東京・1 [■旅行記]
2月下旬、オイラはついに一線を越え、恵比寿にある防衛研究所に行ってしまったのでした。
図書館、ネットではどうしても探せない戦前戦中の飛行場資料がここでなら見られるのです。
8:20 自宅発
最寄りの鶴ヶ島駅から東上線でまずは池袋に向かいました。
ギュウギュウ詰めとまではいきませんが、車内は結構混雑しています。
池袋に向かっている途中駅で停車した時、オイラの乗っている車両の隣のドアの辺りで、
「停止ボタン押してください!」という大声がして、ホームにあった停止ボタンが押されました。
オイラの居た場所からは混雑していて見えなかったのですが、誰か倒れてしまったようです。
すぐに数名の駅員さんが駆けつけ、車椅子が運ばれてきて、土色で生気を失った女性が運ばれていきました。
大した事ないと良いのですが。。。。
10時前、恵比寿駅西口着。
資料館のサイトに駅からの地図が出ており、プリントアウトしてきた(スマホ持ってない)のですが、
西口の前にあるはずのロータリーも、ドトールも銀行もありません。
…アレ??(゚Д゚;≡;゚Д゚)
でも西口で合ってるし。地図が古いのかも。
そう考えて、とにかく地図に示された方向に歩き始めたのですが、なんか違います。
地図と現実の辻褄が合いません。
たまたま店先におられた喫茶店のマスターにお聞きしたところ、まったく逆の方向だと言われました。
(そんなバカな)
と思ったのですが、騙されたつもりで一旦恵比寿駅まで戻ってみると、
さっきオイラが出たのとは反対側も「西口」でした。やだもー
よく見ると、あっちもこっちも「西口」です。うぅ、東京コワイ東京コワイ。
無事ドトールと銀行発見。
10:20 やっとのことで防衛資料館に辿り着きました。
入口にある受付で年配の職員さんに首から下げる「資料閲覧室」行きのカードを貰い、その後あっちの方角を指さして、
「なんとかかんとか~」と言われたのですが、恐らく東北方面であろうネイティブの発音がほとんど聞き取れず。
ともかくあっちの方角へ。
建物に入り、受付の方から、「荷物の持ち込みは出来ないので」。とぴしゃりと言われ、
先ずは入口にあるコインロッカー(100円。後で戻る)に荷物を押し込みました。
閲覧室内には戦史叢書等一部資料が並んでいて自由に閲覧できるのですが、
基本的には閉架で、「閲覧申込書」に記入し、出してきてもらう必要があります。
閲覧可能な資料の目録はサイトに公開してあるので、
目録を事前にプリントアウトして見たい資料をマークして持参してあります。
それを見ながら、「閲覧申込書」にひたすらカキカキ。
それ程待たずに資料を出してくれるのですが、オイラは「閲覧申込書」に欲張って一気に10の資料を書いたのです。
「一度に閲覧できるのは5冊まで」とのことで、まずは5冊渡されました。
この5冊を返却すると、職員の方が「閲覧申込書」に一点一点確認しながらハンコをついてゆき、
既に準備してある次の5冊を受け取ることができます。
早速資料を開くと、これまでネットで見てきた資料に加え、
ネットや方々の図書館でどんなに探しても探しても見る事の出来なかった、見たくてたまらなかった資料が次々と。
墨やペンで直書きした原書もありました。すげえ。
コピーを取りたい資料は、「複写申請書」と「複写内訳書」に記入し、資料に専用の付箋を挟んで提出します。
資料の中に、どうしても一冊丸々欲しいものがあり、
図書館でのコピーで散々「一冊から複写可能なのは~」的なしばりを経験しているオイラは、
「あの~、コレ一冊丸々ってダメですか?」と恐るおそる尋ねてみたのですが、
「『ここからここまで』と指定してくだされば丸ごと一冊でも構いませんよ」
とのことで、なんとあっさりOKが出ました。
うーむ、こういう事に関して最も厳重な場所である気もするんですが、一体どういうサジ加減なのか。。。
複写は後日専門業者が行い、2~3週間で自宅に郵送される、とのことだったのですが、
オイラの場合は1週間程で届きました。
料金はかなり高額なのですが、複写の精度は非常に高く、
原書を直接見てもかなりかすれていてやっと判別できる程度のものが
複写したものでも劣化はほとんど感じずに判別可能でした。
ちょっと話がそれますがオイラがここに来た目的は2つあります。
1つはネット、図書館では閲覧できない資料の複写をゲットすること。
そして2つ目なのですが、アジ歴で検索すると、米軍が作成した日本の飛行場についての資料が閲覧できます。
日本国内の本当にマイナーな飛行場の沿革、概要についての英文が並び、
最後に飛行場区画がクッキリと描かれた地図が付いています(例えばこんな■)。
オイラがココに来た目的の2つ目は、この米軍作成の資料に出てくる飛行場の位置情報、
これは元々日本で作成されたものなのか、それとも米軍が後から書き加えたものなのか確認したい。
というものでした。
この米軍資料は細かいアルファベットと数字でほぼギッシリと埋め尽くされており、
真面目に見ていると、数分で目まい、倦怠感、動悸、息切れを覚えるのですが、
表題には大きく"TRANSLATION"と記してあり、
添付資料の飛行場写真のキャプションは日本語だし、地図には日本語が並んでいます。
オイラは以前からこの米軍作成の資料が、日本の作成した地図、資料を翻訳したものに思えてなりませんでした。
飛行場の位置情報が最初から日本で作成されたものならこれは、「ドコに飛行場があったのか」探しているオイラにとって、
第一級の貴重な資料になります。
逆に米軍が後から書き加えたものである場合、「ここ本当に飛行場なの? 米軍の勘違いじゃないの?」
というレベルから疑ってかかる必要があります。
ということで、オイラは自宅でそういう地図の一つをプリントアウトして持って来ていたのでした。
忙しそうにしている職員さんのタイミングを見計らって、この地図を見せて聞いてみよう。と考えていたのですが、
たまたまオイラが閲覧した書籍の1つの中に、(英語が含まれないことを除けば)まったく同じ地図が出ていました。
そこには飛行場の沿革、概要、それに地図にはオイラがプリントアウトした米軍資料とまったく同じく飛行場が描かれていました。
昭和14年発行、「水路部(旧日本海軍の一組織)」が作成した書籍でした。
そこには、オイラが自宅のネットで散々見てきた米軍作成資料の飛行場情報が次々と!
「米軍は水路部作成の書籍を入手し、そのまま翻訳していた」。ということがこれでハッキリしました。
現在アジ歴では、(オイラがカウントした限りでは)国内の105の個々の飛行場、不時着場について、
詳細な資料の英訳を閲覧することができます。
その多くがオイラにとっては未知だったり場所がハッキリしない箇所で、こうした閲覧可能な資料が
「本家日本作成」ということが確認できたたため、一気に解明が進んだのでした。
ただし、当時国内にあった全ての飛行場を包含するものではなく、
当館所蔵資料ではあるものの、ネット上で閲覧不可のものはまだまだあります。
ということで、閉館時間の16:30一杯まで、途中玄関前の小さなテーブルでカロリーメイト的なものを食べただけで、
ひたすら用紙に書き込み、資料に目を走らせ…と作業を続けたのでした。
資料の中には広げると1mを超える大きな地図等もあり、
資料閲覧室にはそれらを見るのに都合の良い大きな机が並んでおり、
オイラがお邪魔した日は常に5人位が資料をいろいろ見ていました。
受付にはひっきりなしに問い合わせの電話が掛かり、直接質問に訪れる方も多く、
「〇〇隊の□□中佐」とか「△△基地」とかそういう言葉が飛び交ってました。
身内の軍人が戦時中どこでどんなことをしていたのか。といった問い合わせが多かったような気がします。
「自宅を整理したら、某大将関係の掛け軸が出て来たので寄贈したい」という方もおられ、
「それなら靖国神社の方が~」的なやりとりもありました。
敷地内に(一般人が利用できる)食堂等はなく、ちゃんと食事がしたい人は途中抜けてました。
「この資料が見たい」と事前にオイラがマークしておいた資料は約50だったのですが、
20しか閲覧と複写申込みを済ませることができませんでした。
本当は今日一回で終わらせるつもりだったんだけど半分も見れなかった…(XДX)
要領が分からずに随分と手間取ってしまったから、次で全部見れるかしらん。
ということで、閉館時間となり守衛さんにビシッと敬礼されて研究所を後にしたのでした。
で、これで埼玉の自宅に戻ったのではなく、せっかく東京さ出て来たので、
この後は伊豆諸島で唯一未見学になっていた新島空港に行くため、竹芝桟橋から船に乗りますのだ。
ただし出港は22時。
まだ5時間半あるため、モノレールで羽田空港1へ。
去年の4月にTさんと来て以来10ヶ月ぶりの羽田。
昼はカロリーメイト的なものしか食べてないから腹ペコだ~~~~(⊃゜Д゜)⊃
1タミの展望デッキ出たところにテラス席の庶民的な店があるから、
そこでラーメンでも食べて温まりながらヒコーキ眺めるか。
と思っていたのですが、行ってみたらなんかオシャレな店に変っていて、しかも閉まってましたΣ(゚Д゚;)ガーン
ということで、空弁やさんでおにぎり買って、再びデッキに上がって食べたのでした。うめー!
しばらくココでヒコーキ分を補給しようと思ったのですが、風が冷たくて長く居られませんでした。
羽田に来たら恒例になっているブックスフジで本買って、浜松町に戻り、竹芝桟橋へ。
港に近付くと、ターミナルから駅に向かう一団とすれ違いました。
丁度新島からの船が入港した時間です。
24時間後はオイラもこの集団にいるのか。
ターミナルに着くと、出港までまだ3時間近くあります。
乗船手続をすると、帰りのチケットも貰いました。
往復共に同じ船。指定座席(雑魚寝だけど)も同じでした。
御蔵島は相変わらずの条件付き。
乗船時間まで読書と仮眠で過ごしたのでした。
21:40 さるびあ丸に乗船
22:00 出港
指定区画で横になり、早々に寝たのでした。
(続きます)
東京行くって言って、恵比寿と新島のコラボをイメージできる方って、どれ位いらっしゃるでしょうか?
ブログを拝見していて、この後新島?竹芝桟橋??
と、なりました。
このコラボを作り上げ、実行に移してしまうとりさん、さすがです。
by takkun (2016-05-24 10:23)
■takkunさん
単に「東京方面で電車じゃないと行けない所」で残っていたのがこの二つだったんですが、
普通は絶対思いつかない組み合わせですよね~(o ̄∇ ̄o)フフ
takkunさんみたいに電車に乗り慣れないもので、「どうせ東京まで出るなら一度で済ませてしまおう」
という感じです。
by とり (2016-05-24 20:17)
山手線の駅の場合、環状の内側なのか外側なのかを意識するだけで、
間違いはなくなると思いますよ(*^^)v
by an-kazu (2016-05-24 21:48)
やっぱり餅は餅屋って事なんですね~
お役所は手続きは面倒くさいですけど意外と寛容ですよね。
by miffy (2016-05-24 23:33)
■an-kazuさん
>内側なのか外側なのか
今回の迷子はまさにそれでした。
どうもありがとうございますm(_ _)m
東京を歩くノウハウってちゃんとあるんですね~。
■miffyさん
餅屋ですね~。
>面倒くさいですけど意外と寛容
確かにそれはあると思います。
by とり (2016-05-26 05:17)
わたくしも恵比寿で迷った・・・去年の記憶が蘇りました。
駅降りて、思っていたのと実際と1区画分ずれていたんですね~田舎もんはコレだから困る。結局、駅から2,3分のところ、ぐるっと回ってC字型に歩いてしまったんですな・・・調べもん、お疲れ様でした。禁断の一線感=目からウロコがうかがい知れましたよ(^皿^;)
by me-co (2016-05-29 11:19)
■me-coさん
me-coさんもやっちゃいましたか!
田舎者あるあるですね~^^;
禁断の地に踏み入れたとはいえ、オイラは決してマ〇アではなく、健全な一般人ですけどね。
by とり (2016-05-29 17:38)