磯子埋立地 1,500mのナゾ [├雑談]
■1,500m??
前記事を2行でまとめると、
太平洋無着陸横断に挑んだタコマ市号が横浜港に到着し、
磯子町の市電埋立地から無事霞ヶ浦飛行場に飛び立った。
となります。
ところで。
実は複数の資料、サイト内で、1組目の挑戦者であるブロムリーとゲッティーは、当時の神奈川県知事に対し、
「1,500mの滑走が可能な市内の離陸場所を見つけてほしい」と依頼した。と記されています。
そしてその要望に応じて提供されたのが、磯子の埋立地である。と続いています。
で、前記事でも載せましたが当時の磯子埋立地で滑走できそうな長さはどの程度かというと-
(旧1万地形図 10000 o474 根岸)1931年測量■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。以下2枚とも)
埋立地そのものは525m位あるのですが、北側は既に建物が建っているため、
滑走路として使えそうなのは、なんとたったの385mしかないのです。
余談ですが、プロムリーの飛行から10年後、東隣に「根岸飛行場」が完成しました。
ヨコハマは本当に飛行場だらけ!
実際に滑走路可能な範囲を囲むとこんな感じ。
そして埋立地の南端から1,500mだと、どこまで達するかというと-
こうなります。
流石大都市横浜。
1931年にして既に21世紀のオイラの地元駅以上に周辺には建物がギッシリと埋め尽くしており、
とてもヒコーキが滑走するような雰囲気ではありません。
現在だとこんな感じ。
埋立地そのものがたった525mしかないところに1,500mですから大きく飛び出してしまい、
「横浜市立滝頭小」まで達してしまうのです。
「1,500mの滑走が可能な市内の離陸場所を見つけてほしい」という依頼に対し、
提供したのが400m弱では短過ぎにも程があり、外交問題にまで発展しそうです。
ゴジ〇じゃあるまいし、 「横浜市立滝頭小」から海に向かってヒコーキが滑走するなどあり得ないことは明白です。
一体どうした事でしょうか??
という内容を(ゴ〇ラの件は省いてもっと簡潔に)「離陸場所は磯子埋立地」と教えて頂いた
「横浜市中央図書館レファレンスサービス」様にお伝えし、
「この件で何か手がかりになる資料はありませんでしょうか?」と再びお尋ねしてみました。
そして様々調べて頂いたのですが、結論を2行でまとめますと、
「様々な資料からすると、やはり埋立地内で滑走したと思われ、確かにこれは矛盾しているように見える。
当時の新聞記事で1,500mと出てくるが、どうしてこの数字なのかは不明」
とのことでした。
レファレンスサービス様が多方面から調査した過程で知り得た内容も教えて頂いたのですがその中に、
この"1,500m問題"の発端と思えるものがありました。
「横濱貿易新報」1930年8月19日付の記事にこうあります。
「元来アノ埋立地はギリギリ一ぱいで千三百米突(メートルとルビ・以下同様)しかない。中尉は千五百米突欲しいと云ふ。此二百米突を南風で補つて離陸するのだと中尉は云ふ。」
「米突」とは見慣れない言葉だったのですが、「メートル」の当て字なんですね。
この記事が載せられた1930年8月19日とは、タコマ市号が磯子を離陸した日です。
「1,500m」という、一見突拍子もないように思える数字は確かにここに載っていました。
後日オイラも市立図書館にお邪魔して、横浜貿易新報の当時のマイクロフィルムを閲覧させて頂いたのですが、
タコマ市号関連で「千五百米突」という数字が紙面に出たのはこの1回きりでした。
レファレンスサービス様は、当時の他紙、他の書籍にも当たってくださったのですが、
それでも千五百米突という具体的な数字は結局この1つしか見つかっていません。
レファレンスサービス様の見解は、
「磯子区1988年発行の書籍(浜・海・道 あの頃、そして今…磯子は)、区の関連サイトはじめ散見される
"1,500m"という数字はこの新聞記事が情報源になっていると思われる」
というものでした。
タコマ市号離陸当日の地元紙に「千五百米突」と書かれれば、そりゃその数字が出回りますよね。
■妄想話
磯子埋立地の滑走可能距離が実際は385mしかないにも関わらず、1,500mという数字が書籍、サイト内で散見される。
これは、離陸当日の地元紙に1,500mという数字が記されていたためであると思われる。
ここまでを2行でまとめますとこうなります。
ではどうして横濱貿易新報にこんなあり得ない数字が出てきたのか考えてみました。
ココから先は完全にオイラの妄想話ですので、話半分で読んでください。
繰り返しになりますが問題の「横濱貿易新報」の中では、
「元来アノ埋立地はギリギリ一ぱいで千三百米突しかない。中尉は千五百米突欲しいと云ふ。
此の二百米突を南風で補って離陸するのだと中尉は云ふ。」
と記されています。
~本当は1,500m欲しいけど、埋立地は最大でも1,300mしかない~
実際の埋立地の長さは、最大でも525m。滑走可能距離は最大385m。
どうしてこの埋立地から1,500mとか1,300mとかいう数字が飛び出すのか。。。
いろいろ考えた挙句にハタと思いついたのは、
(もしかしたら、新聞記事は単位を間違えたかもしれない)ということでした。
ブロムリーとゲッティーはアメリカ人です。
アメリカでは滑走路の長さをフィートで表します。
1フィート(以下ft)=0.3048m として計算すると、
1,300ft≒396.24m
1,500ft≒457.2m
となります。
記者がフィートをメートルと間違えたと仮定して換算するとこうなります。
「本当は457.2m欲しいけど、埋立地は最大でも396.24mしかない」
これなら埋立地の実際の滑走可能距離(385m)とほぼ一致し、話の辻褄が合います。
実は当時のタコマ市号関連の新聞記事の中では、長さを表す単位として「間」と「米突」が混在しています。
新聞記者がブロムリー/ゲッティーと実際にやりとりをした際は、
フィート法に基づいた1,500とか1,300という数字が出てきたはず。
米国人の彼らの口から出てくるフィートの数字を、紙面では「間」か「米突」に換算しなければなりません。
3つの単位が混在した結果の換算ミスだったのではないか。
そう考えたオイラは、横浜市立図書館でマイクロフィルムを閲覧させて頂いた際、
「千五百米突」と書いた翌日の記事で訂正がないだろうか。とも考えていたのですが、
離陸翌日以降もタコマ市号関連の記事はいくつかあるものの、訂正は入っていませんでした。
余談ですが、磯子区のサイト内にこの磯子埋立地での一件について扱ったページがあり、
その中でも「離陸に必要な1,500mとれる場所を提供して欲しい」的な一文があります。
で、磯子区様にここまでの内容を(もっと簡潔に)メールしてみました。
(大きなお世話だったかしらん(´・ω・`) )と思っていたのですが2日後に区役所の方から、
「記事修正し、距離の記載は取りやめました」とお返事頂いたのでした。
■~~以下、完全に物理の話~~
結局彼らは霞ヶ浦ではなく、青森県の淋代海岸から太平洋横断を試みるのですが、1,700m滑走して離陸しています。
「1,700mも滑走して離陸したのに、磯子ではたったの385mで離陸できるものなのか」
ということをいろいろ妄想してみました。
「なんか面倒臭いからもう読むの止めた!」という賢明な方のために、結論を先に書きます。
「385mでも飛べたはず!」(結論終わり)。
余談ですが、「横濱貿易新報」8月23日付には「太平洋横断機の飛行コース指定」という見出しの元に、
逓信省と軍部の協議の結果、太平洋横断飛行コースを決定したとあり、具体的には、
「霞ヶ浦から水戸に出て海岸線を岩手県宮古に直行それより東経百四十一度四十分を北海道落石に出て千島の東をアリューシャン群島に向かふ(千島の上空は飛行禁止)」
とありました。
地図にするとこんな感じ。
茨城からアメリカに向かう場合、すぐさま太平洋に出て一直線に東進したくなりますよね?
「北海道をかすめて飛ぶように」という指示を聞くと、なんだかすごく大回りな気がしますが、
大圏コースで見るとそんなこともないですね。
前述の通りブロムリ―は青森の淋代から飛んだので、この霞ヶ浦を出発地とする飛行コースは結局使いませんでした。
淋代からの飛行コースにも何らかの指定がついたのではないかと思うのですが、不明です。
グーグルアースで測ってみると、淋代海岸→タコマ市の(大圏コースでの)直線距離は、7,250km。
使用機はタコマ市号(正式名称:エムスコB-3)という単葉機で、
彼らは1,020ガロン(約3,861ℓ)のガソリンを搭載し、総重量は5.5tでした。
これでオイラに分かる範囲でいろいろ計算してみます。
当時どんなガソリンを使っていたか分からないため、普通にガソリンの比重:0.75として計算すると、
タコマ市号は3,861ℓ≒約2.9tのガソリンを搭載していたことになり、総重量の半分強をガソリンが占めていたことになります。
当時のヒコーキはオイルの消費も激しかったので、飛行時間に比してオイルもタップリ積む必要がありました。
タコマ市号の資料がないため参考値ですが、零戦は型により増槽タンク無しで480ℓ~570ℓの燃料を積めたのに対し、
オイルタンクは60ℓでしたから、燃料に対して1割強のオイルを積んでいました。
ガソリンエンジン用のオイルの比重は0.86~0.90位で、ガソリンより少し重いです。
強引ですが、これをそのままタコマ市号に当てはめ、 3,861ℓのガソリンに対し、420ℓのオイルを積んでいたとすると、
オイルの重量は0.37t程度になります。
このことから、タコマ市号のガソリン、オイルを抜いた重量は、おおよそ2.23t(5.5t-2.9t-0.37t=2.23t)となります。
対して磯子埋立地→霞ヶ浦飛行場(海軍の航空基地)は、直線距離で86km。
アメリカ行きと比較して飛行距離は1/84なので、
搭載燃料とオイル搭載量も単純に1/84にすると、それぞれ34kgと4.4kgとなります。
タコマ市号のガソリン、オイルを抜いた重量2.23tにこれを加えると、2.27tとなります。
これはアメリカ行きの総重量(5.5t)の41%です。
当然搭載燃料、オイルには充分の余裕を持たせたでしょうが、
前記事の通り、滑走路の長さが少し足りず、2日間南風待ちをしたとありますから、
そんなにタップリとは積めなかったはずです。
横浜貿易新報8月20日付は、タコマ号が19日に無事霞ヶ浦に到着した様子を写真付きで伝えているのですが、
機体を思う存分軽くして空中輸送をしたため、荷物を1つも積んでいないので、今日は横浜に引き上げ明朝霞ヶ浦に引っ越してくる。
というプロムリー中尉のインタビュー記事が載っていました。
重量を軽減するため、必要な荷物も積めないほどの切り詰め方をしていたことが窺えます。
太平洋横断時は必要な荷物、水、食料を積んだはずですから、もう少し重くなったはず。
実は搭載燃料量、総離陸重量の計算はものすごく複雑で、
離陸開始から巡航高度に達するまでの燃料消費が最も激しいから、
飛行距離が1/84だから燃料も1/84で済むなどという単純な話ではない。とか、
燃料を大量に積むと、その大量の燃料に位置/運動エネルギーを与えるため更に燃料が必要なのだ。
とかいろいろあり、とてもオイラのような一般人の手には負えません。
また、淋代→タコマ市の飛行コースにも指定がついて飛行距離は若干伸びたかもしれない等々いろいろあってキリがないため、
磯子→霞ヶ浦飛行場の飛行の際、離陸前重量は、太平洋横断時の41%(2.27t)として以下話を進めます。
ヒコーキの離陸滑走を物理的に考える際、関係する基本的な公式が幾つもあるのですが、
切っても切れない3要素として先ずは、加速度、力、質量があります。
この3つの関係は、
a(加速度)=F(力)÷m(質量)
という式で表されます。
それぞれの数値は、掛け算割り算で変化するということですね。
仮に総重量(質量)が半分とすると、 この公式に当てはめるならば、離陸滑走時の加速度は倍になります。
加速度が倍になると、単純に滑走距離が半分で済む(この式には摩擦が入っていないので等加速度)ことになります。
霞ヶ浦行きの離陸前重量が太平洋横断時の41%(2.27t)とすると、加速度は2.44倍になり、
同じ速度に達するのに必要な滑走距離は697mで済みます。
加えて離陸について考慮する際に必要な要素として、揚力と速度の関係があります。
揚力は速度の二乗に比例する
という式があり、これは「揚力をより多く発生させるには、その分だけ速度を上げなければならない」ということです。
上の加速度の計算では、太平洋横断時と同等の離陸速度に達するのに、重量が41%なら、
697mの滑走でオッケーと出ましたが、そもそも重量が41%なら、そこまで増速せずとも離陸可能ということです。
これで滑走距離はもっと縮まりました。
更に、
空気抵抗は速度の二乗に比例する
という式があり、これは、「速度が上がるごとに空気抵抗が二乗倍で増える」ということです。
総重量が重いと、それだけ余計に速度を上げなければ離陸できないのは前述の通りですが、
重さのせいでただでさえ鈍い加速は、滑走速度が増すごとに空気抵抗が二乗倍で増えてゆき、みるみる鈍ってゆきます。
スロットルレバーを一杯まで押して滑走を開始し、そのままエンジン全開の状態にし続けたとしても、
速度計の針は、その上がり方が徐々に鈍ってゆきます。
ヒコーキに乗った方は、離陸滑走の際、最初は背中が背もたれにすんごい勢いで押さえつけられていたのが、
徐々に和らぐ感じがするのではないでしょうか。
アレは体が加速に慣れたのでも、ましてやパイロットが最初だけ本気出して乗客をビビらせようとしているのでもありません。
二乗倍で増えるという空気抵抗の式のせいです。
高速道路で100km/hで走行中、窓から手や足を出したことのある方は、その空気抵抗の凄さを実感しておられると思います。
現代の旅客機の離陸速度は240~300km/hにも達するので、100km/hでも凄い空気抵抗は、
300km/hの時はなんと9倍(300km/hは100km/hの3倍だから、3の二乗倍=9)にも達します。
CAさんの言いつけをちゃんと守り、危ないですから飛行中は窓から手や足を出さないが良いです。
こんな大きな壁がヒコーキの前に立ちはだかって巨大な抵抗となる訳で、
結果として加速度は徐々に鈍り、必要滑走距離は二乗倍に比例して延びてしまうことになります。
要するに、
燃料を満載し、鈍い加速で、それでもうんと速度を上げなければならず、1,700m走ってどうにか離陸速度に達した機体は、
重量が41%になれば、あっという間に加速して、低い速度でもサッと離陸可能。
ということです。
そこに風の力も借りれば、385mあればなんとかなるのではないかと思います。
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