福島空港とウルトラマン [├雑談]
■ウルトラマンがいっぱい
前記事の通り、福島空港はターミナルビル内外のそこここにウルトラマン関連の展示があり、関連ブースもあります。
全国どこに行っても変わり映えのしない無個性な空港が多い中、
当空港利用者は、「福島空港」といえば数々のウルトラマンを思い出すはずで、非常に結構なことだと思います。
でもこれ、航空会社の撤退が相次ぎ、利用者数が激減し、
ガランと空いてしまったスペースをウルトラマン(と怪獣たち)に埋めてもらっている。ということでもあります。
■開港と拡張
福島空港の起工式は1988年でした。
当時の需要予測では、開港から2年後の1995年度に59.3万人の利用者数を見込んでいました。
1993年、福島空港開港。
無事計画通り開港した福島空港は、JALの大阪線、ANAの札幌線、中日本エアラインサービスの名古屋線で始まり、
その後、福岡、函館、沖縄、帯広、(後に広島、関空)と順次路線を増やしてゆきました。
開港から2年後の1995年度には57.9万人の利用者数がありました。
59.3万人の見込みに対して57.9万人です。
甘々な需要予測で着工し、イザ蓋を開けてみたら惨憺たる有様の事例はたくさんありますから、
これは非常に優秀と言えるでしょう。
1995年、福島空港では更なる利用増を見越し、280億円を投じて滑走路の延長起工式を行いました。
この時点の需要予測では、2010年度に158万人の利用客数を見込んでいました。
1998年、滑走路供用開始(2,000m→2,500m)。
1999年、国際線ターミナルビル、拡張エプロン、取付誘導路供用開始。
同年中国西北航空が上海線を、アシアナ航空がソウル線を開設。
こうして福島空港は、施設拡充した年に「国際定期便のある空港」になりました。
滑り出しは順調です。
開港以来ずっと右肩上がりを続けてきた福島空港はこの年、国内線7路線に加えて新たに国際線2路線を擁し、
利用者数は国内線706,718人、国際線50,907人、合計757,625人の過去最高数を記録。
施設を拡充し、国際線乗り入れも始まり、10年後の需要予測に向け、利用者数を倍増させるはずでした。
■規制緩和とJAL撤退
ところが福島空港が施設を拡充させたのと同じ頃、
航空業界の規制緩和による航空各社の路線見直しと機材の小型化が進みました。
航空業界の規制緩和のことは以前の記事■ にも書きましたが、
それまで各航空会社は、羽田から新千歳や福岡等、高需要路線の黒字で地方の赤字路線を維持してきました。
しかし規制緩和から1998年にスカイマークとエア・ドゥが新規参入し、この格安二社は黒字路線に絞って路線開設。
そのため従来の航空各社は赤字路線を賄うはずの路線の運賃を(部分的にせよ)対抗上下げざるを得ず、
赤字路線の維持がよりシビアになったのでした。
加えて様々な要因から航空不況が続き、航空各社は社の存続をかけ、
赤字路線の廃止、減便を含む路線見直し、機材小型化を断行したのでした。
(機材を小型化すると効率は改善するけど団体客の座席を確保するのが難しいので利用者数がガクッと減る)
グラフは福島空港の開港年度(実質的に1993年度開港)からの国内線、国際線合計の利用者数です。
ピークとなった1999年度(A)以降はずっと下落傾向が続いており、
後述しますがその後「JAL撤退」(B)と「東日本大震災」(C)があります。
(2013年度についてはまだ半年分のデータしかないのですが、「前期の伸びがそのまま続く」という見込みで出しています)
国内線は1999年度(A)70.6万人でしたが、翌年は60.5万人と1年で一気に10.1万人のダウンです。
この年国内線は7路線なのですが、全ての路線で利用者数が減少しており、
特に落ち込みが大きい路線を挙げてみますと、
札幌線:25.4万人→21.7万人
福岡線:8.8万人→5.2万人
名古屋線:26.1万人→24.2万人
沖縄線:52.2万人→50.2万人
となっています。
また、搭乗率も7路線全てで下がっており、全体では59.3%→54.2%となっていて、
46.8%でワーストの帯広便はこの年で運休しています。
一般に「搭乗率6割が採算分岐」とされていますから、これは厳しいです。
実は国際線の方は4.8万人→7.6万人と増加したのですが、国内線の減少をカバーできませんでした。
1999年度(A)の利用者数がピョコンと飛びぬけており目立つのですが、
実は3年前から既に国内線の伸びは鈍化しており、この年も微増に留まっていて、
国際線開設の上乗せ分が急な伸びに見えているというのが実態です。
グラフから明らかな通り、福島空港の利用者数の大幅な伸びは開港から2~3年で終わり、
その後は微増から下落に転じて今日に至ります。
新興航空会社の誕生が1998年、そして福島空港の拡張工事がひととおり終わり、
「さあ、これから!」という体制が整ったのが1999年ですから、タイミングとしては最悪でした。
航空業界の規制緩和は欧米を範としたもので、
国内航空会社が国際競争力をつけるために必須であり、「日本は遅れている」とずっと言われ続けていたことでした。
規制緩和を実施すると、
新規航空会社参入→競争激化(幹線の運賃低下)→市場の活性化
というメリットがある半面、
規制緩和実施→赤字路線維持困難→赤字路線運休、減便、機材小型化
という、需要の見込めない路線維持が非常に厳しくなるという面があります。
地方赤字路線にとっては非常に厳しい状況になるというのは欧米の例を見れば火を見るより明らかであり、
羽田に路線を持たず、地方路線で構成する福島が非常に厳しい状況に曝されるというのは分かり切ったことだったはず。
福島空港の滑走路延長は、空港起工式の翌年に国に要望することが決定されています。
そして開港2年前に正式に閣議決定したのでした。
今さらですが福島空港の施設拡張計画をどこかで止められなかったのでしょうか。
福島空港にとって規制緩和の影響は非常に大きなもので、倍増どころかこの1999年の75.7万人という数字がピークとなり、
グラフの通り、その後はどんどん下がり続けています。
歯止めの掛からない減少傾向に追い打ちをかけたのが2009年のJAL経営破たんでした。
JAL経営破たんの原因は様々ですが、
規制緩和でドル箱路線に新規航空会社が参入した結果、運賃を下げざるを得ず収益が悪化したことは、
大きな要因の1つといえるでしょう。
2009年1月のJAL撤退では、B737(福島空港乗り入れ機としては結構大きい)による伊丹、関空、沖縄路線を一気に失い、
この年は前年比33%減の28.3万人となりました。
なんとこれは開港翌年度の28.5万人を下回る数字です。
■東日本大震災
JAL経営破たんの翌年には若干盛り返したものの、続く東日本大震災では更に前年比マイナス27%の20.9万人となりました。
ピークだった1999年が75.7万人でしたから、その3割以下まで落ち込んでしまいました。
利用者数が大幅に減少してしまった訳ですが、国内線、国際線で分けてみるとその実態が明らかになります。
震災の影響を受けた2011年度 国内線が1.6万人の減少だったのに対し、
国際線は定期便の運休から一気に6万人の減少です。
国際線が「壊滅」と言ってよい程の状況なのに対し、国内線の方は震災、そして原発の風評がある中、
前年比7%の減少に留まっています。
福島空港は震度6強の地震に見舞わたものの、幸い震災による空港運用の支障が出ず、
津波被害を受けた仙台空港、分断された高速道路/新幹線の代替、救援目的の受け入れ等で、
震災直後から24時間体制でフル稼働を実施しており、
震災まで国内線の利用者は1日300~600人程度だったのですが、
ピーク時には1日2,582人に達し、キャンセル待ちが出る程でした。
新潟県中越地震時の新潟空港、能登半島地震時の能登空港同様、
福島空港は震災時に地域の孤立化を防ぎ、防災拠点として大活躍だったのです。
しかし通年で見れば前年比マイナス27%であることから明らかな通り、
こうした災害関連の需要増は一過性のものに過ぎません。
福島空港の今後を見る場合、注目すべきは震災の翌年以降の利用者数の推移、そして震災前との比較ですが、
震災翌年には前年度をわずかながら上回っていますし、
2013年度については今のところ4月~9月の半年分のデータしか出ていないのですが、
同じ期間内で前年と比較してみると、いずれの月も前年同月を上回っており、
2012年度 4月~9月 利用者数合計 118,506人
2013年度 4月~9月 利用者数合計 131,216人(+10.7%)
となっています。
「震災後の福島空港」というと、
それによって利用者数が激減したかのようなイメージを勝手に持ってしまっていたのですが、
1つ目のグラフから年代を外して、「どこで震災があった?」と問われたら、正確に指せる人はそう多くはないと思います。
規制緩和以降続く下落傾向の中で、特にそこが極端に下がっている訳ではないからです。
震災前年の利用者数は国内線、国際線合わせて28.3万人でした。
震災により国際線を失ってしまった結果、震災の年度は20.9万人まで落ち込んでしまいましたが、
それでもその後、利用者数は堅調に伸びており、見込み値ですが25年度は26万人に迫る勢いです。
国際線を失った状態で、それがあった当時の数字にもうすぐ手が届きそうなところまで来ている事から明らかな通り、
非常に厳しい状況ではありますが、震災、原発の風評を経て尚、福島空港に一定の底堅い需要があるのは明らかです。
規制緩和とJAL破綻の影響からはまったく抜け出せていないのですが、
震災の影響からは徐々に抜け出しつつあります。
福島空港は震災に負けていません。
■外国の航空会社頼みということ
福島空港の国際線定期便は中国東方航空の上海便とアシアナ航空のソウル便だったのですが、
震災による利用客の減少は、そんな訳でこの2路線の運休による影響が大きかったということです。
後述しますが、この2路線の一刻も早い再開は必要不可欠であるという観点から国際線再開のため知事が動くなどした結果、
2012年9月には中国東方航空による上海チャーター便が運航、
次いで12月にはアシアナ航空によるチャーター便が運航するなど明るい兆しがあったのですが、
中国東方航空は同年10月末に福島支店を閉鎖し、当面の運航停止を発表しています。
これは丁度尖閣国有化と時期が重なっており、
領土問題、歴史問題への抗議的な意味合いも多分に含まれていることが考えられます。
この記事を書くに当たり、福島空港関連記事をいろいろ見てみたのですが、
福島空港にとって国際線が無くなってしまうのというのは深刻な死活問題であり、
JAL撤退の際には、「御社はどうかこのまま路線継続して下さい」とアシアナ詣が行われています。
また、空港収入のうち大きな割合を占める着陸料についてですが、路線の安定維持を目的として段階的に引き下げられており、
2009年からは国際線は1/15にまで下げるという涙ぐましい措置が取られています(国内線は1/4)。
当然のことですが外国の、特に隣国のこの二国にとっては、
「日本の一地方空港の行く末」だの「日本の空のネットワークの充実」など知ったことではなく、
むしろ路線閉鎖を懲罰的なカードとして、また再開を政治的な交渉カードにさえ利用されてしまいそうです。
国際線の継続も再開も、対応の難しい隣国の航空会社が頼みの綱というなんとも心許ない状況です。
アシアナ航空はインチョン空港をハブに設定しており、
福島(を含む日本各地の地方空港)を自社のハブシステムの末端に組み込むことにより、
福島空港(を含む日本各地の地方空港)から海外旅行者を吸い取り、
インチョンを経由して自社便で世界中に飛ぶ利用客も見込めるという旨味があるのですが、
日本の航空会社が福島空港から国際線を運航するのは、
定期路線が新千歳と伊丹の2路線のみに限られている現状では、唐突にそこに海外路線を出現させることになり、
「外国の航空会社にできるのだから、国内の航空会社にだってできるはずだ」と簡単にはいかない事情があります。
(上海便の利用実態は、上海に進出している企業等のビジネス利用、上海への旅行客の利用が多く、日本人と中国人の比率は約8対2。同様にソウル便は、ゴルフを目的とした韓国人の利用が多く、日本人と韓国人の比率は約3対7:「福島空港に関する有識者会議」提言書より)
■福島空港の今後
158万人もの需要を見越して増強した空港がその能力の15%しか使用していないのですから、
閑散としてしまうのは道理です。
オイラがお邪魔した際も、空港職員らしき方々が空きスペースの前でなにやら相談していました。
実は2,500m滑走路供用開始前の1996年には、3,000m滑走路に延長することを閣議決定しているのですが、
いくらなんでも流石にもうやらないでしょうね。
この記事を書くに当たり大いに参考にさせて頂いたのですが、
2012年12月に「福島空港に関する有識者会議」提言書がまとめられました(下記リンク参照)。
これは北海道大学大学院教授を座長に、大学教授、関係する自治体の首長、商工会議所、ANAや空港関係者から成っており、
2011年12月の第一回から2012年12月の第六回まで行われた有識者会議をまとめたものです。
実は震災以前から地元県議会では「福島空港の存亡を含めて検討すべし」という声があり、
「福島空港不要論」も根強くあります。
一方この提言書では、「福島空港は県の復興発展、防災拠点として必要不可欠なものであり、存続させなければならない」
という点を前提としており、現在運休中の国際線については、
「福島県が持続発展するための礎であり、今後の福島県の復興にとっても必要不可欠なもの」
と捉えた上で、
「一刻も早い路線再開、台湾や国家が急成長し親日でもあるタイ、ベトナム、さらにはカンボジア、ミャンマーなど広くアジアを見渡した上での、新たな交流先の開拓も必要である」
としています。
更に今後福島空港が実施できる案として、
・ビジネス需要の喚起
・経費節減、上下一体化や民間的手法の導入
・空港利用者からの復興支援金徴収
・空港内未利用地に再生可能エネルギー事業者誘致
・政府専用機の駐機場誘致
・パイロット養成校の誘致
・航空会社の操縦訓練地
・空港のイメージアップ
・東南アジア各国との経済交流促進
等が挙げられていました。
また航空業界の近年の動向から期待できる明るい見通しとして、
使用機材の小型化の流れから再び福島に路線が戻る事、LCCのの就航を挙げています。
以前書いた記事の中で、羽田から東北、北海道の地方空港への中継ハブとして福島空港を活用する
というアイディアを紹介しました■
この方法なら福島空港はすぐにでも旅客機の盛んに飛び交う空港となり、
国内航空会社による国際線開設も見えてくるのですが、同提言書ではそうした羽田頼りではなく、
もっと福島県/福島空港が主体となって自立する方向性を強く打ち出しているように思いました。
福島空港不要論者の動静は、端的に言って今後の福島空港利用者数にかかっており、これからが正念場といえるでしょう。
「ここにウルトラマンがあるとちょっと邪魔になるなぁ」
オイラ個人と致しましては、せっかく造られた福島空港が本来の能力を存分に発揮し、
ウルトラマンブースのスペース確保に困るほどの活況を呈する日が来ることを切に願っております。
(矛盾してるけど)助けてウルトラマン!
この記事の資料:
「福島空港に関する有識者会議」提言書(pdf)■
国土交通省/暦年・年度別空港管理状況調書(福島空港44p)■
国土交通省東京局/統計資料■
広報すかがわ1988.10(pdf)■
「全国空港ウォッチングガイド」イカロス出版
折り返し便のいる時間帯でも場所によってはこんな感じ
起工式が1988年ということは、福島空港の企画立案、発注、設計などはバブルの時期に行ってるのですね。見透視が甘ちゃんになるのは当たり前ですよね。このまま衰退することなく日本は繁栄すると誰もが思っていましたもの。
>1つ目のグラフから年代を外して、「どこで震災があった?」
福島空港の開港年を知ってたら、折れを数えていって、ここだ!と予想はたてられるでしょうね(^^)
by 鹿児島のこういち (2013-12-16 10:59)
すごい大作で感服いたしました。福島民報(か民友)で特集組めますよコレ。
開港は県民の夢だったと思うので、「税金の無駄遣い」とか批判めいたことは言いませんが、不測の事態があったものの、「夢を見過ぎてしまったのかな。」という感が拭えません。
丁度、2500m延長工事が始まった頃、「せっかく須賀川に住んでいるのだから」と見学に行ったことがあります(立地の悪さから行く気になれず、見学に行ったのはたった2回)が、ただ500m付け足すだけではなく、全くの造り替えで、「これ…大丈夫かぁ。」と思ったものですが、その予感当りの残念なベクトルになってしまいました。すっかり事業環境が悪くなってしまって・・・
今更、「不要論」というのも愚論かと思いますが、検討会でもこれといった抜本策が無い以上、真剣に知恵を出さないと、・・・
「こりゃあ~やばい…ばい。」です(--;)
by me-co (2013-12-17 00:05)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m
■鹿児島のこういちさん
オイラが当記事で問題にしているのは、1988年の起工式の方ではなく、
バブル崩壊の4年後に始まった工期4年の施設拡張工事の方です。
分かりにくくてすみません。
■me-coさん
何分部外者ですので壮大な的外れになっていないか不安なのですが、
me-coさんにそう言っていただけると嬉しいです。
福島は長らく東北で唯一の空港無し県でしたからね。
地域の知事同士の会合でも空港無し県のハブられ感がハンパなく、
「なにがなんでもオラが県に空港を!」という気持ちに駆られるものだと
聞いたことがあります。
>全くの造り替え
そんなだったのですか!
貴重な現場を目撃されたのですね。
ますます「初期の施設で十分だったのに」との思いを強くします。
by とり (2013-12-17 05:41)
関東圏から行く人は当然新幹線でしょうけど関西や九州方面、北海道方面から福島に行く人は飛行機でないと話になりませんね。
不要では無いと思うけどうまく回るように複合施設みたいな運用が良いのでしょうね。
by ジョルノ飛曹長 (2013-12-17 13:20)
■ジョルノ飛曹長さん
>複合施設
能登空港みたいになれるといいですね。
by とり (2013-12-18 05:50)
■sakさん
お久しぶりです!
by とり (2013-12-24 05:38)
遅ればせながらあけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします
私の利用する空港は伊丹と関空なので
地方の空港のことは考えることがありませんでした
便利になるはずの乗り物がうまく利用できないのはなんだか変な話ですね
そこには企業努力だけでいいのかは疑問でもあるのですが…
他力本願でもいけないですものね…
難しいですね〜
by まめ助の母 (2014-01-06 15:23)