古志原練兵場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2012年11月訪問 2021/8更新
撮影年月日1947/11/03(昭22)(USA M524-1 21)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
1/25000「松江」昭和9年修正「今昔マップ on the web」より作成
島根県松江市にあった旧陸軍の「古志原練兵場」。
出雲空港の東北東約18kmにあります。
当時は練兵場北側に陸軍墓地があり、南側には歩兵作業場、歩兵営、射爆場が広がっていました。
歩兵第63連隊が当地「古志原」を衛戍地とし、明治41年秋から駐屯を開始します。
この練兵場で飛行が行われたのですが、飛行した年は資料によって多少の差があります。
大正4年8月16日、当練兵場において、国民飛行会実物講演部々員陸軍騎兵中尉井上三郎が
剣号にて滑走を試みますが機体に故障が生じ飛翔に失敗します。
修理の上22日に3回(午前2回、午後1回)飛行することができました。
この飛行は、この地方において初のものでした。
続けて大正6年6月6日、米国人スミス氏が当練兵場において飛行を行います。
宙返り、キルク抜、木葉落、横転、逆転等妙技を披露しました。
その後昭和18年12月5日、古志原に駐屯する歩兵第142連隊補充隊に動員が下命。
南洋第四支隊が編成されました。
この部隊の出動で、明治41年以来35年続いた古志原兵舎は歩兵部隊とまったく関係が絶たれることとなりました。
そしてここに宮崎県高鍋町新田原から第9航空教育隊(西部第101部隊)が駐屯します。
航空隊要員を教育し、野戦要員の補充を任務としていました。
常時戦闘機、軽/重爆撃機約30機を保有していたのですが、
戦争末期数機を野戦に送った他は全機占領軍に引き渡し、焼却処分されたのでした。
赤マーカー地点。
周辺はすっかり住宅地になっており、飛行機が飛んでいた頃の面影は残っていませんでした。
島根県・古志原練兵場跡地
古志原練兵場 データ設置管理者:旧陸軍
種 別:着陸帯
所在地:島根県松江市古志原3丁目
座 標:N35°26′43″E133°04′51″
標 高:16m
着陸帯:350mx450m?(不定形)
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)
沿革
1908年 秋 歩兵第63連隊古志原に駐屯
1915年 08月16日 井上陸軍中尉が当練兵場で飛行を試みるが失敗
22日 飛行を行う
1917年 06月06日 米国人スミス氏当練兵場にて曲芸展示飛行
1943年 12月05日 古志原に駐屯する歩兵隊に動員令。入れ替わりに新田原から第9航空教育隊駐屯
1945年 08月15日 終戦。残存機は焼却処分
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末期に全機使用したり、隠そうにも燃料がなかったんでしょうね。
by 鹿児島のこういち (2013-04-23 09:17)
■鹿児島のこういちさん
そういう話はよく拝見しますね。
ここもそうだったのでしょうか。。。
by とり (2013-04-26 06:26)