宇部航空輸送研究所跡地 [├国内の空港、飛行場]
2017年5月訪問 2022/1更新
国土地理院 1927年測量の地図(図名:宇部東部 図名(ひらがな):うべとうぶ リスト番号:120-9-3-1)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
山口県宇部市にあった「宇部航空輸送研究所」。
1928年に宇部市草江に開設し、1929年に海岸に格納庫を作ったという記録が残っています。
水上機の飛行場でした。
宇部市史には昭和4年(1929年)に出来た格納庫に入った複葉機と
昭和5年(1930年)の水上機宇部号(翌年墜落)の写真がありました。
上の地図は1927年のものなので、研究所開設前年のものです。
研究所がドコにあったのか、正確な位置は不明なのですが、
グーグルマップの青マーカーの間、地図の赤矢印の間が住所的に草江の範囲なので、
恐らくこの辺りに格納庫があり、ここの海岸から水上機が離着水していたのではないかと思います。
実は逓信省が計画していた東京・大阪・福岡・上海・大連線の航空本線下に宇部が位置していたことから、
研究所は不時着場所の1つという側面もあったようです。
また、航空年鑑昭和6年にも当研究所が登場するそうです。
当時の「宇部市全図」には、「航空灯台」が記されていました。
上の地図の同じ位置に灯台を入れました。
この情報はアギラさんから頂きました。
アギラさんありがとうございましたm(_ _)m
1928年に宇部市草江に開設し、1929年に海岸に格納庫を作ったという記録が残っています。
水上機の飛行場でした。
宇部市史には昭和4年(1929年)に出来た格納庫に入った複葉機と
昭和5年(1930年)の水上機宇部号(翌年墜落)の写真がありました。
上の地図は1927年のものなので、研究所開設前年のものです。
研究所がドコにあったのか、正確な位置は不明なのですが、
グーグルマップの青マーカーの間、地図の赤矢印の間が住所的に草江の範囲なので、
恐らくこの辺りに格納庫があり、ここの海岸から水上機が離着水していたのではないかと思います。
実は逓信省が計画していた東京・大阪・福岡・上海・大連線の航空本線下に宇部が位置していたことから、
研究所は不時着場所の1つという側面もあったようです。
また、航空年鑑昭和6年にも当研究所が登場するそうです。
当時の「宇部市全図」には、「航空灯台」が記されていました。
上の地図の同じ位置に灯台を入れました。
この情報はアギラさんから頂きました。
アギラさんありがとうございましたm(_ _)m
赤マーカー地点。
「空港入り口」交差点から。
山口宇部空港前を走るこの県道220号線が当時の海岸線でした。
どちらの写真も交差点の空港側(海側)から撮っています。
この辺りに砂浜が続いていて、水上機が飛んでいたはずです。
当研究所は1938年、開設から僅か10年で閉鎖してしまいましたが、
それから30年足らずで立派な空港が沖を埋め立てて完成することになろうとは。。。
山口宇部空港前を走るこの県道220号線が当時の海岸線でした。
どちらの写真も交差点の空港側(海側)から撮っています。
この辺りに砂浜が続いていて、水上機が飛んでいたはずです。
当研究所は1938年、開設から僅か10年で閉鎖してしまいましたが、
それから30年足らずで立派な空港が沖を埋め立てて完成することになろうとは。。。
山口県・宇部航空輸送研究所跡地
宇部航空輸送研究所 データ
設置管理者:宇部航空輸送研究所
種 別:水上機飛行場
所在地:山口県宇部市草江
座 標:N33°56′07″E131°16′26″
(座標はグーグルアースから)
沿革
1928年11月 草江に研究所開設
1929年 草江の海岸に格納庫建設
1930年 翌年にかけて体験飛行実施
1938年 研究所閉鎖
関連サイト:
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設置管理者:宇部航空輸送研究所
種 別:水上機飛行場
所在地:山口県宇部市草江
座 標:N33°56′07″E131°16′26″
(座標はグーグルアースから)
沿革
1928年11月 草江に研究所開設
1929年 草江の海岸に格納庫建設
1930年 翌年にかけて体験飛行実施
1938年 研究所閉鎖
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この記事の資料:
宇部市史
航空年鑑昭和6年(アギラさんから)
宇部市史
航空年鑑昭和6年(アギラさんから)
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