SSブログ

白浜飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2014年6月訪問 2021/9更新  


1.png2.png3.png4.png
撮影年月日1965/05/12(昭40)(KK651Y C4A 1,2,3) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

 

和歌山県西牟婁郡白浜町にあった「白浜飛行場」。

「南紀白浜空港」の北北西約3kmに位置していました。

上に貼った一連の奇跡的なタイミングの航空写真は、みけさんに教えて頂きましたm(_ _)m

着水した飛行艇が2隻のモーターボートの待つ飛行艇停止位置に向っているところと思います。

当飛行場については、「薄暮の飛行艇」というサイト様(下記リンク参照)にて貴重な写真と一緒に説明されております。

同サイトによりますと、昭和10年ころ、大阪の木津川飛行場から複葉の水上飛行機が白浜に飛んできていました。

また、昭和35年から40年代のはじめまで、大阪まで水上機で1日3往復の運航をしていました。

飛行時間は40分弱だったのだそうです。

アギラさんから昭和10年の様子について以下の通り情報頂きました。

「和歌山県史」によりますと、「戦前の水上飛行機が大阪の木津川飛行場と白浜間の航路を開設したのは昭和十年一月一日のことである。この航空会社は日本航空輸送研究所で定員六人乗りの水上飛行機を用いて1週3回往復した。」尚、この白浜便も1年ほどで廃止となってしまったそうです。

アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

この2つの情報を総合すると、白浜~大阪の水上機路線は、

昭和10年の約1年間と、昭和35年から40年代はじめまでの二幕に分かれることが分かります。

使用したのはどちらも水上機ですが、昭和10年の第一幕では、日本航空輸送研究所が運航を行い、

大阪は木津川飛行場を使用、白浜の方はドコに水上機の事務所があったのか不明です。

昭和35年からの第二幕では、日東航空が運航を行い、

大阪は伊丹空港を使用、白浜の方は先頭のグーグルマップ黄色マーカー地点に事務所があったと思われます(後述)。

 


この動画は、田中久盛様よりご提供/転載許可を頂きましたm(_ _)m

昭和38年の春、日東航空で機長をしておられたお父様が8mmで撮影したものだそうです。

以下、田中久盛様から頂いた情報を引用します。

撮影ポイントは赤マーカーの近くで、青マーカー地点より100m以内の所と思われます。

事務所は青マーカー地点にあったと思われ、ここに2隻のモーターボートを常駐しておりました。

あらかじめ2隻のモーターボートが飛行艇停止位置付近に待機しており、

一艘はポンツーン替わりで、乗り降り客の交代用に、

もう一台は、事務所と停止位置との旅客と荷物の輸送用に使われていました。



白浜進入ルートについて

以下、こちらも田中久盛様より頂いた情報です。

長い間、白浜便のレポーティングポイントは、切目崎(岬)上空(上のグーグルマップの赤マーカー・以下同様)にて、

白浜営業所に業務用無線にて報告されておりました。

そのまま機首を南東に進ませ、降下し田辺湾に着水していたようです。

進入方法は、別途PDFを添付した方法(上のグーグルマップに描き写させて頂きました)、直接侵入着水する方法、

その時の風向や着時間、観光精神により、キャプテンまかせだったようです。

当時のこの空域は、現在の空港もなく、有視界方法で自由であったようです。

また離水方法は、旅館街の方向に上がる方法や北向きや北東方向、北西方向など、風向によって違ったようです。

とのことで、非常に貴重な情報を頂いたのでした。

"機長の観光精神"が進入方法に影響する場合もあるなんて、面白いですね~^^

D20_0168.jpg

先頭のグーグルマップ赤マーカー地点。

動画の撮影ポイントと思われる辺り。

ここ田辺湾で、日常的に飛行艇の離着水が見られた時代があったのですね~。

時刻表歴史館というサイト様に、1961(昭36)年7月?の時刻表がありました(下記リンク参照)。

白浜発の一方向のみなんですが、以下こんな感じです。

白浜発→大阪  
12:55→13:36
15:35→16:25
18:00→18:40

それから(火・木・土)のみなんですが、名古屋~大阪便が白浜を経由しており、

15:40→16:30

というスケジュールになってました。

地元の方にとっては時計代わりだったんでしょうね。

D20_0176.jpg

青マーカー地点のすぐ向い側にある海上駐車場。

営業所があったと思われる辺り。

現地にお邪魔して以来、長い間ここが水上機の桟橋的なものではないかと思っていたのですが、

水上機の運航があった時期の航空写真を確認すると、当時ここに構造物はありませんでした。

これもみけさんに教えて頂きました。

D20_0180.jpg

「綱不知」とは、とても印象的な地名ですが、ちょっと調べてみたら、

波が大変穏やかなため、船を係留しておく綱も必要ない程だというのがこの地名の由来だと説明されていました。

「綱不知」。

水上機にとってはうってつけの環境だったんでしょうね~。


      和歌山県・白浜飛行場跡地      

白浜飛行場 データ
管理者: 日本航空輸送研究所→日東航空
種 別:水上機用飛行場
所在地:和歌山県西牟婁郡白浜町綱不知
座 標:N33°41′18″E135°21′20″
(座標はグーグルアースから)

沿革:
1935年01月 1日 日本航空輸送研究所、木津川飛行場~白浜線開設。6人乗水上機で3回往復/週(1年程で廃止)。
1960年    日東航空、伊丹空港~白浜線開設。グラマンマラードで3往復/日。

関連サイト:
薄暮の飛行艇  
時刻表歴史館 
ブログ内関連記事       


コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 12

Takashi

駐車場入り口の門柱のような構造物。
海沿いだから傷んだのか古い構造物なのか、気になりますねー。
by Takashi (2014-11-24 07:33) 

とり

なりますねー。
by とり (2014-11-24 18:46) 

me-co

こんばんは。そういえば、今から十ん年前に、ちょうどこのABC地点に行ったことがあります。和歌山の友人を訪ねた時、「このホテル(川久)、名所だから・・・」と案内してくれたのです。確かに波の少ないところだったと記憶してますねー。
あと、帰りに南紀白浜空港からJASで帰ったんですが、怖い客室乗務員で、震え上がった思い出があります(汗)
by me-co (2014-11-24 19:48) 

an-kazu

コンクリートの様子から、あの頃のクオリティが感じられますね〜
by an-kazu (2014-11-24 22:00) 

鹿児島のこういち

日本で海に突き出た建物を見るたび、津波は心配ないのかぁ?って気になります。
写真の桁の柱の腐食は、塩分による柱主筋の爆裂によるもののように見えますが、フープ(帯筋)が巻かれてないようにも見えます。また桁の打継ぎ部分も骨材が丸見えで、突きん棒または、バイブが足らないようにも見えます。
要するに手抜きではないかと・・・・・・|д゚)
ただ、施工状況を見てた訳ではないので、予算の問題等含めなにかしらあったのではないかと・・・・・・・・|д゚)
by 鹿児島のこういち (2014-11-25 00:58) 

とり

■me-coさん
おはようございます。
おお、こちらにもお越しでしたか。
やっぱり名所だったのですね。
>震
そんな客室乗務員がいましたか^^;

■an-kazuさん
あの頃のものなんでしょうかね~^^

■鹿児島のこういちさん
あの写真からそこまで語れるんですね~。
流石本職です。
by とり (2014-11-26 06:16) 

みけ

コメントは初めてですがいつも見させてもらっています。

地理院地図の単写真にある、1965年撮影の写真KK651Y C4A 1~3の3枚に「海面上を走る飛行機」が写っています。(海面に航跡がある)
中心位置が南紀白浜空港の近くの物とその東西両隣です。
飛行機の位置は「畠島」の東から南のすぐ近く、写真内では上端のほうです。

写真に写っているのは、たぶん着水したあと水上を港に向かってる場面です。
どちらかというと、駐車場のある入り江ではなく、南隣の入り江に向かっているように見えます。
また隣の入り江付近も「綱不知」と呼ばれているようです。
この記事の最後の写真に県道34号のヘキサ(標識)が写っていますが(C地点付近)、県道31号のヘキサ「綱不知」があるのは、2つ先の信号「桟橋」のさらに50m先あたりです。
また桟橋の信号付近に「綱不知桟橋」の看板もあります。
この辺はグーグルマップストリートビューで確認しました。

1947年と1965年の写真には「ホテルの駐車場」は写ってなく、1974年以降の物に写ってますので、駐車場は飛行機とは関係なさそうです。
by みけ (2014-11-27 06:17) 

とり

■みけさん いらっしゃいませ
写真確認致しました。
水上機が写ってますね!
連続写真になっているのが非常に興味深いです。
ヒコーキの進路に注目しますと、1ではほぼ西に向かっていたのが
2では取舵に当てて進路が変わり始めていて、3では真っ直ぐ南南西に向かっています。
このままの進路の延長線上だと、みけさんご指摘の南隣の入り江よりも
更にずっと東側になってしまい、綱不知から大きく外れてしまいませんか?
ご指摘の入り江に真っ直ぐ向かう進路上に何らかの障害があるため、
3の後に進路を変えて、ご指摘の入り江に向かう可能性もあるのですが、
1で水上機の南東にいる船のその後の進路を見ても、
3の後に水上機が面舵に当てなければならない合理的な理由はオイラには見当たりません。

結局のところ文中にありますように、この水上機は直接綱不知に向かっているのではなく、
迎えのボートが待つ浮桟橋に向かっている訳です。
この写真だけでは乗客がドコに降りたかは判断できないと思うのですが、如何でしょうか?
この後6位まで続きの写真があるとよかったんですけどね~。
ご指摘の通り、南隣も同じ地名になっているのはお邪魔する前から承知しておりまして、
地元の方に随分尋ねたりしたのですが分かりませんでした。
その後も乗客を乗せたボートはどちらに着いたのだろうと大分悩んだのですが、
これといった決め手がなく、暫定的に選んだというのが正直なところです。
駐車場の件、ありがとうございました。確かにこれは飛行場とは関係ないですね。
貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-11-29 11:09) 

田中久盛

こんにちは。
私も白浜の日東航空事務所跡を探しております。
昭和37年位だったでしょうか、父が日東航空の機長をしており、
グラマンマラードで白浜に家族旅行をしました。
白浜滞在中に父が撮影した、マラード着水の8mmフィルムが遺品整理で出てまいりました。
DVDにダビング致しました。
もしメールアドレスを御教示頂ければ、添付にて送信できるのですが?
手掛かりになればと思います。
by 田中久盛 (2021-08-16 11:02) 

とり

■田中久盛さん
こんにちは。
コメントありがとうござます。
メール送らせて頂きましたので、ご考慮頂ければ幸いです。
by とり (2021-08-17 17:56) 

田中久盛

こんにちは。
お待たせいたしました。1分足らずの動画ですが
思い出を送ります。
約60年前の8mmフィルムです。
貴殿の御推察のように、日東航空事務所跡はB地点と思われます。
撮影はA地点寄りの所で実施したように記憶しております。
着水後、2隻のモーターボートを利用して、乗客の乗り降りを実施していました。
また、手掛かりがあれば教えて下さい。
by 田中久盛 (2021-08-22 11:26) 

とり

■田中久盛さん
どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2021-08-25 05:34) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

メッセージを送る