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松江水上飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2012年11月、2023年12月訪問 2023/12更新  


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撮影年月日1947/11/03(USA M524-1 40) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1/25000「松江」昭和9年修正「今昔マップ on the web」より作成

島根県‎松江市宍道湖東岸にあった「松江水上飛行場」。

前記事の古志原練兵場の北西約3kmにありました。

地元図書館にあった市史によりますと、

昭和6年10月に日本海航空(下記リンク参照)が城崎~松江間に定期空路を開くためのテスト飛行を行いました。

当日朝、城崎を離水した三菱一四式水上機は順調に飛行を続け、所要時間1時間20分で宍道湖に着水しました。

その様子を見守る市民は数千人にも上ったのだそうです。

飛行が無事成功したことで、市と商工会議所の提唱で松江飛行協会が設立され、

日本海航空の株式千五百株を引き受け、白潟埋立地沖を松江水上飛行場とするため逓信省に申請、

向う十年間の認可を受け、同8年7月、盛大な開場式を行ったのだそうです。

沿革にも書きましたが、開場式を行った翌年の昭和9年には「白潟埋立地湖岸に格納庫建設」とあります。

上に貼りましたが、1947年の航空写真で見てみると、白潟埋立地湖岸に一つだけ、やけに目立つ建物があります。

建物の前がエプロンっぽいし、そこから湖面に続く斜路っぽいものも見えるし、恐らくこれが格納庫かと。

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行

の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」として以下記されていました(8コマ) 

名 称  松江飛行場
経営者  松江市
所在地  松江市‎灘町
水陸の別 水
滑走区域 松江市白潟埋立地先宍道湖水面
備 考  (記載無し)

1934年11月 当初は一機での運行だったが新たに「松江号」を購入。

こうして水上機による定期航路が発足したのですが松江市史によりますと

実はそれより10年も前に、「飛行機に関する知識の普及、交通に資するため」として、

同じ白潟埋立地の湖岸を飛行場に利用したいとの請願が市に提出されています。

市はこれを受けて市会に上程したのですが、「風致を害する」等の理由で否決されていますΣ(゚Д゚;) 

180405-84.jpg

180405-93.jpg撮影:桑原季雄様(明治40年ー昭和58年)・2枚とも

この2枚はSASさんから頂きました。

昭和30年代撮影と思われるそうです。

SASさん貴重なお写真をありがとうございましたm(_ _)m 

DSC_1737_00001.jpg赤マーカー地点(2023/12撮影)。

湖岸は現在白潟公園として整備されており、「青柳楼の大燈籠」があります。

上の写真中央左寄りに見えているのが公園のトイレ。

当時はトイレの辺りに格納庫があり、トイレのこちら側に駐機場があったと思われます。

ここから右側に少し進むと、

DSC_1738_00001.jpg

宍道湖岸(2023/12撮影)。

当時はこの辺りにスリップがあったはずです。


      島根県・松江水上飛行場跡地     
この記事で書いたのは戦前の日本海航空の路線のことなのですが、戦後の1963年の日東航空の路線図に、隠岐~松江~鳥取の臨時運行が記載されています。この時の松山の飛行場がどこだったか不明なのですが、ここだったのでしょうか??

松江水上飛行場 データ
設置管理者:松江市
種 別:水上飛行場
所在地:島根県‎松江市‎灘町‎
座 標:N35°27′47″E133°03′10″
滑走区域:松江市白潟埋立地先宍道湖水面
(滑走区域は国立公文書館デジタルアーカイブから。座標はグーグルアースから)

沿革
1923年     白潟埋立地の湖岸を飛行場に利用したいとの請願が市に提出される
     09月 上程されるも否決
1931年10日 10日 日本海航空、城崎~松江間定期空路に向けた試験飛行実施
1933年07月 12日 開場式
1934年11月 当初は一機での運行だったが新たに「松江号」を購入。白潟埋立地湖岸に格納庫建設
1936年04月 松江~大阪間毎日一往復となる
    06月 帝国飛行協会松江支部設立。経営は日本航空輸送株式会社に移管
1937年    日華事変の勃発で中断される

関連サイト:
ブログ内関連記事(城崎水上飛行場、旅行記)    


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コメント 16

SAS

はじめまして
松江の水上飛行機飛行場跡を検索して辿り着きました
祖父の遺品のネガフィルムをスキャンしていると、「大日本航空株式会社」とかかれた格納庫が写っている画像がありましたので、リンクしました
撮影時期は昭和30年代だと思われます
何かしら参考になれば
by SAS (2018-04-06 09:56) 

とり

■SASさん いらっしゃいませ
大変貴重なお写真拝見させて頂き、ありがとうございました。
お写真には確かにハッキリと「大日本~」とありますね。
撮影時期は昭和30年代と思われるとのことですが、
大日本航空株式会社は昭和13年12月発足、昭和20年(1945)11月に解散しております。
それでこのお写真は、同社が営業していた時期のものではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
by とり (2018-04-06 21:27) 

SAS

ご返信ありがとうございます。
営業していた時期のものでは無いと思います。
解散しても格納庫自体は放置していたようですね。
1946年の航空写真では現存していますが、1976年の航空写真では無くなっているので、この期間のどこかで解体されたようです。
by SAS (2018-04-06 21:55) 

SAS

とりさんのおかげで、写真に写っていた格納庫がなんなのかわかりました。ありがとうございます(^^)
by SAS (2018-04-06 22:08) 

とり

■SASさん 
>営業していた時期のものでは無く、解散しても格納庫自体は放置
あー、確かにその可能性はありますね(@Д@)
SASさんからコメント頂いた機会に改めて航空写真見直して、
記事に追記してみました。
SASさんの仰る「航空写真に現存」している格納庫というのは、
当記事の上の方に貼り付けた建物のことで合っていますでしょうか?
by とり (2018-04-07 06:06) 

SAS

まさにその建物です!
今ではその形跡すら一切なくなっていますが。

格納庫跡の画像を差し上げます。(URL参照)ご自由にお使いください
by SAS (2018-04-07 11:59) 

SAS

あと、1976の航空写真でも確認できました。南北に建物が出来てて気づきませんでした
by SAS (2018-04-07 12:56) 

SAS

とりさん、たびたびすみません。
現役当時の格納庫の画像を載せているページがありましたのでリンクします
by SAS (2018-04-07 13:03) 

とり

■SASさん 
貴サイトのお写真、拙ブログで使わせて頂けないかどうか、
お尋ねしようとしていたところでした。
貴重なお写真をありがとうございます。
しかも2枚も!
ありがたく使用させて頂きます。
それから現役当時のリンクも感謝です。
リンク先でも、「格納庫は戦後もそのまま残っていた」とありますね。

既にご存知のことばかりでしょうが、
現地にお邪魔した際、図書館で拝見した市史等から関係部分を時系列に並べますと、
昭和8年7月 松江飛行場開場式。運航者は日本海航空
昭和9年11月 格納庫建設
昭和11年6月 運航者、日本海航空から日本航空輸送に移管
昭和12年 運航中断
昭和13年12月 日本航空輸送改組。大日本航空発足

とあります。
格納庫建設当時の運航者は「日本海航空」ですが、
リンク先の絵葉書には、格納庫に「日本航空輸…」とあり、
SASさんから頂いたお写真には「大日本航空~」とありますから、
移管の度に格納庫の社名をシッカリ変えたっぽいですね。
「大日本航空」の看板にビミョーなカスレ文字が映っているのはそのせいかも。
あれからいろいろ調べてみたんですが、
今のところこの大日本航空の路線に松山便が含まれていたことを示す資料が確認できておりません。
例え大日本航空が松江の定期便に直接関わってはいなかったとしても、
この格納庫は移管され大日本航空のものになっているでしょうから、
社名の変更をしたんでしょうね。

改めまして、この度は貴重なお写真と情報をありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2018-04-07 14:20) 

SAS

とりさん、画像がお役に立ったようで祖父も草葉の陰で喜んでいることでしょう。厚かましいお願いとは存じますが、どこかキャプションに 撮影:桑原季雄(明治40年ー昭和58年)とでも入れていただけましたら大変嬉しく存じます。
とりさんのサイトのおかげで、写真の場所の特定が出来ました。
こちらこそ大変ありがとうございました。
by SAS (2018-04-07 15:07) 

とり

■SASさん 
キャプション入れさせて頂きました。
このくらいお安い御用です。
ご祖父様のお陰で当時にタイムスリップすることができました。
こちらこそありがとうございました。
いつか格納庫があった場所に行ってみます。

以前あったケースなんですが、
もしも今後諸事情で写真掲載に差し障りが出ることがありましたら、
こちらのコメント欄までご一報くださいませ。
by とり (2018-04-07 16:37) 

SAS

とりさん、キャプション入れていただきありがとうございました
祖父も当時撮影した画像がまさか電子データとなってアップされるとは思って見なかったでしょうね(笑
お手数おかけしもうしわけございません

差し障りは恐らく無いとは思いますが、何かございましたらコメント欄に書き込みいたします。

重ね重ねありがとうございました
by SAS (2018-04-07 18:51) 

とり

■SASさん 
このお写真を撮影された時、まさか60年後にこんな形で世に出るとは
夢にも思われなかったでしょうね。
ご祖父様が撮影され、SASさんがこうして提供して下さったおかげで、
当時の情景を懐かしみ、喜んで下さる方はきっとおられます。
(時々そんなコメントを頂きますので)
そこに少しでも関わらせていただけるだけで、こんなブログをやってて良かったと思います。
by とり (2018-04-08 04:52) 

鹿児島のこういち

いい写真がもらえましたね。看板の書き方や、字体から昭和20年以前ではなさそうですね。この風景、小さい頃の思い出に近いものがあります。写真の汽車は、電動なのかな?軌道の中間にある、平たい板状のもが、気になるのですが(^^)でも見た感じはボイラーのような感じですね。
これは、SASさん、「ありがとう!」の一言につきます。写真は歴史が感じられて好きです。
by 鹿児島のこういち (2018-04-08 11:32) 

SAS

とりさん、こちらの方こそお役に立てて何よりでございます。昭和30年代のネガフィルムが大量にありまして、夜な夜なスキャンしております。

鹿児島のこういちさん、祖父も草葉の陰で喜んでいることと思います。ありがとうございます
by SAS (2018-04-08 22:24) 

とり

■鹿児島のこういちさん
本当にいいお写真頂きました^^
鹿児島のこういちさんから初めてコメント頂いたのと同じ経緯ですね。
その節はありがとうございましたm(_ _)m
看板から年代が分かるのですね(@Д@)
汽車の動力はオイラも気になってました。
SLなら旗の状態からして、もっとモクモクしててもいいはずですよね。
仰るように実は電動で地下鉄方式なのかしらん。

■SASさん
この度は本当にありがとうございましたm(_ _)m
昭和30年代のネガフィルムが大量にあるのですか!(@Д@)
貴重なお宝ですね。
もしまたヒコーキ関係のものがありましたら、
教えていただけると嬉しいです。
今後ともどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
by とり (2018-04-09 05:19) 

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