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神奈川県・磯子町の市電埋立地 [├場所]

   2016年1月訪問 2021/12更新  

太平洋無着陸横断

以前「太平洋無着陸横断への挑戦」という記事を書きました  

1930年から1932年にかけて、日本を離陸し、太平洋無着陸横断に挑戦した人々がいたのですが、

今回の記事はその最初の挑戦者と横浜市磯子区との係わりについての話です。

挑戦の条件として、出発地は日本でもアメリカでもどちらでも良かったのですが、

日本からアメリカに向って偏西風が吹いており、当時の機体性能で太平洋横断は本当にギリギリだったため、

挑戦者のほとんどは日本を出発地に選びました。

というわけで、1930年8月8日、1組目の挑戦者ブロムリーとゲッティーは、

愛機タコマ市号と共に船で横浜港に到着しました。

彼らは茨城県の霞ヶ浦飛行場を太平洋横断の出発地に決定したのですが、

横浜港から霞ヶ浦飛行場までヒコーキを移動させるため、

県知事に対し「適当な離陸場所を見つけて欲しい」と依頼します。

そして県知事から依頼を受けた横浜市長が提供したのが、磯子町の「市電埋立地」と呼ばれた埋立地でした。

「横浜貿易新報」昭和五年八月十四日付にはこうありました。

磯子から霞ヶ浦へ プロムリー中尉飛ぶ 出発地を依頼された市長の肝煎りで タコマ号二三日中に空輸 
 太平洋を無着陸で横断飛行のた為め渡来したプロムリー中尉はそのスタートの地に霞ヶ浦に定めたので同地に愛機を空中輸送すべく両三日中に磯子区の禅馬地先市電埋立地から飛ぶ事に決定した、之によつて機体は十三日夜翼は艀船で其他はトラックで何れも前記埋立地に回送したが直に組み立てにとりかかる筈で組立は二日間位を要するであらうといつてゐるが磯子から飛ぶ事になつたのはこの間有吉市長に適当な出発地に就いて便宜を図つて貰ひたいと依頼してゐた結果であつて此の為め市電では野球場としての設備をとり掃ふ事になつてゐるのである

また、この日の紙面には、13日に霞ヶ浦に赴いたプロムリーが、飛行隊隊長の案内で車で3本の滑走路を1時間以上に渡って調査し、1,900mの滑走路を使うことに決めたこと、またアメリカにはこんな草原になっている飛行場はめったにない。霞ヶ浦の飛行場は柔らかいときいていたが草が密生していて柔らかいどころか十分に固く、これならば機がどんなに重くても充分離陸できる。という本人の言葉を紹介しています。

 

「市電埋立地」ってどこ? 

というところまでは分かったのですが、タコマ市号が離陸した「磯子町の市電埋立地」をなかなか特定することが出来ず、

横浜市立図書館に問い合わせをしたのでした。

横浜市立図書館からは、

「磯子のれきし・1974」 と、「横浜市三千分一地形図(昭和30年代 84-7磯子 昭36)」を資料として御紹介頂きました。

そして「磯子のれきし・1974」には、今の日本発条のところにタコマ市号が来たこと、町中大騒ぎで見物に訪れたこと、

「横浜市三千分一地形図(昭和30年代 84-7磯子 昭36)」には、

現在の磯子1丁目に日本発条があったこと等ご教授頂きました。

ということで、タコマ市号が離陸した埋立地は、現在の磯子1丁目であることが分かりました。

横浜市立図書館さん詳しい情報をありがとうございましたm(_ _)m 

 

磯子埋立地 

無題7.png
(旧1万地形図 10000 o474  根岸)1931年測量  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。以下2枚とも)  

1931年測量の地図だと磯子1丁目はこんな感じ。

タコマ市号が飛んだのが1930年ですから、その翌年の地図です。

まだ埋め立て途中で現在とは海岸線が異なります。

当時の海岸線をグーグルマップに重ねてみると-




こんな感じ。

今はスクエアな形状ですが、当時はこんなだったんですね。

実は1961年の地図で確認すると、日本発条は磯子1丁目より西側にも敷地が広々と続いているのですが、

タコマ市号が離陸した1930年当時、黄色で囲った部分の西側はまだ海でした。

ということで、タコマ市号が離陸したのは黄色で囲った範囲であろうと思います。

余談ですが、「日本放送協会」の"NHK"の文字が傾(以下省略)

話を戻します。

現在埋立地には根岸線と首都高湾岸線が走っていますが、1930年当時はまだどちらも開通していません。

なんかこの範囲を自由に広々と使えそうな感じなのですが、先頭の1931年の地図を確認して頂くと、

埋立地の北側では既に建物が建ち始めています。 

 

タコマ市号が飛んだ日

無題7.png

「横浜貿易新報」は8月14日付の紙面で磯子埋立地を離陸場所に決定したことを載せたのは前述の通りなのですが、

以降連日タコマ市号関連の記事を載せています。

8月15日付:
プロムリーが埋立地で真っ黒になって機体組み立てをする様子、大使館を経て、横浜~霞ヶ浦の飛行許可申請を行ったこと、15日から試験飛行を行い、霞ヶ浦への空輸は15日夕刻か、16日早朝か、まだ決定していない

8月16日付:
15日正午にはプロペラの取り付けが終了し、17日午前10時に霞ヶ浦に空輸を行うはずである 横浜市電気局では壮途を送る市民のために電車内に出発の時刻を張り出し、磯子瀧頭付近の停留所には道しるべを張り出している

8月17日:
滑走路等の関係から空中輸送できなかったが、本日午前9時に磯子町禅馬工場裏埋立地より出発予定

8月18日:
9時前には見物人1万人突破と伝えられたものの、17日は南風が吹かず、飛行は18日朝に延期

8月19日:
(書き方が面白いのでできるだけそのまま引用)けふは死んでも飛ぶ ブロムリ中尉流石に焦り出す 水族館は喜び、警察は大困り タコマ号ナンセンス? けふは飛ぶあすは飛ぶ例のタコマ号ナカナカ飛ばぬ。地元の青年団でも毎晩の夜警で嫌気がさし苦情続出警察でも、さういつまでゐられては困ると当の中尉へ〇談を持ち込む。元来アノ埋立地はギリギリ一ぱいで千三百米突(メートルとルビ)しかない。中尉は千五百米突(メートルとルビ)欲しいと云ふ。此二百米突(メートルとルビ)を南風で補つて離陸するのだと中尉は云ふ。

「今日飛ぶ今日飛ぶ」言いながらなかなか飛ばないので、「実はプロムリーはスパイなんじゃないか」などと、

「飛ぶ飛ぶサギ」を疑う者まで出る始末だったそうで、霞ヶ浦の方でも首を長くして待っており、

プロムリーは日増しにプレッシャーを感じていたようです。

それでも19日に待望の南風が吹き、無事霞ヶ浦に飛ぶことができました。

 

離陸予定の当日は1万人以上の見物客が集まりました。

「南風待ち」という記述から、タコマ市号の離陸方向が分かります。

ヒコーキは風上に向かって離陸しますから、陸側から海に向かっての離陸ということになります。

それで恐らく上図のような感じで離陸したのではないかと。

引用した新聞記事の通り、離陸を見る事ができなかった見物客は水族館に立ち寄ったため、

入場者が膨れ上がったのだそうです。

そしてこれをきっかけに、「磯子の埋立地に飛行場建設を」という声が高まったのでした。

DSC_0004.jpg

・A地点。

タコマ市号は画面奥の方からこちらに向かって滑走してきたはずです。

ここで180度回頭すると-

DSC_0007.jpg

こうなります。

当時はもっと海面が開けていたはずですが、ここ根岸湾を飛び越えて飛んで行ったのではないかと。

ここから霞ヶ浦飛行場は北東約86kmですから、飛行コースに日本側から特に注文が付いていなければ、

離陸後左旋回して向かったはずです(太平洋横断の際、離陸後の飛行コースには厳しい注文がついた)。

私的な話になりますが、今回の写真については、本当は離陸開始地点からの絵が欲しかったのです。

ちょうどおあつらえ向きの場所にニトリがあって、屋上が駐車場になっているので、そこに行ってみたのですが、

目の前に高い建物があるわ、首都高の高架があるわで、なかなか遠く見通すことのできるポイントがなくて、

最後にここから撮ったのでした。

ところでタコマ市号の磯子からの離陸については大きなナゾがあります。

その事については次の記事で。


      神奈川県・磯子1丁目     

磯子町の市電埋立地 データ

所在地:神奈川県横浜市磯子区磯子1丁目
座 標:N35°24′39″E139°37′37″
着陸帯:385m?
方 位:15/33?
(座標、着陸帯長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1930年08月 8日 ブロムリーとゲッティー、タコマ市号と共に横浜入港
        17日 出発セレモニーが行われるが、風向きが悪く離陸断念
        19日 霞ヶ浦に向け離陸

関連サイト:
横浜市三千分一地形図第四十三号「滝頭」1933年3月測図   
横浜市三千分一地形図(昭和30年代 84-7磯子 昭36)   
ブログ内関連記事       

 

追記:
「タコマ市号の磯子からの離陸については大きなナゾがあります。」

と書きましたが、もっと具体的に言うと、離陸に関して大きな矛盾があります(これじゃ離陸不可能ジャン! というレベルの)。

この記事も、よーく見るとその矛盾がこっそり含まれております。矛盾に気が付いた方おられましたら、コメント欄に是非。

(この矛盾については月曜日の記事で書き〼)


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コメント 6

比企の丘

突然ですが、ブログ「比企の丘」です。
貴ブログの2010年5月「上田飛行場跡」をわたしの2016年6月2日のブログにリンクさせていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/5eb9de603c29c05c25a07fc2989a532d
事後承諾ですので不都合がありましたら、一報くだされば削除いたします。
以上宜しくお願いいたします。

by 比企の丘 (2016-06-03 09:38) 

とり

■比企の丘さん
ご連絡ありがとうございました。
リンク問題なしです。
by とり (2016-06-03 18:10) 

me-co

こんばんは。
市電埋立地の「市電」が何?って気になっちまいまして・・・
ちょいとぐぐったら、なーんだでした。埋め立てして、断念したところなら最適地ですな。
by me-co (2016-06-05 22:11) 

とり

■me-coさん
>断念したところ
それは知りませんでしたφ(..)メモメモ
「断念した」というのは開発のことかしらん。
by とり (2016-06-06 05:27) 

me-co

【追伸】当初は、「市電」の車庫と工場を造ろうとして埋め立てたところらしいです。
by me-co (2016-06-07 01:37) 

とり

■me-coさん
あ~そういうことだったんですね。
どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2016-06-07 06:12) 

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