山口第三地方滑空訓練場跡地 [├国内の空港、飛行場]
2015年10月訪問 2021/12更新
1/25000「船木」昭和11年二修「今昔マップ on the web」より作成
撮影年月日 1947/10/08(昭22)(USA R517-6 70)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
山口県山陽小野田市にあった「山口第三地方滑空訓練場」。
「野球場(赤マーカーすぐ西側)の上の西善寺住宅団地が元滑空場である」という情報以外、
滑空場の明確な敷地についての資料が見つからないのですが、
先頭のグーグルマップは、1947年の航空写真、グーグルアースの標高情報から、
滑空場であった可能性の高いと思われる部分を囲いました。
これでおおよそ300mx300mです。
恐らくこんな感じだったのではないかと。
航空兵の早期養成を目的に、軍からの要請で大日本飛行協会が基礎教育のために設けました。
「第三」という名の通り、防府市に第一、東部に第二、そして西部の厚峡に第三の滑空場開設が計画されたのは、
昭和18年のことでした。
当時の様子をよくご存じの地元の方に取材する様子がネット上で閲覧することが出来、 それによりますと、
「グライダーがとんでいるのをしょっちゅう見ていました」
「(飛行場のあった場所は)野球場の上の住宅が建っている所」
「旧制中学校の生徒がグライダーの練習をしていましたね」
「あそこの一番東に、そこに杭を打って、一人が持って回して、
それで左右に10人ずつ位が引っ張って、あがったら20メートル位飛ぶ」
とありました。
戦後、滑空場は山口県営厚狭林業苗圃を経て西善寺住宅団地となりました。
赤マーカー地点。
この写真を撮った後方に話にでてきた野球場があるのですが、当団地とは3~4メートルの高低差があり、
野球場より一段高い所に滑空場がありました。
「野球場の上の」というのは、最初方位のことかと思ったのですが、
現地にお邪魔してみて、その意図がよく分かりました。
山口県・山口第三地方滑空訓練場跡地
山口第三地方滑空訓練場 データ
設置管理者:大日本飛行協会
種 別:滑空場
所在地:山口県山陽小野田市厚狭
座 標:N34°03′18″E131°10′36″
標 高:27m
着陸帯:300m×300m?
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)
沿革
1943年 大日本飛行協会、防府市に第一、東部に第二、西部の厚峡に第三滑空場開設計画
1945年 終戦
1953年 山口県営厚狭林業苗圃設置決定
1954年01月 町有地約3,700坪、私有地約1,800坪を買収して県に貸す
04月 山口県営厚狭林業苗圃開設
1957年 庭園や生け垣用の苗木も生産するようになる
1965年03月 苗圃廃止
1968年 山口県住宅供給公社が買収、分譲住宅建設
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