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粟津牧場(川西粟津飛行場)跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2015年7月訪問 2022/1更新  


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1934年(昭和9年)5月調査資料添付地図
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)

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1946年10月当時の写真(USA M283-A-11 140) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

石川県小松市にあった「粟津牧場(川西粟津飛行場)」。

■防衛研究所収蔵資料「航空路資料 第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19年6月刊行 水路部」

に当飛行場の付図があり、先頭のグーグルマップはこの付図から作図しました。

また同資料内に当飛行場に関する情報がありました。

以下引用させて頂きます。

第8 粟津牧場(昭和17年10月調)
位置 石川県小松市大字串町、同県江沼郡月津村大字月津新
 (粟津駅の西方約650米、36°21′2N,136°25′2E)。
種別 不時着陸場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約10米。
広さ及形状
 着陸地域は道路を挟みて図示の如く(1)及(2)の両地区に分たれ、(1)地
区は長さ北東-南西約520米、幅150米、(2)地区は長さ北東-南西450
米、幅100米の何れも長方形地域なり(付図参照)。
地表の土質
 粘土混りの尋常土。
地面の状況
(1)地区は凸凹起伏なき平坦地なり・地盤は概ね堅硬にして殆ど一面に牧
草を生ず・降雨後の排水良好なるも秋季より冬季に亙り降雨続きの際は地
表湿潤となる・夏季は牧草の刈取手入を行うも時として1尺以上に伸ぶる
ことあり・冬季(12月-3月)は積雪約1米に達し使用し得ず。
(2)地区は一面の牧草地なるも稍起伏あり且諸處に耕作地等あり・排水は
不良にして地盤は乾燥時にても概して軟弱なり。
場内の障碍物
 (2)地区の北西部に耕地あり・両地区の中間に在る道路に沿い高さ3米の
高圧電線1條あり。
適当なる着陸方向
 南西又は北東。
離着陸上注意すべき点
 可及的(1)地区に着陸するを可とす、其の際北側の高圧電線及東方約400
米に在る高さ約30米の煙突に注意を要す。
施設
 なし。

周囲の状況
山岳及丘陵
 本場は能美平野の略中央に位し、西方は柴山潟を隔てて直に日本海に臨み、
北及南方は広濶なる平野なり、東方は約4粁にして南北に縦走する丘陵性
台地となり標高は最高100米内外なり、之より更に東方は白山山脈の連峯
重疊す。
樹林
 場の東側に沿い高さ約7米国有林(松林)、西方約400米に南北に通ずる国
道(北陸道)に沿い高さ7米内外の松並木あり、南方は概ね丈低き雑木林
又は桑畑にして北方県営種畜場付近に樹林疎に存在す。
土園
 (2)地区の西及北西方付近に在る牧舎及種畜場の周囲に高さ1米の土園あ
り。
湖沼
 西方約2.4粁に柴山潟、北方約4粁に今江潟、北東方約2.8粁に木場潟と
称する大湖水3あり。
煙突
 (1)地区の東方約400米の小松製陶所粟津製作所内に高さ30米及14米の
 煙突各1基あり、又(2)地区の北東方に在る小松製作所粟津工場内に最高
 18米の煙突17基あり。
建築物
 (2)地区の西側に粟津牧舎(最高4米)、北西側に石川県種畜場建物(最高
9米)あり、又東方松林を隔てて小松製陶所粟津工場及東洋製麻工場、北
東方に小松製作所粟津工場(以上何れも木造建築にして最高約10米)等あ
り。
電線
 東方粟津駅付近より着陸地区の中央を横断し西方に架設せる高さ3米の高
 圧電線1條あり。
着目標
 柴山潟、小松市、北陸道(国道)、粟津駅

地方の状況
市街
 本場の北北東方約6.5粁に小松市街あり、市内に小松市役所、区裁判所、警
察所、郵便局、其の他の官公署学校等の所在地にして工業最も盛なり。
軍隊
 付近になし・金沢市に金沢師団司令部及各兵科部隊常駐す。
警察署及役場
 小松警察署(小松市)北北東方約8粁、月津駐在所(江沼郡月津村大字月
津)南西方約1.2粁・小松市役所粟津出張所(小松市串町)北方約2粁。
医療
 小松市内に旅館45(収容員数計約450)あり・本場の南東方約4粁に粟津
 温泉旅館10(収容員数計約500)あり、新粟津停留所(粟津駅の東方付近)
 より電車の便あり。
清水
 粟津牧舎及石川県種畜場内に上水道の設備あり。
応急修理
 (2)地区の北東側に在る小松製作所粟津工場(軍需品工場)にて一時的応
急修理可能なるべし・北北東方約7粁の小松市内に鉄工場及鋳物工場其の
他各種の工場あり。
航空需品
 航空用燃料及潤滑油類は付近より需むるを得ず。

交通、運輸及通信
鐡道
 粟津駅(北陸線)東方約1粁・新粟津停留所(温泉電気軌道線)粟津駅の
 東側に在り、粟津温泉を経て南方大聖寺駅(北陸線)に連絡す。
乗合自動車
 西方約400米の北陸道(国道)に北は小松市、南は大聖寺町に連絡する乗
合自動車の便あり。
道路
 両着陸地区中央の東西に通ずる県道は自動車類の運航可能にして西方北陸
 道に、東方粟津駅に連絡す。
運送店
 粟津駅前に運送店1あり・小松市内に貨物、乗用自動車相当数あり。
電信及電話
北方約1.5粁に御幸郵便局、南方約1.4粁に月津郵便局あり、何れも電信
 及電話を取扱う。

気象
測候所
 付近になし・本地は金沢、福井両市間の略中央に位し金沢地方気象台金沢
 航空気象観測所(石川県河北郡川北村)を最寄りとす。
地方風
 全年を通じ最多風向は東南東風なるも冬季は北西風多く、夏季は南東風多
 し・海陸風稍顕著にして日中は東風、夜間は西風となる。
天候
 最近の統計(昭和16年版小松市勢要覧)に據れば1箇年間の快晴日数132
日、雨、雪及曇天日数233日なり・夏季平均温度29.4°、冬季平均温度-0.8°
なり・10月-翌年3月間は暴風多く、冬季は積雪多し・電雷は6月より翌
年1月間に発生し年平均35回にして11月特に多し。

其の他
1.本牧場は不時着陸場として何等の支障なく且羊牛等を放牧すること稀なり
と言う・昭和13年1月同14年4月及15年6月各務原陸軍飛行学校練習機
数機飛来し約2週間に亙り本場を基地として飛行訓練を実施せることありと
言う。
2.本場の北方約4.8粁、今江潟の西岸に小松海軍航空基地(陸上)目下建設中。

 

ここはご覧の通りで着陸場が二つに分かれています。

同資料内では(1)(2)と番号を振っていますので、ここでもそのまま使用して話を進めます。

同資料ではそれぞれの着陸場の長さについて、(1)500mx150m、(2)450mx100mとしているのですが、

いくつかのサイトでこれに近いいろいろな数字が並んでいます。

因みに地図通りに作図してグーグルアースで図ってみたら、(1)460mx140m、(2)415mx90m でした。

ところで素朴な疑問として、どうしてわざわざ滑走路を2つに別けたのでしょうか。

グーグルアースで見ても、両者に極端な高低差はついていません。

北北西約4kmには「小松航空基地」(現小松空港)があり、同じ旧海軍同士でしたので、

もしかしたら小松航空基地の緊急着陸場という役割があったかもしれない。と思っていたのですが、

「其の他」にある通り、この時点で小松基地はまだ建設中でした。

D20_0144.jpg

赤マーカー地点。

この少し先から(1)の飛行場があったはずなのですが、

現在は「小松サン・アビリティーズ」という公共施設の敷地になっています。

D20_0145.jpg

青マーカー地点。

(1)の跡地には、小松短期大学、コマツ等もあり、米軍資料にある通り、

(2と比べれば)元々平坦で水はけが良く、固い土地に相応しい土地活用をしている感じ。

D20_0124.jpg
(2)は現在「粟津公園」になっています。

D20_0106.jpg
公園内には珍しい展示機が。

元々当地が飛行場として整備される前、周辺は広大な牧草地だったのだそうです。

1902年、ここに農商務省所管の「石川種馬所」が開所しました。

資料内で「一面に牧草を生ず」と表現されているのも、元々の状態を考えると納得です。

そして1917年の夏、石川種馬所第一牧場(現小松市青路町、コマツ粟津工場付近)の牧草地に、

帝國飛行協会の第五号機「モ式4型」が着陸しました。

これが小松市に初めてヒコーキが下りた瞬間だったのだそうです。

石川種馬所第一牧場は(2)の着陸場が被っているのですが、

青路町とすると(2)の着陸場のもう少し北側ですね。

その後石川種馬所は1924年に廃止、石川県に移管となり、

1925年「石川県種蓄場」設立、そして一部は「川西牧場」となりました。

この「川西」とは、あの「川西航空機」の川西で、実際に繋がりがあります。

「牧場」、「川西」、「非常に小さな飛行場」ということから、つい秘匿飛行場を連想してしまいますが、

本土決戦に備えて全国に整備が進められた簡易型秘密飛行場を「牧場」の名称で秘匿することは、

1945年6月の命令で始まりましたから時代が異なります。

川西航空機で製作した飛行機の試験飛行を兼ねて、

川西牧場の牛乳や乳製品を運搬していたという記録も残っているそうですから、

この川西牧場はやっぱり当時は牛さんのいる文字通りの牧場でした。

川西航空機系列で牧場の運営もやっていたんですね~。

ところが当飛行場は、旧滑走路について非常に詳しく扱っているサイト様(下記リンク参照)では、

旧海軍の「牧場」一覧に含まれています。

また、1946年の航空写真(下記リンク参照)では、米軍資料の作図の面影はもう無くなっており、

滑走路の形が大きく変わっているように見えます。

1917年の初飛来の後も当牧場にはちょいちょい飛来機の記録が残っているのですが、

文字通り牧場だったところにヒコーキが飛んでいたのが、その後軍の飛行場となり、

末期の時期に「牧場」として整備されたのかもしれません。

当地がいつから飛行場になったのか等、詳しい事は現在のところ不明です。


      石川県・粟津牧場(川西粟津飛行場)跡地     

粟津牧場(川西粟津飛行場) データ(主に水路部資料昭和17年10月調から)

設置管理者:川西?旧海軍?
種 別:不時着陸場秘匿飛行場
所在地:石川県小松市大字串町、同県江沼郡月津村大字月津新(現・小松市符津町)
(1)
座 標:N36°21′09″E136°25′00″
標 高:10m
着陸帯:460m×140m
方 位:03/21
(2)
座 標:N36°21′22″E136°25′10″
標 高:12m
着陸帯:415m×90m
方 位:03/21
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1917年08月 当時の石川種馬所第一牧場に初飛来機
1934年    7月、8月 陸軍、航空基地として使用
1938年01月 各務原陸軍飛行学校練習機数機飛来。約2週間本場にて飛行訓練を実施
1939年04月 各務原陸軍飛行学校練習機数機飛来。約2週間本場にて飛行訓練を実施
1940年06月 各務原陸軍飛行学校練習機数機飛来。約2週間本場にて飛行訓練を実施
1945年08月 既成

関連サイト:
おお牧場はみどり!   
アジ歴(131~134コマ)    
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵「水路部 航空路資料第4 昭和19年6月刊行 中部地方飛行場及不時着陸場」 


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鹿児島のこういち

公園に飛行機!鹿児島の国分(霧島市)城山公園にも飛行機が(^O^)僕の出身大学からの寄付なんですが、まだあるのかな?(^O^)
米軍の写真で見ると、(2)の方が飛行場らしくて(1)の方は草っぱらって感じです。
by 鹿児島のこういち (2015-12-07 14:16) 

Takashi

地面の性質が違うから2つに分けたとか。普通なら、そんなことはしないんですかね。
記事を読んで、グラントハイツにもシロツメクサがたくさん生えていたのを思い出しちゃいました。
by Takashi (2015-12-07 22:35) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
>城山公園
ここの公園は展示機があるんですね!
ググってみたのですが、今年4月の時点ではまだあるみたいです。
写真で拝見する限り、前半分だけの機体みたいですね(@Д@)
ttp://mudanitabi.com/kagoshima-picnic-spot

■Takashiさん
滑走路に途中から勾配がつくとか、うねってるとか、そういうことは現代の立派な空港、飛行場でも普通にあることなんですが、
多少の差ならともかく、余りに地盤の性質が異なっていると、こうやって別けてしまえということになるのかもしれないですね。
あとオイラが考えたのは、ここは豪雪地帯なので、新千歳みたいにどちらか運用出来るように別けているとか。。。
でもオイラの知る限り、こういう例はないんですよね~。
グラントハイツにもシロツメクサたくさんでしたか。
やっぱりシロツメクサたくさんだと飛行場出来ちゃうんですかね~(違)
by とり (2015-12-08 06:28) 

heroherosr

川西といえば紫電改ですね
by heroherosr (2015-12-08 19:59) 

とり

■heroherosrさん
やっぱり真っ先にそれが来ますよね~。
二式大艇も捨てがたいですが。。。
by とり (2015-12-09 06:01) 

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