中津航空基地(六九一基地、中津牧場)跡地 [├国内の空港、飛行場]
2013年10月、2024年1月訪問 2024/2更新
撮影年月日1947/03/22(USA M180 10)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
大分県中津市にあった「中津航空基地(中津牧場、六九一基地)」。
当飛行場はPUTINさんのおかげでおおよその場所を特定することができました。PUTINさんありがとうございましたm(_ _)m
教えて頂いた情報によりますと、
・成満寺の南側
・山国川の流れに沿うような形
・滑走路の長さは600m
なのだそうで、1947年の航空写真(下記リンク参照)を見ても滑走路は見当たらないのですが
(成満寺の西側にはそれらしいものがある)、上記の条件と当時の写真から最もありそうな場所に線を引いたのが上図です。
更に詳しくは「飛行場の場所を教えてくださいm(_ _)m」記事■ のPUTINさんのコメント欄(2013-05-29 00:59)
をご覧くださいませ。
実はその後、 防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)の中に、
「中津(牧場) 資料表一 図一」があることが分かりました。
大判の青図には、右上に大きく「六九一基地略図」とあり、
滑走路には、「40Mx600M 滑走路(砂利)」とありました。
当時の航空写真と比較すると、かなり簡略化した(アバウトな)地図です。
(防衛研究所収蔵資料「昭和二十年 各航空基地平面図 岩国、呉、福山、長野、大浦、竹ノ下 等」
にも同じ地図がありました)
位置図をここに貼ってしまいたいところなんですが、滑走路の位置を言葉で表現しますと、
1・山国川の東側で流れに沿う形
2・橋(現・上毛町市場橋)のちょい南
3・滑走路の中ほどの辺りと、滑走路南端のちょい先に木々
4・高瀬町の集落と山国川の間にあり、川に近い
5・滑走路は高瀬町の集落の中心辺りから始まり、集落よりもっと南側に伸びている
となります。
位置図では、滑走路の表面が「砂利」とあります。
終戦から1年7ヵ月後の上の航空写真で見てみると、
既に滑走路の地割はなく、 山国川東側は全体的に田畑に見えます。
ということは、滑走路に敷かれた砂利をどげんかして田畑化したはず。
そういう目で改めて航空写真を見てみると、整然と田畑が続き、道が美しく整備されている部分と、
そうではなく、引っ掻いたように荒れている部分があります。
上の航空写真は、その荒れて見える部分を赤線で細長く囲ってみました(道路や橋にも赤線引いてるけど)。
囲った部分は細長く湾曲していますが、この形をそのままグーグルマップに移し、
位置図に出てくる滑走路の数字の600mx40mの滑走路を入れてみると、ピッタリ収まりました。
(一部ちょっとはみ出てますけど)
上の3の、「滑走路の中ほどの辺りと、滑走路南端のちょい先に木々」という条件にも丁度当てはまっており、
この条件が当てはまる場所は、ここ以外にありません。
因みに位置図によりますと、滑走路南端から、ちょい先にある木々までは誘導路? が伸びており、
木々を8の字に囲むようになっています。
ただし非常に気になるのが、5の、「滑走路は高瀬町の集落の中心辺りから始まり、集落よりもっと南側に伸びている」
です。
位置図と比較すると、滑走路北端の位置は申し分ないんですが、 南端の位置は、グーグルマップの通りだと、
短過ぎです。
そのため、(滑走路はもっと南側なのだろうか。。。)と大分悩んだんですが、
滑走路の長さは600mと決まっているため、これを南に大きくずらしてしまうと、
2・橋(現・上毛町市場橋)のちょい南
3・滑走路の中ほどの辺りと、滑走路南端のちょい先に木々
から外れてしまうことになりますし、
5・滑走路は高瀬町の集落の中心辺りから始まり、集落よりもっと南側に伸びている
この前半の条件からも外れてしまいます。
ということで、「絶対ココ!」と自信を持って断言はできないんですが、
位置図を見る限り、オイラ個人としましては、ココが最も可能性が高いのではないかと思います。
同資料の資料表には、
中津航空基地(隊)施設調査資料
所在地 大分県中津郡市村
最寄駅 日豊本線中津駅
創設年月 昭和二十年八月
主要機種 練習機
主要任務 発進用
とありました。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:中津 建設ノ年:1945-8 飛行場 長x幅 米:600x40砂利敷 主要機隊数:小型機 主任務:発進 隧道竝ニ地下施設:施設アルモ数量不明
■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中に当飛行場について扱われていました。
以下一部引用させて頂きます。
中津海軍飛行場
中津市大字高瀬
教育、発進
600x40砂利敷き
69,370
工事中終戦のため開場せず
飛行場建設の為300~400の部隊が各戸に、分散宿営
昭和18年9月17日に、山国川大洪水のため堤防が切れ、中津市内の多くが被災した。
土地の買収は河川復旧の直後であったと思う。工事は全て人力で機械はなかった。
土はモッコで運び、川沿いの石垣用の石は川から、 テングトリ で運ばれた。
今日では考えられぬことだが、青竹を持つ士官が兵員の作業を見張り、兵員はよく股のうしろを打たれていた。
近所の畑から作物(トマト)などを兵員が盗んだりしたら、直径10cm程の青竹で股のうしろを打ち、青竹は割れた。
■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m
方面 呉
牧場 中津
滑走路 三〇×六〇〇NW
縣郡村 大分、下毛 鶴居村
記事 八月末既成
昭和18年8月8日 - 鶴居村が中津市に編入(Wiki)
(以下2024年1月撮影)
赤マーカー地点。
大分県・中津航空基地(中津牧場、六九一基地)跡地
「終戦時未完成」という情報と、「八月末既成」という情報があります
中津航空基地 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:大分県中津市高瀬
座 標:N33°34′41″E131°10′31″
標 高:14
滑走路:600m×40m
方 位:16/34?
標 高:14m
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(22コマ)■
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料「昭和二十年 各航空基地平面図 岩国、呉、福山、長野、大浦、竹ノ下 等」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
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