター:KKX
4レター:RJKI
所在地:鹿児島県大島郡喜界町
座 標:北緯28度19分17秒東経129度55分41秒
標 高:4.65m
面 積:20.9ha
着陸帯:1,320m×100m F級
滑走路:1,200m×30m LA-4
誘導路:90m×18m
方 位:07/25
エプロン:78m×50m(プロペラ-1)
駐車場:81台
照明施設:昼間着陸用灯火1式
無線施設:RAG
運用時間:8時30分~18時30分(10時間)【4月1日~9月30日】
     8時30分~17時30分(9時間)【10月1日~3月31日】
(主に県公式サイトから)


沿革
1945年08月 15日 終戦。喜界航空基地は米国民政府の管理となり、農耕地として貸し付け
1953年12月 24日 本土復帰
1958年01月 29日 現地調査。大蔵省、海軍飛行場を民間空港に転用とする県の提案を保留
     07月 10日 町、運輸省・自治省・復興審議会に陳情したが、不首尾
       29日 町、独力で飛行場(120mx50m)を整備し、関係当局から補助金獲得
     08月 21日 運輸省鹿児島航空保安事務所、離着陸試験実施(東亜航空のビーチクラフト機)。
1959年02月 6日 飛行場設置許可申請(喜界町管理)
     05月 20日 航空局、安全性と設備状況等の調査実施
     07月 25日 航空局、安全性と設備状況等の調査実施。その後東亜航空に路線許可
     08月 10日 供用開始(R/W1,080×30m未舗装)。鴨池から1番機。翌日から旅客輸送開始
     10月 1日 喜界-鹿児島間の空路速達便開設(半年後に廃止)。
1965年07月 12日 空港設置許可
1967年09月 滑走路延長・整備のため空のダイヤ一時休止
     12月 空のダイヤ再開
1968年05月 1日 供用開始(R/W1,200×30m未舗装)
     08月 12日 空港施設変更許可(滑走路舗装)
     08月 26日 供用休止(S43年8月26日~43年12月27日)
     12月 28日 空港施設変更供用開始(R/W1,200×30m)
1969年04月 YS-11型機、定期就航
1971年04月 1日 第3種空港政令指定
1974年07月 26日 設置者の地位の承認許可(喜界町→鹿児島県)。喜界島空港から喜界空港に名称変更
1975年08月 30日 航空灯火設置許可(昼間照明)
1976年08月 1日 航空灯火供用開始(昼間照明)
1980年07月 1日 鹿児島線直行便就航
1982年03月 鹿児島線直行便運休
1982年05月 29日 航空灯火変更許可(予備電源)
1983年06月 29日 航空灯火変更供用開始(予備電源)
1983年12月 10日 日本エアコミューター、ドルニエ機(19人乗)による奄美線就航。1日5往復
1992年04月 2日 航空灯火変更許可(PAPI)
1993年03月 5日 航空灯火変更供用開始(PAPI)
     07月 運用時間延長
1995年04月 鹿児島直行便就航(サーブ機)
1996年11月 鹿児島直行便2便化(サーブ機)


関連サイト:
鹿児島県/喜界空港 
航空局/喜界空港(39コマ) 
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この記事の資料:
現地の碑文
喜界町誌

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